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仕事ができる人のマネをする。

手っ取り早く、仕事ができる人になりたければ、自分の周囲にいる、仕事ができる人のマネをとことんするに限る。 自分で、今後の行動を考える必要はなく、とても簡単なことだ。 できれば、服装や趣味まで、マネしてしまおう。 自分らしくは、同じ立場に立てた時、初めて考えることにして、取り敢えず、全てをマネすることに費やす。それが一番大事になってくる。 仕事ができる人は、無駄が非常に少ない。 『残業が人より多い。』『休日を返上して仕事をしている。』 など、周りより多くの時間を費やし、仕事をしている、 『仕事ができる人』 は、 『本当に仕事ができる人』 ではない。 自分は、仕事ができると思い込んでいる自意識過剰な少し、残念な人だ。 『本当の仕事ができる人』 は、プライベートが充実している。交友関係や話題、リフレッシュなど、プライベートが充実してこそ、仕事が楽しめる。 楽しんでする仕事には、成果が必ずついてくる。 そんな、無駄なく仕事をしている人のマネをしない手はない。 先を読んで行動( 仕事が早い?遅い? を参考に)し、事前の準備(知識も含め)を怠らない。 だからこそ、突然のトラブルが発生しても、そのトラブルさえも折り込み済みで、容易に対応できる。 そして、言動も同様に、自分のペースに持っていくための言葉遣い、行動を取っているはず。 言葉尻、会話のタイミング、その際の頷くタイミングなど、相手の気分を害せず、尚且つ、自分に引き込むテクニックが必ずあるはず。 服装や身だしなみも同様だ。 周囲に不快感を与えず、好印象を与えることが 『仕事ができる人』 になる為には、必要不可欠だ。 マネして、損することはない。 もし、完璧にマネ(コピー)できれば、同じ成果を残し、同じ立場に立つことは、誰が考えても、頷くはず。だって、同一人物(コピー)なんだから。 仕事ができる人のマネをするうちに、その人の思考までも、わかってくるはず。 最初は、意味もわからずにマネをしていた言動が、 『なぜ、そのタイミングで、その言動を行ったのか』 理由に納得できるようになってくる。 その言動の意味がわかってくれば、マネする事を意識しなくても、自然と 『仕事ができる人』 と、同様の言動が取れるようになっているはず。 しかし、誰もが、個性があって、そこまで完

仕事の人間関係に『好きか?嫌いか?』は、邪魔なだけ。

僕は、仕事での人間関係に 『好きか?嫌いか?』の選択肢 は設けていない。 仕事で関わる人は、全て『好き』がベースとなっている。 その訳は、あくまでも仕事を通しての人間関係であり、プライベートをともにすることは、滅多にないし、 『好き』 をベースにすることで、相手に興味がわき、相手のことを 『もっと知りたい。』 と、欲求が自然に湧いてくるからだ。 『もっと知りたい。』 と、思えば、 『今、何を考えているんだろう?』『本当は、何を求めているんだろう?』 と、自然と考えているはず。 気付くと、良好な人間関係が築けている。 人は誰でも、自分に好意を抱いている人を邪険にしたりすることはない。 ただし、踏み込み過ぎは、逆効果になってしまう。相手と自分の距離感を確かめることが重要になってくるけれど、決して、難しいことではない。少しづつ踏み込み、どこまでが許容範囲か確認しながら、踏み込めば良いだけ。相手が拒否するような時は、それ以上踏み込んではいけない。それだけだ。 そして、昨日 『シンプル イズ ベスト』の発想が重要だ。 の続きになるけれど、人間関係を考える時の選択肢から 『好きか?嫌いか?』 が無くなり、より、シンプルに考えることができる。 物事は、複雑に考えるより、シンプルに考えた方が絶対に良い。 特に、人間関係においては尚更だ。 相手が何を考え、何を求めているのかなど、考えながら良好な人間関係を築こうと思えば、気疲れしかしないけれど、 『好き』 をベースにすれば、自然と相手のことを知りたくなるから、そんなことを考えようと思う前に、考えているはず。 その後は、『自分にとって、メリットがある?ない?』でも、『出世する?しない?』など、何でもいい。 選択肢から 『好きか?嫌いか?』 を外し 『好き』 をベースにするだけで、余計な選択肢を殆ど排除することができる。 だから、仕事の人間関係に 『好きか?嫌いか?』 は、邪魔なだけ。 そして、 『好き』 になるのコツは、所詮、仕事の間だけだし、相手を 『好き』 になるのも仕事の一部だと思うこと。 それから、相手の悪い所を見つけたら、良い所をその倍以上探すこと。どんな人でも、良い所は必ずあるはず。(ゴミを拾っていたなど、小さなことから) 相手の良い所を探す癖をつければ、自然

『シンプル イズ ベスト』の発想が重要だ。

仕事は、『シンプル イズ ベスト』の発想が重要になってくると、僕は考えている。 世の中には、複雑なシステムで、成り立っている会社もあるけれど、一つ一つに分解すると単純な仕事を組み合わせているだけだ。 それをわざわざ、複雑に解釈する必要はない。 例えば、営業の世界であれば『売れるか?売れないか?』が、基本だ。 これは、営業の仕事に携わったことがない人でも、簡単にわかると思う。 もちろん、突然、赤の他人に『買いますか?買いませんか?』と、営業しても、10人中、10人買うことはない。 それなら、どうしたら『売れるか?売れないか?』を考えていけばいい。 例えば、 売れる→商品のデモンストレーション→商品PR→話を聞いて貰える体制づくり→信頼関係の構築→顧客訪問→訪問先のリストを作成→その商品の販売対象を知る と、順番を逆に追っていき、一つ一つの階段を上るだけで、簡単に販売することができる。 ただ、営業の仕事で、成績が上がらずに悩んでいる人の多くは、嚙み砕くことをせず、そのまま全てを並行して実行しようと考えてしまい、その複雑さについて行けず、成績を上げることができずにいる。 自分でシンプルなはずの階段を複雑にしてしまい、上ることができない階段にしてしまっているだけだ。 人はみんな、物事を考える時、幾つものことを同時に考えることはできないと思う。 コンピューターと同様に『YES・NO』の選択肢を繰り返しているだけだ。 その選択肢が多いか?少ないか?で、その人の価値が決まってくると思う。 選択肢を増やすには、多くの経験を得ることが最短だ。 だからこそ、幾つものことを複雑(並行)に考える必要はない。 一つ一つ、階段を昇ればいいだけ。 例えとして、営業の仕事を出しただけで、全ての仕事に通じることだと思う。 そして、今回、僕が一番伝えたいことは、考え方(階段)の順番(上り方)が、わからない人が対象ではない。 考え方(階段)の順番(上り方)が、わからない人は、切っ掛けがなかっただけで、すぐに階段を上ることができるようになるけれど、自分が周りより、賢いと思っている人へ、向けている。 自分が賢いと思っているほど、先を読んでいる自分に自惚れ、まるで罠を仕掛けるように複

『I LOVE YOU』をあなたなら、どう訳す?

今日、一冊の本に出合った。 『I love youの訳し方』 という、 望月竜馬さんの本だ。 まだ、読んではいないけれど、 僕が、普段、家族に向けて口に出す愛情表現は、何だろう?と、ふと考えた。 「好きだ」「愛している」は、照れくさくて、口に出すことは、できない。 そんな、僕が普段、口に出す言葉で、愛情表現に一番近いのは 「おはようさん」だと、思う。 家族が、今日一日を楽しめた感謝や、無事に過ごせた喜びの「おやすみ」ではなく、新しい朝をともに迎えることができる喜びと、今日一日、どんな楽しいことが待っているのか、家族とともに期待する 「おはようさん」が、僕の最大の愛情表現であり、 「おはようさん」が、僕なりの 『I love youの訳し方』 だ。 仕事や子供たちには、偉そうに「言葉に出さないと伝わらない。」と、言いながらも、自分は守ることができていない。ひどい話だ。 少し(かなり?)ズルい考えだけど、家族には伝わっている(伝わっていて欲しい)と、思って(期待して)いる。 僕なりの自分にとって都合の良い解釈だけれど、これは、あくまでも家族だから、通じていると信じることができるだけで、仕事では、やっぱり別で、直接、言葉にして、発しないと伝わらないと思う。 もちろん、仕事で 『 I love you』 を使う機会はないけれど。 「何かして欲しい。」「手伝って欲しい」など、直接言いづらくて、大変さをアピールしながら、目で訴えても、周りには伝わりづらい。むしろ、悪い意味で取られることが多い。 そして、一番大事だと思うのが、何か手伝って貰ったりした際の感謝の言葉だ。 恩をきせるような言葉でもなく、大げさな言葉でもなく、自分らしい飾らない 「ありがとう」 を言葉にすることが大事だと思う。 決して、表現や行動ではない。言葉にすることが大事だ。 そうすることで、周りの人達に気持ちが通じて、これからも気持ちよく、手伝ってくれたりするはずだと思う。 感謝の気持ちは、絶対に他人には伝わらない。 感謝していても、伝わら(伝え)なければ、感謝していないと同じになってしまう。 だからこそ、感謝する気持ちは、絶対に言葉にして、相手に伝えよう。 これだけでも、コミュニケーション能力は、高まっていくはずだ。 僕が、子供たちに、 よく「好き

どうせミスするなら、攻めてミスしよう。

僕は、小中高とサッカーをしてきた。サッカーは好きなスポーツの一つなんだけど、サッカーを見ていると、いつも思うことがある。 フォワードは、ミスが許されるけれど、ディフェンスは、ミスが絶対に許されない。 フォワードと、ディフェンスの緊張感は雲泥の差じゃないかと思う。 と言う僕は、フォワードだったんだけれど、緊張感もなく、サッカーをしていた訳じゃない。 (フォワードを馬鹿にしている訳ではない。フォワードもミスが絶対に許されない場面も多々ある。) ここで、言いたいのは、仕事に通じる攻めるミスと守るミスの差をわかりやすく説明したいと思い、敢えてサッカーに例えてみた。 フォワードは、シュートミスを繰り返しながら、ゴールを目指し、一度の成功(ゴール)で、勝利に導き、ヒーローになることができる。 しかし、ディフェンスは、決してミスが許されない。たった一度のミスが負けにつながってしまうからだ。 この差は、攻める(開拓)する勇気と守る(維持)する差だと思う。 新しく開拓していく(攻める)には、勇気が必要だ。 時には、失敗するとわかっていても開拓(攻める)なければいけない。 決して、失敗を恐れて開拓(攻める)ことは、できない。 それと、反対にこれまでの状況を維持する(守る)ことは、容易なことではない。 些細な変化にも気を配り、その変化に随時対応しなければいけない。 (会社の売上を維持するのにも、競合他社の価格の変動や、新規参入などに対応出来なければ淘汰されて(負け)しまう。 決して、ミスが許されない。 仕事も同様に、新しい商品開発や業務改善に勇気を持って、どんどんチャレンジするべきだと思う。 そこで犯すミスは、ミスではない。 チャレンジした勇気の証だ。 だからこそ、仕事上の攻めるミスは、どんどんするべきだと思う。 ミスを恐れて攻めることを諦めては、決して勝利することはできない。 サッカーのフォワードと同じように、数多くのミスを繰り返したとしても、たった一度の成功がチーム(会社)を勝利に導くことができるはずだから。 しかし、ディフェンスが、しっかりと守って(維持)してくれるから、攻めること(開拓)できることを忘れてはいけない。 ディフェンスに不安要素があれば、フォワードもディフェンスにまわらなければ、負けるのは、火を見

迷ったら、やってみる。

仕事でも、プライベートでも、迷う時は多々あるけれど、迷った時には、実行してみるに限る。 やらないで後悔するよりも、やって後悔する方が良いに決まっている。 「どうしようか?」迷っている時は、本心では 『やった方が良い』 と、思っているけれど、失敗やプライドなどから、 『やめた方がいいのでは』 と、本心を抑えてしまっている。 プライベートで、好きな子に告白するか。どうか。誰でも迷ってしまうと思う。 『断られるんじゃないか。』など、自分が傷付くことを恐れ、告白できずに終わってしまった経験を多くの人が持っていると思う。 しかし、告白してみないと結果はわからない。 『YES』 もあれば 『NO』 もある。 もし、 『YES』 であれば、「告白して良かった」になるけれど、 『NO』 だった場合、付き合うことはできない。 でも、次に進むこと(『ほかの子を好きになる。』『自分を磨く』など)ができる。 次に進めるのも、告白した勇気があったからだと思う。 しかし、自分が傷付くことを恐れてしまい、告白せずに終わってしまった場合、告白して失敗に終わった 『NO』 と同じで、やはり付き合うことはできないままだ。 『断られる』という、自分を傷付けるものはないかもしれない。 ただ、その分、次に進むことができずに、その場に留まってしまう。 『傷付くこと』 が、次に進む原動力となるんだと思う。 『まだ早い』 や 『タイミングが』 など、告白する勇気は捨てないまでも、躊躇してしまうの同じだと思う。 『まだ早い』 と思っても、自分の本心は 『まだ早い』 と思っていない。だから、迷ってしまう。 仮に時間が経過し、より親密になってから告白し、 『Yes』 だったとしても、 『まだ早い』 と躊躇した時に、告白していても、同じ 『YES』 の結果になっているはずだと、僕は思う。 時間の経過や、タイミング・場所によって、気分の盛り上がり方は、確かに違うかもしれないが、結果は変わらないと思っている。 もちろん、出会って、お互いのことを知らないまま、告白をしても『YES』には、ならないと思うけれど、それは、 『時間の経過が必要』 とは、別問題だ。 そもそも、出会ってすぐに告白しようと思う場合には、迷ってはいないはず。 目的が 『付き合う』 とは、別なはずだ。

誰かが『やるはず。』だから、自分は『やらなくてもいい。』

誰もが、他人任せになってしまう。 僕も、ついつい、自分がやらなくても、誰かがやるから、大丈夫だと、勝手に思い込んでしまう。 道に落ちてるゴミを拾う人は、殆どいないと思う。 行事やイベントとして、ゴミを拾うのは、ほぼ強制的なので例外として。 しかし、自分の家や部屋に落ちているゴミは、誰もが拾うはず。 その違いは、自分の テリトリー かどうかだと思う。 (大事にしているかどうかも考えられるけど、今回は敢えて テリトリー とする。) 仕事(職場)でも、同様。 誰かが『やるはず。』だから、自分は『やらなくてもいい。』と思っている内は、仕事(職場)が、自分の テリトリー ではないからだ。 会社や上司に言われるがままの仕事しかできなくて当たり前だ。 そんな仕事をしても、楽しくなるはずがない。実に、勿体ないことだ。 みんな、好き好んで仕事をしている訳ではないけれど、1日の半分近く(最低でも3分の1)を仕事に拘束される。 いくら、プライベートが充実しているとしても、仕事が嫌いで苦痛の時間であれば、3分の2充実していても3分の1は、嫌いで苦痛な時間を過ごすことになる。 やっぱり、勿体ない。 仕事を楽しくすることで、1日の全てが、楽しい日々になるのに。 仕事を楽しくするためにも、仕事(職場)を自分の テリトリー にしてしまおう。 僕は、人間も所詮、動物だと考えている。 縄張り(テリトリー) を本能が求めている。 自分の 縄張り(テリトリー) にいることで、安心できるし、本来の実力を発揮できる。 だったら、仕事(職場)を自分の 縄張り(テリトリー) にしてしまえば、安心して、本来の実力が発揮できるはずだ。 動物が 縄張り(テリトリー) を守るためには、常に巡回し、なにか変化がないか、チェックしている。 もし、なにか変化があった場合、すぐにその原因を探る。そして、解決策を講じる。 (敵が攻め込めば、自分の 縄張り(テリトリー) から、敵を追い出す。など) 仕事(職場)を自分の 縄張り(テリトリー) にするには、同じことをすれば良いだけだ。 自分の仕事(職場)の変化に常に気を配り、変化があれば、その解決策を考え、行動していく。 その変化に気付ければ、自然と仕事(職場)が自分の 縄張り(テリトリー) となり、自然