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仕事の『できる人』と『できない人』

仕事ができる人 と できない人 の違いは何だろう? 周りの人を眺めていると一番、目が行くのが周囲を見渡すことができるかどうかで、大きな差が生まれているような。 今、サッカーの日本代表戦を見ながらふと思いついた。 司令塔としてチームを勝利に導くためには、仲間の選手はもちろん、敵チームの選手の動きを把握し、予測してゲームを組み立てている。 経験があるからこそ、周囲を見渡す余裕もできてくるし、ゲームの流れも予測でき、それを流れが良ければ、更に良く。流れが悪ければ、それを打開するアイデアが生まれてくる。 仕事もサッカーと同様に周囲の仲間の動きや結果を見ながら、その都度、自分の仕事を微妙に変化させ、対応できている人は、周りから見ても 『仕事のできる人』 と呼ばれていることが多く、周囲を気にせず、いつもと同じ仕事を淡々と繰り替えしている人は『仕事ができる』とは、呼ばれていない。 職種にもよるとは思うけれど、僕の周りを見る限りはそのようだ。 他にも仕事のできる人の要素は多々あるとは思うけれど、サッカーを見ていたから、余計にそう思うのかもしれない。 普段と大きな違いではなく、微妙な強弱が非常にうまい。 一辺倒のパスやシュートではなく、強弱があるからこそ、得点につながることと同じように。 先ほどの述べた、いつも淡々と同じ仕事を繰り返す人の場合は、「あの人の仕事は正確だ」「あの人に任せておけば大丈夫」などと褒められることも多いけれど、仕事ができると呼ばれることが少ないと思う。仕事ができると呼ばれても『この』とか『あの』など、限定されることが多い。 僕は、仕事ができると呼ばれたく、周囲を見渡しているけれど、周りからは 「いい歳して落ち着きがない。」 と呼ばれてばかり。 周りを気にしすぎて、自分の手元を見ることを忘れ、うっかりミスが多いからかな。

打ったら、響け!

『撃てば響く』という、ことわざがあるけれど、僕の周りに『打っても響かない』人がいる。 真面目なんだけど、何を考えているのかよくわからない時が多々ある。 仕事での間違いを指摘しても、「はい。」「すみません。」と、返事はするものの、本当に分かったのか不安でしょうがない。(大抵、同じことを繰り返す。) 返事があるだけ、響いているのかもしれないんだけど・・・。 しかし、硬い物の方が、打つと大きく響いてくれ、柔らかい物は打っても響かないように、彼は柔らかい考え方なのかもしれない。 スポンジみたいに柔らかいと、吸収するのが早いように、彼も吸収している最中なのかもしれない。 もう少し、見守っていきたい。 でも、せめて同じ間違いを繰り返さないようにして欲しい。

権利と義務のバランス。

仕事をしていると、やたらと自分の権利を主張してくる人がいる。 「有休が残っているから休みを取る権利がある。」 「就業時間なので帰ります。」などなど。 もちろん、有休は会社から認められている権利だし、就業時間も決まっている。 権利を主張するのは当たり前のことかもしれない。 ただ、やたらと権利を主張する人に限り、会社に対しての義務を果たしているのか、疑問符がつく場合が多い。 僕は、義務を果たすからこそ、権利を主張することが出来ると思っている。 義務を果たさず、権利だけを主張しているのは 『詐欺』 だと思う。 古い考えと笑われるかもしれないし、社畜と言われるかもしれない。 しかし、僕の周りでも仕事のできる人は決して自分の権利を主張することは無い。 当たり前に、有休を取り、時間内に仕事が終われば普通に帰社もする。 権利を主張する人は、自分が義務を果たしていないことをわかっており、権利を得るための最短ルートが主張して押し通すことだと考えているんじゃないだろうか。 会社は、慈善事業じゃない。『利益の追求』それが全てだ。 そして、会社員の義務は与えられた仕事をこなす。だからこそ、給与であり、有休などの権利を得ることができる。 与えられた仕事以上こなすことが出来れば、昇進もできるし、給与も増えるだろう。 まして、有休なども手続きさえすれば、誰にも咎められなく、当たり前に得ることができるだろう。 僕は只の社畜だから、権利は主張していないが、有休も中々消化できていない。 そんな社畜でも、権利を主張することなく、得ている人に憧れながら、いつか、そうなりたいと憧れるはあったりする。 今日は朝早く起こされ、暑さでバテたから、「明日は休みたいなぁ」。

北朝鮮がミサイル発射!

今日は、「ミサイル発射」のアラームで家族全員、起こされた。 本当は、もう少し寝ていたかったけど・・・。 どうしたら良いかわからず、ひたすらテレビで新しい情報を待つしかなかった。 予想も経験もしたことが無い時、何もできない情けなさを痛感した。 本当にこんなんで、家族を守ることが出来るのだろうか? これからも、ただ、自分の近くに来ないことを祈るしかない。(自己中?) しかし、北朝鮮はこれからもミサイル開発はやめることはないだろう。 良くも悪くも、彼には 『アメリカと同じ位置に立つ』 と言う、明確な目標があり、脅しや経済制裁くらいでは、揺らぐことが無いと思う。 明確な目標を持っている人は強い。今が困難な時であろうと、いつでもチャンスを狙っている。もちろんチャンスを見逃すはずもない。 ある意味、見習いたい所でもある。 今の自分は、明確な目標がなく、流されることに慣れてしまい、逆らう気力もない。 僕も曖昧ではなく、明確な目標を持ち、逆境にも負けない強さを手に入れたいと、朝から考えさせられた。 でも、ミサイルは本当にやめて欲しい。

お金ってなんで欲しいの?

「世の中、お金が全てじゃない。」 良く自分も言う言葉だけど、 本当にそうなのかな? 確かにお金で買えないものは沢山あるし、今までも手に入れてきたつもり。 でも、使い切れないお金を持ったことが今まで一度もない自分にとって、本当に口に出して良い言葉なのだろうか? 「◯◯じゃない。」って言葉を発する時、だいたい自分に引け目があるときのような気がする。 本当はお金が欲しいのに僻んでいるだけかも。 そう考えると、 「世の中、お金が全てじゃない。」 って、お金持ちが言う時も何かが満たされていない時なのかもしれない。 お金が全てを満たしてくれるものじゃない。僕にも家族がいるし、大事な友達もいる。 お金はもうちょっと(もちょっと増えたら、更にもうちょっと)欲しいなとは思うけど、 「世の中、お金が全てじゃない。」 ほどほどに頑張ろう。

社畜って!

社畜と呼ばれると、何で嫌な気分になるんだろう? 家畜と同様に扱われるのが嫌だからなのかな。 家畜は家畜で、楽だと思うけど。 決められたことをこなすだけで餌(給料)が貰えるなら、これほど楽なことは無いはずだけど。 みんな、どこかで野生(起業?)に憧れているんだろうか? 野生は野生で大変なことは山ほどある。 自分で餌を見つけなければ生きてはいけないし、自分を守ってくれる人もいない。 そんな大変なことに 本当に憧れているの? 社畜でもいいんじゃない。ただ生きていくだけなら。 大抵、「社畜になりたくない」「社畜はイヤ」と叫んでいるのは社畜にもなれない、まして野生に出る勇気もない人が言い訳として使っているだけで、そんな今の自分を正当化したいだけだけど。 社畜でもいいんじゃない。餌(給料)が貰えるなら。 餌が足りないなら、ブランド牛みたいに周りの人より、上を行けば良いだけだし。 そんな自分もブランド牛に憧れる只の牛だけど。餌は沢山欲しいから、ブランド牛になれなくても人一倍太った牛になって、餌だけは沢山貰ってやる。 でも、仕事で太るって何だろう? 悩みが一つ増えただけかも。

障害者は、本当に不幸?

昨日から、空いた時間に24時間テレビを見ながら、思った。 障害者は、本当に不幸?なのかと。 周りを見渡しても、あんなにイキイキした人を見かけることが少なく(特に大人)、人生を充分楽しんでいるんじゃないかと。 もちろん、人には見せない裏側で、それこそ人一倍の苦労を重ねているからこそのイキイキした顔なんだろうと思うけど。 鏡を見るの怖くなった。 世界には背が高い人・低い人、太っている人・痩せている人、いつも笑っている人・怒っている人等々、様々な個性が溢れているように障害も個性の一つじゃないのかと。 『健常者』『障害者』の言葉ではなく、その人の個性として認め合い、得手・不得手をお互いに補える、そんな世の中になったとしたら、もっとイキイキした顔が周りに溢れるんじゃいかなぁ。 そんな世の中も見てみたい。 ※ただ、自分が同じ立場に立った時、同じ努力と笑顔ができる自信はない。一瞬、羨ましいと思った自分が恥ずかしいし、情けない。