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本当に変わるためには、何をする?

もし、今の自分を変え、脱皮したいと考えているなら、先ず、するべきことは 『自分を褒める』 ことだと思う。 自分を変えたいと思う時は、大抵、上手くいってない時だと思うけど、そこで、クヨクヨしたり、どうしたら変われるのかを考えても仕方がない。 どんなことでもいい。「上手くいかなくても、頑張れる自分は凄い。」や「イジメに負けずに耐えている自分は偉い。」など、何でもいいから、先ずは、今の自分を褒めよう。 但し、自分で「頑張っているから、少し休憩を。」など、甘やかすのは別問題だ。 第三者の立場で、今の自分の言動を否定せず、認め褒めよう。 (本当は、他人が褒めてくれるのが一番の特効薬かもしてないけれど。) 人は、誰でも褒められると嬉しくなる。 嬉しくなると、さらに 『褒められたい』 欲求が生まれ、今までより、 『もっと褒められるためには、どうしらいいのか?』 自然と考える。 子供を褒めて育てるのと同じ要領だ。 自分を貶すことで奮起できる性格の人もいるかもしれないが、そんなに強い人ばかりではない。 (もし、自分が貶されることで奮起できる人であれば、このブログは当てはまらないかもしれない。) 自分を貶して、落ち込んでも変わることはできない。もし、変わるとするとマイナス方面への変化でしかない。 しかし、 『自分を認め、褒める』 ことで、 『もっと褒められるためには、どうしたらいいのか?』 自然に考え、行動がかわるはず。 その一歩を踏み出すことが一番大事なこと。 誰でも、明日、朝起きたら、別人のように変わることは、絶対にない。 今までの自分とちょっとだけ違う考え(プラスな)を持ち、ほんの少しの言動の変化が、大きな変化(成長)に繋がっていく。 そのためにも、 『先ずは、自分を自分で褒めよう。』 気付くと、周りの人も 『自分を褒めてくれ』 変化が加速して行くはず。 しつこいけれど、 『絶対に自分を甘やかさない(甘えない)』 ように。

シャンシャンから学ぶ、人気者になる方法。

上野動物園で、生まれたパンダの赤ちゃん『シャンシャン』の一般公開が、いよいよ明日からだ。 観覧申込が殺到して、実際に目にするのは困難なほど、大人気だ。 大人気の『シャンシャン』を多くの人に見てもらうために、上野動物園では、公開と同時に、ライブ配信( ueno panda live.jp )も行うらしい。 (多くの人に見てもらいたい思いもあるだろうけど、動物園に多くの人が殺到することによる、『シャンシャン』のストレス軽減など考慮したんだと思う。) そんな大人気の赤ちゃんパンダ『シャンシャン』赤ちゃんパンダは、なぜ多くの人を魅了するのだろうか? 『シャンシャン』のように、職場で人気者になることで、仕事が楽しくなり、仕事の成果も上がってくるはず。 それなら、どうしたらいいのだろうか? 『シャンシャン』の人気の理由は、 『可愛い姿』『可愛い動作』『癒される』 など、だと思う。 職場で人気者になるためには、『シャンシャン』と同じこと(?)をすれば良いだけだ。 『可愛い姿』 は、仕事に置き換えると、 『清潔感のある服装』『不快な思いをさせない身だしなみ』 などだ。 『可愛い動作』 は、 『無駄な動き(ダラダラ)をしていない』『頼りがいがある』 などだし、 『癒される』 は、 『一緒にいると楽しくなる』『相談にのってくれる』 だ。 他にも『シャンシャンが人気の理由もあるし、職場で人気者になる方法は、まだまだある。 ニュースや話題になっていることには、理由が必ずある。それをちょっと疑問に思ったり、なぜか?と理由を考えるだけで、仕事やプライベートに役立てることも必ずできる。 僕は、ニュースや話題になっていることからも、成長できることがないか、いつも探している。

誰かが『やるはず。』だから、自分は『やらなくてもいい。』

誰もが、他人任せになってしまう。 僕も、ついつい、自分がやらなくても、誰かがやるから、大丈夫だと、勝手に思い込んでしまう。 道に落ちてるゴミを拾う人は、殆どいないと思う。 行事やイベントとして、ゴミを拾うのは、ほぼ強制的なので例外として。 しかし、自分の家や部屋に落ちているゴミは、誰もが拾うはず。 その違いは、自分の テリトリー かどうかだと思う。 (大事にしているかどうかも考えられるけど、今回は敢えて テリトリー とする。) 仕事(職場)でも、同様。 誰かが『やるはず。』だから、自分は『やらなくてもいい。』と思っている内は、仕事(職場)が、自分の テリトリー ではないからだ。 会社や上司に言われるがままの仕事しかできなくて当たり前だ。 そんな仕事をしても、楽しくなるはずがない。実に、勿体ないことだ。 みんな、好き好んで仕事をしている訳ではないけれど、1日の半分近く(最低でも3分の1)を仕事に拘束される。 いくら、プライベートが充実しているとしても、仕事が嫌いで苦痛の時間であれば、3分の2充実していても3分の1は、嫌いで苦痛な時間を過ごすことになる。 やっぱり、勿体ない。 仕事を楽しくすることで、1日の全てが、楽しい日々になるのに。 仕事を楽しくするためにも、仕事(職場)を自分の テリトリー にしてしまおう。 僕は、人間も所詮、動物だと考えている。 縄張り(テリトリー) を本能が求めている。 自分の 縄張り(テリトリー) にいることで、安心できるし、本来の実力を発揮できる。 だったら、仕事(職場)を自分の 縄張り(テリトリー) にしてしまえば、安心して、本来の実力が発揮できるはずだ。 動物が 縄張り(テリトリー) を守るためには、常に巡回し、なにか変化がないか、チェックしている。 もし、なにか変化があった場合、すぐにその原因を探る。そして、解決策を講じる。 (敵が攻め込めば、自分の 縄張り(テリトリー) から、敵を追い出す。など) 仕事(職場)を自分の 縄張り(テリトリー) にするには、同じことをすれば良いだけだ。 自分の仕事(職場)の変化に常に気を配り、変化があれば、その解決策を考え、行動していく。 その変化に気付ければ、自然と仕事(職場)が自分の 縄張り(テリトリー) となり、自然

理想が高すぎるのは、やめよう。

僕の周りに、理想や夢が、やたらと大きい人がいる。 理想が高いのは、いいことだけれど、高すぎると、理想に囚われてしまい、逃げ出せなくなってしまう。 同じように、夢が大きいのは、悪いことではないけれど、大きすぎると、自分を見失ってしまう。 自分の身の丈( 器 )に、あった理想や夢にしないといけない。 (120%くらいが、調度いいかも) まだ、夢は大きすぎても、その過程、過程の段階をしっかりと抑え、すぐにでもできる小さな夢から、徐々に自分をレベルアップさせ、叶えていける夢の最終が、本来の大きすぎる夢であるならば、問題ないと思う。 しかし、だだ漠然とした、大きすぎる夢では、実現のしようがないし、自分でも、叶えたくても叶える手段がわからずに、 『やりたくてもできない。』『どうしていのか、わからない。』 まま、葛藤し、自分自身、 『本当に夢なのか?』『どこに向かえばいいの?』 と、迷い、そこで、 『今、やるべきこと、明日やるべきこと、一年後にやるべきこと』 と、段階を踏まえないと、自分を見失ってしまう。 でも、理想が高すぎるのは、良いことがない。 一見、 『理想が高い』 ことは、目標を定め、そこに真っ直ぐに向かっているように見える。 しかし、人生(仕事)の道のりは、真っ直ぐではない。 自分が、真っ直ぐ進んでいても、道が曲がっていれば、どんどん、道から外れて行ってしまう。 理想が高い人は、自分の実力を信じているから、何の疑いもなく、真っ直ぐに進んでしまう。でも、道は曲がっている。そのことに、気付かずない。 僕は、理想が高過ぎる方だと思う。 だから、今の状況になってしまったのかもしれない。 家族の幸せを一番といいながら、自分の理想が高すぎたせいで、結果、家族に迷惑や苦労をかけてしまっている。 本来の 『理想』 を知らなかった。 今の僕は 『理想』 を今の自分に必ずできる 『最善策』 だと考えている。 『夢』 は、将来のためのステップアップの過程。 『理想』 は、今できる最良の結果。 と、考え、 『理想』 と 『夢』 を交互に繰り返し、今まで最良の結果だった理想を当たり前にできるようになり、さらなる大きな夢に向かっていく。 理想は、変化することなく、一番上の存在だと思っていたけれど、それは違う。 夢と同様に、自分の身の

怒られ続けると、どうなる?

僕の同僚の中に、毎日毎日、怒られている人がいる。 「本当によく、怒られるなぁ」と、ある意味、感心してしまう。 なぜ、彼は、毎日怒られ、それを直すことができないんだろうか。 以前、 怒られたくない! でも、触れたように、仕事が全て、後手後手になってしまっている。 どうしたら、怒られないかを考えた末、指示されるのを待つだけになってしまったり、やりかけの仕事を投げ出してでも、上司の指示に従い、結果、投げ出した仕事の件で、又、怒られる悪循環に陥ってしまう。 人には、 想像したことを実現する力 を持っている。 そんな 力 が、 『怒られたくない』 と思いが強くなりすぎて、逆に、 『怒られる状況』 を生み出してしまっている。 (怒られている姿を想像してしまっている。) なら、その悪循環を断ち切るには、どうしたらいいのだろうか? 僕なら、開き直る。失敗や不手際で怒られるのは、しょうがない。 それは、それ。次は、次。その失敗や不手際を超える成果を残せばいいだけだと、僕は考えている。 ただ、僕は、人よりもメンタルが強い方だから、できることかもしれない。 しかし、メンタルが強くないと、怒られ続けることで、臆病になってしまい、全てが悪い方に考えてしまい、そこからプラス思考に変えることは困難になってしまう。 本当は、上司が、さじ加減で、『怒る』『褒める』を使って、部下を巧みに扱うべきだと思うけれど、それは他力本願でしかないし、僕の同僚もそうだが、上司が怒りやすい人材であったり、性根が合わないのかもしれない。 そこで、諦めたら(逃げ出したら)、一生、諦める(逃げる)しか、なくなってしまう。 自分の道は、自分でつくるべきだ。 では、どうすれば、その悪循環から、脱出できるのだろうか? 僕は、まず 『褒めらる』 ことを目標とするべきだと思う。 『怒られる』 のが、怖いと思う人は、 『褒められる』 ことを好む傾向にあると思う。 上司を研究し、 『何をしたら、喜ぶのか』 を考え、上司好みの部下を演じるしかない。 すぐに 『怒る』 上司は、案外単純で、自分が気に入れば喜ぶ。 最初はこそ、上司にもこれまでの状況(怒り続けた)もあり、素直に誉めたりしないと思う。 しかし、上司の気に入る状況が続けば、自然と 『褒める』 環境ができてくる。

時間を追う人、時間に追われる人。

仕事、プライベートを問わず 『時間に追われる』 のではく 『時間を追う』 癖をつけよう。 ただ、 『時間を追う』 という言葉を耳にする機会は中々ない。 なぜだろう? 単純に、 『時間に追われる』 は、やるべきことに対して、時間(期日)が迫り、焦ったりすることだと思う。 それなら、 『時間を追う』 は、時間(期日)に対して、やるべきことを終え、余裕ができることだと思う。 そう考えると、 『時間に追われる』 より 『時間を追う』 ほうが絶対にいいに決まっている。 焦って仕事をしても、終わらせることが中心になってしまい、見直すことや時間内でできる必要最低限の準備で終わってしまい、ミスや悪い結果が待っている。仮に上手くいったにしても、そのプレッシャーなどで疲れてしまい、純粋に良かったと思えずに「やっと、終わった(解放された)」の気持ちが強く、すぐ次の仕事に取り掛からずに一休みいれたくなってしまう。 しかし、余裕を持って仕事ができると、見直したり、他に準備しておいた方が良いものがないか探すこともできる。 結果、成功にも近づくし、充実感を得ることで、次へ次へ、仕事を追いかけて行ける。 仕事を追いかけて行ければ、更に時間的余裕を持って、仕事ができ、自分にとって、良い環境で仕事をすることができる。 なぜ、 『時間を追う』 ことが、できず 『時間に追われて』 しまうのか? 違いは何だろう。 『スケジュール管理』 や 『いつ・どのタイミングでどの仕事をするべきか』 の判断を間違えてしまってるなど、考えられることは多々ある。 それを克服するには、経験や知識など、様々な要素が必要とされる。 しかし、もっと根本的なことを変えるだけで、簡単に 『時間を追う』 ことができる。 それは、 『自分を信じ、自分ならできる(簡単だと)思うことだ。』 自分を信じることで、不安が和らぎ、自信を持った仕事ができる。 自分ならできる(簡単だ)と思うことで、成功すれば自信につながるし、例え、失敗に終わっても、 『いい経験をした次は大丈夫』 と思うことができる。 結果、前を向いて仕事と正面から向き合うことで、ミスや不安を心配する無駄な時間が減り、効率よく、仕事ができてくる。 それが 『時間を追う』 ことだと思う。 どうしても、不安があると、それを

苦しい時こそ、笑顔を大切に。

僕にとって、 『笑うこと』 は、自分を前向きにしてくれる魔法の薬だ。 どんな、嫌なことや苦しいことがあっても、 『笑顔』 を作ることができれば、まだまだ、自分には 『笑顔』 を余裕がある。 もっと、嫌なことが続いても、苦しくても、まだまだ耐え、乗り切ることができると思えるからだ。 僕は、幸いにも 『笑顔』 を作れなくなるほど、嫌なことが待ち受けていたり、苦しい経験をしたことがないだけかもしれないけれど。 しかし、こんな僕でも、 『一日一回でも笑えたから、今日は幸せだった。』 と、自分に言い聞かせる日々を過ごしたこともある。 無理矢理、笑えるようにしていた。鏡では見てないけれど、ギクシャクした笑顔だったかもしれない。 でも、無理矢理でも笑える何かを探し、笑うことを続けることで、物事を前向きにとらえることができるようになってくる。 そんな時に、 『本当に不幸のどん底で、先が全く見えない暗闇なら、笑えるはずがない。』『僕なら、大丈夫。』 と、自分に言い聞かせる。 なぜなら、目の前には、 『希望の光』 が、見えてくるはず。 前向きに考え始めた時に、無理矢理でもプラス思考に持っていくことで、一気に流れを変えてしまうことができる。 僕は、嫌なことや苦しい時、 『笑顔(笑うこと)』 で、乗り越えてくることができた。 実際、 『笑顔(笑うこと)』 には、目に見えない力があると思う。 どんな時でも、 『笑顔(笑うこと)』 が、自分に良い流れを引き寄せてくれるはずだ。 これは、僕みたいな楽観的な人だけではなく、みんなが持っている、不思議な力だと思う。 『笑うこと』 は、素晴らしいことだ。 どんな、嫌なことや苦しみからも、脱出する道を照らしてくれる。 最初は、作り笑いでも、その内、心から笑うことができるはず。 心から笑えることができたら、幸せだし、進む道も、必ず明るいはずだ。 だから、僕は今日も笑っている。

朝からピンチ!

今日は、朝からピンチで、始まった。 アラームが鳴らず、妻から、 「起きなくて、大丈夫?」 の、声で目が覚めた。 寝坊だ。いつもより、30分以上遅く、目が覚めた。 しかし、こんな時は、いつもより案外上手くいく。 いつもは、ダラダラして、中々目が覚めず、ボーッとしている時間があるけど、今日は全くなし。 妻の声を聴いた瞬間から、全開で目が覚め、意識もハッキリしていた。 何だかんだで、いつもと、ほぼ同じ時間に家をでることができた。 僕の場合、こんな日は、決まって順調に行くことが多い。 朝から、集中力が高まっているからかもしれないが、いつもより、感が冴え、普段見逃すようなことまで、見つけることができる。 今日の僕は、正しくそうだった。 朝の 『あの一瞬』 以外は、全てが順調に進んだ。 『ピンチの後は、チャンスあり。』 は、やっぱり本当だ。 本当に、今日はいい日だった。(台風を除けば) こんなことなら、毎日、寝坊すれば良いのかもしれないけれど、あの 『ヤバい』 という、緊張感は、そう簡単に真似できない。 それが、できれば毎日が順調なのに・・・。

先が見えなくなったら。

昨日のストレスについての、僕なりの思いを書いて、僕がどん底から、立ち上がった切っ掛けをどうしても伝えたくなった。 僕は、プライベートと仕事(特にプライベート)で、自分自身を見失い、自暴自棄に陥った時がある。 以前、不幸関連(仏事)の仕事をしていた時がある。 その時はまだ若く、お客様から、知識の少なさや見た目(若かったので)から、信用されにくく、営業の仕事が上手くいってなかった。 営業は、結果が全てなので、結果がでない営業マンに居場所はない。 かろうじて首になりはしなかったが、上司や先輩のプレッシャーは半端なかった。 そんな時に親友を立て続けに亡くし(交通事故・突然死)僕が人の死を商売にしているから、親友が死んでしまったのではないかと考えるようになり、沈んでいってしまった。 そんな自暴自棄に陥り、何事も暗く考える僕に愛想をつかし、当時、付き合っていた彼女とも距離が開いて行ってしまった。 真剣に僕のことを考え、そばに寄り添ってくれる彼女に甘えて、愚痴ばかり言ってしまった。 聞く耳も持たずに、どこにも出かける気もなく、愛想をつかすのは当たり前だと思う。 とにかく、暗くなり過ぎた。が、当時の僕にわかることもなく、 「全てが奪われてしまった」 と思い、 「僕はこの世にいるだけで、周りを不幸にする。なら、一人で誰にも関わりたくない。」 と、考えるようになってしまった。 幼少期の家庭環境も恵まれず、実の親ですら信用できなくなった時期もあり、余計にそう考えてしまったのかも知れない。 今となっては、笑い話だが、当時は真剣にそう考えた。 暗い話は、ここまでにして、そこから僕が立ち直った切っ掛けは、大したことではない。 そんな自暴自棄だから、当然、寝ることもできなくなっていた。 「寝よう。寝なきゃだめだ。」 と、思えば思うほど、眠れない。 部屋の電気を点けたり、消したりを繰り返していた。 電気を消した暗い部屋で、さっきまで点いていた電気の残像が見えた。 普段は何も感じないことかも知れないけれど、僕には、 『希望の光』 に見えた。 自分でも何とかしなきゃと考えていたのかもしれないが、 『たとえ、今は真っ暗でも、進めば明かりが待っている』 と、思い、ここで立ち止まるんではなく、前に進もうと思えた。 こんな、どうでもいい切っ掛けが

ストレスをプラスにする。

今の社会で、ストレスを抱えていない人は、ほとんど、いないと思う。 ストレスが溜まると、イライラしたり、精神的に落ち込んだり、決していいものではない。 しかし、ほぼ全ての人が抱えているストレスだからこそ、うまく付き合うべきじゃないかと思う。 ストレスが全くないのは、本当にいいことだろうか? たぶん違うと思う。 例えば、お腹が空いた時に、好きなものを好きなだけ食べれば満足はするし、空腹を我慢するストレスから、解放されるだろう。 しかし、そんな生活を送ってしまうと、過度に太ってしまい、今度は自由に動けなかったり、体系が気になってくる。それもストレスになってしまう。 どうせ、なくなることのないストレスなら、上手に付き合い、心身に影響をきたさないようにして行くのがいいと思う。 『ディズニーランドで待ち時間が長く、ストレスが溜まってくる。』 『しかし、楽しみにしていたアトラクションで気分がスッキリする。』 『結果、「長い時間、待った甲斐があった。」になり、ストレスを感じた分だけ、楽しさが倍増した。』 こんな風に、 『今のストレスは、未来の楽しみや喜びになる。』 と、考える癖をつけるようにしたら、ストレスと上手く付き合うきっかけになるはず。 自身の過去の実体験から、 『我慢』→『成功・喜び』 を思い出すと、もっとリアルに未来が見えてきて、ストレスもプラスに転換してくる。 仕事でのストレスも同じように、 『今』 だけを見てしまうと、辛く、苦しいストレスになってしまうけど、将来、未来を見通せば、ストレスも軽減されてくる。 もちろん、こんな楽観的なストレスだけであれば、みんな苦労はしないと思うけど、僕は将来、未来を見る癖をつけて欲しいと思っている。 ストレスをプラスに考える癖が身についていると、ほんのわずかな希望だったとしても、探し出すことができ、そこから、希望を大きく出来る。 希望が大きくなってくると、ストレスが必ず小さくなるはず。 ただ、深刻なストレスが溜まり、わずかな希望すら見えなくなってしまう時もある。 本やネットで、ストレス発散方法も調べる気すら起きず、どうしようもなくなってしまう。 周りが「一人で抱えるな。」など、温かい声をかけてくれても、耳に入らない。 そんな時は、ストレスから、逃げてしまおう。 自分よ

先を読む力をつける。

僕も、このブログで何回も書いているように、仕事もプライベートも先をどれだけ読めるかによって、行動も変わってくるし、成果も変わってくる。 よく、将棋のプロは、100手以上、先を読んでいるなんて言われている。僕は、将棋は全くわからないので、将棋で100手先を読んでいるプロの凄さは、想像がつかない程、実感はないが、誰も普段から、先を読んで生活をしているはずだと思う。 人には、誰にも想像力がある。 僕の場合、ビールが好きで、毎日飲んでいるんだけど、「冷蔵庫に2本しかない。でも今日は仕事で疲れたからもう少し飲みたくなるはず。飲みたくなっても良いように事前に買って、置こう。」など、何気なく先を読んだ行動をしているはず。 自分が好きなことや得意なことの先を読むことは、簡単にできてしまう。 しかし、仕事で先を読むとなると、途端に難しくなってしまう。 それには、 『仕事を好きになる。』『興味を持つ。』 ことは、非常に重要だが、それだけではなくても、ある程度の先を読むことは簡単にできてしまう。 『もし、自分だったらどうするか?』 を想像するだけでも、全然違う。 僕は、以前 能力(才能) で、書いたように人は、能力はもちろん、考え方や行動の根本的な所に大差はないと思っている。 辛いのが好きや嫌いなどのように好みはあるけれど、辛い物を食べた後には、『何か飲みたくなる。』など、人によって大小はあっても、根本的には変わらないと思っている。 そう考えると、仕事で急に上司から別の仕事をするよう指示をされた際にも 『何で今なんだろう?』 僕が、急に指示を変更するとしたら、もしかして 『急な来客があったかもしれない。』『クレームが発生した?』 など、想像しやすくなる。 そうすると、自然と同じ指示された内容の仕事をこなすにしても、事前に想像することで微妙に仕事の内容も変わってくるはず。 『もし、自分だったらどうするか?』 を想像するだけで、ある程度の先を読むことはできる。 そして、最も大事なことは、 『自分が先を読んで行動している。』 と、常に思うことだ。決して、暗示ではなく、できると思うことはできるし、自分にはできないと思えばできない。だったら、自分にはできる。と、常に思うようにしよう。 人が思う力は、想像以上に凄い。 自分を信じ、 『もし、自分だっ

精神論は、間違っていない。

最近は、精神論を嫌う人が多くなってきているけれど、僕は、大事な要素のひとつに 『精神論』 はあると思おう。 それは、人は自分で想像できないことは、できないと思うし、想像できることは、できると思うからだ。 根性で、苦しいことに耐えるということではなく、イメージを大事にして欲しい。 悪いイメージしかなければ、結果は悪い物となってくる。逆に良いイメージを常に持つことができれば、良い結果へと結びついてくる。 もちろん、それに見合った、仕事なり、作業をしなければいけないのは絶対だが。 楽しんで仕事ができれば、仕事に興味がわき、視野が広がり、そして創意工夫が生まれてくる。そうすると、ますます仕事が楽しくなってきて、常に、良いイメージを持つことが当たり前になってきて、必然的に仕事の結果も必ず良いものとなる。 反対に、イヤイヤ仕事をしていると、ただ目の前の仕事しか見えず視野が狭くなる。そうすると、ちょっとしたミスや、何かいつもと違う流れになってしまった時に対応が後手後手にまわり、結果的に仕事も上手くいかないことが多くなってくる。 さらに、仕事のミスなども重なり、上司などから、注意や怒られたりして、今度は「また、失敗をして怒られたらどうしよう」と、悪いイメージしか持てずになり、失敗を繰り返してしまう。 怒られたくないと思えば、思うほど 『怒られた時のイメージ』 が頭に焼き付き、気付くと怒られるほうへと自然に向かって行ってしまう。 人には、自分が持つイメージ(ゴール)へと自然に導かれていくような気がする。 僕は、常に、良いイメージを持つように心がけたいと考え行動している。 (楽観的な所が多く、難しい問題に当たることもあるけれど、それもまた楽しめればいいかな位にしか考えていない。)

能力(才能)は、誰にでもある。

僕は、基本的にはみんな能力の差に大差はないと考えている。 スポーツ選手や学者に誰でもなれる可能性を持っていたはずだと思う。 ただ、誰よりもスポーツが好きで、人一倍練習し、様々な経験をしたからこそ、プロの選手として活躍したり、誰よりも勉強が好きで、人一倍の勉強をしたからこそ、有名な大学に入り、学者になったんだと思う。 もちろん、一部のプロの選手の中でも際立った結果を残している人達は、才能にも恵まれたんだと思うけど。 だから、誰もがスポーツ選手や学者になるチャンスはあったんだと思う。今からでも、遅くない人は沢山いるはずだ。 (これは、スポーツ選手や学者として、活躍されている方を馬鹿にしているのではなく、もっと自分を信じて欲しい思いで書いている。) 大人になってしまうと、自分の能力や才能がないと信じて、諦めてしまう人が多くなる。 でも、それは、能力や才能のせいにして、努力することを諦めているだけだと思う。 仕事でも、能力の差を感じる人は多くいると思う。けれど、それは逃げているだけで、本当は誰にでも何でもできるはず。 誰よりも、その仕事を好きになり、失敗も成功も含め、多くの経験をすることで、きっと出来ると思う。 人より、苦手なことがあれば、人一倍その仕事をこなし、多くの経験を積み重ねるべきだと思う。 自分には、能力がない。才能がない。と言う人は、周りから見れば、仕事の数を誰よりもこなしていない。 成功だけでは、その仕事の本筋は見えないはず。失敗したからこそ見えてくるものがある。だから、失敗を恐れずに、チャレンジして行こうと、僕は、いつも考えている。 環境も能力や才能を形成するうえでは、大きく関係してくる(レベルが高い環境であれば必然と自分のレベルも上がってくる)が、今は、ネットで、様々な情報を入手できる。 自分が今置かれている環境が悪くても、自分の能力は伸ばせるはずだと思う。 僕も、今こうしてパソコンをいじっているけど、つい最近までは、メールの設定など全部人にお願いし、ただ打ち込むだけしかできなかったが、今は興味も湧いて、他のブログも参考にしながら、もっと、みんなに関心を持ってもらえるブログにしたいと考えている。 リニューアルする日も近いかもしれない。 たぶん・・

仕事は好き?

僕は、仕事が大好きだ。しかし、生き甲斐ではない。 仕事をする理由として、『お金を稼ぐ』だと思う。 その域を超え、お金ではなく、「趣味として」や「時間があるから」「興味があるから」などの理由で仕事ができる環境にいる人は、ごくわずだ。 大半の人は賃金を得ることが前提としてあり、その次に、「趣味の延長」「興味がある」などと続くことだと思う。 仕事をすることで、生活ができ、プライベートも充実させることができる。 プライベートを大事にするあまり、仕事が疎かになったのでは、本末転倒だし、その正反対の仕事を中心としすぎ、プライベートが犠牲になるのも本末転倒だ。 仕事、プライベート共にバランスを上手く取れるかどうかが重要だと思う。 その中で、僕もそうだし、多くの人は一日の大半を仕事に費やす。(ブラック企業とか、関係なく) 8時間労働としても、通勤、昼を含めると、10時間以上は、会社に拘束されている人が殆どだと思う。 もちろん、一日数時間の仕事でも生活が成り立つ人もいることと思うが、その人たちは恵まれた環境にいる、ごく僅かな選ばれた人たちなので、別として。 一般的な人が、一日の大半の時間を費やすこととなる仕事だが、どうせやるなら、楽しくやった方が絶対に良いと思う。 仕事が楽しければ、向上心も湧いてくるし、イヤイヤするより覚えるのも早い。 楽しく仕事をするために、一番簡単な方法は『仕事を好きになる』ことだ。 今行っている仕事が嫌いな場合でも、小さくても構わない(通勤が楽・給与が高いなど)どこか好きな所を探しだし、そこから好きを拡げていくうちに仕事が好きになってくる。 そうすると、仕事が楽しくなる。楽しくなると『給与も上がる』『拘束時間を少なく出来る』など、プライベートに費やす時間とお金が増えてくる。 プライベートも充実し、リフレッシュができ、更に仕事が楽しくなる。 と、相乗効果が生まれてくる。 よく、仕事よりもプライベートが大事だからと仕事を疎かにする人を見かけるが、極僅かの選ばれた人は除外すると、本当にプライベートが充実しているか疑問符がついてしまう。 どちらかと言うと『充実している』と、思い込んでいるだけで、実際は小さな世界での小さな充実でしかないような気がする。 もっと広く見渡し、今以上に充実した生活をしたいと僕は思

人間関係で、悩んでもしょうがない。

会社組織の中で、人間関係に悩んでいる人は非常に多いじゃないかと思う。 建前上は何であれ、本音で言えば、会社を辞職する理由のトップになっているはずだ。 パワハラ・セクハラなど、様々なケースが考えられ、安易に「そんなことで悩んでも。」と、いう訳にはいかないかもしれない。 世の中には様々な人がいて、性格も全員違う。中には、 気が合う人もいれば 、 合わない人もいる 。 さらに、会社となると、 『上昇志向が強く、他人を蹴落とそうとする人』 や『 やる気のない人』 、 『無理難題を押し付ける人』 など、本当に多くの悩みの種が転がっている。 実際に僕も様々な人と出会ってきた。中には、二度と口をきかなくても良いと思ってる人もいる。 しかし、 仕事仲間 は、あくまでも 仕事上の仲間 であって、 人生の仲間ではない 。僕はなるべく、仕事の時には、人の好き嫌いをなくそうと心掛けている。 例えば、苦手な人は、『自分が仕事をする上で必要なパソコンや道具でしかない。』と、自分に言い聞かせ、利用できるときのみ、利用しようと。 会社組織の中では、好きな人とのみ、仕事ができない。むしろ、するべきでないと思う。好きな人のみが集まった組織は、非常に弱い。 様々な性格を持った人が集まる から、組織としての弱点もカバーでき、 新しい発想も生まれてくる 。 似たような性格が集まったそしきでは、考え方に偏りができ、仮に上り調子の時には、全てが上手くいくとしても、必ずつまずき、下り坂を転げるように組織が脆く壊れてしまうことだろう。 もしくは、最初の好意的な関係が破綻し、ギクシャクした関係になってしまうだろう。 しかし、様々な性格の人が集まった組織では、先見の明がある人、危機管理が得意な人、新しいことを発想するのが好きな人などの良い所どりを、組織を継続、発展しやすくなる。 組織として、 様々な性格の人を集めることは必須 なのだ。 しかし、同じ仕事をする上で、性格が違えば、好き嫌いや合う合わないは必ず出てくる。 そんな時には、嫌いな人や苦手な人にも、得手不得手があり、利用価値は多々あると思おう。 別に、全ての人に心を開く必要なんてない。自分にとって、プラスになるように、他人を利用して行こう。 最初は、利用していると思っていても、その内、 嫌いや苦手だった人

ずるい人は「無言実行」。

僕が仕事を問わず、 「ズルいなぁ。」 と思う人の中に、 無言実行 だ。 昔の男の美学として、男はヘラヘラしゃべらずに、行動で示す。みたいに言われているけど、僕はズルいと思う。 何も言わずに行動し、結果を残すことは、傍からみたら、凄い人かもしれない。でも、何も言わなかったら、誰も何を考え、どんなことをするのか分からないから、結果が出なかった場合も気付くことができない。失敗も本人にしか分からない。 本当は、「余計なことや文句を言わない。」ということなんだろうけど、そこを勘違いしている人が多いと思う。 それならば、やっぱり、僕は、 有言実行 がいい。 他人に言葉でこれから行うことを宣言し、しっかりと結果を出す。 これが一番だ。例え、失敗して周りから笑われようが、その失敗を糧にし、次の成功に繋げることができる。 内緒で大きな仕事を進めるより、公にして大きな仕事を成し遂げる。そっちの方が僕には男らしいと感じる。 もちろん、プライベートでも。 今の社会では失敗を恐れれたり、他人と違う考え方を避ける場合が多くなっているけど、そんな小さなことは気にせず、どうどうと自分が今行っていること、これから行いたいことを宣言しよう。 周りに宣言するとやる気も断然違うはず。 僕も、今後について、考えていることがある。今はまだ、誰にも言えないけれど、近々、公表したいと思う。

壁を超える。

今日は、陸上の桐生選手が10秒台の 壁 を破り、日本人初の9秒台をだした。 高校生から9秒台を目前にしながら、4年もの月日をかけ達成した本当に凄い記録だ。 9秒台を目前にしながら、中々壁を乗り越えることができずに走り続けた4年間は普通の人では想像を絶する努力や葛藤があったと思う。 周りの人の応援や期待も 『パワーの源にもなれば、プレッシャーにもなり』 僕なら逃げ出していただろう。 しかし、桐生選手は自分を信じ、走り続けた結果が、本日の素晴らしい記録に結びついたのだと思う。 仕事をする上でも、 『壁』 は、多く、様々な困難や試練として、僕たちの目の前に立ちふさがる。 よく「神様は乗り越えられない壁(試練)は与えない」などと、言われるが、そんなことは無い。突然、目の前に大きな壁が立ちふさがることもある。とても乗り越えなられない時もある。 そんな時は、いったん立ち止まり目の前の壁だけではなく、周りを良く見渡して欲しい。 目の前に壁があると、その壁が大きかろうが小さかろうが 壁しか見えなくなってしまう 。 少し後ろに下がってみるのもいい。 大きいと思っていただけで、案外小さな壁だった時もある。 また、周りを見渡したら、目の前の大きな壁は乗り越えることができなくても、その足場と成り得る 小さな壁 であったり、 はしご や 回り道 があったりする。 目の前の壁は乗り越えるだけが全てではない。 壁の横をすり抜けることもできるし、大きいだけで薄い壁だったら、正面から当たって壁を壊すこともできる。 どうしても、壁にぶち当たると周りが見えなくなりがちだが、そんな時ほど冷静になり、客観的にその壁をよく見てみよう。 案外、大したことがないことも多々あるはず。 しかし、例えが悪いが、刑務所の壁のように乗り越えられない、壁もある。 そんな時は素直に逃げるか、刑期が終えたら壁の外にでれるように、時に身を任せるのも必要な時もあるしか知れない。 焦って、無駄に努力をするより、いざと言う時の為の充電期間にするのも一つだと思う。 僕も只今、充電期間中です。 (結構前から、100%にはなっていますが)

「夢」や「目標」を持とう。

仕事に対して、 『夢』 や 『目標』 を持って仕事を行っている人は、 『夢』 や 『目標』 を持っていない人より、動き方が全然違うと思う。 もちろん、プライベートなことでも良いと思う。 『夢』 や 『目標』 を持っているということは、ゴールが見えていることと同じで、いつゴールするかわからずに闇雲に走っても疲れるだけだけど、ゴールが見えていれば疲れも半減するし、迷わずに突き進むことができる。 大きな夢や目標だけでなく、今日1日、今月、今年と細分化していけば、辿り着くまで遠すぎて諦めてしまうこともなく、徐々にレベルアップしながら、確実に大きな夢や目標に向かって進んでいける。 ただし、ゴールが見えていても、今の自分の位置をしっかりと把握しておかないと道を間違えたりしたことに気付かずに闇雲に突き進んで、後で戻らなければ行けなくなってしまう。 時々、自分を第三者の目で見て、今現在どの位置にいるのか主観的ではなく客観的に判断できるようになると仕事も楽しくなり、やりがいも生まれてくるんじゃないだろうか。 山登りをイメージするとわかりやすいと思う。初心者が上級者向けの山に登ることは無謀なことだし、自分の位置を正確に知っておかないと遭難してしまう。 どうせやらなきゃいけない仕事なら、イヤイヤやるより、楽しんでやれた方が良いに決まっている。 楽しんでお金が貰えたら、これほどいいことは無い。 楽しんで仕事をしている人は、大なり小なり 『夢』 や 『目標』 を持っているはず。 僕の今一番小さな夢は、 「早く、ビールが飲みたい。」 必ず叶えるぞ。