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僕がやっている簡単な自己啓発 Part 12【味方を増やす】

僕は、同僚を自分の味方にするにはがどうしたら、良いのかと、常に考え、行動するようにしている。 何度も繰り返すけれど、仕事は一人では、何もできない。 多くの人の力を借りてこそ、成果がでる仕事ができると思っている。 それなら、自分に好意的に協力してくれる同僚を増やすのが手っ取り早い。もちろん、部署など関係なくに。 同僚を味方につけるための僕なりの方法は、自分が同僚の味方になることだ。 それには、同僚を好きになるしかない。 誰も嫌いな人に協力したいとは、思わないはずだから。 ただ、甘やかし過ぎたり、「何でも言うことを聞く」訳ではない。 それでは、ただの都合の良い人に終わてしまう。 『時は優しく、時には厳しく』 と飴とムチを使い分けるに限る。 人は、ただ甘やかしてくれる人より、時には厳しい意見を言ってくれる人を信頼しやすい。 僕の経験上、7対3~8対2位の割合で優しさを多めにすると、良好な人間関係が築きやすいと思う。 そして、厳しい意見の際にも、自分の気分や機嫌ではなく、フォローと相手を思う気持ちを忘れなければ、人間関係が悪化することはないはず。 その中で、自分、そして同僚の得手不得手を見極め、役割分担が自然とできるようになれば、立派なチームだし、信頼関係が築ける。 その時には、お互いに味方となっているはず。 相手に合わせることも重要だが、合わせすぎないように気を付ける。 時には、本意としない愚痴に巻き込まれたりすることもあるけれど、そこは上手く合わせなければいけないと思う。 愚痴に便乗して、自分も悪口を言ったら、知らないうちに敵を作ってしまう場合もあるし、否定しても、気持ちをわかってくれないと逆恨みされたりしてしまう。 そんな時、僕は相手に合わせながら頷き、相槌をしながら「大変だね」などと、 本人の気持ちを思いやる ようにしている。 暫く話を聞くと、気分もスッキリしてくるはず。そんなタイミングで、相手が興味のある話題にすり替えてしまえば、僕といた時間を有意義だったと思ってくれるはず。 こんな感じで、僕は、少しづつ味方を増やし、一人ではできなかったことにチームとしてチャレンジし、今まで以上の成果を残せるよう仕事している。 今の職場では、まだこれと言って大き

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 4【仕事を楽しむ】

仕事を楽しむことが、一番簡単な自己啓発だと思う。 しかし、今、どれくらいの人が楽しんで仕事をしているのだろうか? Q.仕事は楽しいですか はい 51.8 いいえ 48.2% 引用  マイナビ ニュース 2016年8月の調査結果なので、少し古いかもしれないが、経済状況もそれほど大きく変わっていないので、現在もほぼ同じだと思われる。 大体、半数の人が、楽しみながら仕事をし、半数の人が仕事に楽しさを見つけられずにいることになる。 半分半分とは、上手く 調査結果がでたと思うけれど、約半数の人が仕事に楽しさを見つけられずにいるのは、勿体ないと思う。 仕事をしなくても生活が成り立つような、一部の人を除いて、生活して(生きて)いくためには、仕事が必要不可欠だ。 そして、殆どの人が、一日の大半を仕事に費やしている。そんな多くの時間が拘束される仕事を楽しむことで、毎日、多くの時間を楽しんで生活できることになる。 仕事を苦痛と感じるならば、毎日が苦痛に捉われてしまい、苦痛だけの生活になってしまう。 どうせ、やらなければならない仕事なら、楽しんだほうがいいに決まっている。 どうすれば、仕事を楽しむことができるのか? 僕は、仕事を楽しむために 自分から挨拶する。 「ありがとう」を口癖にする。 悪口は、言わない。 毎日、自分を褒める 毎日、成長したと実感する。 この5つを毎日の目標としている。 自分から挨拶する。 挨拶は、コミュニケーションの基本だ。相手からの挨拶を待つのではなく、自分から、積極的に挨拶するようにしている。 それは、立場など関係なくしている。僕が以前、部下を持っている時にも、自分から挨拶するようにしていた。 「ありがとう」を口癖にする。 以前、 「すみません。」が、口癖になってない? でも触れたが、「すみません」を口癖にしてしまっては、どんどんモチベーションが下がってしまう。しかし、「ありがとう」を口癖にすることで、周囲の雰囲気も明るくなってくる。 雰囲気が明るくなることで、人間関係に悩まされることも少なくなってくる。 悪口は、言わない。 どんな人でも、欠点はあると思う。しかし、陰で他人の悪口を言ってもしょうがないし、いずれ本人の耳にも入るだろう。それでは

話をしっかりと聞く。

僕のブログに、ちょくちょく出てくる「いつも怒られている同僚」が、今日もまた、上司から、怒られていた。 ミスが原因(本当にミスが多い。)だが、なぜ、そんなにミスを繰り返すのか、僕なりに観察した結果、 『人の話をキチンと聞いていない』 ことが、一番の要因だと思う。 ただ、もっと根深い原因に、 『人とのコミュニケーションが苦手』 や 『バカにされたくない(知ったかぶり)』 などもあるかも知れないけれど、ミスの原因としては 『人の話をキチンと聞いていない』 ことだ。 僕と、話をしている時も、話半分で、すぐに行動をしようとする。 気持ち的には、 『前向き』 だったり、 『何かしなくてはいけない。』 などの悪いことではないのかもしれない。 しかし、話半分なので、取るべき行動が間違っている。 案の定、ミスを犯したり、余計な(ムダ)時間が、過ぎてしまう。 人の話を聞くことは、難しいことではないはず。子供でもできる人としての基本的な能力だ。 しかし、話を理解するのは、簡単なことではない。 話相手に興味を持たなければいけないからだ。 子供によくある 『テレビやゲームに夢中になって、話をきいていない。』 が、一番わかりやすいと思う。 「はい」と反射的に返事をしても、何を言われているのかまで、わかっていない。 話相手に興味を持たなければ、同じことだ。 頭が良く、理解力があるとかではない。 何を言っているのか、理解できなくても、話相手に興味があれば、その真意や内容を再度、聞き直す(理解しよう)とする行動が自然と出てくるはず。 プライベートでの興味のない相手に話半分は、とやかく言おうとは思わない。 (僕は、そんな知り合いは欲しくないが。) しかし、仕事は違う。 話相手の言葉を理解しなくてはいけない。 そこに 好き嫌いが入る余地はない。 話相手に興味を持ち、話相手が何を望んでいるのか理解しなくてはいけない。 僕は、わからないことは恥ずかしいことではない。わからないことをわからないままにすることこそ、恥ずかしいことだと思うし、そこに見栄やプライド(知らないと思われたくないなど)があるなら、くだらない人間だと思う。 わからないことを認め、理解しようとする努力こそが重要だと思っている。 そのためにも、話相手に興味を持ち、何を望

仕事の人間関係に『好きか?嫌いか?』は、邪魔なだけ。

僕は、仕事での人間関係に 『好きか?嫌いか?』の選択肢 は設けていない。 仕事で関わる人は、全て『好き』がベースとなっている。 その訳は、あくまでも仕事を通しての人間関係であり、プライベートをともにすることは、滅多にないし、 『好き』 をベースにすることで、相手に興味がわき、相手のことを 『もっと知りたい。』 と、欲求が自然に湧いてくるからだ。 『もっと知りたい。』 と、思えば、 『今、何を考えているんだろう?』『本当は、何を求めているんだろう?』 と、自然と考えているはず。 気付くと、良好な人間関係が築けている。 人は誰でも、自分に好意を抱いている人を邪険にしたりすることはない。 ただし、踏み込み過ぎは、逆効果になってしまう。相手と自分の距離感を確かめることが重要になってくるけれど、決して、難しいことではない。少しづつ踏み込み、どこまでが許容範囲か確認しながら、踏み込めば良いだけ。相手が拒否するような時は、それ以上踏み込んではいけない。それだけだ。 そして、昨日 『シンプル イズ ベスト』の発想が重要だ。 の続きになるけれど、人間関係を考える時の選択肢から 『好きか?嫌いか?』 が無くなり、より、シンプルに考えることができる。 物事は、複雑に考えるより、シンプルに考えた方が絶対に良い。 特に、人間関係においては尚更だ。 相手が何を考え、何を求めているのかなど、考えながら良好な人間関係を築こうと思えば、気疲れしかしないけれど、 『好き』 をベースにすれば、自然と相手のことを知りたくなるから、そんなことを考えようと思う前に、考えているはず。 その後は、『自分にとって、メリットがある?ない?』でも、『出世する?しない?』など、何でもいい。 選択肢から 『好きか?嫌いか?』 を外し 『好き』 をベースにするだけで、余計な選択肢を殆ど排除することができる。 だから、仕事の人間関係に 『好きか?嫌いか?』 は、邪魔なだけ。 そして、 『好き』 になるのコツは、所詮、仕事の間だけだし、相手を 『好き』 になるのも仕事の一部だと思うこと。 それから、相手の悪い所を見つけたら、良い所をその倍以上探すこと。どんな人でも、良い所は必ずあるはず。(ゴミを拾っていたなど、小さなことから) 相手の良い所を探す癖をつければ、自然

『I LOVE YOU』をあなたなら、どう訳す?

今日、一冊の本に出合った。 『I love youの訳し方』 という、 望月竜馬さんの本だ。 まだ、読んではいないけれど、 僕が、普段、家族に向けて口に出す愛情表現は、何だろう?と、ふと考えた。 「好きだ」「愛している」は、照れくさくて、口に出すことは、できない。 そんな、僕が普段、口に出す言葉で、愛情表現に一番近いのは 「おはようさん」だと、思う。 家族が、今日一日を楽しめた感謝や、無事に過ごせた喜びの「おやすみ」ではなく、新しい朝をともに迎えることができる喜びと、今日一日、どんな楽しいことが待っているのか、家族とともに期待する 「おはようさん」が、僕の最大の愛情表現であり、 「おはようさん」が、僕なりの 『I love youの訳し方』 だ。 仕事や子供たちには、偉そうに「言葉に出さないと伝わらない。」と、言いながらも、自分は守ることができていない。ひどい話だ。 少し(かなり?)ズルい考えだけど、家族には伝わっている(伝わっていて欲しい)と、思って(期待して)いる。 僕なりの自分にとって都合の良い解釈だけれど、これは、あくまでも家族だから、通じていると信じることができるだけで、仕事では、やっぱり別で、直接、言葉にして、発しないと伝わらないと思う。 もちろん、仕事で 『 I love you』 を使う機会はないけれど。 「何かして欲しい。」「手伝って欲しい」など、直接言いづらくて、大変さをアピールしながら、目で訴えても、周りには伝わりづらい。むしろ、悪い意味で取られることが多い。 そして、一番大事だと思うのが、何か手伝って貰ったりした際の感謝の言葉だ。 恩をきせるような言葉でもなく、大げさな言葉でもなく、自分らしい飾らない 「ありがとう」 を言葉にすることが大事だと思う。 決して、表現や行動ではない。言葉にすることが大事だ。 そうすることで、周りの人達に気持ちが通じて、これからも気持ちよく、手伝ってくれたりするはずだと思う。 感謝の気持ちは、絶対に他人には伝わらない。 感謝していても、伝わら(伝え)なければ、感謝していないと同じになってしまう。 だからこそ、感謝する気持ちは、絶対に言葉にして、相手に伝えよう。 これだけでも、コミュニケーション能力は、高まっていくはずだ。 僕が、子供たちに、 よく「好き

周りを上手く使うには。

『周りを上手く使う』 と、聞くと計算高く、嫌な奴の印象があるけれど、僕はよく周りを使っている。(実際には、助けてもらっている。) どうしたら、好意的に手伝って貰うことができるだろう。 僕が実践しているのは、先ず 『周りの手伝いを惜しまない』 ことだ。 そして、見返りを求めない。 決して、「あの時、手伝ったから、これをして。」なども言わない。 周りの手伝いをすることで、自分一人で行っている時には気付かなかった、要領やコツ、全体的な流れが見えてくる。 自分が劣っている、勝っているなど、関係なく、違いを見ることで、思いがけないアイディアが生まれたり、自分の不得意だった所を改善できたりする。 『周りの手伝いをした見返り』 として、 『自分が成長』 することができる。 悪いことではない。 そして、手伝った際、もし自分が勝っていると思った点では、惜しみなくコツや流れを伝えよう。 決して、説教や教えてる立場では無く、「この方が楽じゃない。」「こっちの方が早く出来るよ。」のように。 そうしている内に、自分と仕事をするのは楽しいし、捗る、成果が出ると思って貰えたらこっちのものだ。 自分が助けを欲しいと思っている時に、近寄ってきて、手伝ってくれるはず。 もう一つ、僕が行っているのは、 『極力、譲る』 ことだ。 自分を犠牲にしても、基本的には、助け(手伝い)を求めている人には、手を差し伸べる。 『10あれば、9譲る。』 しかし、自分が譲れない 『1』 は、絶対に譲らない。 そうすることで、周りの人たちは、僕が、 『何に、こだわっている』 のか、理解してくれる。 自分を知って貰うことで、僕が譲れない場面に直面した際、助けを求めているのを知ると、応援してくれる。そして、手を貸してくれる。 僕は、こうして 周りの人達を上手く使っている。 でも、そのための労力は、使っているつもりだ。 『10の内、9は周りのために使っている。』 しかし、そのおかげで、 本当に手を貸して欲しい時や、譲れない場面で、周りの協力で乗り切る ことができてきた。 これからも、同様だと思う。 だから、僕は、周りを使うのが上手いと自負している。 ぜひ、参考にして欲しい。

コミュニケーションが苦手な人はウソをつけ。

小さいころ、 『ウソ』 をついては、いけないと、よく言われた。 確かに人を騙す 『ウソ』 は、いけない。 しかし、 『ウソ』 のない世界は、窮屈で住みづらい世界になってしまう。 『ウソ』 を今まで、一度もついたことがない人と僕は、合ったことがない。 ( 『ウソ』 をついたことがないか、確認した訳ではないが、100%の人がウソをついたことがあると思う。) 例えば、子供の頃なら、学校に行きたくなくて 「頭が痛いから、学校に行けない。」 や、大人になってからでも、 太っている人に「太ってなんかないよ。」 など、屁理屈に近いけれど、全ての人が 『ウソ』 をついているはず。 それならば、ついて 『いいウソ』 と 『悪いウソ』 の違いは、何だろう。 相手を思いやってつく 『ウソ』 は、 『いいウソ』 。 相手が不快にさせてしまうのは 『悪いウソ』 。 の、簡単な線引きができると思うけれど、相手によって線の位置が微妙に違っていて、コミュニケーションを苦手とする人にとっては、難しい時もある。 『ウソ』の加減がわからないから、コミュニケーションが苦手なんだと思う。 『ウソ』 をつくことが不慣れな人は、先ず、すぐにばれる 『ウソ』 をつけ。 そして、その 『ウソ』 がバレた時に相手が笑ってくれたり、感謝してくれるような 『ウソ』 を。 バレることが前提で 『ウソ』 をつくなら、その後の展開が比較的にわかりやすい。 相手を思いやってつく 『ウソ』 は、 『いいウソ』 であっても、加減がわかりづらく、人によっては、不快な気持ちにさせてしまう。 例えば、太っている人に 「太ってなんかないよ。」 と、言った時、相手の気持ち次第で、「 思いやってくれてありがとう。」 と思う場合もあれば、 「本当は太っていると思っているくせに。」 など、 『悪いウソ』 に取られてしまう場合もある。 でも、 『ウソ』 がバレる前提であれば、 「太ってなんかないよ。でも、もう少し痩せたら、もっと魅力的になれよ。」 など(上手い例文じゃないかも)、 『でも』 の、時点で 『ウソ』 をついていることがバレる前提での会話になる。 そうすることで、相手に不快な思いをさせてしまっても、後に引きずらずに、その時点で対応できる。 ( 『でも』 ってことは、太っている

コミュニケーションのコツ。

コミュニケーション能力は、仕事を行う上で職種を問わず、非常に大事になっている。 だが、最近はコミュニケーションを上手く取れずに悩んでいる人が多い様な気がする。 コミュニケーションは、意識して取ろうとすると、よそよそしくなってしまったり、馴れ馴れしくなってしまったりしてしまう。 自然にその時、その相手、その場所に合わせて、最適と思われるコミュニケーションを取れるようになるには場数を踏むしかない。 経験に勝るものはない。 しかし、コミュニケーションを苦手としている人にとって、経験を積み重ねるにしても、どうしたらいいのか、わからずに不器用なままの経験を積み重ね、不器用な経験だけ積み重なってしまう。 それでも、一歩ずつ前進はしているんだけど、自分が想像したスピードより、遅いと悩んだり、苦手意識が高くなり、前進していることに気付かずに悪循環に陥ってしまっている気がする。 僕は、コミュニケーションを上手くとるコツとして、必要以上に相手の立場などを気にしないことだと思う。 例えば、仕事の上司は、会社や部署の利益、発展を望んでいる人だし、同僚は、あくまでも友達じゃない。仕事を通じて一緒にいるだけ。取引先やお客様はメリットを望んでいるからこそ、自分や会社に近づいているだけの存在だと割り切ろう。 そのことを頭にしっかりといれておけば、上司には会社にとって利益や発展につながる行動を常にとっていれば、向こうから壁を取り払い、積極的にコミュニケーションを取ってくれる。 取引先やお客様には、最大限のメリットを与えるよう行動すれば、上司と同様に向こうから、積極的にコミュニケーションを取ってくれる。 それに最初は頼り、合わせていくだけで、いい経験を積み重ねることができ、次第に自然とコミュニケーション能力が上がっていくと思う。 いらなくコミュニケーションを取らなきゃと思わずに、普段の行動で相手の立場(何を望んでいるのか?)を意識するだけで良いと思う。 しかし、一番面倒なのが同僚だ。 お互いのメリットがないからだ。共通の趣味などあれば別だが、自分が上に立てば僻みもでてくるし、下になれば上司気取りで色々指図をしてくる。 微妙な関係を保つのは、なかなか困難だ。 そんな時は、自分が同僚より、劣っている点、勝っている点を探し出し、同僚より自分が劣ってい

仕事で、人見知りは損をする。

仕事をする上で、コミュニケーション能力が問われる場面が多々出てくる。 僕は、仕事上はコミュニケーション能力は、普通より、やや上に位置するんじゃないかと思う。 しかし、プライベートでは人見知りが激しい方だと思っている。 仕事とプライベートで、何か意識して気持ちを切り替えている訳ではない。自然と身についたことだ。 もちろん、営業経験が長いのも関係していると思っている。 (営業が、人見知りをしてしまってはどうしようもない。) 何が仕事とプライベートで違うんだろうか考えてはみたが、思い当たる節は特にないけど、いい意味で人をなめているんだと思う。 (決して、馬鹿にしているのではない。) 僕だけかもしれないが、大人が子供に人見知りをすることはあまりないと思う。 それと同じように、自分と同等か、自分の方が上だと思うくらいで、ちょうど良いんじゃないだろうか。 (言葉使いや礼儀はちゃんとわきまえた上で。) 人は本能的にどちらが上か比べてしまうものだと思う。自分と同等であれば、自然にどちらが上か下か見極めようとし、その結果がわかるまでコミュニケーションを取りづらかったり、自分より上だと感じると、上の人間の反応を気にするあまり、同じくコミュニケーションが取りづらいんだと思う。 しかし、自分の方が立場が上だと感じると、子供と接するように自らコミュニケーションを取ろうとするものだと思う。 (子供から支持されるのを待っている大人はいないと思おう。) あくまでも、僕の持論だが。 そう考えると、人をなめた位が、ちょうど良いんじゃないかと思う。 僕は、年だけは上なので、そう、思いやすいのかもしれないけれど・・・。 もし、性格的にそう思いづらいのであれば、実際の仕事で自分が誰にも負けないことを作るべきだと思う。 この仕事は、周りにいる人より、自分が優れていると思うえば、最初は、その仕事を行う時に、自分の優位性を感じ、コミュニケーションを取りはじめ、次第に様々な場面でもコミュニケーションが取りやすくなると思う。 「人として、自分が上だ。」 ではなく、 「この場面、仕事、作業は、自分が上だ。」 と、思うだけでも違うと思う。 よく、得意だったり、好きなスポーツの話になると、普段は口数が少なかった人が、急に饒舌になったりするのも同じことだと思う