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僕がやっている簡単な自己啓発 Part 14【イライラする】

僕も、仕事中だけに問わず、イライラすることが多々ある。 しかし、イライラしても何もプラスにならず、むしろマイナスになることがほとんどだ。 冷静な時には、そのことが解っているのに、どうしてイライラしてしまうのだろう。 僕の場合は、第三者の言動にイライラすることもあるけれど、「道路が渋滞中で遅れそう。」「早く終わる予定だったのに、邪魔が入った。」「簡単だと思い込んでいたことが、実は難しく、思った以上に時間がかかってしまった。」など、予定通りに進まない時、ついイライラしがちになってしまう。 自分でイライラする傾向がわかっているので、なるべく余裕を持つように心がけているが、中々上手くいかない。 どうしても性格的に、予定を詰め込みがちになってしまい、結果的に予定通りに進まず、イライラしてしまう。 性格的にイライラを抑えることは、難しいのかもしれない。 それならば、イライラしても、すぐに解消してしまえばいいだけだと思う。 僕のイライラ解消法は、何も考えない(頭を使わない)ことだ。 例えば、パソコンの打ち込み(入力作業のみ)や掃除など、何も考えずにできる作業に切り替えるようにしている。 少し、頭を休めるだけで、イライラが解消し、普段の自分に戻ることができる。 もちろん、自分の気ままで、作業をコロコロ変えることができない場合もでてくる。 そんな時でも、空を見上げたり、天井を眺めたりなど、上を向きながら、何も考えない時間をコマ目にとるとスッキリすることが多い。 (一度に長時間見ていると、少し変な人に思われてしまうけれど、1秒ずつでも、何度繰り返す内に、段々イライラが薄れてきて、スッキリしてくる。) 僕の場合、対人関係でイライラした時も同様に、考えることを一度、やめてしまう。 「イライラした勢いで話を続けても、何もならない。」と頭ではわかっている。しかし、感情は急に湧いてきてしまう。 「イライラしないようにしよう。」など、考えても、僕の場合には、無駄な努力だ。 結局、考えることを続けていると、イライラの原因に舞い戻ってしまう。 かと言って、急に上を見上げることも不自然で、できない場合、僕は、ひたすら自分の手を見たり、相手の服やネクタイなどの模様を眺めたりしている。 その姿を見て、相手がイライラしようが、一先ず置いておく。

あったらいいなⅢ 『アプリで愚痴っちゃえ』

僕に、アプリを作る知識があれば、作ってみたいアプリがある。 スマホに向かって、大声で愚痴れば、ドラえもんの『コエカタマリン』みたいになって、街を破壊したり、できるアプリだ。 大声で叫べば、その言葉がより大きくなって、より多く街を破壊できる。 騒音の大きさを計るアプリが実際にあるし、音声入力も大部正確になっているから、アプリを開発している人にとっては、そんなに難しいことではないような気がする。 (実際の開発現場を知らないから、無責任かも知れないが・・・) スマホに向かって、「バカヤロー」と叫べば、スマホの中のビルなどの建物を『バカヤロー』の塊が破壊していく。 ストレスが溜まって、叫び声が大きくなればなる程、より多くの建物を破壊でき、破壊していく効果音もあれば、ストレスが吹き飛んで行くんじゃないかなと、思う。 時には、ゴジラになって、声の大きさだけ、炎が大きくなっていくバージョンがあってもいいかもしれない。 ただし、大きな問題が・・・ 一人きりじゃなければ、使えない。 電車内で、急に叫んだら、隣の人から、変な人扱いされてしまうだろう。

なぜ、仕事をするの?

なぜ、仕事をしないといけないんだろうか? 殆どの人は、生活のために、嫌でも仕事をしないといけないと考えているはず。 僕も、同様だ。 仕事をせずに、生活が成り立つなら、好きなことを好きなだけ、やっているかもしれない。 しかし、世の中に、そんな恵まれた環境の人は、そうそういないだろう。 だから、本音では、仕事が好きよりも、生活のために仕方がなく、仕事をしている。 僕のプライドは、ここにある。 『生活をするため』『今よりも、より楽しむため』『家族を幸せにするため』『友人といつまでも、バカなことをするため』 これが、僕のプライドだ。 そのためには、仕事で失敗をした時や自分の思うように仕事ができなかったからと言って、プライドが傷付くことはない。(本当は、あるけれど) 仕事にプライドを持っていないわけではないけれど、それよりも、もっと深い所に、僕はプライドを置くようにしている。(意識している。) もし、仕事で馬鹿にされたとしても、 『そんなことで、悩んだり、くよくよしている場合じゃないと、そんな上っ面なんて、どうでもいい。』 と、思うようにしている。 そうすると、周りの騒音が気にならなくなり、段々と自分のペースで仕事ができ、自然と結果がついてくる。 よく、僕が同僚に、 『何で、この仕事をしているの?』 と、意地悪な質問をする。 そうすると、大体「この仕事が好きだ。」「自分に向いている。」など、上司に対する、優等生な回答が返ってくる。 恐らく、何か試されていると深読みしているんだろうけど。 僕は、上司だけでなく、誰に聞かれても、堂々と 「生活のため」 と、答えたいと思う。 もちろん、その後には、 「しかも、この仕事は、僕に向いている。」 と、続けたい。 だから、イヤイヤ仕事をするのもわかるし、仕事に縛られ、逃げ出したいのもわかる。 好きなだけで、仕事をしているんじゃないんだから。誰だって、同じだと思う。 『仕事で挫けそうになった』 そんな時に僕は、仕事で上を目指すのではなく、 『今の生活のままでいい』から、『もっと、生活を楽しみたい』を目指そう。 『そのためにも(給与アップ)に繋がるよう頑張ろう。』 と、言い聞かせている。 これで、何とか、今までやってこれた。 しかし、過度のストレスなどで、体に影響がでる

仕事とうつ病。

正直、僕は、仕事のストレスからくる、うつ病などを発症してしまう人とは、正反対に位置していると思う。 しかし、今の日本の社会で、ストレスからくる、うつ病などの精神障害は深刻になっている。 僕は専門家じゃないし、ネットで特に検索したわけではないので、あくまでも僕の主観だが、以前より、遺伝的に精神障害が発症しやすい人の割合は、多くなっていないと思う。 ストレスなどの外的要因によって、後天的に発症している割合が多くなっているんだと思う。 それは、なぜだろう? 昔は、体力重視の仕事が多く、ストレスがたまりづらかった。 人間関係が希薄になった。 核家族化が進んで、ストレス耐性が弱くなった。 など、様々な要因があると思う。 うつ病などの精神障害は、一度、発症すると、中々、本人だけで克服することは困難になってくる。 支えてくれる人が必要になり、支えられる側、支える側、両者ともに、負担がかかってくる。 僕は、医者ではないので、発症した人に、どう克服するかなど、伝えることはできない。 でも、これ以上、進行すると精神障害の可能性が発症するかもしれない、予備軍の人であれば、僕の持論も参考にして欲しい。 僕は、基本的に一人で何もできない人だ。 仕事も多くの人の力を借りるし、家庭でも、一人では、料理すらできない。 野生の動物であれば、淘汰されているだろう。 しかし、僕は生きているし、仕事もしている。 それは、 『自分一人で生きている訳でも、何でもできる訳ではない。』 と、認めて、僕の人生に多くの人を巻き込んでいるからだ。 僕なりの観察では、ストレス耐性が弱い人は、 『何でも自分がやらなきゃ』や『自分が正しいのに、なんで?』 など、 『自分が』 という思いが強い。 先ずは、そこから脱出し、 『自分が』から『誰が』 に変えていくべきだと思う。 決して、他人に全てを任せるのではなく、やれることはやる。しかし、時間的、得手不得手など、他人に任せた方が良いと判断した場合は、他人に任せる。 その際に、重要なのは、何でも任せてしまっては、 『周りから反感をかってしまう。』『何もできなくなってしまう。』『周りがストレスから、疲れてしまう。』 など、弊害もでてくる。 だか

責任が重くて、つらい。

昨日、責任感についてのブログを書いている際、適した画像は、ないか検索していた時、責任感に押しつぶされそうな画像を見つけ、責任感があることは、良いことだけど、責任感に押しつぶされそうになっては、本末転倒だと思う。 今日は、昨日の続きみたいなものだ。 昨日のブログ『プロ意識を持つだけで、責任感が身につく。』 僕は、 責任感を楽しんで欲しい と考えている。 『責任』 は、確かに重いけれど、決して、一人で抱えるものではない。 真面目な人ほど、 『責任』 を一人で抱え込んでしまいやすいけれど、それは間違いだ。 一人で何もかもしようと思っても、できることに限界はある。自分の限界に近づけば近づくほど、プレッシャーとなり、ストレスがたまる一方になってしまう。 以前書いた『 ストレスをプラスにする。 』 どころではなくなってしまう。 もっと、仲間や同僚を信用して、任せていこう。 一人で、抱え込んでしまうのは、極論かも知れないが、仲間や同僚を信用していないと同じことだ。 もちろん、信用できない場合もあるかも知れない。しかし、信用できないと思う時は、危険信号が点滅している。 プレッシャーに負けかかっている証拠だ。 そんな時は、ひと呼吸おいてから、なぜ、信用できないのか理由を探ろう。 「まだ、未熟なのか?できるけど、やらないのか?」 など、自分がなぜ信用できないと思うのかをしろう。 ここで、 信用できないから、自分でやった方が早い。正確だ。などと、自惚れて、仕事を取り返してしまってはいけない。 信用できない理由がわかれば、改善策が見えてくる。 例えば、 『未熟』 であれば、経験をつませ、成熟させる。もし、時間的な余裕がなければ、任せながらも、重要なポイントに差し掛かった時に手を貸す。得意なことを任せる。など考えられるし、 やる気がないのであれば、 『なぜ、やる気がないのか?』 理由を探れば、「本当は別の仕事をしたい。僻んでいる。信用されてないことに気付いている。」など、原因があり、それを取り除くことで、今まで以上の力になってくれるはず。 仕事は、決して一人で行うものではない。 『何でもできて、他に変わりがいない人』 は、 『仕事ができる人』 ではない。 むしろ、自惚れているだけで、 「仕事が中途半端にしかできない人。」 だ。 (芸

ストレスをプラスにする。

今の社会で、ストレスを抱えていない人は、ほとんど、いないと思う。 ストレスが溜まると、イライラしたり、精神的に落ち込んだり、決していいものではない。 しかし、ほぼ全ての人が抱えているストレスだからこそ、うまく付き合うべきじゃないかと思う。 ストレスが全くないのは、本当にいいことだろうか? たぶん違うと思う。 例えば、お腹が空いた時に、好きなものを好きなだけ食べれば満足はするし、空腹を我慢するストレスから、解放されるだろう。 しかし、そんな生活を送ってしまうと、過度に太ってしまい、今度は自由に動けなかったり、体系が気になってくる。それもストレスになってしまう。 どうせ、なくなることのないストレスなら、上手に付き合い、心身に影響をきたさないようにして行くのがいいと思う。 『ディズニーランドで待ち時間が長く、ストレスが溜まってくる。』 『しかし、楽しみにしていたアトラクションで気分がスッキリする。』 『結果、「長い時間、待った甲斐があった。」になり、ストレスを感じた分だけ、楽しさが倍増した。』 こんな風に、 『今のストレスは、未来の楽しみや喜びになる。』 と、考える癖をつけるようにしたら、ストレスと上手く付き合うきっかけになるはず。 自身の過去の実体験から、 『我慢』→『成功・喜び』 を思い出すと、もっとリアルに未来が見えてきて、ストレスもプラスに転換してくる。 仕事でのストレスも同じように、 『今』 だけを見てしまうと、辛く、苦しいストレスになってしまうけど、将来、未来を見通せば、ストレスも軽減されてくる。 もちろん、こんな楽観的なストレスだけであれば、みんな苦労はしないと思うけど、僕は将来、未来を見る癖をつけて欲しいと思っている。 ストレスをプラスに考える癖が身についていると、ほんのわずかな希望だったとしても、探し出すことができ、そこから、希望を大きく出来る。 希望が大きくなってくると、ストレスが必ず小さくなるはず。 ただ、深刻なストレスが溜まり、わずかな希望すら見えなくなってしまう時もある。 本やネットで、ストレス発散方法も調べる気すら起きず、どうしようもなくなってしまう。 周りが「一人で抱えるな。」など、温かい声をかけてくれても、耳に入らない。 そんな時は、ストレスから、逃げてしまおう。 自分よ

社内のいじめに悩んでもしょうがない。

大人も子供も、いじめの問題がよく取りざたされるが、僕は、 『いじめは必ずあるものだ』 と、認めることから始めないと、いけないと思う。 特に、小中学校や高校のいじめ問題は、そう思う。 学校として、どうしても立場上なのか、 『うちの学校では、いじめはない』 が前提だから、 小さないじめの火種を見落としてしまう。 最初は、些細なことから、次第にエスカレートしていってしまう。 結果、大きな問題になって、初めていじめの有無を確認する。これでは、後手後手だ。 僕は、人は、3人集めれば、必ず1対2になり、深刻度合いは別にして、いじめは発生していると考えている。 だからこそ、いじめは必ずあるものだと考え、注視すれば、まだ小さな火種に気付くことができるはず。しかし、いじめは、ないと思えば、注視しているようでも、火種が大きく(もう火種ではない)ならないと気付くことができない。 僕は、学校の先生から、 「うちの学校は、いじめはあります。しかし、大きくなる前に対応するよう努めています。」 など、認める発言がでる学校を信用したいと思う。 しかし、大人のいじめ(会社内)は、上司が解決してはくれない。 自分で解決していくしかない。 大人のいじめは、主に 『仕事の対応力(能力)の差』 が、原因だと思う。 プライベートを共にする機会が少ないので、好き嫌いや合う合わないでのいじめは、あるにしても、くだらなくて、気にするだけで損をしてしまう。 気にせず、仕事で成果をだしていけば、いじめがあったにしても、自分にとって、いじめられているとは感じないはず。 むしろ、 『なんかくだらないことをしているな』 程度で流せるはず。 しかし、仕事の対応力(能力)の差が原因の場合、対応が難しくなってくる。 相手が、 『自分の方が仕事ができる』 と思えば、 『馬鹿にしたり』 、 『貶したり』 し、 『自分が劣っていると』 と思えば、 『妬み』 や 『僻み』 が生まれてくる。 深刻なのは、そこから生まれるいじめは、無理難題を押し付けられたり、足を引っ張ったりと、仕事に影響してくる。 大抵、いじめられる人が損をするようになってしまう。 僕には、正しい解決策は見いだせないが、性格的な問題もあるけれど、僕は直接、 「くだらない」 と、言ってしまう。 相手が、年上だろうが、立場が

パワハラにあったら、どうする?

昨日の続きで、会社内の人間関係で深刻なのが 『パワハラ』 じゃないかと思う。 ただ、僕には、パワハラをどう解決していいのかよくわからないのが現状だ。 以前の会社で、僕自身も部下に対して、横柄な態度をしていた時もある。転職を進めた経験もあるのが事実だ。 その時は、1年位一緒に仕事をしていたが、中々仕事を覚えず、隠し事やウソもあり、お互いにこれ以上一緒に仕事をしても時間の無駄だと、 僕自身が判断し、転職の話を切り出した。 しかし、立場が変わった今となって考えると、仕事の覚えが悪かったのは、僕の教え方や 仕事に興味を持たせることができなかった からだと思うし、隠し事やウソをつかせてしまったのも、 気軽に相談や連絡できない環境を作ってしまった、僕に原因 があったのだと思う。 ただ、僕の場合は、立場が変わり、視点が変わったからこそ、そこに気付いただけであって、もし、今も同じ仕事、立場であったら、気付かずにいたかもしれない。 パワハラで悩んでいる人も、僕と同じ上司を持ってしまったばかりに、仕事での人間関係に疲れてしまっているかもしれないが、上司がそこに気付くことはないと思った方が良い。 他人を変えることは、簡単なことじゃない。なら、 自分の環境(仕事)を変える か、 自分を変える かのどちらかの選択になってしまう。 環境を変えるのは簡単だが、 マイナス思考的な辞め方 をしてしまうと、次も 負の環境を招きやすい と思う。原因は何であれ、せめて「自分のやりたかった仕事は別にある。」「自分の成長の為。」など、 気持ちだけはプラス思考 でいて欲しい。 そして、自分を変えるには、パワハラ上司はある程度聞き流すしかないと思う。 特に、怒っている時などは、意見も何もなく、聞き流し、上司が冷静な時に、少しづつ自分が変化していることを認識させるしかない。 ちょっとした 、反応の速さ や 言葉使い (お世辞ではない)の変化などで、上司は変化に気づくはず。 上司と言う生き物は、会社の利益や経費などのバランス、効率などを計算しながら仕事をしている。 会社は、利益を確保し続けなければ、破綻してしまうから。 その際に、どうしても過剰な期待(夢や理想に近いかも)もしてしまう。勝手に期待していながらも、期待に応えてくれない部下を目の前にすると小言の一つも言っ

人間関係で、悩んでもしょうがない。

会社組織の中で、人間関係に悩んでいる人は非常に多いじゃないかと思う。 建前上は何であれ、本音で言えば、会社を辞職する理由のトップになっているはずだ。 パワハラ・セクハラなど、様々なケースが考えられ、安易に「そんなことで悩んでも。」と、いう訳にはいかないかもしれない。 世の中には様々な人がいて、性格も全員違う。中には、 気が合う人もいれば 、 合わない人もいる 。 さらに、会社となると、 『上昇志向が強く、他人を蹴落とそうとする人』 や『 やる気のない人』 、 『無理難題を押し付ける人』 など、本当に多くの悩みの種が転がっている。 実際に僕も様々な人と出会ってきた。中には、二度と口をきかなくても良いと思ってる人もいる。 しかし、 仕事仲間 は、あくまでも 仕事上の仲間 であって、 人生の仲間ではない 。僕はなるべく、仕事の時には、人の好き嫌いをなくそうと心掛けている。 例えば、苦手な人は、『自分が仕事をする上で必要なパソコンや道具でしかない。』と、自分に言い聞かせ、利用できるときのみ、利用しようと。 会社組織の中では、好きな人とのみ、仕事ができない。むしろ、するべきでないと思う。好きな人のみが集まった組織は、非常に弱い。 様々な性格を持った人が集まる から、組織としての弱点もカバーでき、 新しい発想も生まれてくる 。 似たような性格が集まったそしきでは、考え方に偏りができ、仮に上り調子の時には、全てが上手くいくとしても、必ずつまずき、下り坂を転げるように組織が脆く壊れてしまうことだろう。 もしくは、最初の好意的な関係が破綻し、ギクシャクした関係になってしまうだろう。 しかし、様々な性格の人が集まった組織では、先見の明がある人、危機管理が得意な人、新しいことを発想するのが好きな人などの良い所どりを、組織を継続、発展しやすくなる。 組織として、 様々な性格の人を集めることは必須 なのだ。 しかし、同じ仕事をする上で、性格が違えば、好き嫌いや合う合わないは必ず出てくる。 そんな時には、嫌いな人や苦手な人にも、得手不得手があり、利用価値は多々あると思おう。 別に、全ての人に心を開く必要なんてない。自分にとって、プラスになるように、他人を利用して行こう。 最初は、利用していると思っていても、その内、 嫌いや苦手だった人

勘違い上司は、必ずいる。

人の上に立つということは、簡単なことじゃない。 ましてや、仕事となると尚更だ。 しかし、世の中には無数の上司が存在する。その中で、人の上に立つべき人と、立ってはいけない人も混在している。 特に、これまで人の上に立ったことがなく、初めて部下を持った上司などは両極端になりがちだ。 ついつい、勘違いをして自分が偉くなったと思い込んでしまう。確かに会社内では、部下より立場は上だが勘違いをする上司は、部下を見下してしまいがちの傾向が強い。 もちろん、子育てと一緒で、初めての父親、母親はわからないことが多く、子供の成長と共に親としても成長していく。 上司も同様に部下と共に成長していかなければならない。 しかし、あたかも最初から人の上に立っていたかのような思い込みで、自分もできないことを部下に当たり前のように指示し、結果が出ずに怒りだす始末。これでは、部下も上司が成長するまで待っていられない。 人の上に立つには、部下にこそ謙虚でなければ。ゴマを擦れとかではなく、部下の本心・本当の実力を見極めるためにも上司が部下に心を開き、部下も上司に心を開ける環境を作らなければならない。 上に引き上げられただけの上司は簡単に落ちていく。 吊られた糸が切れれば落ちるだけだからしょうがない。 しかし、 下に支えられている上司は落ちようがない。 しっかりと支えてくれる人がいるから。 もし、人の上に立つようなことがあったら、自分より上の人間よりも、後々自分を支えてくれるであろう部下のことを大事にしたい。 でも、勘違い上司の下で仕事をする際はどうしたらいいだろう。 陰で悪口を言うしかないのか。難しい所だけど、僕は敢えて、陰で上司を褒める。直接ではなく。 人は直接褒められるより、間接的に誉め言葉を耳にした方が受け入れやすい。 直接だと「ゴマを擦っているんだろう。」など、余計なことを考えてしまうが、第三者が入ることで素直に受け入れてしまう。 好意を上司に認識させながら、徐々にこちらの考えを浸透していくしかない。 一度好意を持ってもらえれば、こちらの考えも受け入れやすくなっているはずだから。 遠回りのようだけど、案外、近道で自分の仕事のしやすい環境を作ることができるはず。 僕も今、試しに今の上司に ジワジワと浸透している最中 なので、結果が出たら報告