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承認欲求は、誰もが持っている本能。

僕は、 承認欲求 が人より、強いのかもしれない。 これまで、僕には部下がいて、色々と相談されたり、支持をしたりしてきた。しかし、全く縁もゆかりもない今の職場で新入社員として仕事をしていると、これまでの 話す立場 から、 聞く立場 へと変化し、そのストレスからなのか(本人は自覚していないが!?)、急にこのブログを始めることを思いついた。 もちろん、そればかりではなく、『もっとこうしたらいいのに』や『不器用に生きているなぁ』など、今の職場での同僚に感じ、少しでも仕事を楽しんで欲しいという思いもある。(大体がその日に起きたことを発信している。) ただ、 承認欲求 は強弱はともかく、みんなが持っている本能的なことだと思う。 (ネットで詳しく調べながらではないので自己解釈だが) 『他人に認めて欲しい』 は、ごく当たり前で、赤ちゃんが何か上手くできた時、親に 『褒めて欲しい』 とおねだりするのも同じだし、SNSも誰かに認めて欲しいからこそだと思う。 承認欲求は悪いことではない。仕事で上手くいったら上司や同僚に褒めて欲しいし、見返り(給与)も欲しい。だからこそ、頑張れるんじゃないだろうか。 ただし、強すぎれば自己中心的になってしまうだろうし、弱いと人と一線を置いた冷めた人(他人に興味がない)になってしまう。 ほどほどがいいんだろうけど、ほどほどはどのラインなのだろうか。僕には、わからない。 ただ一つ、僕が思うのは周りを気遣うことができれば、周りも自分を気遣ってくれるはずだと。決して、周りと同調しろということではない。自己アピールも必要だけれど、周囲に目を配り、適切なタイミングで自己アピールし、自己アピールした分だけ、周りの人にも気を配る。 そんな感じでいいんじゃないかなと思う。 自分を認めて欲しいのは、周りにいる多くの人も同じだということを忘れなければ。 僕はこれからもブログを続けていきたいと思う。その中で、同意してくれる人がいたら嬉しい。 (やっぱり、みんなに認めて欲しいという願望は捨てられない。)

お客様は神様?

お客様は神様と言われる方もいるが、僕はそうは思わない。 なぜなら、買う権利もあれば、売る権利もあるからだ。 少し、極端な意見なので反発もあるだろう。 もちろん、お客様を見下したり、馬鹿にしている訳ではない。 お客という立場を利用 するズルい人がいるからだ。 僕も、基本的には、お客様の意見を尊重するし、多少の無理難題も気にすることなく引き受ける。ただし、無理難題の度が過ぎたり、無理難題を当たり前のように注文を付けてくる客は、お客様ではないと思っている。 会社からのクレームは気にせず、取引をやめてもらっても良い。そんな客は、会社に大きな利益をもたらすことはないはずだから。 同じ無理難題でも、会社に利益をもたらしてくれるお客様は、譲歩もしてくれる。かたや、「無理難題が通らなければ、取引はしない。」など、上から目線の客は、後々、クレームやらいちゃもんやら、大きな損害にもなり得る。 賢い人や会社は、飴とムチを使い分けるけど、ムチしか使わない会社や人は、今の立場に勘違いしているだけの人でしかない。 そんな人や会社と長い付き合いができるわけがない。 だからこそ、お客様は神様ではないと思う。立場は違えど、同等の位置に立っている。下請けも同じ。大企業も下請けがなければ維持できないはず。ただ、親会社の言う通りすべての条件を飲むのではなく、こちらからも条件の提示をしていこう。 もちろん、条件を出す限りは、請け負う仕事を相手の想像以上の結果で示す。これができれば、立ち位置は下請け、親会社問わず、同じ位置で仕事ができるはず。 世の中には、無理難題を飲むしかない企業もあることはわかっているが、そこから脱出する道を探し、利益を確保しなければ、企業としての本来の存在価値が失われてしまうと思う。 僕は、お客様は神様ではないけれど、やっぱり、お客様は大事にすべきだと思い、尊重し行動するようにしている。

あなたのプライドは、どこにある?

高い、低いは別にして、プライドがない人はいないだろう。 ただし、仕事でのプライドとなると勘違いしている人が多い。周りより、仕事ができると思われたい。自分は周りとは違う。などなど。 本来、持つべきプライドを持たずに余計なプライドだけ、やたらと高い人を多く見かける。特に、中途半端に仕事をこなす人に多い。 僕は、仕事中は、なるべくプライドを持たないようにしている。プライドが邪魔をして、成長する切っ掛けを見失ってしまうからだ。 わからないことは、社歴が長かろうが短かろうが関係ない。ましてや、年齢の上下も関係なく、詳しい人に聞く方が早い。 今の時代は、ネットで簡単に調べることもできるが、ネット上には様々な情報が入り乱れている。 ネット上で、本当に知りたい情報を探し出すには、そのことについて、ある程度、下調べをし、更に追及していかないと正確に理解できない。急ぎすぎると、あたかも正確の用に見える、偽りの情報をつかみかねない。 プライドが高すぎると、周りに 『知らないと思われたくない』 そんなくだらない理由で中途半端な知識を得て、自己満足してしまう。そこに第三者がいないから、間違いに気づくのに遅れてしまう。 自分の本来の目的(家族を守る・出世したいetc)を達成するためのプライドではなく、目先のプライドに捉われてしまっている。 僕は、そんなくだらないプライドはいらないと思う。目的を達成するためなら、他人に馬鹿にされようが関係ない。マイペースで進んでいく。 仕事にプライドを持つ事は、決して悪くないが、高すぎるプライドは邪魔になるだけ。 プライドを持つなら、最低限でありながら、周りに何を言われても、決して折れないプライドにしよう。 周りから、僕のプライドは高いと言われる。でも、仕事に対してのプライドは決して高くない。(と、思う。)

人を助けることは、簡単なことじゃない。

人を助けることは、簡単なことじゃない。 それは、助ける人には余裕がないといけないから。 例えば、川で溺れている人を助けるには、体力的に余裕がないと、助けるはずが自分まで溺れてしまう。 金銭的な余裕がない人は、寄付など慈善事業へも参加しづらい。 人に何か教えるのも、知識に余裕がないとできない。 そして、一番は気持ちに余裕がないと、人の力になりたいと思うこと自体がない。 しかし、気持ちだけ強く 『誰かのために』 と、思うことは決して間違いではないけれど、自分の現状をしっかりと把握しよう。そうしなければ、川で自分が溺れてしまうことになる。 もし、今の自分に体力的・金銭的・知識的など余裕がないようであれば、素直に余裕のある人の力を借りよう。 仕事でも同様に、上司から無理難題の仕事を任され、期待に応えようと安易に引き受けることは、決して正解ではない。 冷静に今の自分の力を見極め、ただ断るのではなく、どこまで自分の力ででき、どこら誰かの力を借りたいのか判断し、その旨をしっかりと伝えよう。 そうした場合でも、上司は 「この人は仕事ができない。任せられない。」 と、思うことはない。 しっかりと、仕事を成し遂げることを前提に考えながら行動している。と、むしろ今後に期待してくれるはず。 もちろん、いつまでも同じ内容の仕事でも力を借りるのではなく、ステップアップしていくのが前提だけれど。 徐々に力をつけている姿をみて、重要な仕事も任されるようになってくるはず。 人助けも仕事も、今の自分の力(余裕)を冷静に判断し、できる範囲、力を借りなければいけない範囲をしっかりと見極めよう。 僕は今、全く余裕がないので、誰かの力になることも、仕事で需要な仕事を任されない。 「いつかできたらいいな。」

勘違い上司は、必ずいる。

人の上に立つということは、簡単なことじゃない。 ましてや、仕事となると尚更だ。 しかし、世の中には無数の上司が存在する。その中で、人の上に立つべき人と、立ってはいけない人も混在している。 特に、これまで人の上に立ったことがなく、初めて部下を持った上司などは両極端になりがちだ。 ついつい、勘違いをして自分が偉くなったと思い込んでしまう。確かに会社内では、部下より立場は上だが勘違いをする上司は、部下を見下してしまいがちの傾向が強い。 もちろん、子育てと一緒で、初めての父親、母親はわからないことが多く、子供の成長と共に親としても成長していく。 上司も同様に部下と共に成長していかなければならない。 しかし、あたかも最初から人の上に立っていたかのような思い込みで、自分もできないことを部下に当たり前のように指示し、結果が出ずに怒りだす始末。これでは、部下も上司が成長するまで待っていられない。 人の上に立つには、部下にこそ謙虚でなければ。ゴマを擦れとかではなく、部下の本心・本当の実力を見極めるためにも上司が部下に心を開き、部下も上司に心を開ける環境を作らなければならない。 上に引き上げられただけの上司は簡単に落ちていく。 吊られた糸が切れれば落ちるだけだからしょうがない。 しかし、 下に支えられている上司は落ちようがない。 しっかりと支えてくれる人がいるから。 もし、人の上に立つようなことがあったら、自分より上の人間よりも、後々自分を支えてくれるであろう部下のことを大事にしたい。 でも、勘違い上司の下で仕事をする際はどうしたらいいだろう。 陰で悪口を言うしかないのか。難しい所だけど、僕は敢えて、陰で上司を褒める。直接ではなく。 人は直接褒められるより、間接的に誉め言葉を耳にした方が受け入れやすい。 直接だと「ゴマを擦っているんだろう。」など、余計なことを考えてしまうが、第三者が入ることで素直に受け入れてしまう。 好意を上司に認識させながら、徐々にこちらの考えを浸透していくしかない。 一度好意を持ってもらえれば、こちらの考えも受け入れやすくなっているはずだから。 遠回りのようだけど、案外、近道で自分の仕事のしやすい環境を作ることができるはず。 僕も今、試しに今の上司に ジワジワと浸透している最中 なので、結果が出たら報告

ずるい人は「無言実行」。

僕が仕事を問わず、 「ズルいなぁ。」 と思う人の中に、 無言実行 だ。 昔の男の美学として、男はヘラヘラしゃべらずに、行動で示す。みたいに言われているけど、僕はズルいと思う。 何も言わずに行動し、結果を残すことは、傍からみたら、凄い人かもしれない。でも、何も言わなかったら、誰も何を考え、どんなことをするのか分からないから、結果が出なかった場合も気付くことができない。失敗も本人にしか分からない。 本当は、「余計なことや文句を言わない。」ということなんだろうけど、そこを勘違いしている人が多いと思う。 それならば、やっぱり、僕は、 有言実行 がいい。 他人に言葉でこれから行うことを宣言し、しっかりと結果を出す。 これが一番だ。例え、失敗して周りから笑われようが、その失敗を糧にし、次の成功に繋げることができる。 内緒で大きな仕事を進めるより、公にして大きな仕事を成し遂げる。そっちの方が僕には男らしいと感じる。 もちろん、プライベートでも。 今の社会では失敗を恐れれたり、他人と違う考え方を避ける場合が多くなっているけど、そんな小さなことは気にせず、どうどうと自分が今行っていること、これから行いたいことを宣言しよう。 周りに宣言するとやる気も断然違うはず。 僕も、今後について、考えていることがある。今はまだ、誰にも言えないけれど、近々、公表したいと思う。

「遠慮」はするな。

日本人は特に遠慮しがちと言われるが、自己PRが下手な人が多いからじゃないのか。 遠慮は、決して悪い物ではないけれど、本当に相手のことを思って遠慮する人より、自己満足だけで終わってしまっている場合が非常に多い。 まして、後から陰でグチグチ言う場合も。 自己PRは、ただ他人に 『優秀』 な所をアピールするだけではなく、自分の 『弱いところ』 や 『想い』 、 『考え』 など、本音を隠さずにアピールすることじゃないかと思う。 自分の得意な仕事ばかりこなす訳ではなく、様々な仕事があると思う。自分を知って貰えなければ、自分の得意な仕事につけないばかりか、苦手な仕事を与えられてしまう。 器用な人はソツなくこなしたとしても、得意な仕事なら、もっと成果を残せるかもしれない。 自分を知って貰うには、自分自身のことを一番把握してなければいけないけれど。 遠慮しがちな人は自分に自信がないんじゃなくて、自分自身を知らなさすぎるんだと思う。 遠慮する中で、自分を隠し、他人を持ち上げたふりをするのは、ズルい。 日本人の良さの一つに 謙虚 さが、挙げられるが、 『相手を思いやる謙虚』 と、 『自己満足の遠慮』 は違う。 遠慮ばかりしていると、本当の自分を見失ってしまう。 遠慮もほどほどにしないと。

怒られたくない!

怒られるのが好きという方は、よほど変わった人じゃない限りいないだろう。 僕も怒られるのは好きじゃない。 ただ、怒られたくないが強くなりすぎると仕事の仕方が変わってくる。 ミスを恐れて、得意なことや無難なことばかりを優先してしまい、本来、優先的にしなければいけない重要な仕事を後回しにしてしまい、結局最後に怒られてしまう。 怒られるのを恐れるばかりに、更に怒られてしまう悪循環に陥ってします。 もちろん、新しいことや複雑な仕事にチャレンジする余裕はないので成長もできない。 そこに気付くことができない上司にも問題があるが、子供が親を選べない(子供は親を選んで産まれてくるとの話もあるが)よいうに、普通の会社員は上司を選ぶことができない。 上司を変えようと思ったら、並大抵のことじゃない。後は、逃げ出す(会社を辞める)だけしか残っていないんだろうか。 僕は、そんなことは無いと思う。 怒られるのを恐れなければいいだけ。怒られるのはしょうがない。自分のミスを認め、怒られたことに感謝しよう。 怒られることを恐れている人の口癖は 『すみません。』 が、非常に多い。 その口癖をやめ、 『ありがとうございます。』 に変えていこう。 怒るのが好きな人は、 『すみません。』 の言葉で、更にエンジンが掛かってしまうけど、 『ありがとうございます。』 などの言葉には非常に弱いはず。 感謝されると大体「分かったなら良いよ。」となるはず。 何事も小さな一歩から進んでいくように、言葉一つで仕事に対する気の持ちようが変わってくるはず。 もし、あなたに心当たりがあるなら、ぜひ試してみてください。 偉そうにすみません。

打ったら、響け!

『撃てば響く』という、ことわざがあるけれど、僕の周りに『打っても響かない』人がいる。 真面目なんだけど、何を考えているのかよくわからない時が多々ある。 仕事での間違いを指摘しても、「はい。」「すみません。」と、返事はするものの、本当に分かったのか不安でしょうがない。(大抵、同じことを繰り返す。) 返事があるだけ、響いているのかもしれないんだけど・・・。 しかし、硬い物の方が、打つと大きく響いてくれ、柔らかい物は打っても響かないように、彼は柔らかい考え方なのかもしれない。 スポンジみたいに柔らかいと、吸収するのが早いように、彼も吸収している最中なのかもしれない。 もう少し、見守っていきたい。 でも、せめて同じ間違いを繰り返さないようにして欲しい。

社畜って!

社畜と呼ばれると、何で嫌な気分になるんだろう? 家畜と同様に扱われるのが嫌だからなのかな。 家畜は家畜で、楽だと思うけど。 決められたことをこなすだけで餌(給料)が貰えるなら、これほど楽なことは無いはずだけど。 みんな、どこかで野生(起業?)に憧れているんだろうか? 野生は野生で大変なことは山ほどある。 自分で餌を見つけなければ生きてはいけないし、自分を守ってくれる人もいない。 そんな大変なことに 本当に憧れているの? 社畜でもいいんじゃない。ただ生きていくだけなら。 大抵、「社畜になりたくない」「社畜はイヤ」と叫んでいるのは社畜にもなれない、まして野生に出る勇気もない人が言い訳として使っているだけで、そんな今の自分を正当化したいだけだけど。 社畜でもいいんじゃない。餌(給料)が貰えるなら。 餌が足りないなら、ブランド牛みたいに周りの人より、上を行けば良いだけだし。 そんな自分もブランド牛に憧れる只の牛だけど。餌は沢山欲しいから、ブランド牛になれなくても人一倍太った牛になって、餌だけは沢山貰ってやる。 でも、仕事で太るって何だろう? 悩みが一つ増えただけかも。

障害者は、本当に不幸?

昨日から、空いた時間に24時間テレビを見ながら、思った。 障害者は、本当に不幸?なのかと。 周りを見渡しても、あんなにイキイキした人を見かけることが少なく(特に大人)、人生を充分楽しんでいるんじゃないかと。 もちろん、人には見せない裏側で、それこそ人一倍の苦労を重ねているからこそのイキイキした顔なんだろうと思うけど。 鏡を見るの怖くなった。 世界には背が高い人・低い人、太っている人・痩せている人、いつも笑っている人・怒っている人等々、様々な個性が溢れているように障害も個性の一つじゃないのかと。 『健常者』『障害者』の言葉ではなく、その人の個性として認め合い、得手・不得手をお互いに補える、そんな世の中になったとしたら、もっとイキイキした顔が周りに溢れるんじゃいかなぁ。 そんな世の中も見てみたい。 ※ただ、自分が同じ立場に立った時、同じ努力と笑顔ができる自信はない。一瞬、羨ましいと思った自分が恥ずかしいし、情けない。