スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(上司)が付いた投稿を表示しています

何度も同じミスする部下と何度も同じように怒る上司

僕の職場での日常的な風景で、何度言っても分からずに、同じミスを繰り返す同僚がいる。 今週は、僕もとばっちりを受けた。 その同僚が受けた商品を僕が届けた際、商品が違っていたのだ。 お客様からは「これと同じものと現物を見たのに間違えるのは、有り得ない」と。 (本当は、もっとキツイ言葉だったけど) お客様の立場に立てば、怒るのは当たり前だ。欲しい物が手に入らないのだから。 しかし、その同僚の言訳は「商品が隠れていて、ちゃんと確認しなかった」と。 僕は、その場にいなかったので、『見た・見ない』は、別に大きな問題ではないと思う。 しかし、なぜ別の商品を選んだのかが、僕には不思議でしょうがない。 このようなミスをその同僚は、週に一度はしてしまう。 悪気があるのか?と、疑ってしまうくらいだ。 当然、その後は、上司に怒られる。 いつもの風景だ。 正直、僕も呆れてしまう。 物事には、理由があるように、ミスにも理由があるはず この場合、通常「確認を怠るな」など、ミスをした原因を突き止め、その原因の改善に努めるのが上司の仕事だと思うけれど、僕の同僚のような場合には、もう一、二段階、掘り下げなければいけないと思う。 なぜ、確認しなかったのか?(できなかったのか?) なぜ、確認が必要なのか。 商品が違うとどうなるのか? のように、掘り下げずに怒るだけでは、同じミスを繰り返すのは、目に見えて明らかだ。 僕は、立場的にその同僚の後輩になるので、あまり口を出さずにいたけれど、そろそろ変わって貰わないと僕にシワ寄せがきても、たまったものじゃない。 こうして、影で愚痴ってるだけなのも僕の性格的に合わないので、今度、時間を作って話をしようと思っている。 僕が考えるには、その同僚には、もっと深い、根の方に何かが隠されていると思う。 例えば、 人見知りで、会話が上手くできない。 無知と思われたくないため、知ったかぶりをしてしまう。 忘れやすい 興味がない が、考えられると思う。 本人が、確認をしようと思っても、確認する機会を見逃したり、失ったのでは、確認できる訳がない。 そこに、いつものように「確認しろ」と、怒られても、本人は反省どころか、どうしていいのかわからなくなり、心の中で「でも

指示待ちの社員は、正しいのか?間違っているのか?

職場で、必ずいるだろう、指示をひたすら待つ社員。 「ちょっとは、自分で考えろよ。」と、思うこともあるけれど、本当に間違っているのだろうか?と、ふと、疑問に思う時がある。 今の日本の殆どの会社では、上司からの 『指示』 を待ち、それを忠実、確実に実行することが求められることが多い。 積極的にオリジナリティや改善案を提案しても、 『邪魔者扱い』 されてしまうし、只、言われた通りのことばかりしていると、 『できない社員』 扱いされてしまう。 指示待ちは、正しくもあり、間違いでもある。 『バランス』 感覚が優れている人は、 『指示』 を待つもの、 『自分で判断』 するものを区別し、実行していくけれど、そんな人ばかりではない。 『何をどうしたら良いのか、わからなくなってしまう』 人も少なくないはず。 本来は、この 『バランス』 を上手に操るのが管理職の仕事であり、誰にでもわかるように明確なラインを引くことが部下を持つ上司としての役目だ。 しかし、そんな上司ばかりではない。 上司の顔色を伺いながら、そのラインを巧みにコントロールすることが、仕事を自分のペースで楽しくすることができる秘訣だ。 だったら、そのラインの上げ下げは、どうしたらいいのだろうか? 僕は、基本的に一度、指示を受けたものは、再度、指示を待つことはしない。 しかし、たえず状況は、変わってくる。 だから、「今回は、こうでいいのか?」確認は、行うようにしている。 指示されるのではなく、指示を促すのだ。 もちろん、上司が忙しくしている時などは、確認を後回しにして、事後報告する場合もある。 どちらにしても、指示を待っているより、早く仕事を進めることができる。 ただ、 『出る杭は打たれる』 じゃないけれど、人の上に一度立つと、 『教える快感』 に捉われ、自分に聞かずにことを進める部下を好ましく思わない上司も必ずいる。 そんな上司は、たいていが 『使えない上司』 だけれど。 そんな場合には、積極的(いつもより多く)に 確認 、 報告 をするようにしよう。 そして、初めて経験する(聞いた)ことは、できる限り 相談 しよう。 どちらの場合であっても、「さすが」「聞いて良かった」など、自分の言葉(仰々しくない)を添えるように。 それだけで、上司に可愛がられる

厳しい上司と優しい上司。

僕が部下を持っていた時、どちらか(間違いなく)というと厳しい上司だった。 今振り返ってみて、少し厳しすぎたかなと思う時もあるけれど、間違ってはいなかったと思う。 自分の部下に、 『仕事を楽しんで欲しい。』『成長して欲しい。』 と、本当に考え、とった行動だ。 ただ、今の人たちを見ていると、厳しい上司よりも、優しい上司の方が、成長しやすいのかなと思う時も、多々ある。 最近の 『怒らずに諭す』 教育方針も関係していると思うけれど、あまり怒られた経験が少ないのか、上司に怒られたときの対応を見ていると、 『悔しい』 や 『見返す』 よりも、臆病になってしまう傾向が強い。 それでは、厳しくしてもしょうがない。 『いいなりになる社員』 を作ることができても、本当の意味での 『仕事ができる社員』 に育てることはできない。 もちろん、全てに優しい上司は、存在しない。 それは、 『仕事は、そんなに甘い物ではないからだ。』 今の時代、会社を維持することすら、容易なことではない。まして、会社を成長させるには、並大抵のことではない。 慣れや油断などから、すぐに、足元をすくわれてしまう。 そうならないためにも、厳しい一面が出るのは、しょうがない。 ただ、僕は、会社の一番の財産は 『人』 だと、思っている。 これは、ブログ用の自分を良い人に見せようとしている訳ではなく、純粋にそう思う。 誰も、一人で生きてはいけない。これまでも多くの人と関わってきたはずだ。 人(社員)を大事にし、人(社員)から、好かれる会社になれば、その波及効果は、大きな力になる。 人(社員)から、嫌われる会社は、悪い意味での波及効果が大きくなり、将来性が見えてこなくなってしまう場合もあると思う。 だからこそ、上司は、 部下が成長する道筋を作らなければいけない。 そのためにも、時代や人材に合わせた部下への対応を考えて行かなければならない時代だと思う。 ただ、僕がこれまで出会った中で、自分勝手に怒る理不尽な上司は、問題外として、厳しい上司が根本的な優しさを持ち、優しい(外面がいい)と思っていた上司の方が、裏の顔を持ち合わせ、部下よりも、自分のことばかり、考えている上司が多かったと思う。 これは、僕の持論だけど、 『厳しい上司は、自分にも厳しい』 し、 『優しい上司は、

怒られ続けると、どうなる?

僕の同僚の中に、毎日毎日、怒られている人がいる。 「本当によく、怒られるなぁ」と、ある意味、感心してしまう。 なぜ、彼は、毎日怒られ、それを直すことができないんだろうか。 以前、 怒られたくない! でも、触れたように、仕事が全て、後手後手になってしまっている。 どうしたら、怒られないかを考えた末、指示されるのを待つだけになってしまったり、やりかけの仕事を投げ出してでも、上司の指示に従い、結果、投げ出した仕事の件で、又、怒られる悪循環に陥ってしまう。 人には、 想像したことを実現する力 を持っている。 そんな 力 が、 『怒られたくない』 と思いが強くなりすぎて、逆に、 『怒られる状況』 を生み出してしまっている。 (怒られている姿を想像してしまっている。) なら、その悪循環を断ち切るには、どうしたらいいのだろうか? 僕なら、開き直る。失敗や不手際で怒られるのは、しょうがない。 それは、それ。次は、次。その失敗や不手際を超える成果を残せばいいだけだと、僕は考えている。 ただ、僕は、人よりもメンタルが強い方だから、できることかもしれない。 しかし、メンタルが強くないと、怒られ続けることで、臆病になってしまい、全てが悪い方に考えてしまい、そこからプラス思考に変えることは困難になってしまう。 本当は、上司が、さじ加減で、『怒る』『褒める』を使って、部下を巧みに扱うべきだと思うけれど、それは他力本願でしかないし、僕の同僚もそうだが、上司が怒りやすい人材であったり、性根が合わないのかもしれない。 そこで、諦めたら(逃げ出したら)、一生、諦める(逃げる)しか、なくなってしまう。 自分の道は、自分でつくるべきだ。 では、どうすれば、その悪循環から、脱出できるのだろうか? 僕は、まず 『褒めらる』 ことを目標とするべきだと思う。 『怒られる』 のが、怖いと思う人は、 『褒められる』 ことを好む傾向にあると思う。 上司を研究し、 『何をしたら、喜ぶのか』 を考え、上司好みの部下を演じるしかない。 すぐに 『怒る』 上司は、案外単純で、自分が気に入れば喜ぶ。 最初はこそ、上司にもこれまでの状況(怒り続けた)もあり、素直に誉めたりしないと思う。 しかし、上司の気に入る状況が続けば、自然と 『褒める』 環境ができてくる。

出世するために何をする?

僕は、肩書に興味はない。これは、自分も出し、相手に対しても同様だ。 もちろん、礼儀をわきまえた上で、役職がついていようが、ついていまいが関係ない。 その人の行動、仕事っぷりを見た上で、人間性を判断している。 役職がついていなくても、尊敬すべき人は沢山いるし、役職がついていても、何も得るものがない人もいる。 そんな、僕が以前の会社で、それなりの地位についたのには、理由がある。 それは、自分が興味のある、仕事をしたいと思ったからだ。 会社組織の中で、自由(もちろん、何でもかんでもではない。)に仕事を進めたり、新しい取り組みを行おうにも、一般社員には、中々チャンスが巡ってこない。 しかし、それなりの地位を得ると、自分の口から発する言葉に 『力』 がついてくる。 『力』 のある言葉は、会社内でも影響力が強く、会社組織、そのものにも大きな影響を与えることができる。 実際に、今まで誰もが疑問に思いつつも、従っていたことを変えたりすることができた。 そのために、僕が行ってきたことは、上司にゴマを擦ったりではない。 実際は、出世を決めるのは、上司だから、早期出世を望むなら、ゴマを擦っていくのも一つの出世術だと思う。 ただし、その上司が出世街道から、外れてしまったら、道連れになってしまう可能性もあるけれど、その兆候が見えた時点で、上司を上手く乗り換えていけば、問題ない。 ただ、僕は役職などに興味がなかったので(自分の興味ある仕事ができれば良かっただけなので)、とことん、結果を残すことにこだわった。 もちろん、これまでの会社史上、最高の結果を残せる実力があれば、それだけで自然と出世したかもしれない。 しかし、僕には、そこまでの実力はなかった。 だから、結果を残しながら、自分なりに行っていることをアピールしていった。 これまで、会社内で常識だったことを少しづつ、自分なりにアレンジし、効率が良く、結果を残せることを上司に見せることで、階段を登り始めることに成功した。 その中で、一人、二人と部下を持ち、不平不満や前向きな話を何でも聞き、上司に意見をぶつけていった。 その際、マイナスな話は、自分の意見として、プラスの話は、その話を切り出した部下の話として、ぶつけた。 最初は、前向きな話も中々出てこなかったものの、会社に自分の意見が取り

パワハラにあったら、どうする?

昨日の続きで、会社内の人間関係で深刻なのが 『パワハラ』 じゃないかと思う。 ただ、僕には、パワハラをどう解決していいのかよくわからないのが現状だ。 以前の会社で、僕自身も部下に対して、横柄な態度をしていた時もある。転職を進めた経験もあるのが事実だ。 その時は、1年位一緒に仕事をしていたが、中々仕事を覚えず、隠し事やウソもあり、お互いにこれ以上一緒に仕事をしても時間の無駄だと、 僕自身が判断し、転職の話を切り出した。 しかし、立場が変わった今となって考えると、仕事の覚えが悪かったのは、僕の教え方や 仕事に興味を持たせることができなかった からだと思うし、隠し事やウソをつかせてしまったのも、 気軽に相談や連絡できない環境を作ってしまった、僕に原因 があったのだと思う。 ただ、僕の場合は、立場が変わり、視点が変わったからこそ、そこに気付いただけであって、もし、今も同じ仕事、立場であったら、気付かずにいたかもしれない。 パワハラで悩んでいる人も、僕と同じ上司を持ってしまったばかりに、仕事での人間関係に疲れてしまっているかもしれないが、上司がそこに気付くことはないと思った方が良い。 他人を変えることは、簡単なことじゃない。なら、 自分の環境(仕事)を変える か、 自分を変える かのどちらかの選択になってしまう。 環境を変えるのは簡単だが、 マイナス思考的な辞め方 をしてしまうと、次も 負の環境を招きやすい と思う。原因は何であれ、せめて「自分のやりたかった仕事は別にある。」「自分の成長の為。」など、 気持ちだけはプラス思考 でいて欲しい。 そして、自分を変えるには、パワハラ上司はある程度聞き流すしかないと思う。 特に、怒っている時などは、意見も何もなく、聞き流し、上司が冷静な時に、少しづつ自分が変化していることを認識させるしかない。 ちょっとした 、反応の速さ や 言葉使い (お世辞ではない)の変化などで、上司は変化に気づくはず。 上司と言う生き物は、会社の利益や経費などのバランス、効率などを計算しながら仕事をしている。 会社は、利益を確保し続けなければ、破綻してしまうから。 その際に、どうしても過剰な期待(夢や理想に近いかも)もしてしまう。勝手に期待していながらも、期待に応えてくれない部下を目の前にすると小言の一つも言っ

ずるい上司にこそ、報告は重要。

新入社員の多くが、会社では 『報・連・相』 が重要と教えられる。 ほとんどの人が聞いたことがある言葉だと思う。 なぜ、必要なのか? 仕事で 報告 は、ごく当たり前のこと。仕事の経過や過程、現状を報告することは、組織として責任の所在を明確にでき、上司は部下から受けた報告をもとに今後の判断をしていく。 連絡 ももちろん重要。例えば、体調が悪く休む場合など、連絡がなければ、同僚に心配をかけてしまう。主に上司部下関係なく行われるのが連絡になる。 自分で解決できることばかりではないからこそ、 相談 ももちろん重要。 その中で、報告が下手な人が非常に多い。 例えば、上司が忙しそうで報告を後回しにしてしまう。や、自分の判断で大丈夫と思い報告しない。などなど。 部下から報告をしやすい環境を作れない上司にも大きな問題があるが、そこは勇気を持って周りの状況を最低限の配慮をした上で強引に報告をするべきだと思う。 そこで、上司に気を使っても全く意味がない。時には、 「忙しいから後に。」 など、逆に怒られたりする場合もあるし、話を聞いてくれない場合もあると思う。しかし、そこでアクションを起こすことが重要で、アクションを起こした所から、責任は上司に移る。 人のせいにする訳ではないが、責任の所在は明確にしておかないと取り返しがつかなくなる場合もある。個人の場合、数万円などの損失も企業となれば一つの判断ミスが数千万、数億となる場合もある。 そんな責任を取れる個人はそうそういない。 だからこそ、 報告が重要 になってくる。 「上司に責任を押し付けろ。」 という訳ではないが、重要な理由はそこにある。 たまに、ずるい上司が 「部下のミスは部下。自分のミスも部下。」 という上司もいるし、自分の都合でしか話を聞かない上司もいる。しかし、そこで諦めずに報告は徹底しよう。ずるい上司なら尚更、上司に責任を押し付けてしまえ。 上司が聞く聞かない別にして、アクションをおこそう。 こんな話をすると、悪い報告ばかりに思われがちだが、結果を残した場合も同様だ。比較的良い報告はしやすいから問題は無いと思うが。 僕も報告だけはこまめに行うようにしている。責任は取りたくないから。

出世とは。

仕事をしていると、やたらと出世したい気持ちで仕事をしている人がいる。 大抵、本人は仕事が周りの人より、自分が長けていると思っている。 しかし、実際はどうだろう? 僕が見てきた人の中で、仕事ができると思っている人ほど、たいしたことは無い。 何故だろう。 経験から、自分自身の判断でしかないからだと思う。自分の価値観で仕事の優越を決め、自分の価値観でのみ仕事ができるできないの判断でしか、ないからじゃないだろうか。 所謂、自己満足だけだ。 でも、サラリーマンである以上、出世をして、給与も今以上に臨むことは決して悪いことではなく、むしろ全てのサラリーマンに臨んで欲しいと思っている。 出世を諦めたサラリーマンほど、仕事をダラダラして、帰社時間が今か今かと待ち望んでいるだけの無駄な時間を過ごしている。 (極端な意見だとは思うが、そんなに間違っていないと思う。) しかし、多くのサラリーマンは出世から縁遠いのも事実だ。 出世するには、2つの道がある。一つは、上司に媚びを打ってでも気に入られること。そして、もう一つは、下から押し上げて貰うこと。ただし、周りや下から持ち上げてもらうには、それ相応の行動を行わないと無理だと思う。それは、周りや下の人は出世を決める権限がないからだ。周りや下の人に認められ、上司からも認められることは人一倍の努力では足りない。 しかし、周りや下の人から押し上げられ出世をした人は強い。上司からだけ認められた人とは雲泥の差がある。 それは、覚悟あるから。 「慕われた人を守ろう。」「力になろう。」 と。 媚びを売る人は覚悟がない。自分だけが良い思いをすればいいのと思っている人間に覚悟できるはずはない。 この違いは誰の目から見ても明らかにわかる。 出世に近道はない。周りを気遣い、時には叱り、会社、部署全体の底上げを図り、現在の位置よりも上に上げることを考えながら行動して行くしかない。 時には上司の身内だけで上に立つ人も現れ、そこにやきもちや僻みを入れずにやるしかない。 それができれば、気づいた時には、それなりのポジションにいるはず。 僕も現在は上しかいない最下層のサラリーマンだ。 年齢も考えるといつまでも、このままで良いとは思っていない。ただ、今が楽なポジションでもあり、その内何とかなるかなと思いながら日々