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誰かが『やるはず。』だから、自分は『やらなくてもいい。』

誰もが、他人任せになってしまう。
僕も、ついつい、自分がやらなくても、誰かがやるから、大丈夫だと、勝手に思い込んでしまう。

道に落ちてるゴミを拾う人は、殆どいないと思う。
行事やイベントとして、ゴミを拾うのは、ほぼ強制的なので例外として。

しかし、自分の家や部屋に落ちているゴミは、誰もが拾うはず。

その違いは、自分のテリトリーかどうかだと思う。
(大事にしているかどうかも考えられるけど、今回は敢えてテリトリーとする。)

仕事(職場)でも、同様。

誰かが『やるはず。』だから、自分は『やらなくてもいい。』と思っている内は、仕事(職場)が、自分のテリトリーではないからだ。

会社や上司に言われるがままの仕事しかできなくて当たり前だ。
そんな仕事をしても、楽しくなるはずがない。実に、勿体ないことだ。

みんな、好き好んで仕事をしている訳ではないけれど、1日の半分近く(最低でも3分の1)を仕事に拘束される。
いくら、プライベートが充実しているとしても、仕事が嫌いで苦痛の時間であれば、3分の2充実していても3分の1は、嫌いで苦痛な時間を過ごすことになる。
やっぱり、勿体ない。

仕事を楽しくすることで、1日の全てが、楽しい日々になるのに。

仕事を楽しくするためにも、仕事(職場)を自分のテリトリーにしてしまおう。

僕は、人間も所詮、動物だと考えている。縄張り(テリトリー)を本能が求めている。
自分の縄張り(テリトリー)にいることで、安心できるし、本来の実力を発揮できる。

だったら、仕事(職場)を自分の縄張り(テリトリー)にしてしまえば、安心して、本来の実力が発揮できるはずだ。

動物が縄張り(テリトリー)を守るためには、常に巡回し、なにか変化がないか、チェックしている。
もし、なにか変化があった場合、すぐにその原因を探る。そして、解決策を講じる。
(敵が攻め込めば、自分の縄張り(テリトリー)から、敵を追い出す。など)

仕事(職場)を自分の縄張り(テリトリー)にするには、同じことをすれば良いだけだ。

自分の仕事(職場)の変化に常に気を配り、変化があれば、その解決策を考え、行動していく。

その変化に気付ければ、自然と仕事(職場)が自分の縄張り(テリトリー)となり、自然に仕事が楽しくなってくるはず。

しかし、変化に気付くことは、よほど意識しないと難しい。特に些細な変化は見逃してしまう。でも、些細な変化が後々、大きな変化となって、自分に襲ってくるはず。
些細な変化程、見逃してはいけない。

そのためにも、『ゴミが落ちている』『同僚が明るい(暗い)顔をしている』『いつもより、周りがソワソワしている』など、いつもとの違いに気づく癖をつけよう。

些細な変化に気付く癖がついたころには、自然と『誰かがやるはず』から、『自分がやる』に変化し、仕事が楽しくなっているはず。

僕も、常に「なにか変化がないかと気を配っている。」でも、自分のことを棚に上げて、周りの揚げ足を取ることばかりに気付いてしまう。
人の揚げ足を取っても、なにも良いことはないはずなのに。まだまだ、見る目がない。
もっと、見る目を鍛えよう。
(ちなみに視力は、両目共に2.0)


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