スキップしてメイン コンテンツに移動

責任が重くて、つらい。

昨日、責任感についてのブログを書いている際、適した画像は、ないか検索していた時、責任感に押しつぶされそうな画像を見つけ、責任感があることは、良いことだけど、責任感に押しつぶされそうになっては、本末転倒だと思う。

今日は、昨日の続きみたいなものだ。
昨日のブログ『プロ意識を持つだけで、責任感が身につく。』

僕は、責任感を楽しんで欲しいと考えている。
『責任』は、確かに重いけれど、決して、一人で抱えるものではない。
真面目な人ほど、『責任』を一人で抱え込んでしまいやすいけれど、それは間違いだ。

一人で何もかもしようと思っても、できることに限界はある。自分の限界に近づけば近づくほど、プレッシャーとなり、ストレスがたまる一方になってしまう。
以前書いた『ストレスをプラスにする。どころではなくなってしまう。

もっと、仲間や同僚を信用して、任せていこう。
一人で、抱え込んでしまうのは、極論かも知れないが、仲間や同僚を信用していないと同じことだ。

もちろん、信用できない場合もあるかも知れない。しかし、信用できないと思う時は、危険信号が点滅している。
プレッシャーに負けかかっている証拠だ。
そんな時は、ひと呼吸おいてから、なぜ、信用できないのか理由を探ろう。
「まだ、未熟なのか?できるけど、やらないのか?」など、自分がなぜ信用できないと思うのかをしろう。

ここで、信用できないから、自分でやった方が早い。正確だ。などと、自惚れて、仕事を取り返してしまってはいけない。

信用できない理由がわかれば、改善策が見えてくる。
例えば、『未熟』であれば、経験をつませ、成熟させる。もし、時間的な余裕がなければ、任せながらも、重要なポイントに差し掛かった時に手を貸す。得意なことを任せる。など考えられるし、
やる気がないのであれば、『なぜ、やる気がないのか?』理由を探れば、「本当は別の仕事をしたい。僻んでいる。信用されてないことに気付いている。」など、原因があり、それを取り除くことで、今まで以上の力になってくれるはず。

仕事は、決して一人で行うものではない。『何でもできて、他に変わりがいない人』は、『仕事ができる人』ではない。
むしろ、自惚れているだけで、「仕事が中途半端にしかできない人。」だ。
(芸術やスポーツの世界などは、他に変わりがない場合もあるけれど。)

同じゴールを目標とさせることができ(強制ではなく。)、お互いの『得手・不得手』『長所・短所』を認めた上で、足し算ではなく、掛け算にすることができる人こそ、仕事ができる人だと思う。

掛け算にすることは、難しくない。
人は誰も『得手・不得手』『長所・短所』がある。その相反することが共存して「一人の力だ。」
その力のうち、プラス面をより多く引き出せれば、1.3倍、1.5倍・・・と、足し算よりも遥かに大きくなっていくはず。
『得手・不得手』『長所・短所』を冷静に把握し、その時々に応じた適材適所を意識すれば、簡単にできるはず。

もちろん、全てを一人で行わなければいけない場合もあるけれど、やっぱり、一人で抱え込むのは自惚れだ。
決して、一人で生きている訳ではない。
自営業で『家族の目』がプレッシャーになるなら、もう一度、冷静に家族を見つめ直そう。
そうすることで、今まで、プレッシャーだったと思っていた『家族の目』が、実は肩の荷を軽くしてくれる存在だと、気付くはず。

プレッシャーは、楽しむものだ。肩にのって、押し潰すような重い物ではなく、背中を後押ししてくれる頼もしい存在だ。
自分の背後から迫ってくるから、よく見えずに方にのっていると思っているだけだ。
よく見てみると、肩ではなく、背中を押してくれているはず。

プレッシャーを感じた時には、ひと呼吸して、冷静に周囲を見渡そう。
きっと、背中を押してくれているはずだから。

僕も、プレッシャーを楽しんでいる。
今の給与が以前と比べ、全然低く、家族(妻)の目が冷たく見えることもある。
でも、期待しているからこその冷たい目であって、その期待に応えられる力があると思っている。
遠くない未来にはきっと、『暖かい目』に変えてみせるぞ。


コメント

このブログの人気の投稿

怒られ続けると、どうなる?

僕の同僚の中に、毎日毎日、怒られている人がいる。 「本当によく、怒られるなぁ」と、ある意味、感心してしまう。 なぜ、彼は、毎日怒られ、それを直すことができないんだろうか。 以前、 怒られたくない! でも、触れたように、仕事が全て、後手後手になってしまっている。 どうしたら、怒られないかを考えた末、指示されるのを待つだけになってしまったり、やりかけの仕事を投げ出してでも、上司の指示に従い、結果、投げ出した仕事の件で、又、怒られる悪循環に陥ってしまう。 人には、 想像したことを実現する力 を持っている。 そんな 力 が、 『怒られたくない』 と思いが強くなりすぎて、逆に、 『怒られる状況』 を生み出してしまっている。 (怒られている姿を想像してしまっている。) なら、その悪循環を断ち切るには、どうしたらいいのだろうか? 僕なら、開き直る。失敗や不手際で怒られるのは、しょうがない。 それは、それ。次は、次。その失敗や不手際を超える成果を残せばいいだけだと、僕は考えている。 ただ、僕は、人よりもメンタルが強い方だから、できることかもしれない。 しかし、メンタルが強くないと、怒られ続けることで、臆病になってしまい、全てが悪い方に考えてしまい、そこからプラス思考に変えることは困難になってしまう。 本当は、上司が、さじ加減で、『怒る』『褒める』を使って、部下を巧みに扱うべきだと思うけれど、それは他力本願でしかないし、僕の同僚もそうだが、上司が怒りやすい人材であったり、性根が合わないのかもしれない。 そこで、諦めたら(逃げ出したら)、一生、諦める(逃げる)しか、なくなってしまう。 自分の道は、自分でつくるべきだ。 では、どうすれば、その悪循環から、脱出できるのだろうか? 僕は、まず 『褒めらる』 ことを目標とするべきだと思う。 『怒られる』 のが、怖いと思う人は、 『褒められる』 ことを好む傾向にあると思う。 上司を研究し、 『何をしたら、喜ぶのか』 を考え、上司好みの部下を演じるしかない。 すぐに 『怒る』 上司は、案外単純で、自分が気に入れば喜ぶ。 最初はこそ、上司にもこれまでの状況(怒り続けた)もあり、素直に誉めたりしないと思う。 しかし、上司の気に入る状況が続けば、自然と 『褒める』 環境ができてくる。...

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 23【ご褒美をもらう。あげる。】

僕は、家庭(子育て)において、これまで 『ご褒美』 には、反対だった。 かと言って、躾を厳しくし 『罰を与える』 ことも反対だ。 『ご褒美』 目当てに頑張ったり、 『罰』 が怖くて、頑張ったりなどではなく、自発的に自分が良いと思ったことを頑張って欲しいと思っていたからだ。 しかし、ひょんなことから 『ご褒美』 は、必要だと気付いた。 切っ掛けは、学校の先生からのアドバイスだ。 『ご褒美』 があるだけで、子供の頑張り方が全然違う。素直に話は聞くし(今までは、テレビやゲームをしながらの空返事)、積極的になった気もする。 最初は、「現金だな」とも、思ったりした。けれど、自ら頑張る子供の姿を見ていると、 『ご褒美』 も決して悪いもんじゃないと思った。 それもそうだ。子供にとって、学校や勉強を頑張る先に何があるかわからない。 (もう少し大きくなって、将来の目標ができれば別かも知れないけれど、まだ、そこまで大きくない。) 行き先のわからない道のりを頑張って進めるはずがない。 進むべき、道を見つけた子供たちは、自分達の足で、目標に向かって進んでいる。 なんで、今まで気付かなかったのだろう。 自分も、 『ご褒美目当て』 に仕事を頑張っているのに。 子供には、 『ご褒美なし.』 なしは、酷過ぎたかも知れない。 人それぞれ、 『ご褒美』 は、違うかもしれない。 それは、 『給与』 であったり、 『モノ』 かも知れない。それよりも 『言葉』 かも知れない。 以前、 『承認欲求は、誰もが持っている本能。』 でも書いたように、誰しも、他人から、 『認めて欲しい』 と思っている。 その、 『承認欲求』 を満たす、アイテムの一つが 『ご褒美』 なんだと思う。 『給与』 も 『モノ』 も、自分の行動(仕事)を認めてもらった 『ご褒美』 だ。 そして、 『言葉』 は、もっとも 『承認欲求』 を満たす 『ご褒美』 だと思う。 僕も実際、今の職場で、同僚に 『感謝の言葉』 を今までよりも、多く発するようにしたら、これまで仕事に積極的では、無かった同僚も、積極的に仕事をするようになってきた。 上司から 『怒られる恐怖』 で、真面目に仕事をしても、恐怖心が先立ち、ミスをしない 『保守的な仕事』 しかできない。 しかし、 『ご褒美』 を...

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 19【情報を集める】

僕は、さまざまな情報を、いつでも欲している。 そうすると、どんどん情報が集まってくる。 普段の何気ない会話からだったり、テレビや新聞、もちろんネットからも情報を得ることができる。 ただ、情報を集めようと思って会話をしたり、テレビ、ネットを見ているわけではない。 いろいろなことを 『ただ、知りたい』 と思っているだけだ。 僕は、基本的に変に勘ぐったり、情報を聞き出すための誘導するような会話をしたりはしない。取引先との会話の中でも、「最近の景気は?」「大変なことは?」など、直接、聞きたいことを聞くようにしている。 僕は、比較的会話に敏感に反応するので、変に誘導するような会話をする人と話をしていると、嫌悪感を抱きやすい。 他の人も同じだと考えているから、僕は人と会話をする時には、勘ぐったり、誘導するような会話はしない。 案外、直接聞いた方が素直に教えてくれることが多いと思う。 もちろん、素直に本音を教えてくれる人。天邪鬼な人。裏をかき会話をする人など、様々な性格の人がいる。 どんな内容でも、そこは素直に受け入れよう。 初対面では本音を隠されたとしても、素直に受け入れ、相手が自分との会話を楽しんでくれるようになれば、自然に本音を教えてくれるようになるまで待とう。 自分が勘ぐったりしている間は、相手も壁を作り、本音を言ってくれるはずがない。 社内でも社外でも、もちろんプライベートでも信頼関係の構築も一緒で、まずは自分が相手を信頼しなくては、相手は信頼してくれない。 信頼関係を構築できなければ、本音を教えてくれることは絶対にない。 だから僕は、最初に信頼されていなく、本音ではなく、ウソだったとしても気にせず、自分だけはウソをつかないように気を付けている。本音で話をしていると、必ず本音で話をしてくれる。 僕のネットやテレビでの情報収集は、基本的に興味のある一つのことから、どんどん膨らませていくことが多い。 何も目的なく、「面白いことがないかな。」と探す時もあるけれど、余程ヒマな時くらいだ。 僕は、目的や興味がないと、その時だけ頭に入った気がするだけで、結果的にすぐに忘れてしまうからだ。 身につかない知識も、余裕として必要だったり、そこから興味が湧いてくることもあるけれど、僕は、余裕がある時は、出...