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僕がやっている簡単な自己啓発 Part 23【ご褒美をもらう。あげる。】

僕は、家庭(子育て)において、これまで 『ご褒美』 には、反対だった。 かと言って、躾を厳しくし 『罰を与える』 ことも反対だ。 『ご褒美』 目当てに頑張ったり、 『罰』 が怖くて、頑張ったりなどではなく、自発的に自分が良いと思ったことを頑張って欲しいと思っていたからだ。 しかし、ひょんなことから 『ご褒美』 は、必要だと気付いた。 切っ掛けは、学校の先生からのアドバイスだ。 『ご褒美』 があるだけで、子供の頑張り方が全然違う。素直に話は聞くし(今までは、テレビやゲームをしながらの空返事)、積極的になった気もする。 最初は、「現金だな」とも、思ったりした。けれど、自ら頑張る子供の姿を見ていると、 『ご褒美』 も決して悪いもんじゃないと思った。 それもそうだ。子供にとって、学校や勉強を頑張る先に何があるかわからない。 (もう少し大きくなって、将来の目標ができれば別かも知れないけれど、まだ、そこまで大きくない。) 行き先のわからない道のりを頑張って進めるはずがない。 進むべき、道を見つけた子供たちは、自分達の足で、目標に向かって進んでいる。 なんで、今まで気付かなかったのだろう。 自分も、 『ご褒美目当て』 に仕事を頑張っているのに。 子供には、 『ご褒美なし.』 なしは、酷過ぎたかも知れない。 人それぞれ、 『ご褒美』 は、違うかもしれない。 それは、 『給与』 であったり、 『モノ』 かも知れない。それよりも 『言葉』 かも知れない。 以前、 『承認欲求は、誰もが持っている本能。』 でも書いたように、誰しも、他人から、 『認めて欲しい』 と思っている。 その、 『承認欲求』 を満たす、アイテムの一つが 『ご褒美』 なんだと思う。 『給与』 も 『モノ』 も、自分の行動(仕事)を認めてもらった 『ご褒美』 だ。 そして、 『言葉』 は、もっとも 『承認欲求』 を満たす 『ご褒美』 だと思う。 僕も実際、今の職場で、同僚に 『感謝の言葉』 を今までよりも、多く発するようにしたら、これまで仕事に積極的では、無かった同僚も、積極的に仕事をするようになってきた。 上司から 『怒られる恐怖』 で、真面目に仕事をしても、恐怖心が先立ち、ミスをしない 『保守的な仕事』 しかできない。 しかし、 『ご褒美』 を
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僕がやっている簡単な自己啓発 Part 22【人に教える】

僕の日課の一つとして、『子供と一緒に勉強する』時間を作るようにしている。 主に宿題をちゃんとするように見ているだけだけど、わからない所があれば、教えるようにしている。 まだ、小学生なので、答えを教えるのは簡単だけれど、子供がちゃんと理解(納得)するように教えることは、中々難しいと思いながら、日々過ごしている。 つくづく学校の先生は凄いと思う。 子供に答えだけを教えることと、 『なぜ』 その答えになるのかを教えることは違うし、 『なぜ』 を解決しないと、同じ問題でも、間違いを繰り返したりしてしまうと思っている。 決して、自分の子供に優秀になって、将来、「いい学校へ」や「いい会社へ」と期待している訳ではなく、どんな学校や会社へ、入ったとしても応用を利かせ、理解できるようになって欲しいからだ。 だから、算数の公式にしても、図に書き、子供が理解しやすく、納得できるよう、自分なりに考えながら、子供との時間を共有できるようにしている。 仕事でも同様に、どんどん周りの同僚や人に自分の持っている知識や経験を伝えるようにしている。 いざ、自分の知識、経験を人に伝えてみると、これが案外難しい。 自分本位で話をすれば、単なる自慢話として、受け取られ、興味を持って貰えないし、浅い経験や受け売りでは、相手の疑問を解決できずに 『なぜ』 を残したままになってしまい、同じ質問や失敗を繰り返すだけになってしまう。 人に教えるということは、非常に難しいことだ。 教える相手より、数倍の知識がないと、本当の意味で、理解、納得してもらうことはできないからだ。 だからこそ、僕は、どんどん人に教えるようにしている。 (教えるとなると、偉そうな気もするけれど) そうすることで、自然に自分の勉強になってくる。 相手の疑問が解決できなければ、僕の知識不足だし、相手が納得できなければ、僕の説明下手や交渉力の未熟さだったりする。 また、自慢話にならないよう、相手に興味を持って貰えるように話を考えることで、コミュニケーション能力が鍛えられると思う。 答えを教えずに、答えに導くように教えることは、とても難しいけれど、自分も成長できる絶好のチャンスだと思っている。 しかし、最近の小学生に教えるのは、こちらの予習が必要なほどになってきている。 僕は今、算数から、

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 21【子供から学ぶ】

昨日今日と、休日だったので、子供と自転車の練習をした。 最初は、怖がってペダルに足をかけることすら、できなかったけれど、だんだん恐怖心が薄れて、好奇心と楽しさが勝ってくると、一気に乗れるよう(本当は、自転車に乗れる一歩手前)に迄なった。 親バカじゃないけれど、子供の成長スピードには、目を見張るものがあると、つくづく実感した。 しかし、子供だけではなく、大人も一緒だと思う。 どうしても、新しいことを始めようと思ったら、興味や関心があっても、恐怖心が勝り、チャレンジすることに躊躇いがちになってしまう。 でも、その恐怖心に打ち勝つことで、新しい世界が待っている。 恐怖心に打ち勝つには、難しいことは、何もない。 怖いと思いながらもチャレンジしてみるだけだ。 最初は、誰でも怖い。しかし、チャレンジしてみると、案外、見せかけだけの恐怖でしかないことが多い。 知らないことだから、怖いと思っていただけで、知ってみると、決して怖いことではないことに気付くことができるからだ。 子供は 『知りたい』 興味と好奇心が強く、簡単に恐怖心に打ち勝つことができるけれど、大人になってしまうと、 『知りたい』 興味と好奇心が薄れ、今の現状の知識、経験で満足してしまいがちだ。 知らない世界を切り開くより、知っている世界(現状)で、満足してしまう。 でも、僕はそれは勿体ないと思う。 大人も、子供と同様に 『知りたい』 興味と好奇心を持っている。 今の現状に満足していたとしても、新しい世界を知ることで、今まで以上の充実感を味わえると信じて、どんどんチャレンジしていこう。 時には、チャレンジして、後悔することもあるかも知れない。 でも、一度 『知った世界』 が、満足できなくても、『知らない世界』への、恐怖心は克服できているはずだから。 だから、僕は、これからもどんどん新しいことにチャレンジしていきたい。

愚痴おやじの遺書

と言っても、死にたくなったり、深刻な病気なわけでもない。 ただ、何故か普段、家族には照れてしまって、口に出すことができないことを残しておきたいと急に思いついただけだ。 突然、何があってもいいようにと。 妻へ 自分勝手で、家族のことも考えずに突然会社を辞めたり、意見を変えずに自分の思いを通してばかりのこんな夫でごめんなさい。 あなたが支えてくれると信じていたから、自由気ままに生きてこれました。 転職して、収入が激減して、本音では「こんなはずでは」と、思ったかもしれません。 それでも、あなたは口に出さずに支えてくれています。 僕にとって一番幸福だったことは、あなたに出会え、夫婦となれたことです。 いつの日か来る最後の日には、笑顔で「いい人生だった。」と、心から言えます。 もう少し(?)僕のわがままに付き合ってください。 これからも、迷惑をかけるけれど、よろしくお願いします。 お姉ちゃんへ 人一倍、心が優しい子に育ってくれて「ありがとう。」 そのため、自分が傷付くことも多くあり、小さいながらも心を苦しめている姿を見守ることしかできずにごめんなさい。 しかし、今の経験が将来、必ず役に立つときがくるはずです。 今は、まだ、そう考えることはできないかもしれませんが、大丈夫。僕の子供です。必ず明るい道が待っています。 あなたには、一生付き合っていける友達がいます。 その友達が、あなたにとって、大きな財産です。 だから、今のまま、素直で、人に対する優しさを忘れないで下さい。 チビへ いつも、「チビ」と、読んではいますがもう立派な女の子になってくれました。 まだまだ、勉強が嫌いで、遊びたいこともわかるけど、もうちょっと勉強してもいいかなって、思います。 でも、あなたが持っている一番の武器は、いつもニコニコしていることです。 怒られて、泣いたりいじけても、すぐに笑顔に戻ってくれるあなたは、これから待ち受ける困難も必ず乗り越えることができるでしょう。 でも、ガマンのしすぎはよくないよ。 お姉ちゃんが大好きすぎて、喧嘩もよくするけれど、このままお姉ちゃんを大好きな人に育ってください。 でも、やっぱり、少しは勉強も大事に。 このまま、ガマンすることなく、いつもニコニコできる人

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 20【なんでも、自分のせいにする】

僕は、なんでも、 『自分のせい』 だと考えるようにしている。 しかし、決してマイナス思考でもないし、自己否定してるわけではない。 次の手段を考えるためだ。 く、するつもりではなく、 失敗や間違いを 『他人のせい』 に、したのでは、そこから何も生まれず、よりよい改善策を取ることができない。 せいぜい、「今度は、もっと信頼できる人に頼もう。」や他人が変わるのを待つくらいだ。 それでは、同じ失敗や間違いを繰り返してしまう可能性が拭えない。 しかし、 『自分のせい』 と考え、同じ失敗や間違いを犯さない方法を考え、自分の行動を変えることで、防ぐことができるはずだ。 例えば、歩いてる最中に鳥のフンが頭に落ちてきた。 これを鳥のせいだけにしたのでは、いつ同じことが起きてもおかしくはない。 しかし、事前に鳥が多そうなところでは、傘をさしたり、帽子を被ったりすることで、頭にフンがつくことはない。 いつものように例えは変だけれど、これと同じように、仕事でも考えるようにしている。 負けず嫌いな僕の性格だから、落ち込むことなく、むしろ、やる気がでてくるのかもしれない。 ただ、僕も強い人間ではないので、時には『ご褒美』も欲しくなる。 そんな時には、成功したり、成果が上がった時も 『自分のせい』 にするようにしている。 これは、妄想の範囲で、口や行動には出さないけれど、僕も絡んだ(ほんの僅かでも)ことで同僚や会社が成果をあげた時も、 『僕のせい』 だと、思っている。(あくまでも思うだけ) そうすることで、実際は、殆ど何もしていないのに、何だか自分に自信がついてくる。 僕は、単純な性格だから、自信がつけばつくほど、やる気が出て、もっともっと、頑張りたくなってしまう。 だから僕は、失敗や間違いであっても、成功や成果をあげたことも、全て 『自分のせい』 にしている。

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 19【情報を集める】

僕は、さまざまな情報を、いつでも欲している。 そうすると、どんどん情報が集まってくる。 普段の何気ない会話からだったり、テレビや新聞、もちろんネットからも情報を得ることができる。 ただ、情報を集めようと思って会話をしたり、テレビ、ネットを見ているわけではない。 いろいろなことを 『ただ、知りたい』 と思っているだけだ。 僕は、基本的に変に勘ぐったり、情報を聞き出すための誘導するような会話をしたりはしない。取引先との会話の中でも、「最近の景気は?」「大変なことは?」など、直接、聞きたいことを聞くようにしている。 僕は、比較的会話に敏感に反応するので、変に誘導するような会話をする人と話をしていると、嫌悪感を抱きやすい。 他の人も同じだと考えているから、僕は人と会話をする時には、勘ぐったり、誘導するような会話はしない。 案外、直接聞いた方が素直に教えてくれることが多いと思う。 もちろん、素直に本音を教えてくれる人。天邪鬼な人。裏をかき会話をする人など、様々な性格の人がいる。 どんな内容でも、そこは素直に受け入れよう。 初対面では本音を隠されたとしても、素直に受け入れ、相手が自分との会話を楽しんでくれるようになれば、自然に本音を教えてくれるようになるまで待とう。 自分が勘ぐったりしている間は、相手も壁を作り、本音を言ってくれるはずがない。 社内でも社外でも、もちろんプライベートでも信頼関係の構築も一緒で、まずは自分が相手を信頼しなくては、相手は信頼してくれない。 信頼関係を構築できなければ、本音を教えてくれることは絶対にない。 だから僕は、最初に信頼されていなく、本音ではなく、ウソだったとしても気にせず、自分だけはウソをつかないように気を付けている。本音で話をしていると、必ず本音で話をしてくれる。 僕のネットやテレビでの情報収集は、基本的に興味のある一つのことから、どんどん膨らませていくことが多い。 何も目的なく、「面白いことがないかな。」と探す時もあるけれど、余程ヒマな時くらいだ。 僕は、目的や興味がないと、その時だけ頭に入った気がするだけで、結果的にすぐに忘れてしまうからだ。 身につかない知識も、余裕として必要だったり、そこから興味が湧いてくることもあるけれど、僕は、余裕がある時は、出

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 18【どんどん譲る】

僕は、人に譲る(優先)ことが多い。自分のことや意思、気持ちは後回しにしている。 ただし、周囲に調子よく合わせているのではない。 僕が、 『絶対に譲れない』 と考えていることを守るためにそうしている。 何でもかんでも、自分の思い通りになることは、まずありえない。 普段、意識しないうちに 「譲って、譲られて」 を繰り返しているはず。 しかし、バランスが自分寄りになってしまうと、 『自分勝手』 や 『自己主張が強い』 と言われ、他人寄りになると、 『優柔不断』 や 『自己主張がない 』と言われてしまう。 このバランスの取り方に長けている人は、立ち回りが上手なんだと思う。 ただ、僕の場合、そんなバランスを考えるのが面倒なので、極力、譲るようにしている。 ”10”あったとしたら、そのうち”9”は、譲る。 しかし、 『絶対に譲れない』 ”1”は、絶対に譲らない。 自分なりの一線を引いておくことが大事だと思っている。 一線を引き、普段から何気ない会話の中でも匂わせておく。 例えば、「ラーメンの魚介系の出汁は嫌い。」(僕は、本当に苦手)など。 そうすると、上司にラーメンを誘われて(誘った上司が魚介系の出汁好き)も、イヤイヤ合わせることなく、自分の好みでラーメンを選択することが出来る。 例えとしては、上手くないけれど、自分で選択権を持つことができる。 自分が選択権を握ることは重要な事だと思う。 ラーメンは、別としても、それが自分が譲れないことであれば、尚更だ。 ”10”あるうち、”9”譲ることで、絶対に譲りたくない”1”を容易く得ることができる。 それは、普段から、譲ってくれる人に、この場面は、絶対に譲れないと主張されると、案外、簡単に人は譲ってくれる。 自分だけが優先されると、何か不安や負い目が生じて、それを「解消したいと」どこかで感じているからだと思う。 営業職だった時代、お客様に引き渡す商品の品質に僕は、こだわっていた。 それは、品質に満足してくれたお客様からは、必ず紹介があり、営業の成績に大きく貢献してくれるからだ。 ただし、職人が作り上げる一点物の商品なので、天気や納期などによって、品質にバラつきがでてくることが多い。 だから、僕は普段から、納期に余裕を持つようにしていた。 納期をエサに