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本当に変わるためには、何をする?

もし、今の自分を変え、脱皮したいと考えているなら、先ず、するべきことは 『自分を褒める』 ことだと思う。 自分を変えたいと思う時は、大抵、上手くいってない時だと思うけど、そこで、クヨクヨしたり、どうしたら変われるのかを考えても仕方がない。 どんなことでもいい。「上手くいかなくても、頑張れる自分は凄い。」や「イジメに負けずに耐えている自分は偉い。」など、何でもいいから、先ずは、今の自分を褒めよう。 但し、自分で「頑張っているから、少し休憩を。」など、甘やかすのは別問題だ。 第三者の立場で、今の自分の言動を否定せず、認め褒めよう。 (本当は、他人が褒めてくれるのが一番の特効薬かもしてないけれど。) 人は、誰でも褒められると嬉しくなる。 嬉しくなると、さらに 『褒められたい』 欲求が生まれ、今までより、 『もっと褒められるためには、どうしらいいのか?』 自然と考える。 子供を褒めて育てるのと同じ要領だ。 自分を貶すことで奮起できる性格の人もいるかもしれないが、そんなに強い人ばかりではない。 (もし、自分が貶されることで奮起できる人であれば、このブログは当てはまらないかもしれない。) 自分を貶して、落ち込んでも変わることはできない。もし、変わるとするとマイナス方面への変化でしかない。 しかし、 『自分を認め、褒める』 ことで、 『もっと褒められるためには、どうしたらいいのか?』 自然に考え、行動がかわるはず。 その一歩を踏み出すことが一番大事なこと。 誰でも、明日、朝起きたら、別人のように変わることは、絶対にない。 今までの自分とちょっとだけ違う考え(プラスな)を持ち、ほんの少しの言動の変化が、大きな変化(成長)に繋がっていく。 そのためにも、 『先ずは、自分を自分で褒めよう。』 気付くと、周りの人も 『自分を褒めてくれ』 変化が加速して行くはず。 しつこいけれど、 『絶対に自分を甘やかさない(甘えない)』 ように。

シャンシャンから学ぶ、人気者になる方法。

上野動物園で、生まれたパンダの赤ちゃん『シャンシャン』の一般公開が、いよいよ明日からだ。 観覧申込が殺到して、実際に目にするのは困難なほど、大人気だ。 大人気の『シャンシャン』を多くの人に見てもらうために、上野動物園では、公開と同時に、ライブ配信( ueno panda live.jp )も行うらしい。 (多くの人に見てもらいたい思いもあるだろうけど、動物園に多くの人が殺到することによる、『シャンシャン』のストレス軽減など考慮したんだと思う。) そんな大人気の赤ちゃんパンダ『シャンシャン』赤ちゃんパンダは、なぜ多くの人を魅了するのだろうか? 『シャンシャン』のように、職場で人気者になることで、仕事が楽しくなり、仕事の成果も上がってくるはず。 それなら、どうしたらいいのだろうか? 『シャンシャン』の人気の理由は、 『可愛い姿』『可愛い動作』『癒される』 など、だと思う。 職場で人気者になるためには、『シャンシャン』と同じこと(?)をすれば良いだけだ。 『可愛い姿』 は、仕事に置き換えると、 『清潔感のある服装』『不快な思いをさせない身だしなみ』 などだ。 『可愛い動作』 は、 『無駄な動き(ダラダラ)をしていない』『頼りがいがある』 などだし、 『癒される』 は、 『一緒にいると楽しくなる』『相談にのってくれる』 だ。 他にも『シャンシャンが人気の理由もあるし、職場で人気者になる方法は、まだまだある。 ニュースや話題になっていることには、理由が必ずある。それをちょっと疑問に思ったり、なぜか?と理由を考えるだけで、仕事やプライベートに役立てることも必ずできる。 僕は、ニュースや話題になっていることからも、成長できることがないか、いつも探している。

誰かが『やるはず。』だから、自分は『やらなくてもいい。』

誰もが、他人任せになってしまう。 僕も、ついつい、自分がやらなくても、誰かがやるから、大丈夫だと、勝手に思い込んでしまう。 道に落ちてるゴミを拾う人は、殆どいないと思う。 行事やイベントとして、ゴミを拾うのは、ほぼ強制的なので例外として。 しかし、自分の家や部屋に落ちているゴミは、誰もが拾うはず。 その違いは、自分の テリトリー かどうかだと思う。 (大事にしているかどうかも考えられるけど、今回は敢えて テリトリー とする。) 仕事(職場)でも、同様。 誰かが『やるはず。』だから、自分は『やらなくてもいい。』と思っている内は、仕事(職場)が、自分の テリトリー ではないからだ。 会社や上司に言われるがままの仕事しかできなくて当たり前だ。 そんな仕事をしても、楽しくなるはずがない。実に、勿体ないことだ。 みんな、好き好んで仕事をしている訳ではないけれど、1日の半分近く(最低でも3分の1)を仕事に拘束される。 いくら、プライベートが充実しているとしても、仕事が嫌いで苦痛の時間であれば、3分の2充実していても3分の1は、嫌いで苦痛な時間を過ごすことになる。 やっぱり、勿体ない。 仕事を楽しくすることで、1日の全てが、楽しい日々になるのに。 仕事を楽しくするためにも、仕事(職場)を自分の テリトリー にしてしまおう。 僕は、人間も所詮、動物だと考えている。 縄張り(テリトリー) を本能が求めている。 自分の 縄張り(テリトリー) にいることで、安心できるし、本来の実力を発揮できる。 だったら、仕事(職場)を自分の 縄張り(テリトリー) にしてしまえば、安心して、本来の実力が発揮できるはずだ。 動物が 縄張り(テリトリー) を守るためには、常に巡回し、なにか変化がないか、チェックしている。 もし、なにか変化があった場合、すぐにその原因を探る。そして、解決策を講じる。 (敵が攻め込めば、自分の 縄張り(テリトリー) から、敵を追い出す。など) 仕事(職場)を自分の 縄張り(テリトリー) にするには、同じことをすれば良いだけだ。 自分の仕事(職場)の変化に常に気を配り、変化があれば、その解決策を考え、行動していく。 その変化に気付ければ、自然と仕事(職場)が自分の 縄張り(テリトリー) となり、自然

理想が高すぎるのは、やめよう。

僕の周りに、理想や夢が、やたらと大きい人がいる。 理想が高いのは、いいことだけれど、高すぎると、理想に囚われてしまい、逃げ出せなくなってしまう。 同じように、夢が大きいのは、悪いことではないけれど、大きすぎると、自分を見失ってしまう。 自分の身の丈( 器 )に、あった理想や夢にしないといけない。 (120%くらいが、調度いいかも) まだ、夢は大きすぎても、その過程、過程の段階をしっかりと抑え、すぐにでもできる小さな夢から、徐々に自分をレベルアップさせ、叶えていける夢の最終が、本来の大きすぎる夢であるならば、問題ないと思う。 しかし、だだ漠然とした、大きすぎる夢では、実現のしようがないし、自分でも、叶えたくても叶える手段がわからずに、 『やりたくてもできない。』『どうしていのか、わからない。』 まま、葛藤し、自分自身、 『本当に夢なのか?』『どこに向かえばいいの?』 と、迷い、そこで、 『今、やるべきこと、明日やるべきこと、一年後にやるべきこと』 と、段階を踏まえないと、自分を見失ってしまう。 でも、理想が高すぎるのは、良いことがない。 一見、 『理想が高い』 ことは、目標を定め、そこに真っ直ぐに向かっているように見える。 しかし、人生(仕事)の道のりは、真っ直ぐではない。 自分が、真っ直ぐ進んでいても、道が曲がっていれば、どんどん、道から外れて行ってしまう。 理想が高い人は、自分の実力を信じているから、何の疑いもなく、真っ直ぐに進んでしまう。でも、道は曲がっている。そのことに、気付かずない。 僕は、理想が高過ぎる方だと思う。 だから、今の状況になってしまったのかもしれない。 家族の幸せを一番といいながら、自分の理想が高すぎたせいで、結果、家族に迷惑や苦労をかけてしまっている。 本来の 『理想』 を知らなかった。 今の僕は 『理想』 を今の自分に必ずできる 『最善策』 だと考えている。 『夢』 は、将来のためのステップアップの過程。 『理想』 は、今できる最良の結果。 と、考え、 『理想』 と 『夢』 を交互に繰り返し、今まで最良の結果だった理想を当たり前にできるようになり、さらなる大きな夢に向かっていく。 理想は、変化することなく、一番上の存在だと思っていたけれど、それは違う。 夢と同様に、自分の身の

怒られ続けると、どうなる?

僕の同僚の中に、毎日毎日、怒られている人がいる。 「本当によく、怒られるなぁ」と、ある意味、感心してしまう。 なぜ、彼は、毎日怒られ、それを直すことができないんだろうか。 以前、 怒られたくない! でも、触れたように、仕事が全て、後手後手になってしまっている。 どうしたら、怒られないかを考えた末、指示されるのを待つだけになってしまったり、やりかけの仕事を投げ出してでも、上司の指示に従い、結果、投げ出した仕事の件で、又、怒られる悪循環に陥ってしまう。 人には、 想像したことを実現する力 を持っている。 そんな 力 が、 『怒られたくない』 と思いが強くなりすぎて、逆に、 『怒られる状況』 を生み出してしまっている。 (怒られている姿を想像してしまっている。) なら、その悪循環を断ち切るには、どうしたらいいのだろうか? 僕なら、開き直る。失敗や不手際で怒られるのは、しょうがない。 それは、それ。次は、次。その失敗や不手際を超える成果を残せばいいだけだと、僕は考えている。 ただ、僕は、人よりもメンタルが強い方だから、できることかもしれない。 しかし、メンタルが強くないと、怒られ続けることで、臆病になってしまい、全てが悪い方に考えてしまい、そこからプラス思考に変えることは困難になってしまう。 本当は、上司が、さじ加減で、『怒る』『褒める』を使って、部下を巧みに扱うべきだと思うけれど、それは他力本願でしかないし、僕の同僚もそうだが、上司が怒りやすい人材であったり、性根が合わないのかもしれない。 そこで、諦めたら(逃げ出したら)、一生、諦める(逃げる)しか、なくなってしまう。 自分の道は、自分でつくるべきだ。 では、どうすれば、その悪循環から、脱出できるのだろうか? 僕は、まず 『褒めらる』 ことを目標とするべきだと思う。 『怒られる』 のが、怖いと思う人は、 『褒められる』 ことを好む傾向にあると思う。 上司を研究し、 『何をしたら、喜ぶのか』 を考え、上司好みの部下を演じるしかない。 すぐに 『怒る』 上司は、案外単純で、自分が気に入れば喜ぶ。 最初はこそ、上司にもこれまでの状況(怒り続けた)もあり、素直に誉めたりしないと思う。 しかし、上司の気に入る状況が続けば、自然と 『褒める』 環境ができてくる。

時間を追う人、時間に追われる人。

仕事、プライベートを問わず 『時間に追われる』 のではく 『時間を追う』 癖をつけよう。 ただ、 『時間を追う』 という言葉を耳にする機会は中々ない。 なぜだろう? 単純に、 『時間に追われる』 は、やるべきことに対して、時間(期日)が迫り、焦ったりすることだと思う。 それなら、 『時間を追う』 は、時間(期日)に対して、やるべきことを終え、余裕ができることだと思う。 そう考えると、 『時間に追われる』 より 『時間を追う』 ほうが絶対にいいに決まっている。 焦って仕事をしても、終わらせることが中心になってしまい、見直すことや時間内でできる必要最低限の準備で終わってしまい、ミスや悪い結果が待っている。仮に上手くいったにしても、そのプレッシャーなどで疲れてしまい、純粋に良かったと思えずに「やっと、終わった(解放された)」の気持ちが強く、すぐ次の仕事に取り掛からずに一休みいれたくなってしまう。 しかし、余裕を持って仕事ができると、見直したり、他に準備しておいた方が良いものがないか探すこともできる。 結果、成功にも近づくし、充実感を得ることで、次へ次へ、仕事を追いかけて行ける。 仕事を追いかけて行ければ、更に時間的余裕を持って、仕事ができ、自分にとって、良い環境で仕事をすることができる。 なぜ、 『時間を追う』 ことが、できず 『時間に追われて』 しまうのか? 違いは何だろう。 『スケジュール管理』 や 『いつ・どのタイミングでどの仕事をするべきか』 の判断を間違えてしまってるなど、考えられることは多々ある。 それを克服するには、経験や知識など、様々な要素が必要とされる。 しかし、もっと根本的なことを変えるだけで、簡単に 『時間を追う』 ことができる。 それは、 『自分を信じ、自分ならできる(簡単だと)思うことだ。』 自分を信じることで、不安が和らぎ、自信を持った仕事ができる。 自分ならできる(簡単だ)と思うことで、成功すれば自信につながるし、例え、失敗に終わっても、 『いい経験をした次は大丈夫』 と思うことができる。 結果、前を向いて仕事と正面から向き合うことで、ミスや不安を心配する無駄な時間が減り、効率よく、仕事ができてくる。 それが 『時間を追う』 ことだと思う。 どうしても、不安があると、それを

苦しい時こそ、笑顔を大切に。

僕にとって、 『笑うこと』 は、自分を前向きにしてくれる魔法の薬だ。 どんな、嫌なことや苦しいことがあっても、 『笑顔』 を作ることができれば、まだまだ、自分には 『笑顔』 を余裕がある。 もっと、嫌なことが続いても、苦しくても、まだまだ耐え、乗り切ることができると思えるからだ。 僕は、幸いにも 『笑顔』 を作れなくなるほど、嫌なことが待ち受けていたり、苦しい経験をしたことがないだけかもしれないけれど。 しかし、こんな僕でも、 『一日一回でも笑えたから、今日は幸せだった。』 と、自分に言い聞かせる日々を過ごしたこともある。 無理矢理、笑えるようにしていた。鏡では見てないけれど、ギクシャクした笑顔だったかもしれない。 でも、無理矢理でも笑える何かを探し、笑うことを続けることで、物事を前向きにとらえることができるようになってくる。 そんな時に、 『本当に不幸のどん底で、先が全く見えない暗闇なら、笑えるはずがない。』『僕なら、大丈夫。』 と、自分に言い聞かせる。 なぜなら、目の前には、 『希望の光』 が、見えてくるはず。 前向きに考え始めた時に、無理矢理でもプラス思考に持っていくことで、一気に流れを変えてしまうことができる。 僕は、嫌なことや苦しい時、 『笑顔(笑うこと)』 で、乗り越えてくることができた。 実際、 『笑顔(笑うこと)』 には、目に見えない力があると思う。 どんな時でも、 『笑顔(笑うこと)』 が、自分に良い流れを引き寄せてくれるはずだ。 これは、僕みたいな楽観的な人だけではなく、みんなが持っている、不思議な力だと思う。 『笑うこと』 は、素晴らしいことだ。 どんな、嫌なことや苦しみからも、脱出する道を照らしてくれる。 最初は、作り笑いでも、その内、心から笑うことができるはず。 心から笑えることができたら、幸せだし、進む道も、必ず明るいはずだ。 だから、僕は今日も笑っている。

朝からピンチ!

今日は、朝からピンチで、始まった。 アラームが鳴らず、妻から、 「起きなくて、大丈夫?」 の、声で目が覚めた。 寝坊だ。いつもより、30分以上遅く、目が覚めた。 しかし、こんな時は、いつもより案外上手くいく。 いつもは、ダラダラして、中々目が覚めず、ボーッとしている時間があるけど、今日は全くなし。 妻の声を聴いた瞬間から、全開で目が覚め、意識もハッキリしていた。 何だかんだで、いつもと、ほぼ同じ時間に家をでることができた。 僕の場合、こんな日は、決まって順調に行くことが多い。 朝から、集中力が高まっているからかもしれないが、いつもより、感が冴え、普段見逃すようなことまで、見つけることができる。 今日の僕は、正しくそうだった。 朝の 『あの一瞬』 以外は、全てが順調に進んだ。 『ピンチの後は、チャンスあり。』 は、やっぱり本当だ。 本当に、今日はいい日だった。(台風を除けば) こんなことなら、毎日、寝坊すれば良いのかもしれないけれど、あの 『ヤバい』 という、緊張感は、そう簡単に真似できない。 それが、できれば毎日が順調なのに・・・。

先が見えなくなったら。

昨日のストレスについての、僕なりの思いを書いて、僕がどん底から、立ち上がった切っ掛けをどうしても伝えたくなった。 僕は、プライベートと仕事(特にプライベート)で、自分自身を見失い、自暴自棄に陥った時がある。 以前、不幸関連(仏事)の仕事をしていた時がある。 その時はまだ若く、お客様から、知識の少なさや見た目(若かったので)から、信用されにくく、営業の仕事が上手くいってなかった。 営業は、結果が全てなので、結果がでない営業マンに居場所はない。 かろうじて首になりはしなかったが、上司や先輩のプレッシャーは半端なかった。 そんな時に親友を立て続けに亡くし(交通事故・突然死)僕が人の死を商売にしているから、親友が死んでしまったのではないかと考えるようになり、沈んでいってしまった。 そんな自暴自棄に陥り、何事も暗く考える僕に愛想をつかし、当時、付き合っていた彼女とも距離が開いて行ってしまった。 真剣に僕のことを考え、そばに寄り添ってくれる彼女に甘えて、愚痴ばかり言ってしまった。 聞く耳も持たずに、どこにも出かける気もなく、愛想をつかすのは当たり前だと思う。 とにかく、暗くなり過ぎた。が、当時の僕にわかることもなく、 「全てが奪われてしまった」 と思い、 「僕はこの世にいるだけで、周りを不幸にする。なら、一人で誰にも関わりたくない。」 と、考えるようになってしまった。 幼少期の家庭環境も恵まれず、実の親ですら信用できなくなった時期もあり、余計にそう考えてしまったのかも知れない。 今となっては、笑い話だが、当時は真剣にそう考えた。 暗い話は、ここまでにして、そこから僕が立ち直った切っ掛けは、大したことではない。 そんな自暴自棄だから、当然、寝ることもできなくなっていた。 「寝よう。寝なきゃだめだ。」 と、思えば思うほど、眠れない。 部屋の電気を点けたり、消したりを繰り返していた。 電気を消した暗い部屋で、さっきまで点いていた電気の残像が見えた。 普段は何も感じないことかも知れないけれど、僕には、 『希望の光』 に見えた。 自分でも何とかしなきゃと考えていたのかもしれないが、 『たとえ、今は真っ暗でも、進めば明かりが待っている』 と、思い、ここで立ち止まるんではなく、前に進もうと思えた。 こんな、どうでもいい切っ掛けが

ストレスをプラスにする。

今の社会で、ストレスを抱えていない人は、ほとんど、いないと思う。 ストレスが溜まると、イライラしたり、精神的に落ち込んだり、決していいものではない。 しかし、ほぼ全ての人が抱えているストレスだからこそ、うまく付き合うべきじゃないかと思う。 ストレスが全くないのは、本当にいいことだろうか? たぶん違うと思う。 例えば、お腹が空いた時に、好きなものを好きなだけ食べれば満足はするし、空腹を我慢するストレスから、解放されるだろう。 しかし、そんな生活を送ってしまうと、過度に太ってしまい、今度は自由に動けなかったり、体系が気になってくる。それもストレスになってしまう。 どうせ、なくなることのないストレスなら、上手に付き合い、心身に影響をきたさないようにして行くのがいいと思う。 『ディズニーランドで待ち時間が長く、ストレスが溜まってくる。』 『しかし、楽しみにしていたアトラクションで気分がスッキリする。』 『結果、「長い時間、待った甲斐があった。」になり、ストレスを感じた分だけ、楽しさが倍増した。』 こんな風に、 『今のストレスは、未来の楽しみや喜びになる。』 と、考える癖をつけるようにしたら、ストレスと上手く付き合うきっかけになるはず。 自身の過去の実体験から、 『我慢』→『成功・喜び』 を思い出すと、もっとリアルに未来が見えてきて、ストレスもプラスに転換してくる。 仕事でのストレスも同じように、 『今』 だけを見てしまうと、辛く、苦しいストレスになってしまうけど、将来、未来を見通せば、ストレスも軽減されてくる。 もちろん、こんな楽観的なストレスだけであれば、みんな苦労はしないと思うけど、僕は将来、未来を見る癖をつけて欲しいと思っている。 ストレスをプラスに考える癖が身についていると、ほんのわずかな希望だったとしても、探し出すことができ、そこから、希望を大きく出来る。 希望が大きくなってくると、ストレスが必ず小さくなるはず。 ただ、深刻なストレスが溜まり、わずかな希望すら見えなくなってしまう時もある。 本やネットで、ストレス発散方法も調べる気すら起きず、どうしようもなくなってしまう。 周りが「一人で抱えるな。」など、温かい声をかけてくれても、耳に入らない。 そんな時は、ストレスから、逃げてしまおう。 自分よ