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11月, 2017の投稿を表示しています

あの人が今、どう考えているのか?知る方法。

これは、恋愛に関する事ではないので、悪しからず。 仕事(特に、営業)で、お客様が、 『今、何を考えているのか?どう思ったか?』 などの心境を知りたくなることが多々あると思う。 その心境がわかると、その後の流れを自分が優位になるように進めて行くことができるからだ。 でも、他人の心境は、知りようがない。 「今、何を考えていますか?どう思いましたか?」と、直接聞ければ苦労はしないけれど、お客様が開いてだったりすると、直接聞けるわけがない。 でも、相手が 『今、何を考えているのか?どう思ったか?』 を知る方法は、簡単だ。 相手の 『しぐさ、目線』 を自分に当て嵌めてみればいい。 決して、相手が発した、言葉に惑わされてはいけない。 ちょっと調べたりすればヒットする 心理学 にも同様なことが書いてあるけれど、僕には、それらをいちいち覚えることが億劫でならない。と言うか面倒くさい。 しかし、相手の 『しぐさ、目線』 をマネするだけで、簡単に知ることができる。 例えば、有名な心理学で 『目線が左上は記憶、右上は想像』 があるけれど、自分も同様に目線を左上、右上にしてみると、心理学の通り、左上に目線を上げれば、自然と過去を思い出そうとするし、右上に目線を上げれば、何か想像してしまう。 その行動を心理学としてまとめたことは、本当に凄いことだと思う。 しかし、膨大な心理学を覚えることは、簡単ではない。 でも、心理学としてたの成り立つのも、多くの人が同感・納得するからだと思う。 なら、自分も心境を知りたい人の 『しぐさ、目線』 をマネすれば、同じ心境になり、相手が 『今、何を考えているのか?』 簡単に知ることができる。 ただし、絶対に相手が発した、言葉に惑わされてはいけない。 どうしても、自分に対して、好意的な言葉を発した場合には、相手の 『しぐさ、目線』 のチエックを忘れ、自分にとって、都合の良い解釈をしがちになってしまう。 誰でも、自分が可愛いから、都合よく解釈したいのはしょうがない。 でも、それが仕事(営業)なら、邪魔な存在でしかない。 自分の印象など、どうでもいい。成績を残すことに専念するのが営業だ。 だからこそ、相手の発した言葉ではなく、 『しぐさ、目線』 から、 『今、何を考えているのか?どう思ったか?』 を知

お客様に、ウソをつかせるな。

お客様は、面識がない営業マンに対して、 ウソ をつきやすい。 でも、決して、 『騙そう』 と、考えての ウソ ではない。 まだ、信用されていない(信頼関係が築けていない)ことに気付かず(お客様の気持ちを考えず)に、踏み込み過ぎた、営業マンへの、 『警戒』 や 『不快感』 の証だ。 法人営業の場合には、まだまだ挽回できる余地は残されているかもしれない。 しかし、個人客への営業の場合には、 『お客様にウソをつかせるのは、決定的なダメージ』 になってしまう。 僕は、法人営業より、個人客を対象にした、営業経験が長かったので、より痛感している。 特に、アプローチ後、早い段階での ウソ は致命的だ。 一番いい例が、来店したお客様への対応だ。 営業経験が浅いと 『会社から求められている名簿の取得』 に、囚われてしまう。 名簿の取得を強制(無言のプレッシャー)している会社(上司)も問題だけれど。 営業の本来の目標は、 『販売』 であり、 『名簿の取得』 ではない。 しかし、 『名簿の取得』 ができなければ、その後の営業活動ができず、お客様からのアプローチがなければ、挽回のしようがない『待ちの営業』しか、できずに弱い営業となってしまうことも事実で、会社(上司)が、 『名簿の取得』 を求めるのも、当たり前のことである。 しかし、自分に当てはめて考えて欲しい。 ウソの名前や住所など連絡先を教えた相手に、この前は「間違えました。こっちが正しい(本当)です。」と、言えるだろうか? 僕には、できない。僕なら、気まずくて避けてしまう。 恐らく、殆どの人は、同じ考えだと思う。 もし、 『名簿を取得』 しなければいけないのであれば、接客(会話)の段階で、アプローチをかけ、どこまで信用されているか確認をし、大丈夫と判断してから、名簿に記載をして貰うことが重要になってくる。 「しつこい、営業はしませんから」 は、営業マンの合言葉だと、誰もが知っている。 そんな、古びた合言葉は、誰も信用するはずがない。 信用されているかどうかの確認は、簡単にわかるはず。 もし、その判断に迷ってしまうなら、会話(接客)の段階で 『名前・住所・連絡先』 を聞き、(「私は、〇〇です。お客様の苗字は?」など)、どこまで心を開いたかを確認すればいいだけ。 会話(接客)

上手なサボり方。

僕は、基本的に仕事をサボることを悪いと思っていないし、実際、ちょくちょくサボっている。 ここでのサボりは、あくまでも、自分だけの休憩や気分転換であって、欠勤や遅刻、早退とは、ちょっと違う。 ただ、サボり方にも、良し悪しがある。 僕が思う、良いサボり方は、仕事から、一時的に開放されながらも、今後の仕事、もしくは、自分の成長に繋がるようなサボりなら、大歓迎だ。 しかし、仕事から逃げるだけのサボり方は、悪いサボり方だと思う。 もちろん、全てを良いサボり方をしなさいと言う訳ではない。 今の仕事から逃げることも、時には大事になってくる。 ただし、6対4位で、良いサボり方をした方が良いんじゃないかと思う。 決して、僕のサボりを肯定するためではない。つもり。 具体的に、上手なサボり方だと思うことは、 流行りのお店(商品)、話題のお店(商品)、人気のあるお店(商品) に行ってみる(触れてみる)ことだ。 業種は、同業に限らず、何でもよい。 喫茶店なら、なぜ人が集まるのか?雰囲気作りは?接客は?など、 また本屋で立ち読みするにしても、今話題の本はどんな本?ベストセラーは?各賞を受賞した本は?など、 ちょっと疑問に思うだけで、得るものは沢山ある。 そこで得たものが、全て仕事に役立つ訳でも自分を成長させる訳でもない。 しかし、 誰でも疑問に思えば、勝手(自分なり)に、答えを想像する はず。 その勝手な(自分なりの)答えを考えることが、自分を成長に導いてくれる。 勝手な(自分なりの)答えを考えることが癖になり、仕事や人生にもプラスになる考えが自然と浮かんでくる。 後は、それを 実践するか、しないか。 だけだ。 最初は、臆病になってしまうかもしれない。でも、本当にバカな人はいない。 自分が良いと思ったことは、実践してみるに限る。 例え、 失敗が重なっても関係ない。 10失敗しても、1成功すればいいだけ、だから。 積極的に攻めての失敗は、恐れる必要はない。 同じ、サボりでも、得ることは案外多い。 同様に、失敗が続いたりで、仕事が嫌になり、気分転換としてのサボりも上手なサボり方の一つだ。 流れが悪い時は、誰にでもある。 実際、今日の僕は、ついてなかった。道は、間違えるし、お客様への商品も間違えて渡してしまった。

人の振り見て、我が振り決める。

『人の振り見て、我が振りなおせ』 は、子供たちも知っている、有名なことわざだが、僕は、人の欠点を利用して、自分だけ良ければと考えているよう(あくまでも僕の主観です。)で、印象が悪いので、あえて反対にした 『人の振り見て、我が振り決める』 の方が好きだ。 どちらも、周りの人を良く見て、自分の行動を決めていくことに変わりはない。が、僕は前者の 『人の振り見て、我が振りなおせ』 は 『上から下』『前から後ろ』 を見ている気がする。 見ている方向がマイナス方向なら、自然と自分が進んでいく道もマイナスに向かって行ってしまう。 しかし、後者の 『人の振り見て、我が振り決める』 は 『下から上』『後ろら前』 を見ながら、一歩ずつ確実に前進している印象を持つ。 ただ、僕が言いたいのは、昔ながらの職人のように、何も教えてもらわずに、先輩、上司の仕事っぷりを見て、仕事を覚えることではない。 本当に仕事ができる人の動きを見ていると、無駄な動きが極力ない。 仕事は、全て順調に行くわけではない。 必ず、トラブルや思わぬ横槍など、仕事を妨げることが発生する。 それでも、仕事ができる人は、そういったトラブルさえも想定内として、回避、対応のための準備や時間的な余裕を持っている。 他にも、並行した複数の仕事をこなす、順番や方法など、参考になることが多い。 そんな周りにいる仕事のできる人の行動を真似しない手はない。 同じような行動をしていると、次第に考え方もわかってくるようになる。 「何で、今こんなことをしているの?」から、「こんなことを考えているから、今これをしているのか。」と、なってくる。 考え方までわかってくると、今まで憧れだった存在から、お互いにとって、良いライバルまで成長しているはず。 僕も、 『人の振り見て、我が振り決める』 を実践している。 僕にとって、今の仕事は、数カ月だけれど、十何年続けている先輩の行動をしっかりと真似、十何年の経験を僕のものに(欲張りだけど、1年以内には)しようと思っている。 『夢は大きく』

理想が高すぎるのは、やめよう。

僕の周りに、理想や夢が、やたらと大きい人がいる。 理想が高いのは、いいことだけれど、高すぎると、理想に囚われてしまい、逃げ出せなくなってしまう。 同じように、夢が大きいのは、悪いことではないけれど、大きすぎると、自分を見失ってしまう。 自分の身の丈( 器 )に、あった理想や夢にしないといけない。 (120%くらいが、調度いいかも) まだ、夢は大きすぎても、その過程、過程の段階をしっかりと抑え、すぐにでもできる小さな夢から、徐々に自分をレベルアップさせ、叶えていける夢の最終が、本来の大きすぎる夢であるならば、問題ないと思う。 しかし、だだ漠然とした、大きすぎる夢では、実現のしようがないし、自分でも、叶えたくても叶える手段がわからずに、 『やりたくてもできない。』『どうしていのか、わからない。』 まま、葛藤し、自分自身、 『本当に夢なのか?』『どこに向かえばいいの?』 と、迷い、そこで、 『今、やるべきこと、明日やるべきこと、一年後にやるべきこと』 と、段階を踏まえないと、自分を見失ってしまう。 でも、理想が高すぎるのは、良いことがない。 一見、 『理想が高い』 ことは、目標を定め、そこに真っ直ぐに向かっているように見える。 しかし、人生(仕事)の道のりは、真っ直ぐではない。 自分が、真っ直ぐ進んでいても、道が曲がっていれば、どんどん、道から外れて行ってしまう。 理想が高い人は、自分の実力を信じているから、何の疑いもなく、真っ直ぐに進んでしまう。でも、道は曲がっている。そのことに、気付かずない。 僕は、理想が高過ぎる方だと思う。 だから、今の状況になってしまったのかもしれない。 家族の幸せを一番といいながら、自分の理想が高すぎたせいで、結果、家族に迷惑や苦労をかけてしまっている。 本来の 『理想』 を知らなかった。 今の僕は 『理想』 を今の自分に必ずできる 『最善策』 だと考えている。 『夢』 は、将来のためのステップアップの過程。 『理想』 は、今できる最良の結果。 と、考え、 『理想』 と 『夢』 を交互に繰り返し、今まで最良の結果だった理想を当たり前にできるようになり、さらなる大きな夢に向かっていく。 理想は、変化することなく、一番上の存在だと思っていたけれど、それは違う。 夢と同様に、自分の身の

休日の過ごし方。

人それぞれ、休日の過ごし方はあると思う。 僕の休日は、大体、家族と一緒に過ごすことの方が多い。 僕は、極力、仕事を家庭に持ち込まない。と言うより、持ち込んでいる時間がない。 子供たちと遊んだり、勉強を教えたり、してる内に、気付くと夜になっていることが、殆どだ。 たまには、自分一人の時間が欲しいと思う時もあるけれど、実際、有休などで、平日に一人でいると、何をしていいか解らず、部屋を片付けたりなど、結局、自分の趣味に費やす時間を見失ってしまう。 これはこれで、不満があるわけでも、ストレスが溜まるわけでも(むしろ、ストレス解消になっている)ないので、自分なりには、良い休日の過ごし方だと感じている。 本当は、ブログで、 『自己啓発』 と、謳っているなら、自分磨きのセミナーや交流、勉強をすることで、もっと的確なアドバイスや助言ができるのかもしれないが、このブログは、自由気ままに僕の思ったこと、体験したことから、少しでも、仕事が楽しくなって貰いえればと良いと思い、あくまでも僕の主観的な意見のみ、書いている。 性格上、自分が体験していないことを自分が体験したことのように語ることは、好きじゃないし、する気がない。 時々、偏った話にもなるかもしれないが、それでも僕は、それが切っ掛けで仕事が楽しくなると信じ、伝えたいと思っている。 本題から、少しずれてしまったが、僕は、休日(帰社したら)には、仕事を忘れるに限る。そして、自分が楽しめることをするべきだと思う。 それは、決して、仕事に対して、消極的なわけではない。 人は、集中力に限界がある。 一日で、本当に集中できるのは、2時間くらいしかないし、それを5日も続けたら、クタクタで、その後は惰性で何とか誤魔化しているしかない。 上手く、誤魔化すのもテクニックかも知れない。 しかし、そんな小手先で自分を誤魔化すより、素直に疲れを認め、しっかりと休憩をとる方が合理的だと思う。 自分は、 『24時間、365日、仕事のことだけを考えている。』 なんて、エゴでしかないし、僕には、よっぽど仕事のできない(自分では、仕事ができると思っている、残念な)人としか思えない。 こんなブログをしていると、僕は、仕事一辺倒な人と思うかもしれないが、僕は 『僕の人生を楽しみたい。』 その一環に仕事があるだけだ

怒られ続けると、どうなる?

僕の同僚の中に、毎日毎日、怒られている人がいる。 「本当によく、怒られるなぁ」と、ある意味、感心してしまう。 なぜ、彼は、毎日怒られ、それを直すことができないんだろうか。 以前、 怒られたくない! でも、触れたように、仕事が全て、後手後手になってしまっている。 どうしたら、怒られないかを考えた末、指示されるのを待つだけになってしまったり、やりかけの仕事を投げ出してでも、上司の指示に従い、結果、投げ出した仕事の件で、又、怒られる悪循環に陥ってしまう。 人には、 想像したことを実現する力 を持っている。 そんな 力 が、 『怒られたくない』 と思いが強くなりすぎて、逆に、 『怒られる状況』 を生み出してしまっている。 (怒られている姿を想像してしまっている。) なら、その悪循環を断ち切るには、どうしたらいいのだろうか? 僕なら、開き直る。失敗や不手際で怒られるのは、しょうがない。 それは、それ。次は、次。その失敗や不手際を超える成果を残せばいいだけだと、僕は考えている。 ただ、僕は、人よりもメンタルが強い方だから、できることかもしれない。 しかし、メンタルが強くないと、怒られ続けることで、臆病になってしまい、全てが悪い方に考えてしまい、そこからプラス思考に変えることは困難になってしまう。 本当は、上司が、さじ加減で、『怒る』『褒める』を使って、部下を巧みに扱うべきだと思うけれど、それは他力本願でしかないし、僕の同僚もそうだが、上司が怒りやすい人材であったり、性根が合わないのかもしれない。 そこで、諦めたら(逃げ出したら)、一生、諦める(逃げる)しか、なくなってしまう。 自分の道は、自分でつくるべきだ。 では、どうすれば、その悪循環から、脱出できるのだろうか? 僕は、まず 『褒めらる』 ことを目標とするべきだと思う。 『怒られる』 のが、怖いと思う人は、 『褒められる』 ことを好む傾向にあると思う。 上司を研究し、 『何をしたら、喜ぶのか』 を考え、上司好みの部下を演じるしかない。 すぐに 『怒る』 上司は、案外単純で、自分が気に入れば喜ぶ。 最初はこそ、上司にもこれまでの状況(怒り続けた)もあり、素直に誉めたりしないと思う。 しかし、上司の気に入る状況が続けば、自然と 『褒める』 環境ができてくる。

サンタクロースは本当にいる?

そろそろ、子供から、クリスマスプレゼントの催促が始まる季節になってきた。 僕の子供は、まだ小さいので、今もサンタクロースを信じている。 僕も、調子に乗って、スマホに家の電話を 『サンタクロース』 で、登録し、クリスマスイブの日に、子供がケーキなどに集中している時に、家の電話から、ワンコール鳴らす。 そうすると、すぐに子供たちは、騒ぎ出し、僕のスマホの着信が 『サンタクロース』 に、なっているのを確認したら、自分たちの部屋に駆け上がっていく。 もちろん、事前にプレゼントは、ベッドの中に、隠してある。 子供たちが、大喜びで、プレゼントを抱え、階段を降りてくるのを見ると、 『もっと、頑張って、もっと喜ぶ顔が見たいと欲がでてくる。』 しかし、時々失敗もする。 子供たちがサンタクロース宛に書いた手紙とクッキーを取り忘れてしまって、「サンタさんが忘れて行った」と、子供たちにショックを与えてしまったこともある。(あわてんぼうのサンタクロースで、何とか誤魔化したけれど) また、昨年は、下の子のプレゼントが人気があるのに気付かず、購入することができなかった。 子供にとって、絶対に欲しい物をプレゼントしてくれるはずのサンタクロースが、手に入れられない訳がないと、昨年も大騒ぎだった。 毎年、何とか誤魔化しながら、我が家のクリスマスを過ごしているけれど、一度だけ、上の子が「友達がサンタさんは、いないよ。って言ってた。」と、言われ、純粋に信じている下の子もいる手前 僕「目を閉じてごらん。サンタさんは、どんな顔をしている?」 子供「赤い帽子と白いおひげのおじいちゃん。」 僕「ちゃんと、サンタさんはいるでしょ。恥ずかしがり屋だから、すぐにいなくなちゃうだよ。」 と、苦し紛れの思い付きで、これまた誤魔化してばかり。 その後は、納得したのか、気付いたのかは、わからないけれど、聞いてこなくなってきた。 先日、それとなく、クリスマスの話をしたら、今も信じているので、上手くは誤魔化せたのかも知れない。 そろそろ、父親として、サンタクロースとしての二つのプレゼントは、卒業してもいいかなと思うけれど、もう暫くは、サンタクロースの代理として、何とかやっていきたい。 ところで、今回のブログで、僕が無理矢理に仕事に関連付けたかったのは『想像力』だ。 「

忘年会も仕事の一部。

忘年会シーズンが近づいてきた。仕事として、お酒を飲む機会を楽しみにしている人、苦痛としている人など、人それぞれ、だと思う。 僕は、間違いなく前者だ。同僚と飲むことも楽しみだが、それよりも、お酒を飲むことが楽しみだ。 でも、アル中ではない。一人で、しんみりとした、お酒は、僕には飲めない。 晩酌も妻や子供たちがいるからこそ、楽しく、お酒を飲むことができる。 僕は、基本的に楽しいお酒が好きだ。 しかし、気の置ける友人との飲み会なら楽しみだけれど、会社で、仕方なく参加する飲み会は、嫌いと言う人も多い。 嫌いな人は、就業時間を過ぎてまで、上司や同僚に、 『気を使いたくない』 と、言うのが本音だと思う。 でも、僕には、その機会を上手く使わないのは、勿体ないと思う。 世間がよく言う、 『お酒が入って、その人の本音や素顔を見ることができる。』 からでは、ない。 もちろん、会社のお金で、タダ酒が飲めるからでもない。 本音や素顔を見れるに、かなり近いけれど、その人の限界を知ることができるからだ。 僕のキャラ的に通用するのかも知れない(僕が通用すると思っているだけかも)が、お酒に酔ったふりをして、その人の普段見ることができない、深い所を探っていく。 そうすると、どこまで入り込んでいいのか、ダメなのか、その人の限界が見えてくる。 深入りしすぎると、それを嫌うのは、当たり前で、誰でも他人が入り込むことを拒む限界がある。 その限界ぎりぎりまで、入り込むことによって、これまで以上の関係が築くことができる。 人は、心の開く位置を 『この人はそこまで、この人にはここまで』 と、その人によって、境界線を引いている。 しかし、お酒の力を借りたにしても、今まで引かれていた境界線を越え、更に近づくことで、今まで以上に心を開いてくれる。 一度、入り込むと、その後の普段の仕事でも、今までより、一歩も二歩も親密な人間関係になり、円満に仕事を進めることができる。 だからこそ、僕は、こんな機会を得る、忘年会シーズンは、楽しみでしょうがない。 もちろん、やり方を間違えると、ニュースにもなった、相撲界のように、険悪になってしまう。 僕は、今回の相撲界の問題となった場にいないので、詳細はわからないが、相手(今回は、日馬富士)の限界を探る行為に、相手に対する尊

自分を変える苦労と変えない苦労。

普段何気なく、行っている自分の行動や考え方を変えるには、並大抵のことではない。 余程の決意と常に変えようと意識しないと、これまでの自分を変えることができない。 しかし、正反対の自分を変えないことも簡単なことではない。 ついつい、周りに影響され、日々変化している。 これを逆手にとってしまえば、変えなきゃいけない所を簡単に変えることができ、変えてはいけない所を変えずに維持することができるはず。 それなのに、なぜ、そうすることが、できないのだろうか。 それは、自分自身への甘えが大きく、ついつい、 『楽』 を求めてしまう。 大体、変えなきゃいけない所は、自分自身への甘えからくる、楽(肉体的、精神的)なことが多いし、変えてはいけないのに変わっていくのも、周りが楽をしていることに憧れ、気付くと自分も真似をしてしまい、結果的に変わってしまっている。 人類は、 『楽』 を求めて、ここまで発展してきた。 例えば、歩くのが大変だから、自転車や車、それよりも、『もっと遠くへ、早く』と新幹線や飛行機が生まれた。 『楽』 を追求することは、更なる発展へと繋がるキーワードだ。 それなら 『楽』 を求めるのは、いいことなのに、自分への変化となると 『楽』 を求めていけないのは何故だろう。 それは、 『楽』 の位置だと思う。 目先の 『楽』 を求めてしまうと、だらけてしまい、どんどん落ちて行ってしまう。 しかし、一つ先、二つ先の 『楽』 を求めることで、どんどん上がっていくことができる。 自分を変えることも、変えないことも同様だ。 目先だけ、見てしまうと悪い変化でしかないけれど、一つ先、二つ先を見ることで、良い変化に変えることができる。 その為にも、良い変化や良い維持をする為には、 『夢や目標』 をしっかりと持つことと、そして、自分自身を一つ上や二つ上のレベルの環境に身を置いてみる。 (背伸びのし過ぎは、自分を苦しめるだけだけど。) しかし、簡単に今の仕事を変えたりは、できない人が大半だと思う。 そんな時には、『憧れる人』を探し(作り)、その人へ、「近づきたい」、「ああ、なりたい」と、意識し、影響を大いに受けるべきだ。 その際は、憧れる人の全てを見るようにしないといけない。上部だけ見ても、憧れの人に近づくことはできない。 そ

今の自分の位置を知るには。

自分の位置を把握しながら、仕事をしている人は、どれくらいいるのだろう。 位置と言っても、「上から何番目だ。」「下から何番目だ。」の、位置ではなく、以前のブログ『 「夢」や「目標」を持とう。 』で、書いたように、 『夢や目標 (通過点、もしくはゴール) 』 までの道のりを歩んでいる、自分自身の現在地だ。 自分の位置を知らなければ、ゴールだけ見えていても、現在地がわからなければ、今、歩んでいる道が遠回りだったり、行き止まりだったりするのに気付くことができない。 実際は、遠回りでも、『この道は、 近道なはず だ。』と、思ってしまう。 大体の人は、自分に厳しいようで、甘いから、ついつい、自分に都合よく、考えてしまう。 だからこそ、自分の位置を知ることは、とっても重要だ。 しかし、ゴールは、同じでも、歩む道は、人それぞれ違う。周りの誰かと比べたり、参考にしても自分の位置を正確に知ることはできない。 それなら、どうすれば良いのか。 それは、自分が歩んできた道を振り返るしかない。 何度も、何度も振り返り、確認するだけだ。そな際、極力、自分が歩んだ来た道ではなく、他人が歩いていると想像した上で、客観的(他人にアドバイスをするようなイメージだと、やりやすいかも)に。 どうしても、厳しくしていると思っていても、自分には、甘くなってしまいがちだが、他人にアドバイス(なるべく上から目線)するようにすると、自然と厳しくなってくる。 だからこそ、ゴールまでの道のりで、今の自分が充分に満たしている所、足りないところ、間違えている所が、正確に見えてくる。 そうすることで、自分の正確な位置を把握することができる。 自分の正確な位置がわかれば、これから、どの道をどう進めばいいのかわかってくる。 これで、ゴールまで、最短距離で進むことができるはず。 コツは、どれだけ客観的に自分を見ることができるかだ。 その為にも、上から目線で自分を見るくらいが調度いい。

出世するために何をする?

僕は、肩書に興味はない。これは、自分も出し、相手に対しても同様だ。 もちろん、礼儀をわきまえた上で、役職がついていようが、ついていまいが関係ない。 その人の行動、仕事っぷりを見た上で、人間性を判断している。 役職がついていなくても、尊敬すべき人は沢山いるし、役職がついていても、何も得るものがない人もいる。 そんな、僕が以前の会社で、それなりの地位についたのには、理由がある。 それは、自分が興味のある、仕事をしたいと思ったからだ。 会社組織の中で、自由(もちろん、何でもかんでもではない。)に仕事を進めたり、新しい取り組みを行おうにも、一般社員には、中々チャンスが巡ってこない。 しかし、それなりの地位を得ると、自分の口から発する言葉に 『力』 がついてくる。 『力』 のある言葉は、会社内でも影響力が強く、会社組織、そのものにも大きな影響を与えることができる。 実際に、今まで誰もが疑問に思いつつも、従っていたことを変えたりすることができた。 そのために、僕が行ってきたことは、上司にゴマを擦ったりではない。 実際は、出世を決めるのは、上司だから、早期出世を望むなら、ゴマを擦っていくのも一つの出世術だと思う。 ただし、その上司が出世街道から、外れてしまったら、道連れになってしまう可能性もあるけれど、その兆候が見えた時点で、上司を上手く乗り換えていけば、問題ない。 ただ、僕は役職などに興味がなかったので(自分の興味ある仕事ができれば良かっただけなので)、とことん、結果を残すことにこだわった。 もちろん、これまでの会社史上、最高の結果を残せる実力があれば、それだけで自然と出世したかもしれない。 しかし、僕には、そこまでの実力はなかった。 だから、結果を残しながら、自分なりに行っていることをアピールしていった。 これまで、会社内で常識だったことを少しづつ、自分なりにアレンジし、効率が良く、結果を残せることを上司に見せることで、階段を登り始めることに成功した。 その中で、一人、二人と部下を持ち、不平不満や前向きな話を何でも聞き、上司に意見をぶつけていった。 その際、マイナスな話は、自分の意見として、プラスの話は、その話を切り出した部下の話として、ぶつけた。 最初は、前向きな話も中々出てこなかったものの、会社に自分の意見が取り

周りを上手く使うには。

『周りを上手く使う』 と、聞くと計算高く、嫌な奴の印象があるけれど、僕はよく周りを使っている。(実際には、助けてもらっている。) どうしたら、好意的に手伝って貰うことができるだろう。 僕が実践しているのは、先ず 『周りの手伝いを惜しまない』 ことだ。 そして、見返りを求めない。 決して、「あの時、手伝ったから、これをして。」なども言わない。 周りの手伝いをすることで、自分一人で行っている時には気付かなかった、要領やコツ、全体的な流れが見えてくる。 自分が劣っている、勝っているなど、関係なく、違いを見ることで、思いがけないアイディアが生まれたり、自分の不得意だった所を改善できたりする。 『周りの手伝いをした見返り』 として、 『自分が成長』 することができる。 悪いことではない。 そして、手伝った際、もし自分が勝っていると思った点では、惜しみなくコツや流れを伝えよう。 決して、説教や教えてる立場では無く、「この方が楽じゃない。」「こっちの方が早く出来るよ。」のように。 そうしている内に、自分と仕事をするのは楽しいし、捗る、成果が出ると思って貰えたらこっちのものだ。 自分が助けを欲しいと思っている時に、近寄ってきて、手伝ってくれるはず。 もう一つ、僕が行っているのは、 『極力、譲る』 ことだ。 自分を犠牲にしても、基本的には、助け(手伝い)を求めている人には、手を差し伸べる。 『10あれば、9譲る。』 しかし、自分が譲れない 『1』 は、絶対に譲らない。 そうすることで、周りの人たちは、僕が、 『何に、こだわっている』 のか、理解してくれる。 自分を知って貰うことで、僕が譲れない場面に直面した際、助けを求めているのを知ると、応援してくれる。そして、手を貸してくれる。 僕は、こうして 周りの人達を上手く使っている。 でも、そのための労力は、使っているつもりだ。 『10の内、9は周りのために使っている。』 しかし、そのおかげで、 本当に手を貸して欲しい時や、譲れない場面で、周りの協力で乗り切る ことができてきた。 これからも、同様だと思う。 だから、僕は、周りを使うのが上手いと自負している。 ぜひ、参考にして欲しい。

時間を追う人、時間に追われる人。

仕事、プライベートを問わず 『時間に追われる』 のではく 『時間を追う』 癖をつけよう。 ただ、 『時間を追う』 という言葉を耳にする機会は中々ない。 なぜだろう? 単純に、 『時間に追われる』 は、やるべきことに対して、時間(期日)が迫り、焦ったりすることだと思う。 それなら、 『時間を追う』 は、時間(期日)に対して、やるべきことを終え、余裕ができることだと思う。 そう考えると、 『時間に追われる』 より 『時間を追う』 ほうが絶対にいいに決まっている。 焦って仕事をしても、終わらせることが中心になってしまい、見直すことや時間内でできる必要最低限の準備で終わってしまい、ミスや悪い結果が待っている。仮に上手くいったにしても、そのプレッシャーなどで疲れてしまい、純粋に良かったと思えずに「やっと、終わった(解放された)」の気持ちが強く、すぐ次の仕事に取り掛からずに一休みいれたくなってしまう。 しかし、余裕を持って仕事ができると、見直したり、他に準備しておいた方が良いものがないか探すこともできる。 結果、成功にも近づくし、充実感を得ることで、次へ次へ、仕事を追いかけて行ける。 仕事を追いかけて行ければ、更に時間的余裕を持って、仕事ができ、自分にとって、良い環境で仕事をすることができる。 なぜ、 『時間を追う』 ことが、できず 『時間に追われて』 しまうのか? 違いは何だろう。 『スケジュール管理』 や 『いつ・どのタイミングでどの仕事をするべきか』 の判断を間違えてしまってるなど、考えられることは多々ある。 それを克服するには、経験や知識など、様々な要素が必要とされる。 しかし、もっと根本的なことを変えるだけで、簡単に 『時間を追う』 ことができる。 それは、 『自分を信じ、自分ならできる(簡単だと)思うことだ。』 自分を信じることで、不安が和らぎ、自信を持った仕事ができる。 自分ならできる(簡単だ)と思うことで、成功すれば自信につながるし、例え、失敗に終わっても、 『いい経験をした次は大丈夫』 と思うことができる。 結果、前を向いて仕事と正面から向き合うことで、ミスや不安を心配する無駄な時間が減り、効率よく、仕事ができてくる。 それが 『時間を追う』 ことだと思う。 どうしても、不安があると、それを

『面倒くさい』は、仕事にプラス。

仕事(だけではなく、生活全て)をしていると、面倒くさいと思うことが、誰でも、頻繁にある。 僕は、誰よりも 『面倒くさがり』 だと思っている。 『面倒くさい』 と、思うことは、これからに繋がるチャンスの言葉だ。 これまで、多くの人が面倒くさいと思い、それを解消するために、様々なアイディアや商品が生まれてきている。 面倒くさいと思わずに、ただ黙々と仕事をしていると、これまで以上にも以下にもならない。(多少は、慣れて効率が良くなることがあったとしても) しかし、面倒くさいと日々、感じ、 『何とか』 しようと思うことで、改善策やアイディアが生まれ、今までより、効率よく仕事ができたり、正確にできるようにる。 『面倒くさい』 は、人が進化するための合言葉だ。 ただし、気を付けて欲しいのは、 『一つ先の面倒くさい』 が、様々なアイディアを出してくれるということを。 例えば、ゴミを捨てるのが面倒。 だから、捨てずに、そこに置いておこう。 ではなく、捨てに行くのが面倒だから、ゴミ箱を近くに置いておこう。 のように、 『目の前の面倒くさいで終わらせ、諦めてしまう』 のではなく、その一つ先を想像し、考えることで解決策が生まれてくる。 ゴミをそこに置いたのでは、溜まる一方だし、片付けるのが 面倒 だ。 しかし、ゴミ箱に入っていれば、片付けは、簡単にできる。 目の前の 『面倒くさい』 だけでは、何もアイディアが生まれもしないし、解決策も生まれてくるはずなんてない。 一つ先を想像し、考えるだけで、全然違う。 みんなも、どんどん面倒くさがりになろう。

なぜ、仕事をするの?

なぜ、仕事をしないといけないんだろうか? 殆どの人は、生活のために、嫌でも仕事をしないといけないと考えているはず。 僕も、同様だ。 仕事をせずに、生活が成り立つなら、好きなことを好きなだけ、やっているかもしれない。 しかし、世の中に、そんな恵まれた環境の人は、そうそういないだろう。 だから、本音では、仕事が好きよりも、生活のために仕方がなく、仕事をしている。 僕のプライドは、ここにある。 『生活をするため』『今よりも、より楽しむため』『家族を幸せにするため』『友人といつまでも、バカなことをするため』 これが、僕のプライドだ。 そのためには、仕事で失敗をした時や自分の思うように仕事ができなかったからと言って、プライドが傷付くことはない。(本当は、あるけれど) 仕事にプライドを持っていないわけではないけれど、それよりも、もっと深い所に、僕はプライドを置くようにしている。(意識している。) もし、仕事で馬鹿にされたとしても、 『そんなことで、悩んだり、くよくよしている場合じゃないと、そんな上っ面なんて、どうでもいい。』 と、思うようにしている。 そうすると、周りの騒音が気にならなくなり、段々と自分のペースで仕事ができ、自然と結果がついてくる。 よく、僕が同僚に、 『何で、この仕事をしているの?』 と、意地悪な質問をする。 そうすると、大体「この仕事が好きだ。」「自分に向いている。」など、上司に対する、優等生な回答が返ってくる。 恐らく、何か試されていると深読みしているんだろうけど。 僕は、上司だけでなく、誰に聞かれても、堂々と 「生活のため」 と、答えたいと思う。 もちろん、その後には、 「しかも、この仕事は、僕に向いている。」 と、続けたい。 だから、イヤイヤ仕事をするのもわかるし、仕事に縛られ、逃げ出したいのもわかる。 好きなだけで、仕事をしているんじゃないんだから。誰だって、同じだと思う。 『仕事で挫けそうになった』 そんな時に僕は、仕事で上を目指すのではなく、 『今の生活のままでいい』から、『もっと、生活を楽しみたい』を目指そう。 『そのためにも(給与アップ)に繋がるよう頑張ろう。』 と、言い聞かせている。 これで、何とか、今までやってこれた。 しかし、過度のストレスなどで、体に影響がでる

決断(判断)は、できる限り早く。

仕事をしていると、決断と言うと大げさだが、要所要所で、自分で決断(判断?)しなければいけない時がでてくる。 その際、迷ってはいけない。素早く決断するべきだ。 何も、会社や上司に確認せずに 「答えを出せ!」 ではない。 過度な値引き交渉など、自分本位で決断をして、会社や上司に怒られる(損害を与える)場合もある。 僕が言う 『決断』 は、自分で決めることができないなら、 『まず、上司に報告、相談する』 という 『決断』 を素早く行うべきだということだ。 お客様からの問いに、 『自分の勉強不足や経験不足で、即答できない時も同様』 だ。 わからないことは、何秒、何時間かけてもわからない。そこで、何時間も考える (考えてるふり) のは、 『自分が何も知らないと思われたくない。そんな、小さなプライドを守るためだけ』 でしかない。 仕事にプライドを持つことは大事だし、自分の仕事にプライドを持っている人は、 『仕事ができる人』 と、周りから思われているはず。 しかし、 自分の体裁や見栄を守るためのプライドは、必要ない。むしろ、邪魔。 決断(判断)が、遅い人は、そんな小さなプライドに囚われてしまっている。 僕は、決断(判断)するまでに、10秒も掛けるのは、時間の掛け過ぎだと思うし、実際、瞬時に、決断(判断)している。 僕の行動が正しいとは思わないけれど、間違っているとも思っていない。 「難しい、決断(判断)をしろ!」 という訳ではない。 自分で、回答できる。・・・yes・no noなら、どうする。・・・自分で調べる・先輩に聞く・上司に相談する など、小さな決断(判断)を繰り返していくだけでいい。 自分で、何でもできると思わず、 『できない』『わからない』『答えを出せない』ことが、仕事では必ずある ことを認め、どうどうと対応するべきだと思う。 知ったかぶりで、曖昧な答えをするより、「わかりません。調べてみます(確認します)」の返答をした方が、誰からも信頼される。(「全てがわからない」や「何度聞いてもわかりません。」は、問題外。話にならず) 時間は、待ってくれない。決断(判断)は、素早く行う。を、心がけよう。 決して、 『適当にしろ』 ではない。 小さなプライドを捨て、大きなプライドを持とう。

お客様の断り文句を潰していく。

多くの人には、物欲があり、興味があるもの全てを欲しい(手に入れたい)と考えている。 物欲(欲求)は、本能からくるものだから、普段は、何とか理性で抑えていても、ちょっとした切っ掛けで、理性を簡単に跳ねのけ、『どうしても、欲しい。』『今すぐに、手に入れたい。』と、物欲に負けてしまい、ついつい購入してしまう。 その切っ掛けを作ることのが、営業の仕事だ。 だからこそ、断り文句を潰していくのも、営業手法の一つで、僕が得意とする営業手法だ。 お客様の本音は、『欲しい』であり、『高い』『まだ早い』などの断り文句を潰して(解決)欲しいと、思っている。 それなら、その期待に応えて行けば、自然と購入してくれる。(お客様から、「ぜひ譲ってください。」と、言われることもあるはず。) 『値段が高い』 や 『いらない』 と、言われても、諦めたり、くじけたりする必要はない。 例えば、「もし、この商品が無料でもいりませんか?」「気に入ってくれているなら、差し上げますよ」など、揺さぶりを掛けながら、本音を聞きだしていく。 大抵、「もし無料なら。使ってみようかな。」など、好意的な反応を示してくれるはず。 そこで、すぐに売りに走るのではなく、昨日のブログ 購買意欲をくすぐるには。 のように、お客様にとって、 『その商品やサービスのある生活を想像させ、どんどん膨らませていく。』 購買意欲が湧いてくると、 さっきまでは『高い』や『いらない』 だった、 反応が『欲しいけど、〇〇円位なら、良かったんだけど。』や『同じようなものを持っているから』 など、営業マンにとって、壁が低くなり、販売するまで、一歩も二歩も前進していく。 他の断り文句であっても、商品やサービスの特徴や利点、欠点などをしっかりと認識していれば、切り崩す方法は、見つかるはず。 僕が、断り文句を潰していく営業手法を好んだのは、お客様との距離感が、一つの断り文句を潰すたびに、縮まり、契約時には、もう何年も前から知っている間柄のような、人間関係が築くことができ、それは後々の紹介営業にもつながっていく。 紹介営業ほど、楽な営業はない。 どうしても、営業の仕事には、ノルマがあり、そのノルマの呪縛に囚われてしまう営業マンが多いけど、一つ一つの契約を大事にし、紹介営業をプラスすることができれば、ノルマも自分の

購買意欲をくすぐるには。

営業の仕事で、お客様の購買意欲をくすぐり、高めることは重要になってくる。 そして、それは簡単に誰でもできることだ。 商品やサービスを体験・体感したり、触れさせる。そして、その 商品、サービスがある生活を想像させるだけでいい。 ただし、高額な商品やサービスには特に、営業マンとお客様の境界にある壁が高く、警戒心や抵抗感、遠慮などの阻むものがあり、容易に体験や触れさせることが難しい場合があったり、それとは正反対の全く購入する意識がないのに、体験や触ろうとするお客様(所謂、冷やかし)も多かったりする。 自分とお客様との間にある壁は、焦らず徐々に、低くしていく必要(取り除く必要はない)がある。 壁がある時に、無理強いすると、壁はさらに高くなり、警戒心だけが強くなってしまっては、どうしようもなくなってしまう。 扱っている商品にもよるだろうけど、僕は、お客様との間にある壁を低くするために、よく、その 商品につながるだろうキーワードを含んだ話や質問 をすることが多い。 『世間話で心を開く』など、的外れな教えられ方をする場合もあるけれど、それは間違いだ。 誰が、見ず知らずの他人と世間話をしたいのだろうか。 新規開拓であれば、最初に挨拶、商品の概要程度を説明し、最初の一つ、二つは、あえて商品に関する質問をしてみる。(最初から、遠回しだと逆に警戒心を高めてしまう。) そして、その質問ででた、お客様の反応や答えから、キーワードを含んだ、話や質問を盛り上げていく。 例えば、『水』を販売しようと思ったら、 〇〇「〇〇の〇〇です。水のご紹介にきました。」 〇〇「△△さんは、普段、お水を購入されていますか?それとも、水道水をご利用されていますか。」 △△「家は、水道水です。」 〇〇「そうですよね。蛇口をひねれば、飲める水がでてくるのに、わざわざ購入する必要はないですよね。」 △△「だから、必要ありません。」 〇〇「そうですね。ところで、△△さんは、ご飯とパンでは、どちらを多く、食べられますか?」 △△「パンです。」 〇〇「その際に、コーヒーか何か、お飲みになりますか?」・・・・ こんな流れで進めながら、最初は、単語、単語で会話が切られても、次第に会話になってくる。そして、お客様から、質問や相談がでてくるようになったら、こっちのものだ。

見込み客とは?

僕は、お客様を育て、契約に導くことは苦手なので、今回は、そんな人にだけ見て欲しいと思う。 営業の仕事をしていると、見込客をどれくらい抱えているかで、 『今月は、ノルマを達成できるな』 とか 『今月は、いくつ(いくら)契約できるな』 など、気持ちに余裕を作ることができる。 しかし、僕は、それが苦手だった。 ひたすら、新規開拓をすることが全ての営業活動を送っている。 僕の見込み客は、ほぼ1~2週間あれば、契約できる案件ばかりで、見込み客と言うより、契約が確定し、いつ契約を交わすかだけだった。 なので、あくまでも、 『こんな考え方もあるんだ。』 と、参考程度にして欲しい。 僕は、見込み客は、いらないと思っている。 営業の基本として、1件の契約を取るために3倍(3件)の見込み客を確保し、その見込み客へ導くための潜在客として、最低10倍(30件)の顧客を抱える必要がある。 (商材によっては、さらに多くの潜在客が必要) そして、さらに10倍(300件)の新規開拓を行うことで、安定して、1件の契約が取れる。 ただ、僕が見込み客にこだわらなかったのは、自分の気持ちに余裕ができ、甘えが生じてしまうからだ。 さらには、契約ではなく、見込み客の確保がメインになり、本来の仕事(契約を取る)とは、かけ離れていってしまう。 そうすると、契約をする?しない?の結果を恐れてしまう。(契約を取るより、見込み客が減ることが怖くなる) そうなってくると、本末転倒だ。 本来の最優先は、契約であり、そのための見込み客がったはずが、契約より、見込み客の数の多さだけにこだわってしまう。 大抵、その原因は、営業会議と言う名の見込み客だけで優越を決めてしまう、くだらない結果報告と、何とか体裁やプライド、自分の営業としての存在を守るためだけしかない。 僕は、見込み客を抱えることは、決して悪いことではないし、会社組織として、売り上げ見込みが立ち、今後の会社の方向性を定めるためにも重要だと思う。 しかし、契約により近い見込み客にアプローチを掛けることは、営業として必要だが、契約に遠い見込み客にアプローチを掛け続けることは、 時間の無駄 でしかない。 会議のための見込み客は、早目に結論(いい結果でも、悪い結果でも)をだし、自分が抱えている見込み客のスリム化を図るべ

どうしたら、欲しくなる?買いたくなる?

営業の話をする前に、どうして、人は商品やサービスに、お金を払うのか? 考えたことは、ありますか? 営業の仕事をする上で、その 『なぜ、お金を払うのか』 を考えないと、仕事が安定してこない。 営業だけではなく、様々な仕事に通じる 『仕事の基本』 にも、なると思う。 『なぜ、お金を払うのか』 購入することでメリットがある。 欲求が満たされる。 から、商品やサービスに、お金を払っても良いと思う。 それなら、それを叶えてあげれば、自然と商品やサービスを販売することができる。 (むしろ、 「ぜひ売ってください。」 に、なるはず。) そうすると、 商品やサービスを購入することでメリット があることを知らせる、思わせることが大事だ 。 それには、 販売する商品やサービス を知ることが重要になってくる。 よく、他人がしっかりと理解するように説明や教えるには、 5倍以上の知識 が必要になると言われるが、その通り、 販売する商品 やサービスをとことん知るべきだと思う。 そして、 欲求を満たすため には、物欲・食欲・流行欲・認知欲など、様々な欲求があるなかで、その人がどの欲求を満たしたいと考えているのか知る必要がある。 そのためには、会話を交わす中で、要所要所にでてくる、 こだわりや心配ごと を聞き出せれば、どの欲求を満たしたいから、その商品やサービスを欲しいかな?と考えているのかわかるはず。 もちろん、営業を仕事とすると、その 商品やサービスを欲しいと考えていない人 にも販売しないと仕事にならない。 (特に、 歩合給が発生する営業 はそのケースが多いと思う。) それでも、人が 商品やサービス を購入するに至る基本は一緒だから、難しく考える必要はない。 ただ、上記に書いた内容を逆に進めれば良いだけだ。 会話をする中で、その人がどの欲求を満たしたいと考えているかを知り、その欲求に提供する商品やサービスが関係するポイントを見つけ(時には、誘導も必用)、その商品やサービスをPRし、求めている欲求を満たすことで簡単に商品やサービスを販売することができる。 営業の仕事を毛嫌いや苦手意識のある人は、難しく考えすぐだと思う。 たった、これだけで簡単に営業の仕事は成り立つ。 会話のコ

あなたの営業スタイルは、どちら?

営業スタイルを大きく2つに分けると、 『買う理由を気付かせる営業』 と 『買わない理由を潰していく営業』 になると思う。 前者は、購買意欲を営業トークや営業ツールを使うことで、高めていき、お客様が 『欲しいかな』 から 『欲しい』 に変わった瞬間に契約を促したり、販売する営業スタイルだ。 そして、後者は、 『欲しいかな』 と、最初にお客様が少しでも思っている(感じている)ことが前提で、いくつもある、 『買わない言い訳』 を消していき、 『買う』 の選択肢しか無くなった時点で、契約、販売する営業スタイルだ。 もちろん、たった2つの営業スタイルで契約、販売できるほど、甘い世界ではない。この2つをお客様の状況や、その時の心理などに応じて、巧みに入れ替えながら、最終的に契約、販売に結びつけていく。 販売する商品にもよるけれど、僕は、後者の 『買わない理由を潰していく営業』 を得意としている。 全く、事前に 『欲しいかな』 と思っていない、お客様に対しては、前者の 『買う理由を気付かせる』 、ほんの僅かでも、お客様が思った瞬間から、自分の得意なパターンに持っていく。 営業スタイルは、扱っている商品にもよって、変わってくるけど、なぜ、僕は後者の 『買わない理由を潰していく営業』 スタイルを得意としたかは、契約、販売までの時間はかかるけれど、より確実性が高く、キャンセル率も極端に低く保てると僕は考え、営業の仕事で結果を残すにためには、性格的に後者が僕に向いていると判断したからだ。 営業スタイルの詳細、方法は、後日、改めて書きたいと思っている。 営業の仕事をしていて、販売方法に悩んでいる人は、ぜひ楽しみにして欲しい。 このブログが切っ掛けで、営業の成績は、上がると思う。 自画自賛だけど、営業には自信がある。 最後に、営業の仕事で悩んでいる人へ。 人は、誰でも 『物欲』 があり、 『何かを買いたい』 と、 『いつも』 思い、その 『何か』 を 『いつも』 探している。 そして、お客様は、営業マンに似てくる(夫婦が似てくるのと一緒)。だから、営業方法で迷ったら、自分がどう営業されたら、契約、買ってしまうのか考え、そのスタイル(自分の得意なパターン)に持っていくかを考え行動すれば、簡単にある程度の結果は、必ず残せるはず。 実際、僕は、

他人を変えるためには。

僕は、このブログで何度も他人を変えることは難しい。だからこそ、自分が変わるべきと話しているが、決して、変えることができないとは、思っていない。 しかし、もの凄い根気がいるのも事実だ。 僕は、今、ある同僚をもっとしっかりした社会人になるように変えようとしている。 僕から見て、普段の行動がとても幼く、このままではいけないと、僕が思っているからだ。 (あくまでも、僕の主観であり。本人はそのままでいいのかも知れなく、余計なお世話かもしれないが。) 僕が今、試しているのは、徹底的に衝撃を与えることだ。 年齢こそ、僕の方が全然上だが、仕事では、数年先輩になる。 年上として、見ている半面、 『自分の方が仕事では先輩だし、後輩にとやかく言われたくない。』 と言うのが本音だと思う。 そんな人に、影響を与えるためにも、衝撃は必要だと思う。(徹底的と言っても、グチグチ、しつこくしている訳ではない。) 他人を変えるためには、 『変化したことで本人にとってのメリット。』『憧れの人のように影響力がある人になる。』 など、僕のためではなく、本人に自分から変化したいと思わせなければいけないと思う。 自分を変えるのにも、 『誘惑を乗り越え、自分を変えるんだと思う。』 強い意志が必要になる。 それが、他人を変えるとなると、その人に 『誘惑を乗り越え、自分を変えるんだと思う。』 と、強い意志を持たせないといけない。 やはり、容易なことではない。 しかし、決してできないことでもない限り、僕は試してみる。 もし、僕の方法で、変えることができた時、堂々と他人を変える方法として、ブログに書きたいと思う。 今は、試行錯誤している段階(まだ、スタートしたばかリ)だが。 良い結果を出したいと思う。 そのためにも、エゴを捨て、本音でその人のことを考えた行動をしたいと思う。

同じ失敗は、何度まで?

僕は、同じ失敗を繰り返すのは 『やる気がない』 だけだと、思っている。 一度、二度は、経験として、どんどん失敗するべきだと考えているけれど、三度以上、同じ失敗を繰り返すのは、正直 『やる気がない』 と思う。 唯一、当てはまらないとすれば、職人やスポーツ選手のような、技術を有する仕事や、技術面だと思う。 僕は、職人の世界に身を置いたことがないから、詳しくはないけれど、スポーツでパスミスなどを失敗と捉えると、一度、二度のミスを経て、全てミスなく、パスできるなら、世界でトップを取っているはずだ。 極端な話は、別にして、なぜ、失敗したのか、同じことを繰り返さないためにも、 なぜ、失敗をしたのか? 自分に足りなかったのは、何なのか? 何をしなくては、ならないのか? 何を学ばなければ、いけないのか? を考えなければ、いけない。でないと必ず同じ失敗を繰り返す。 失敗した過程には、様々なシチュエーションがあり、今回の失敗は、今までと状況が違ったと思う時があるかも知れない。 しかし、 『全てのシチュエーションを経験しなければ、失敗を繰り替えすかもしれない。』 と、いうことは、間違いだ。 人には、想像する力がある。 『こういう場合はどうする?』 など、一度の失敗に対しても、様々な状況を想像し、状況が変化したとしても、失敗を繰り返さないよう改善策を考えることはできる。 でも、同じ失敗を繰り返す人は、 『誰かが、その前に教えてくれれば』 や 『あの時、あんなことが起きなければ』 など、自己弁護のための想像しかしない。 自分は悪くない と、思いたいから。 それでは、たかが知れている。 僕は、失敗した時、最初は 『いい経験をした。二度と繰り返さないようにしよう。』 と、心に誓い、二度目には、 『同じ失敗を繰り返すのは馬鹿だ。馬鹿には、なりたくない。そのためには、どうする?』 と、自問自答する。 おかげで、失敗を あまり 、繰り返さずに今までやってこれた。 自己弁護し、自分の失敗を周りや状況のせいにしてしまうのは、簡単だし、自分の プライド も保てる。 しかし、それは、一時の自己満足でしかない。 そんな、小さな プライド は、捨てるに限る。 それよりも、今の自分より、少しでも(一歩でも)、上を目指す気持ちこそが、

苦しい時こそ、笑顔を大切に。

僕にとって、 『笑うこと』 は、自分を前向きにしてくれる魔法の薬だ。 どんな、嫌なことや苦しいことがあっても、 『笑顔』 を作ることができれば、まだまだ、自分には 『笑顔』 を余裕がある。 もっと、嫌なことが続いても、苦しくても、まだまだ耐え、乗り切ることができると思えるからだ。 僕は、幸いにも 『笑顔』 を作れなくなるほど、嫌なことが待ち受けていたり、苦しい経験をしたことがないだけかもしれないけれど。 しかし、こんな僕でも、 『一日一回でも笑えたから、今日は幸せだった。』 と、自分に言い聞かせる日々を過ごしたこともある。 無理矢理、笑えるようにしていた。鏡では見てないけれど、ギクシャクした笑顔だったかもしれない。 でも、無理矢理でも笑える何かを探し、笑うことを続けることで、物事を前向きにとらえることができるようになってくる。 そんな時に、 『本当に不幸のどん底で、先が全く見えない暗闇なら、笑えるはずがない。』『僕なら、大丈夫。』 と、自分に言い聞かせる。 なぜなら、目の前には、 『希望の光』 が、見えてくるはず。 前向きに考え始めた時に、無理矢理でもプラス思考に持っていくことで、一気に流れを変えてしまうことができる。 僕は、嫌なことや苦しい時、 『笑顔(笑うこと)』 で、乗り越えてくることができた。 実際、 『笑顔(笑うこと)』 には、目に見えない力があると思う。 どんな時でも、 『笑顔(笑うこと)』 が、自分に良い流れを引き寄せてくれるはずだ。 これは、僕みたいな楽観的な人だけではなく、みんなが持っている、不思議な力だと思う。 『笑うこと』 は、素晴らしいことだ。 どんな、嫌なことや苦しみからも、脱出する道を照らしてくれる。 最初は、作り笑いでも、その内、心から笑うことができるはず。 心から笑えることができたら、幸せだし、進む道も、必ず明るいはずだ。 だから、僕は今日も笑っている。

自分の器を大きくする。

よく、人を評価する際、 『あの人は器が大きい・小さい』 など、器に例えられる場合がある。 人としての器は、小さいより、大きい方が良いに決まっている。 どうしたら、器を大きくできるんだろう。 器の大きい人と言われて、想像することは、 何でも受け入れてくれる。 認めてくれる。 細かいことを気にしない。 などが、思いつく。 それなら、どうすれば自分の器を大きくすることができるだろうか。 僕の場合は、人の器とは、 『成長する、お茶碗(器)』 と、考えている。 日々、お茶碗を使用し、 『食べる量(経験)』 に変化がなければ、大きくもならず、小さくもならない。 『食べる量(経験)』 が多くなると、自然に、こぼれ落ちないよう 『お茶碗(器)』 も成長していく。 そんな魔法のお茶碗だ。 もちろん、 『食べる量(経験)』 が減ると、 『お茶碗(器)』 も、徐々に小さくなってしまう。 なぜ、こんな子供だましの例えをするのかと言うと、 『今の自分に満足しない』 貪欲さが、人の器を大きくしていくと思っているからだ。 決して、他人より、 『上や優位に立ちたい』 など、今の自分を量るのに、他人を利用するのではなく、 『今日の自分より、明日の自分』 と、自分自信を評価基準として、成長していく必要がある。 そして、自分を成長させていく、一番の方法は、 『経験だ。』 これに、勝るものはない。 しかし、誰にも、平等に時間は流れていて、人の倍の経験を積みたいと思ったら、人の倍の時間を必要とする。 ならば、経験する中身を濃い物にしていくしかない。 (スライムだけの経験ではなく、より強い敵から、経験値を得る。) 中身の濃い経験にするには、 『人の話(経験)』 をよく聞くこと。 『人の話(経験)』 を自分の経験とするこもできるし、近道を教えてくれることもある。 また、流れを読むことも必要だ。 川の下流から、上流に泳ぐには、相当の体力が必要だが、上流から下流へは、比較的泳ぎやすい。 ただし、全体を把握していなければ、泳いだ先に、大きな滝があるかも知れないし、近くに船があるかも知れない。 流れを読むには、先ずは細かいことなど、気にせずに、周りを見渡す。 その中で、気になる

仕事とうつ病。

正直、僕は、仕事のストレスからくる、うつ病などを発症してしまう人とは、正反対に位置していると思う。 しかし、今の日本の社会で、ストレスからくる、うつ病などの精神障害は深刻になっている。 僕は専門家じゃないし、ネットで特に検索したわけではないので、あくまでも僕の主観だが、以前より、遺伝的に精神障害が発症しやすい人の割合は、多くなっていないと思う。 ストレスなどの外的要因によって、後天的に発症している割合が多くなっているんだと思う。 それは、なぜだろう? 昔は、体力重視の仕事が多く、ストレスがたまりづらかった。 人間関係が希薄になった。 核家族化が進んで、ストレス耐性が弱くなった。 など、様々な要因があると思う。 うつ病などの精神障害は、一度、発症すると、中々、本人だけで克服することは困難になってくる。 支えてくれる人が必要になり、支えられる側、支える側、両者ともに、負担がかかってくる。 僕は、医者ではないので、発症した人に、どう克服するかなど、伝えることはできない。 でも、これ以上、進行すると精神障害の可能性が発症するかもしれない、予備軍の人であれば、僕の持論も参考にして欲しい。 僕は、基本的に一人で何もできない人だ。 仕事も多くの人の力を借りるし、家庭でも、一人では、料理すらできない。 野生の動物であれば、淘汰されているだろう。 しかし、僕は生きているし、仕事もしている。 それは、 『自分一人で生きている訳でも、何でもできる訳ではない。』 と、認めて、僕の人生に多くの人を巻き込んでいるからだ。 僕なりの観察では、ストレス耐性が弱い人は、 『何でも自分がやらなきゃ』や『自分が正しいのに、なんで?』 など、 『自分が』 という思いが強い。 先ずは、そこから脱出し、 『自分が』から『誰が』 に変えていくべきだと思う。 決して、他人に全てを任せるのではなく、やれることはやる。しかし、時間的、得手不得手など、他人に任せた方が良いと判断した場合は、他人に任せる。 その際に、重要なのは、何でも任せてしまっては、 『周りから反感をかってしまう。』『何もできなくなってしまう。』『周りがストレスから、疲れてしまう。』 など、弊害もでてくる。 だか

仕事で正義感は、大事?

ある程度の正義感は、仕事でも大事になってくるとは思うけれど、強すぎると仕事にならない。 僕の経験では、商品の粗利を知ってしまうと、営業マンは、営業の仕事として、役に立たなくなってしまう。 それは、 『お客様に損をさせているんじゃないか?』 と考え始めたり、 『自分の都合で、価格(値引き)を変えてしまったり』 と、会社としては、扱いづらい営業マンになってしまう。 お客様にとっては、ありがたい存在かも知れないけれど、会社にとっては、決してありがたい存在ではない。 会社は、あくまでも利益を追求する組織だ。ボランティアではない。 『安く買って、高く売る。』 が、商売の鉄則だ。 そこに、感情が、入る余地はない。 例え、粗利が高い商品であっても、需要と供給のバランスがあり、その中で価格設定されている。 もちろん、時代の流れを読めずに、これまで、粗利が高く取れていた商品をいつまでも同じ粗利設定で販売していては、競合他社に負けてしまうことも考えられる。 しかし、その一線を決めるのは会社組織であって、個人ではない。 正義感が強いばかりに、自分の世界だけに縛られて、勝手な行動は、会社組織の根底を揺るがしてしまう。 粗利で言えば、粗利を高めるためには、『高く売る』『安く仕入れる』『無駄な経費を削減する』など、業種によっては、まだまだ方法は沢山ある。 だが、正義感の強い人は、自分の中だけで基準を決めてしまい、結果的に一部だけしか見ておらず、全体を見ることができていないことが多い。 何も、会社の指示通りに全てを行う、 『社畜』 になれと言っている訳ではない。 中途半端な正義感は、良くないと思っているだけだ。 会社全体、取引先企業、お客様と全体を知り、その上で、会社にとってのメリットをアピールする必要がある。 正義感が強い人は、そこの配慮が足りない。 お客様のために、 『商品を安くしたい。』 『会社からは、これ以上の値引きは許可されない。』 『取引先企業を叩いて安く仕入れる。』 『結果、会社から値引きの許可がおりた。』 『お客様に安く提供できた』 上の例だと、上手く、いったように見えるけれど、『取引先企業』をないがしろにしてしまっている。 その結果、『取引できなくなり、お客様がその商品をリピートや故障修理したくてもできず

みんなは、自意識過剰な人に対して、どう対応している?

職場に、自意識過剰な人は、必ずいるはず。 そんな時、みんなは、どういう対応をしている? 僕は、どんな仕事でも、人並み以上の仕事をすることは、決して難しいことではないと思っている。 人並み以上が、どのラインなのかにもよるとは思うけど、僕より、その仕事がを数年程度長く経験している程度ならば、数カ月もあれば追いつける自信がある。 但し、その職種の平均をやや超える程度であればだが。プロ中のプロ。エキスパートと呼ばれる人には、一生かけても、追いつけないと思う。 僕だけではなく、平均程度であれば、ちょっと頑張れば、誰でもできると思う。 『必ず、できる』 と、思う力と、 『必ず、やってやる』 と、決意があれば、誰でもできる。 平均程度とは、そんなもんだと思う。 平均を超える為には、更なる 『努力とアイデア、そして、今の自分に満足することのない欲求』 が、必要だと思う。 しかし、最近はプライドだけ、やたら高く、中身が追いつてこない人が非常に多く、相手になる程の人はいない。 ちょっと、自分が負けたと思えば、勝つための努力では無く、相手の足を引っ張ることや、邪魔、罠に嵌めてしまうことばかり考える。 そんな、くだらない人に負ける訳がない。 僕は、 『自意識過剰な人』 は、この平均程度をわずかに超える程度の人が、非常に多い。 もちろん、僕も、その中に入っている。 なぜ、自意識過剰になってしまうのか?僕なりの解釈では、たいした努力をしなかったのにも拘らず、『 たまたま』 人より、上手にできてしまったことが原因じゃないかと思う。 過剰に自分の評価を自分だけで、勝手に高めてしまう(自惚れる)。 それが、自意識過剰な人になってしまう要因だと思う。 だから、自意識過剰な人は、 『自分より上を見ずに、自分より下を見る。』 自分が、周囲の人より上に立っていることのみが重要で、自分が人より、下になる場面は避けるし、目を伏せてしまう。 『井の中の蛙・・・』 が、正しく自意識過剰な人だ。 それならば、そんな 『自意識過剰な人』 と上手く付き合うために、僕は 『力で押さえつける。』 もしくは、 『話半分、ほとんど無視』 の、どちらかの対応をしている。 前

希望の党のニュースを見ての疑問。

ニュースを見ていて、『希望の党』の小池都知事の責任が・・・。 選挙での結果に批判がでるのは、ごく当たり前だと思う。 政治の話は、なるべく避けるようにしているし、小池都知事のファンでもアンチでもない。 しかし、最近の『希望の党』のニュースを見ていると、利用するだけ利用して、自分に成果が現れなかったことを小池都知事に責任転嫁して、自分に責任がないことのアピールや 『他人のふんどし』 を奪うことだけ考えているように思える。 政治の世界の上下関係、実力は、よくわからないけれど、そんなことばかりしているから、政治への関心が高まるはずがない。 選挙に負けたなら、何が自分に足りなかったのか?を考えるべきだし、政策もしっかりとポリシー持って貫いて欲しい。 選挙に勝つためだけの政策に、みんなが気付いているから、政治への関心がないことに。 仕事でも同じだと思う。 何でも(特に失敗を)、人のせいにする人に碌な人はいない。 なぜ、失敗したのかを 『自分に非がある』 ことを前提に考えないと、何も変わらない。 人のせいにすれば、簡単だし、自分のプライドも保てる。 しかし、必ず同じ失敗を繰り返す。 (他人を変えることが容易にできる力がある人は別かも知れないが) 僕は、言葉は悪いけれど、同じ失敗を繰り返すのは、 『馬鹿』 だと思う。 誰でも、失敗は必ずする。一度、二度繰り返すのは、経験の一部としてするべきだと思う。 しかし、何度も繰り返してはいけない。 そのためには、なぜ、失敗したのか 『自分に非がある』 ことを前提で今後のことを考えなければいけない。 例え、99%相手に非があったとしても、1%の 『自分の非』 を認め、改善しなくては、同じ失敗を繰り返す。 今の政治の世界も同様。 自分に魅力がないから、負けたことを認めないと、まぐれで次の選挙に勝ったにしても、その次はない。 時代の流れに乗ることは、悪いことではなく、むしろ良いことだとは思う。 しかし、その流れを 『利用してやろう』 と、思っていること自体が自惚れだと思う。 時代の流れは、簡単に利用できるほど、優しくはない。 時代の流れを見極め、ただ流されるのではなく、流れに逆らわず、でも、自分の力で泳げる人に政治を任せたいと思う。 時代の流れに乗らず、灯台のように、真直ぐ