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勘違い上司は、必ずいる。

人の上に立つということは、簡単なことじゃない。
ましてや、仕事となると尚更だ。
しかし、世の中には無数の上司が存在する。その中で、人の上に立つべき人と、立ってはいけない人も混在している。

特に、これまで人の上に立ったことがなく、初めて部下を持った上司などは両極端になりがちだ。

ついつい、勘違いをして自分が偉くなったと思い込んでしまう。確かに会社内では、部下より立場は上だが勘違いをする上司は、部下を見下してしまいがちの傾向が強い。

もちろん、子育てと一緒で、初めての父親、母親はわからないことが多く、子供の成長と共に親としても成長していく。

上司も同様に部下と共に成長していかなければならない。
しかし、あたかも最初から人の上に立っていたかのような思い込みで、自分もできないことを部下に当たり前のように指示し、結果が出ずに怒りだす始末。これでは、部下も上司が成長するまで待っていられない。

人の上に立つには、部下にこそ謙虚でなければ。ゴマを擦れとかではなく、部下の本心・本当の実力を見極めるためにも上司が部下に心を開き、部下も上司に心を開ける環境を作らなければならない。

上に引き上げられただけの上司は簡単に落ちていく。吊られた糸が切れれば落ちるだけだからしょうがない。
しかし、下に支えられている上司は落ちようがない。しっかりと支えてくれる人がいるから。

もし、人の上に立つようなことがあったら、自分より上の人間よりも、後々自分を支えてくれるであろう部下のことを大事にしたい。

でも、勘違い上司の下で仕事をする際はどうしたらいいだろう。
陰で悪口を言うしかないのか。難しい所だけど、僕は敢えて、陰で上司を褒める。直接ではなく。
人は直接褒められるより、間接的に誉め言葉を耳にした方が受け入れやすい。直接だと「ゴマを擦っているんだろう。」など、余計なことを考えてしまうが、第三者が入ることで素直に受け入れてしまう。

好意を上司に認識させながら、徐々にこちらの考えを浸透していくしかない。
一度好意を持ってもらえれば、こちらの考えも受け入れやすくなっているはずだから。

遠回りのようだけど、案外、近道で自分の仕事のしやすい環境を作ることができるはず。

僕も今、試しに今の上司にジワジワと浸透している最中なので、結果が出たら報告します。


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