スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(休憩)が付いた投稿を表示しています

カミングアウト

今日、同僚からあることをカミングアウトされた。 本人にとっては、ショックなことであり、隠したいことだと思う。 この事実を聞いて、これまでの彼の行動に納得した。 僕は、その事実を受け入れ、今後の対応を考えるだけだから、難しいことはないけれど、本人は、この事実をどのように受け入れ(簡単に受け入れることができるのか?)今後、前を向いて進んでいくことができるのだろうか。 ただ、何があっても、事実を変えることはできない。受け入るしかない。 (第三者は、気軽に意見できるけれど。) 本人にとって、厳しい道になることだと思う。 僕たちにできることは、なるべくこれまでと変わらず、しかし、気遣いながら接することが重要になってくると思う。 変に気遣い過ぎても、周りの変化を敏感に感じとるだろうし、調子にのってしまうかもしれない。 だからこそ、これまでと変わらず接しながらも、気遣えるバランスが大事だと思う。 カミングアウトを聞いた僕がするべきことは 『さりげない気配り』 をほんの少しだけ、今までよりも意識しながらも、なるべく変わらずにいようと思った。 それと同時に、他の同僚のケアもしなければ、社内で歪みが生じ、ギクシャクした働きにくい環境になりかねないので、これまで以上に、同僚の行動や感情の変化に敏感にならなければいけないとも思う。 どちらにしろ、僕の力を試されるいい機会だと思い、この事実を上手く受け入れたい。

上手なサボり方。

僕は、基本的に仕事をサボることを悪いと思っていないし、実際、ちょくちょくサボっている。 ここでのサボりは、あくまでも、自分だけの休憩や気分転換であって、欠勤や遅刻、早退とは、ちょっと違う。 ただ、サボり方にも、良し悪しがある。 僕が思う、良いサボり方は、仕事から、一時的に開放されながらも、今後の仕事、もしくは、自分の成長に繋がるようなサボりなら、大歓迎だ。 しかし、仕事から逃げるだけのサボり方は、悪いサボり方だと思う。 もちろん、全てを良いサボり方をしなさいと言う訳ではない。 今の仕事から逃げることも、時には大事になってくる。 ただし、6対4位で、良いサボり方をした方が良いんじゃないかと思う。 決して、僕のサボりを肯定するためではない。つもり。 具体的に、上手なサボり方だと思うことは、 流行りのお店(商品)、話題のお店(商品)、人気のあるお店(商品) に行ってみる(触れてみる)ことだ。 業種は、同業に限らず、何でもよい。 喫茶店なら、なぜ人が集まるのか?雰囲気作りは?接客は?など、 また本屋で立ち読みするにしても、今話題の本はどんな本?ベストセラーは?各賞を受賞した本は?など、 ちょっと疑問に思うだけで、得るものは沢山ある。 そこで得たものが、全て仕事に役立つ訳でも自分を成長させる訳でもない。 しかし、 誰でも疑問に思えば、勝手(自分なり)に、答えを想像する はず。 その勝手な(自分なりの)答えを考えることが、自分を成長に導いてくれる。 勝手な(自分なりの)答えを考えることが癖になり、仕事や人生にもプラスになる考えが自然と浮かんでくる。 後は、それを 実践するか、しないか。 だけだ。 最初は、臆病になってしまうかもしれない。でも、本当にバカな人はいない。 自分が良いと思ったことは、実践してみるに限る。 例え、 失敗が重なっても関係ない。 10失敗しても、1成功すればいいだけ、だから。 積極的に攻めての失敗は、恐れる必要はない。 同じ、サボりでも、得ることは案外多い。 同様に、失敗が続いたりで、仕事が嫌になり、気分転換としてのサボりも上手なサボり方の一つだ。 流れが悪い時は、誰にでもある。 実際、今日の僕は、ついてなかった。道は、間違えるし、お客様への商品も間違えて渡してしまった。

休日の過ごし方。

人それぞれ、休日の過ごし方はあると思う。 僕の休日は、大体、家族と一緒に過ごすことの方が多い。 僕は、極力、仕事を家庭に持ち込まない。と言うより、持ち込んでいる時間がない。 子供たちと遊んだり、勉強を教えたり、してる内に、気付くと夜になっていることが、殆どだ。 たまには、自分一人の時間が欲しいと思う時もあるけれど、実際、有休などで、平日に一人でいると、何をしていいか解らず、部屋を片付けたりなど、結局、自分の趣味に費やす時間を見失ってしまう。 これはこれで、不満があるわけでも、ストレスが溜まるわけでも(むしろ、ストレス解消になっている)ないので、自分なりには、良い休日の過ごし方だと感じている。 本当は、ブログで、 『自己啓発』 と、謳っているなら、自分磨きのセミナーや交流、勉強をすることで、もっと的確なアドバイスや助言ができるのかもしれないが、このブログは、自由気ままに僕の思ったこと、体験したことから、少しでも、仕事が楽しくなって貰いえればと良いと思い、あくまでも僕の主観的な意見のみ、書いている。 性格上、自分が体験していないことを自分が体験したことのように語ることは、好きじゃないし、する気がない。 時々、偏った話にもなるかもしれないが、それでも僕は、それが切っ掛けで仕事が楽しくなると信じ、伝えたいと思っている。 本題から、少しずれてしまったが、僕は、休日(帰社したら)には、仕事を忘れるに限る。そして、自分が楽しめることをするべきだと思う。 それは、決して、仕事に対して、消極的なわけではない。 人は、集中力に限界がある。 一日で、本当に集中できるのは、2時間くらいしかないし、それを5日も続けたら、クタクタで、その後は惰性で何とか誤魔化しているしかない。 上手く、誤魔化すのもテクニックかも知れない。 しかし、そんな小手先で自分を誤魔化すより、素直に疲れを認め、しっかりと休憩をとる方が合理的だと思う。 自分は、 『24時間、365日、仕事のことだけを考えている。』 なんて、エゴでしかないし、僕には、よっぽど仕事のできない(自分では、仕事ができると思っている、残念な)人としか思えない。 こんなブログをしていると、僕は、仕事一辺倒な人と思うかもしれないが、僕は 『僕の人生を楽しみたい。』 その一環に仕事があるだけだ

サンタクロースは本当にいる?

そろそろ、子供から、クリスマスプレゼントの催促が始まる季節になってきた。 僕の子供は、まだ小さいので、今もサンタクロースを信じている。 僕も、調子に乗って、スマホに家の電話を 『サンタクロース』 で、登録し、クリスマスイブの日に、子供がケーキなどに集中している時に、家の電話から、ワンコール鳴らす。 そうすると、すぐに子供たちは、騒ぎ出し、僕のスマホの着信が 『サンタクロース』 に、なっているのを確認したら、自分たちの部屋に駆け上がっていく。 もちろん、事前にプレゼントは、ベッドの中に、隠してある。 子供たちが、大喜びで、プレゼントを抱え、階段を降りてくるのを見ると、 『もっと、頑張って、もっと喜ぶ顔が見たいと欲がでてくる。』 しかし、時々失敗もする。 子供たちがサンタクロース宛に書いた手紙とクッキーを取り忘れてしまって、「サンタさんが忘れて行った」と、子供たちにショックを与えてしまったこともある。(あわてんぼうのサンタクロースで、何とか誤魔化したけれど) また、昨年は、下の子のプレゼントが人気があるのに気付かず、購入することができなかった。 子供にとって、絶対に欲しい物をプレゼントしてくれるはずのサンタクロースが、手に入れられない訳がないと、昨年も大騒ぎだった。 毎年、何とか誤魔化しながら、我が家のクリスマスを過ごしているけれど、一度だけ、上の子が「友達がサンタさんは、いないよ。って言ってた。」と、言われ、純粋に信じている下の子もいる手前 僕「目を閉じてごらん。サンタさんは、どんな顔をしている?」 子供「赤い帽子と白いおひげのおじいちゃん。」 僕「ちゃんと、サンタさんはいるでしょ。恥ずかしがり屋だから、すぐにいなくなちゃうだよ。」 と、苦し紛れの思い付きで、これまた誤魔化してばかり。 その後は、納得したのか、気付いたのかは、わからないけれど、聞いてこなくなってきた。 先日、それとなく、クリスマスの話をしたら、今も信じているので、上手くは誤魔化せたのかも知れない。 そろそろ、父親として、サンタクロースとしての二つのプレゼントは、卒業してもいいかなと思うけれど、もう暫くは、サンタクロースの代理として、何とかやっていきたい。 ところで、今回のブログで、僕が無理矢理に仕事に関連付けたかったのは『想像力』だ。 「

忙しいと誰もが余裕がなくなる。

今日は、一日、慌ただしく過ごしてしまった。 ただ、比較的頭を使うことはなく、ただただバタバタしていたので、先週の仕事を振り返ることもできたし、今週の予定も確認しながらできたので、明日からは、段取りよく進めることができそうだ。 しかし、慌ただしくしていると、悪魔が近づいてくる。 ちょっと、自分が想定していたより、時間(5分程度でも)が過ぎるだけでイライラしてきたり、他人の態度も悪く見えてきて、それでもイライラしてしまう。 何とか今日は、人にも物にも当たることなく過ごしたが、この慌ただしさに頭も使ってきていたら、どうなっていたかわからない。いや、間違いなく誰かにあたっていたと思う。 ただ、自分を正当化するわけではないけど、誰もが忙しくなると視野が狭くなってしまい、 『なんで、自分だけが』 と考えがちになってしまうと思う。 自分だけが大変で、周りはみんな楽をしているんじゃないかと疑心暗鬼に陥りやすい。 余裕がなくなると、誰しも陥る悪魔が仕掛けた罠だと思う。 悪魔に対抗するのは、非常に大変だ。 頭で、誰も悪くないと思っても、悪く見えてしまうし、理屈じゃなく本能を刺激してくる。 そんな時に僕は、他人を見ないようにしている。そして、自分が休憩をしている時に他人を見て、 『自分には、休んでいる余裕がまだある。周りはもっと忙しい』 と、思い込むようにしている。 悪魔に取りつかれている時は、100%色眼鏡でしか見ることができない。 そんな時に、他人と自分を比べてもしょうがない。 自分の価値を落としてしまうだけ。 そして、目の前の今だけじゃなく、先を見たり、プラスに考えるようにしている。 『今、ここで踏ん張れば、ビールが飲める。』 や 『これを出来るのは僕だけだ。』 などだ。 そうすると、少しは、悪魔に勝てる可能性がでてくる。 それでも、悪魔の方が強い時には、諦めよう。 『自分は、まだまだ器が小さい。』 と、認めて、自分に余裕ができた時にあたってしまった人や物に恩返しをしよう。 僕は、誰でも限界があり、イライラして、他人に嫌な思いをさせてしまう時は必ずあると思う。 しかし、そのことを忘れずに、なるべく早く返すことで、これまでの関係を保てるように努力できるか、できないかだと思う。 素直に 『あの時は八つ当たりしてゴメン』

仕事中の休憩は、重要。

僕は、休憩(息抜き)は非常に大事な存在だと思う。 よっぽど好きなことを時間(納期)に関係なく、するのであれば、時間を忘れて『集中』することもできるが、仕事では、そうはいかない。 納期も迫るし、品質やサービスにも、ある程度のレベルを必要とされる。 気持ちに余裕があれば、集中して仕事に打ち込むことができるが、集中力は長くは続かない。 1時間も集中すれば、誰でも一息つきたくなるものだ。 集中力が切れかかった時に無理して仕事をしても碌なことにはならない。 つい、『うっかりミス』につながってしまう。 そのミスを取り戻すのにかかる時間を考えたら、休憩をしっかりと取ることが大事だ。 真面目な人ほど、忙しい時に休憩を取ることを後ろめたく感じて、無理をしてしまう。 休憩を取りづらい環境を作っている会社にも、もちろん問題はあるが、自ら積極的に休憩を取り入れるべきだ。 休憩が取りづらい環境の会社は、たいていは、上司が『机上の空論』だけで、現場を知らなさすぎるからだと思う。 しかし、机の上だけで仕事を知っていると思っている上司には、結果(成果)を突きつけてしまえばいい。 悪い結果(休憩なしでミスが多い)などは、そういうタイプの上司には通用しない。難癖をつけられるのがおちだ。 最初は、グチグチ言われるかもしれないが自ら休憩を取り、今までの成果より、上の成果をだしていけばいい。 簡単に成果が上がるなら誰も苦労はしないかもしれないが、同じ内容を休憩なしで行っていた以上の成果は必ず出るはず。 ただし、仕事中にダラダラとしていて、さらに休憩では成果は間違いなく下がるし、世間話をするための休憩は、体力勝負の仕事をしている人が体を休める為が目的でなければ、同じく成果は変わらない。 僕の場合、休憩(作業を止めて)をしながら、これまでを振り替えり、忘れていることや見落としがないか確認したり、並行で進めている仕事へいつから切り替えるか考えたりしている。 作業を行いながらでも、ある程度のことは並行して考えることがはできるが、どうしてもミスにつなっがってしまいやすい。 だから、必ず作業を止めて(手を止めて)考えるための休憩を取り入れている。 同じミスを犯したにしても、休憩時に振り返った時に気付くことができれば、終わり間近に気付くより、取り戻すのは早い。作業