スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

9月, 2017の投稿を表示しています

背くらべをするなら、自分より、上の存在としよう。

誰も、自分が今どの位置にいるのか気になり、知らないうちに他人と自分を比べてしまう。 大昔から、人が集団行動をしてきた本能なんだと思う。 しかし、くらべ方にも人それぞれ違いがある。 僕は、これまで極力、自分より上の人と比べるようにしている。 今の自分に何が足りないのか、自分の欠点は何なのかを知りたいからだ。 世の中には、自分の上・先をいく人は数えきれないほど沢山いる。一歩ずつ越えて行っても、一生かかっても登りきることは無いだろう。 それが楽しいと感じる。 僕の真似をして欲しいわけではないが、自分より、下の人とくらべて、自分が勝っていることに喜びを得ている人もいる。 自分に自信がつき、良いモチベーションを保てるなら、良いとは思うけれど、僕には自己満足としか思えない。 もちろん、僕も心の中では、『あの人より、これは得意だ。』と、思うこともある。しかし、僕には、それがやる気をだすスイッチにはならない。 むしろ、敵わない相手に向かっていくことに魅力を感じる。 (ただの負けず嫌いなだけかも) 自分より、下を見てばかりいると、壁にぶつかった時、対処ができない。出来るわけがない。 その壁を乗り越えている人ではなく、その壁にもまだ辿り着かない人しか見ていないのだから。 だから、僕は、自分のモチベーションをあげるため、時々、自分より下の人を見て、自己満足するのも構わないが、基本的には上を向いて進んでいくことをお勧めする。 普段、歩く時もうつむきかげんではなく、しっかりと前を向いて歩こう。 僕は、意識して、少し上を向いて歩いている。そうすると気分が盛り上がってきて、前向きに物事を捉えられようになってくるから。 (時々は、下も見ないと躓いてしまうけど)

パワハラにあったら、どうする?

昨日の続きで、会社内の人間関係で深刻なのが 『パワハラ』 じゃないかと思う。 ただ、僕には、パワハラをどう解決していいのかよくわからないのが現状だ。 以前の会社で、僕自身も部下に対して、横柄な態度をしていた時もある。転職を進めた経験もあるのが事実だ。 その時は、1年位一緒に仕事をしていたが、中々仕事を覚えず、隠し事やウソもあり、お互いにこれ以上一緒に仕事をしても時間の無駄だと、 僕自身が判断し、転職の話を切り出した。 しかし、立場が変わった今となって考えると、仕事の覚えが悪かったのは、僕の教え方や 仕事に興味を持たせることができなかった からだと思うし、隠し事やウソをつかせてしまったのも、 気軽に相談や連絡できない環境を作ってしまった、僕に原因 があったのだと思う。 ただ、僕の場合は、立場が変わり、視点が変わったからこそ、そこに気付いただけであって、もし、今も同じ仕事、立場であったら、気付かずにいたかもしれない。 パワハラで悩んでいる人も、僕と同じ上司を持ってしまったばかりに、仕事での人間関係に疲れてしまっているかもしれないが、上司がそこに気付くことはないと思った方が良い。 他人を変えることは、簡単なことじゃない。なら、 自分の環境(仕事)を変える か、 自分を変える かのどちらかの選択になってしまう。 環境を変えるのは簡単だが、 マイナス思考的な辞め方 をしてしまうと、次も 負の環境を招きやすい と思う。原因は何であれ、せめて「自分のやりたかった仕事は別にある。」「自分の成長の為。」など、 気持ちだけはプラス思考 でいて欲しい。 そして、自分を変えるには、パワハラ上司はある程度聞き流すしかないと思う。 特に、怒っている時などは、意見も何もなく、聞き流し、上司が冷静な時に、少しづつ自分が変化していることを認識させるしかない。 ちょっとした 、反応の速さ や 言葉使い (お世辞ではない)の変化などで、上司は変化に気づくはず。 上司と言う生き物は、会社の利益や経費などのバランス、効率などを計算しながら仕事をしている。 会社は、利益を確保し続けなければ、破綻してしまうから。 その際に、どうしても過剰な期待(夢や理想に近いかも)もしてしまう。勝手に期待していながらも、期待に応えてくれない部下を目の前にすると小言の一つも言っ

人間関係で、悩んでもしょうがない。

会社組織の中で、人間関係に悩んでいる人は非常に多いじゃないかと思う。 建前上は何であれ、本音で言えば、会社を辞職する理由のトップになっているはずだ。 パワハラ・セクハラなど、様々なケースが考えられ、安易に「そんなことで悩んでも。」と、いう訳にはいかないかもしれない。 世の中には様々な人がいて、性格も全員違う。中には、 気が合う人もいれば 、 合わない人もいる 。 さらに、会社となると、 『上昇志向が強く、他人を蹴落とそうとする人』 や『 やる気のない人』 、 『無理難題を押し付ける人』 など、本当に多くの悩みの種が転がっている。 実際に僕も様々な人と出会ってきた。中には、二度と口をきかなくても良いと思ってる人もいる。 しかし、 仕事仲間 は、あくまでも 仕事上の仲間 であって、 人生の仲間ではない 。僕はなるべく、仕事の時には、人の好き嫌いをなくそうと心掛けている。 例えば、苦手な人は、『自分が仕事をする上で必要なパソコンや道具でしかない。』と、自分に言い聞かせ、利用できるときのみ、利用しようと。 会社組織の中では、好きな人とのみ、仕事ができない。むしろ、するべきでないと思う。好きな人のみが集まった組織は、非常に弱い。 様々な性格を持った人が集まる から、組織としての弱点もカバーでき、 新しい発想も生まれてくる 。 似たような性格が集まったそしきでは、考え方に偏りができ、仮に上り調子の時には、全てが上手くいくとしても、必ずつまずき、下り坂を転げるように組織が脆く壊れてしまうことだろう。 もしくは、最初の好意的な関係が破綻し、ギクシャクした関係になってしまうだろう。 しかし、様々な性格の人が集まった組織では、先見の明がある人、危機管理が得意な人、新しいことを発想するのが好きな人などの良い所どりを、組織を継続、発展しやすくなる。 組織として、 様々な性格の人を集めることは必須 なのだ。 しかし、同じ仕事をする上で、性格が違えば、好き嫌いや合う合わないは必ず出てくる。 そんな時には、嫌いな人や苦手な人にも、得手不得手があり、利用価値は多々あると思おう。 別に、全ての人に心を開く必要なんてない。自分にとって、プラスになるように、他人を利用して行こう。 最初は、利用していると思っていても、その内、 嫌いや苦手だった人

本当にできないのか?

すぐに、 「できない。」 と言う人がいるけど、本当にできないんだろうか。 大体は、子供と一緒で、考えることが面倒だったり、やりたくないだけだったりすると思う。 「宿題ができない。」などと、子供であれば、親に叱られながらも、教えられて宿題を終えることができる。(大抵は、教えるほどではなく、自分でちょっと考えるだけで終わったりするけど。) しかし、仕事となるとそうはいかない。新入社員であれば、上司や先輩が教えてくれるかもしれないが、ある程度仕事に慣れてきたら、自ら聞きに行かなければ、誰も教えてくれない。 恥ずかしいやプライドなど捨て、素直に聞ければ良いのだけれど。 まだ、人間関係を構築できずに 「教えて」 と素直に言えないこともあるし、同じことを何度も聞き、相手から嫌な顔をされたり、体よく断られたりした経験があったりすると、だんだん聞き辛くなってしまう。悪循環の始まりだ。 今度は、『 できない』 ではなく、 「今、忙しい」 や 「別の仕事がある」 など、 言い訳 が始まり、 仕事放棄 の始まりにもなってしまう。 できないこと、わからないことは、先ずは自分で、 できる方法 や 調べること から始めよう。 できる可能性・方法を考えなければ、いつまでたっても 『できない』 で終わってしまう。 それでも、できなかったり、わからないことは多々あるはず。 そんな時は、 自分なりの考え を持って、「こうしたいけど、それはあっているのか?」「調べたが、これでいいのか?」など、聞き方を変化させると、上司や先輩の教え方も変わるし、自分の見方も変わってくるはず。 もともと、人は誰でも 「誰かに何かを教えたい。」 と言う、 欲求 を持っている。 ただ、同じことを何度もだったり、タイミングが悪かったりで、素直に教えてくれない時があるだけで。 相手が本来持っている 「教えたい欲求」 をくすぐりながら、 出過ぎない自分なりの主張 を持っていると、次第に聞かないことまで教えてくれるようになる。 それを面倒くさがらずに、自分に 『チャンスが来た』 と思おう。 立場は上司部下や先輩後輩であっても、自分のブレーンとして、利用するチャンスだ。 一人で何もかも覚え、経験することで、レベルアップを図れれば、それが本当の実力かもしれない。しかし、人や仕

仕事が早い?遅い?

仕事が早い人と遅い人がいる。この違いは何なのか? あくまでも、仕事の話であり、作業の話ではない。 作業を早くするには、経験、得手不得手があり、また、早くても雑だったり、遅くても丁寧だったり、求められるものが変わってくるから、それに合わせて作業を行わなければならない。 しかし、仕事が早い、遅いの違いは、全体を把握しているのか、一部のみしか見ていないかの違いだと思う。 仕事全体を見ていれば、次に行わなければいけないこと、必要になろうであろうことなど、準備すべきことがわかり、段取りよく進めることができる。 しかし、一部しか見えてないと、次の指示があるまで待ってしまったり、作業中に別の作業が必要になり、その作業に時間を取られてしまったりと、後手後手での仕事になってしまう。 結果、仕事が遅い人の烙印が押されてしまう。 職人の世界でよく 『段取り八分』 と、言われるが、職人問わず、仕事を行う上で、実際にそうだと思う。 仕事に着手するのが早くても、全体を見て、必要なこと、不必要なことを判断することで、結果的には仕事を早く終えることができるし、逆に仕事の着手が早くてもその都度、その都度、次に何をするのか考えていては、結果的に仕事を終えるのが遅くなってしまう。 僕は、仕事は早くできるに越したことは無いと思う。(あくまでも作業ではなく、仕事) 仕事を進める前に一呼吸し、スポーツ選手が行う 『イメージトレーニング』 を行い、仕事の終わりまでの流れ・最良の結果を想像してから、仕事を進める癖をつけるだけでも、全然違う結果になると思う。 もちろん、イメージ通りに最良の結果に結びつかないかもしれない。しかし、最良の結果をイメージできないと最良の結果にたどり着けない。 最良の結果をイメージできるから こそ、 最良の結果への道が見えてくる はずだと思う。 しかし、僕は、最良の結果も、そこにたどり着ける道筋も想像できずに仕事を進めてしまう時も多々ある。 そんな時は、開き直って、今の自分が想像できるところで妥協するしかない。 人や経験などによって、見える先 (奥行?)は変わってくる。 今の自分のレベルでは、そこまででもいいじゃないかと自分に言い聞かせ、少しづつ、見える先を伸ばしていけば充分だと思う。

後悔は、必ずするもの。

後悔しない人はいないと思う。 僕もなるべく、後悔しないようにしようと心掛けているけれど、やっぱり後悔してしまう。 実際に、時間を戻すことは出来ないから、後悔してもしょうがない。 よく、後悔しない生き方をしている人もいるだろう。今を全力で過ごし、前のみを向いているなら、後悔する必要はないかもしれない。 自分のひとつひとつに自信を持ち、最善をつくしているなら、そうかもしれない。 しかし、完璧な人間はいないと思う。 後悔はするべきだと思う。ただし、後を引きずらなければ。 「あの時、あーしていれば。」と、いつまでも考えてもしょうがない。できなかったことはしょうがない。 同じミスを二度と繰り返さないように、反省すればいい。 みんな、失敗よりも成功が多いと思う。失敗しても、すぐに直すことができ、同じミスを繰り返さなければ必ず成功が多くなるはず。(いつも新しい事だけを追求しているのではなければ) 後悔をしても、引きずらずにしっかりと反省することが一番大事だと思う。 後悔を引きずってしまうと、悪いイメージにとらわれてしまう。 人は不思議に、いいイメージを常に持っていると、いいことが舞い込み、悪いイメージに囚われすぎてしまうと、悪いことが舞い込んでしまう。 後悔しても、反省をしっかりとして、次は成功するイメージを持ち、後悔を引きずらないようにしよう。 僕は、前だけは常に見て行こうと思っている。 後ろを見ながら、歩くと転んでしまうから、やっぱり前をしっかりと見て、進んでいこう。時々は、来た道(過去)を振り返ることも必要だけれど。

仕事と作業の違いは何だろう?

仕事と作業の違いは何なんだろうか。 仕事も作業の一部だし、作業も仕事の一部だ。よく、赤ちゃんに 「赤ちゃんは、泣くのも仕事。」 と、いうこともある。 詳しく調べれば、決まった定義があるのかもしれないが、僕なりの解釈では、そこに 第三者が加入するかしないか の違いだと思う。 さっきの赤ちゃんも親や周りの人に自分の気持ちを伝える手段として、 『泣く』 。だから、作業ではなく、仕事と言われるんだろう。 自分の趣味で何かを作ったりするのは、 自己満足 でも 簡潔 するので、 作業 になる。 そこに、第三者の感想や意見を聞きたいと思い、SNSなどに投稿していくと利益は生み出さないとしても、仕事の一部になるんだと思う。 第三者の感想や意見が欲しくなる と、 『より良い作業をしよう。』『どうした注目されるだろう。』 と、思考が湧いてくる。 その気持ちが仕事 には必要なんだと思う。 普段、会社で行わなければいけないのは、やはり、仕事であり、作業ではない。錬金術のようにお金を直接作り出せるなら作業でも良いけれど、そんなことはあり得ない。 第三者が自分が作りだした商品やサービスに価値を見出してくれ、対価としてお金を得ることができるからだ。 例えば、工場へ勤めている人も同じだ。 毎日行うのは、決められた作業かも知れない。しかし、その作業を求めているのは会社であり、その商品を欲している第三者がいるからだ。 誰からも求められていない物をひたすら作り出すなら作業だが、欲している人がいる以上、仕事になると僕は思う。 その中で、 より多くの人に商品やサービスを届けたい から、 『作業の効率を上げる。』『作業の正確性を追求する。』 そんな考え方が仕事に正面から向き合う姿になる。 よく、仕事は良くて、作業はダメみたいなことを言う人もいるが、それは自己満足なのか第三者に喜んで貰いたいかの違いであって、普段行っている作業も第三者を意識して行うだけで仕事になる。 ロボットには、仕事ができない。 あくまでも、決められた作業のみすることが求められているから。 僕たちは、ロボットと違う。感情があり、 承認欲求 がある。 よりよい、仕事をするためにも、その商品やサービスを欲している人の気持ちを

お彼岸だから、先祖に感謝。

今日は、秋分の日。秋分の日を中心に秋のお彼岸が1週間あります。 お彼岸にお墓参りに行ければいいのですが、中々行くことができないのが現状です。 まだ若かったころは、自分一人で生まれてきて、一人で何でもやってきたし、これからも一人でやっていくと勘違いしていた時期もありましたが、家族を持ち、年齢を重ねるとご先祖様に感謝する気持ちも生まれてきました。 昔はやった歌ではないけれど、お墓でご先祖様が待っているわけではなく、もう会うこともできないけれど、お墓参りをすると、今までの汚れたり、荒んだ気持ちが洗われたような気がして、すがすがしくなるのは、僕だけじゃないと思う。 今年もお墓参りはお盆に行ったきりで、このお彼岸中も行けそうにはないです。 気持ちの洗濯は、来年のお盆まで持ち越しそうです。 いつから、ご先祖様に感謝しようと思うようになったのかは定かじゃないが、管理職になりたての頃は違ったはず。自分の言うことを聞いていれば何とか成果を残せるようにできるという、自負が強く、それこそ、今の自分があるのは、一人で切り開いてきたと勘違いしていた。しかし、部下に実際は助けられ、一人でできないことも、何人か集まることでできるようになり、更に多くの人の力を借りることで、これまでにない成果が残せると気付いたころから、周りで支えてくれる人たちやご先祖様に感謝するようになったかもしれない。 僕は、年齢を重ね、酸いも甘いも知ることで、 ご先祖様に感謝する気持ち を持つことができた。もっと早く、気付いていれば、今とは、別の生活をしていたかもしれない。 もっと早く気づけば「本当は今頃・・・」などと、考えても、過去に戻ることはできない。 僕が気付くには、この時間が必要だった。でも、気付くことができたことに感謝しよう。 これも、ご先祖様がいてくれたからこそ。 今日は、心の中のお墓に、心の中でお線香とお花をあげよう。

承認欲求は、誰もが持っている本能。

僕は、 承認欲求 が人より、強いのかもしれない。 これまで、僕には部下がいて、色々と相談されたり、支持をしたりしてきた。しかし、全く縁もゆかりもない今の職場で新入社員として仕事をしていると、これまでの 話す立場 から、 聞く立場 へと変化し、そのストレスからなのか(本人は自覚していないが!?)、急にこのブログを始めることを思いついた。 もちろん、そればかりではなく、『もっとこうしたらいいのに』や『不器用に生きているなぁ』など、今の職場での同僚に感じ、少しでも仕事を楽しんで欲しいという思いもある。(大体がその日に起きたことを発信している。) ただ、 承認欲求 は強弱はともかく、みんなが持っている本能的なことだと思う。 (ネットで詳しく調べながらではないので自己解釈だが) 『他人に認めて欲しい』 は、ごく当たり前で、赤ちゃんが何か上手くできた時、親に 『褒めて欲しい』 とおねだりするのも同じだし、SNSも誰かに認めて欲しいからこそだと思う。 承認欲求は悪いことではない。仕事で上手くいったら上司や同僚に褒めて欲しいし、見返り(給与)も欲しい。だからこそ、頑張れるんじゃないだろうか。 ただし、強すぎれば自己中心的になってしまうだろうし、弱いと人と一線を置いた冷めた人(他人に興味がない)になってしまう。 ほどほどがいいんだろうけど、ほどほどはどのラインなのだろうか。僕には、わからない。 ただ一つ、僕が思うのは周りを気遣うことができれば、周りも自分を気遣ってくれるはずだと。決して、周りと同調しろということではない。自己アピールも必要だけれど、周囲に目を配り、適切なタイミングで自己アピールし、自己アピールした分だけ、周りの人にも気を配る。 そんな感じでいいんじゃないかなと思う。 自分を認めて欲しいのは、周りにいる多くの人も同じだということを忘れなければ。 僕はこれからもブログを続けていきたいと思う。その中で、同意してくれる人がいたら嬉しい。 (やっぱり、みんなに認めて欲しいという願望は捨てられない。)

電話応対の心構え。

電話応対で、基本的な話し方や礼儀作法は別として、電話を コソコソと掛ける人 を時々見かけるが、僕は凄く気になってしまう。 特に営業経験が多かった僕にとって、会社内の電話よりも直接、携帯にお客様から電話が掛かってくることが多かった。 周りの営業マンも同様だが、電話が掛かってくると陰に隠れて話を進めている人を見かけると本当に仕事の電話なのかと疑問に思ってしまう。 プライベートな電話であれば、周りに気を使い話をしているのだろうと思うが、時々、目の前に現れ、電話の内容について相談されたりする。 今の職場でも見かけるが、なぜかコードレスの電話に持ち替え、奥の方へ消えて行ってしまう。 仮に、お客様が怒っているなど、 他人に聞かれたくない と思いで陰に隠れてしまうなら、何となく気持ちもわかるが、これがそうとも限らない。 恐らく、 話し方 や 礼儀作法 を気にしたり、「もし クレーム だったら」など余計なことを考えているんだと思う。 どちらにせよ、僕は堂々と周りに人がいようが気にせずに電話すべきだと思う。 その方が、もし話し方に失礼や礼儀作法としておかしなところがあった際に、周りにいる同僚に指摘してもらえるからだ。 他人に 話を聞かれるのが嫌 なのもわかるが、敢えて他人に話(話し方)を聞いてもらい、自分に間違いなどあった場合に指摘してもらえる環境で電話をした方が絶対に良い。 そうすると、早い段階で成長(大げさだが)していける。 自分だけでは、客観的になりづらく、間違いなどに気付きにくい。 恥ずかしいや他人に指摘されるのが嫌などのプライドはいらない。 嫌な思いはするかもしれないが、指摘されたら、すぐに改善することで、 恥ずかしい・嫌な思いは一瞬 でしかないのだから。 お客様からのクレームも同じ。他人に弱い所を見せたくない気持ちもわかるが、職場なら周りにいる同僚は仲間なのだから、応援してくれるはず。例え、応援してくれなくても、話を何となく聞いているだけで内容を理解してくれ、 自分一人で対応できなくなった場合にすぐにバトンタッチ (一からの詳細な説明を省き、簡潔に内容を伝えることができる。)できるから。 どちらにせよ、仕事の電話であれば、堂々と応対すべきだと思う。 僕は、電話での話を周りに聞かれても、何とも思わない。が、このブ

身だしなみに気を使って、損はない。

身だしなみは社会人として、立派なエチケットだと思う。 僕も最低限の身だしなみは気にしている。中でも、一番気を遣うのが靴だ。 個人的に靴が好きなこともあり、尚更だが、いつでもキレイに手の行き届いた靴を履くと心がいい気持ちになる。 僕の場合、新しい靴よりも、靴墨をキチンと塗った靴の方が好きだ。新品のやたらピカピカしているよりも落ち着きのある光沢に見えるからだ。 もちろん、他にもベルトやネクタイにも気を遣う。 何も高級な物や新しい物ではなくていいと思う。 ただ、 『身だしなみを気にする』 この気持ちを持っているだけでも、第三者に好印象を与えるんだと思う。 時々、決められたレールを走るのは嫌だから、自分の好きなようにしたいという人もいるが似合っていればいいと思う。ただ、そういう人に限って、テレビなどにでてくる誰かの真似だったりして、似合ってない人が多い。ヒドイ人は汚れていたり、しわくちゃな服を着て仕事をしている。(家じゃないんだから。) 本当に好きな服を着ている人は、身だしなみは必ず気にしているはず。 人により、好きな小物は違うと思う。自分が好きな小物には、ついつい目が行ってしまう。その時に、汚れていたり、ボロボロだったりすると、ガッカリしてしまうだろう。 多くの人に触れ合う 仕事では、多くの人の好みはわかりかねてしまう。趣味が合う人とだけ出会い、仕事が成り立つのであれば別だが、中々そうはいかない。 だから、最低限の身だしなみは気にするべきだと思う。 その方が、より多くの人に好印象を持ってもらえる。好印象を持ってもらうことは仕事をする上で、重要なポイントの一つでもある。 僕の場合、しっかりと磨かれた靴を履いている人を見ると、新しいや高級などは別にして、靴に気が利くなら、この人は気が利く人だろうと思い込んでしまう。 逆に、汚れたままの靴だったりすると、気が利かない(気づかない)人なんだろうと想像してしまう。 多くの人も特に自分が好きな小物を粗末にしている人を見ると、本来のその人を知る前に勝手に悪い印象を持ってしまうだろう。 スタートが悪ければ、取り戻すのは容易ではない。(テクニックとして、悪い印象から好印象を与えることでギャップの大きさで本来以上の印象を与えることもなくはないが、身だしなみは別だと思う。) なら、 スタ

お客様は神様?

お客様は神様と言われる方もいるが、僕はそうは思わない。 なぜなら、買う権利もあれば、売る権利もあるからだ。 少し、極端な意見なので反発もあるだろう。 もちろん、お客様を見下したり、馬鹿にしている訳ではない。 お客という立場を利用 するズルい人がいるからだ。 僕も、基本的には、お客様の意見を尊重するし、多少の無理難題も気にすることなく引き受ける。ただし、無理難題の度が過ぎたり、無理難題を当たり前のように注文を付けてくる客は、お客様ではないと思っている。 会社からのクレームは気にせず、取引をやめてもらっても良い。そんな客は、会社に大きな利益をもたらすことはないはずだから。 同じ無理難題でも、会社に利益をもたらしてくれるお客様は、譲歩もしてくれる。かたや、「無理難題が通らなければ、取引はしない。」など、上から目線の客は、後々、クレームやらいちゃもんやら、大きな損害にもなり得る。 賢い人や会社は、飴とムチを使い分けるけど、ムチしか使わない会社や人は、今の立場に勘違いしているだけの人でしかない。 そんな人や会社と長い付き合いができるわけがない。 だからこそ、お客様は神様ではないと思う。立場は違えど、同等の位置に立っている。下請けも同じ。大企業も下請けがなければ維持できないはず。ただ、親会社の言う通りすべての条件を飲むのではなく、こちらからも条件の提示をしていこう。 もちろん、条件を出す限りは、請け負う仕事を相手の想像以上の結果で示す。これができれば、立ち位置は下請け、親会社問わず、同じ位置で仕事ができるはず。 世の中には、無理難題を飲むしかない企業もあることはわかっているが、そこから脱出する道を探し、利益を確保しなければ、企業としての本来の存在価値が失われてしまうと思う。 僕は、お客様は神様ではないけれど、やっぱり、お客様は大事にすべきだと思い、尊重し行動するようにしている。

あなたのプライドは、どこにある?

高い、低いは別にして、プライドがない人はいないだろう。 ただし、仕事でのプライドとなると勘違いしている人が多い。周りより、仕事ができると思われたい。自分は周りとは違う。などなど。 本来、持つべきプライドを持たずに余計なプライドだけ、やたらと高い人を多く見かける。特に、中途半端に仕事をこなす人に多い。 僕は、仕事中は、なるべくプライドを持たないようにしている。プライドが邪魔をして、成長する切っ掛けを見失ってしまうからだ。 わからないことは、社歴が長かろうが短かろうが関係ない。ましてや、年齢の上下も関係なく、詳しい人に聞く方が早い。 今の時代は、ネットで簡単に調べることもできるが、ネット上には様々な情報が入り乱れている。 ネット上で、本当に知りたい情報を探し出すには、そのことについて、ある程度、下調べをし、更に追及していかないと正確に理解できない。急ぎすぎると、あたかも正確の用に見える、偽りの情報をつかみかねない。 プライドが高すぎると、周りに 『知らないと思われたくない』 そんなくだらない理由で中途半端な知識を得て、自己満足してしまう。そこに第三者がいないから、間違いに気づくのに遅れてしまう。 自分の本来の目的(家族を守る・出世したいetc)を達成するためのプライドではなく、目先のプライドに捉われてしまっている。 僕は、そんなくだらないプライドはいらないと思う。目的を達成するためなら、他人に馬鹿にされようが関係ない。マイペースで進んでいく。 仕事にプライドを持つ事は、決して悪くないが、高すぎるプライドは邪魔になるだけ。 プライドを持つなら、最低限でありながら、周りに何を言われても、決して折れないプライドにしよう。 周りから、僕のプライドは高いと言われる。でも、仕事に対してのプライドは決して高くない。(と、思う。)

「話し上手は、聞き上手。」は、本当だ。

これもよく言われます。 実際に、「はい。」「え~。」「そうですか。」などの相手を肯定する言葉をタイミングよく話すだけで会話が成り立つことがある。 ただ、ある程度のテクニックはいるので、練習が必要になると思う。 通り一辺倒の「はい。」だけでは、話相手は、本当にちゃんと聞いているのか疑問に感じて、不満・不安にさせる場合もある。 同じ肯定文でも真剣な話には、「はい。」くだけた話には「え~。」自慢話には「そうですか。」など、話の内容にあわせて、変化していかなければならない。 もちろん、うなずくなど、ある程度のアクションも必要だ。(オーバーアクションはなしで。) これだけでも、相手は気持ちよく話ができ、好印象を与えることができる。 更に、話相手が話した言葉をただ、オウム返しのように繰り返すと、より、好印象を与えることもできる。 自分に好印象を持ってもらったてから、初めて、こちらの本題を切り出す。 自分の要件を 『急がば回れ』 で、相手に好印象を与え、聞き入れやすい状況を作り出してから話し出すと、よりよい状況から話を初めることができるので、交渉しやすい。 ただし、相手の話に興味がないとタイミング、適した返答、アクションができないので、相手に興味を持たないといけない。 交渉は相手に心を開かせないと失敗する。相手の心を開くには、まず、自分が相手に心を開かないといけない。 例え、嫌いな相手でも自分が有利になるように話を進めるには、相手に興味を持つことが大事。 自分が心を開くと、実は 『食わず嫌い』 でいい人な時もあるかも知れない。やっぱり、嫌いであっても、相手の考え方がわかれば、弱点を探ることができるかも知れない。 まずは、話相手に興味を持とう。 僕も、「はい。」を多発している。が、こちらの心は開いているのに、一方通行のまま、相手の心を開けずにいる。相手の心のドアにカギがかかったまま、ビクともしない。 只今、心のドアを開けてくれる鍵屋さんを探している最中だ。

話し方のコツは、つかみが重要。

相手に話をちゃんと理解して貰うために、相手が話を聞く体制が取れているか確認する必要がある。 話を聞く体制じゃない時に、いくら話をしても聞き流されてお終いだ。頭では理解できてる人が多いとは思うけど、案外下手な人が多い。 よく、聞き入ってしまう話をする人がいるけど、相手が話を聞く体制にうまく導いているからだと思う。 体制と言っても、真正面・目を見てなどの体制ではなく、何を伝えたいのか明確にし、話を聞いた方がメリットがあると相手に認識させることが重要だ。 例えば、仕事であれば連絡事項をしっかりと聞かなければ、ミスに繋がったり、仕事を容易に進められないなどのデメリットがあることを最初に認識させれば、聞き入れる体制をしっかりと取ってもらえる。 つまり、 つかみが重要 だ。 もちろん、デメリットだけではなく、メリットがあることを伝える場合も同じだ。 よく、仕事では 「結論から話す」 と言われるが、これも つかみ の一つだ。 興味がある・メリット・デメリット が、主に相手の心をつかむ秘訣だけど、ただ一辺倒に話すのではなく、 強弱 や スピード も変化させつつ話すことができれば、自分の伝えたいことがしっかりと伝わるはず。 まだまだ、話し方のコツはあるけれど、疲れたのでここまでに。

人を助けることは、簡単なことじゃない。

人を助けることは、簡単なことじゃない。 それは、助ける人には余裕がないといけないから。 例えば、川で溺れている人を助けるには、体力的に余裕がないと、助けるはずが自分まで溺れてしまう。 金銭的な余裕がない人は、寄付など慈善事業へも参加しづらい。 人に何か教えるのも、知識に余裕がないとできない。 そして、一番は気持ちに余裕がないと、人の力になりたいと思うこと自体がない。 しかし、気持ちだけ強く 『誰かのために』 と、思うことは決して間違いではないけれど、自分の現状をしっかりと把握しよう。そうしなければ、川で自分が溺れてしまうことになる。 もし、今の自分に体力的・金銭的・知識的など余裕がないようであれば、素直に余裕のある人の力を借りよう。 仕事でも同様に、上司から無理難題の仕事を任され、期待に応えようと安易に引き受けることは、決して正解ではない。 冷静に今の自分の力を見極め、ただ断るのではなく、どこまで自分の力ででき、どこら誰かの力を借りたいのか判断し、その旨をしっかりと伝えよう。 そうした場合でも、上司は 「この人は仕事ができない。任せられない。」 と、思うことはない。 しっかりと、仕事を成し遂げることを前提に考えながら行動している。と、むしろ今後に期待してくれるはず。 もちろん、いつまでも同じ内容の仕事でも力を借りるのではなく、ステップアップしていくのが前提だけれど。 徐々に力をつけている姿をみて、重要な仕事も任されるようになってくるはず。 人助けも仕事も、今の自分の力(余裕)を冷静に判断し、できる範囲、力を借りなければいけない範囲をしっかりと見極めよう。 僕は今、全く余裕がないので、誰かの力になることも、仕事で需要な仕事を任されない。 「いつかできたらいいな。」

勘違い上司は、必ずいる。

人の上に立つということは、簡単なことじゃない。 ましてや、仕事となると尚更だ。 しかし、世の中には無数の上司が存在する。その中で、人の上に立つべき人と、立ってはいけない人も混在している。 特に、これまで人の上に立ったことがなく、初めて部下を持った上司などは両極端になりがちだ。 ついつい、勘違いをして自分が偉くなったと思い込んでしまう。確かに会社内では、部下より立場は上だが勘違いをする上司は、部下を見下してしまいがちの傾向が強い。 もちろん、子育てと一緒で、初めての父親、母親はわからないことが多く、子供の成長と共に親としても成長していく。 上司も同様に部下と共に成長していかなければならない。 しかし、あたかも最初から人の上に立っていたかのような思い込みで、自分もできないことを部下に当たり前のように指示し、結果が出ずに怒りだす始末。これでは、部下も上司が成長するまで待っていられない。 人の上に立つには、部下にこそ謙虚でなければ。ゴマを擦れとかではなく、部下の本心・本当の実力を見極めるためにも上司が部下に心を開き、部下も上司に心を開ける環境を作らなければならない。 上に引き上げられただけの上司は簡単に落ちていく。 吊られた糸が切れれば落ちるだけだからしょうがない。 しかし、 下に支えられている上司は落ちようがない。 しっかりと支えてくれる人がいるから。 もし、人の上に立つようなことがあったら、自分より上の人間よりも、後々自分を支えてくれるであろう部下のことを大事にしたい。 でも、勘違い上司の下で仕事をする際はどうしたらいいだろう。 陰で悪口を言うしかないのか。難しい所だけど、僕は敢えて、陰で上司を褒める。直接ではなく。 人は直接褒められるより、間接的に誉め言葉を耳にした方が受け入れやすい。 直接だと「ゴマを擦っているんだろう。」など、余計なことを考えてしまうが、第三者が入ることで素直に受け入れてしまう。 好意を上司に認識させながら、徐々にこちらの考えを浸透していくしかない。 一度好意を持ってもらえれば、こちらの考えも受け入れやすくなっているはずだから。 遠回りのようだけど、案外、近道で自分の仕事のしやすい環境を作ることができるはず。 僕も今、試しに今の上司に ジワジワと浸透している最中 なので、結果が出たら報告

ずるい人は「無言実行」。

僕が仕事を問わず、 「ズルいなぁ。」 と思う人の中に、 無言実行 だ。 昔の男の美学として、男はヘラヘラしゃべらずに、行動で示す。みたいに言われているけど、僕はズルいと思う。 何も言わずに行動し、結果を残すことは、傍からみたら、凄い人かもしれない。でも、何も言わなかったら、誰も何を考え、どんなことをするのか分からないから、結果が出なかった場合も気付くことができない。失敗も本人にしか分からない。 本当は、「余計なことや文句を言わない。」ということなんだろうけど、そこを勘違いしている人が多いと思う。 それならば、やっぱり、僕は、 有言実行 がいい。 他人に言葉でこれから行うことを宣言し、しっかりと結果を出す。 これが一番だ。例え、失敗して周りから笑われようが、その失敗を糧にし、次の成功に繋げることができる。 内緒で大きな仕事を進めるより、公にして大きな仕事を成し遂げる。そっちの方が僕には男らしいと感じる。 もちろん、プライベートでも。 今の社会では失敗を恐れれたり、他人と違う考え方を避ける場合が多くなっているけど、そんな小さなことは気にせず、どうどうと自分が今行っていること、これから行いたいことを宣言しよう。 周りに宣言するとやる気も断然違うはず。 僕も、今後について、考えていることがある。今はまだ、誰にも言えないけれど、近々、公表したいと思う。

「遠慮」はするな。

日本人は特に遠慮しがちと言われるが、自己PRが下手な人が多いからじゃないのか。 遠慮は、決して悪い物ではないけれど、本当に相手のことを思って遠慮する人より、自己満足だけで終わってしまっている場合が非常に多い。 まして、後から陰でグチグチ言う場合も。 自己PRは、ただ他人に 『優秀』 な所をアピールするだけではなく、自分の 『弱いところ』 や 『想い』 、 『考え』 など、本音を隠さずにアピールすることじゃないかと思う。 自分の得意な仕事ばかりこなす訳ではなく、様々な仕事があると思う。自分を知って貰えなければ、自分の得意な仕事につけないばかりか、苦手な仕事を与えられてしまう。 器用な人はソツなくこなしたとしても、得意な仕事なら、もっと成果を残せるかもしれない。 自分を知って貰うには、自分自身のことを一番把握してなければいけないけれど。 遠慮しがちな人は自分に自信がないんじゃなくて、自分自身を知らなさすぎるんだと思う。 遠慮する中で、自分を隠し、他人を持ち上げたふりをするのは、ズルい。 日本人の良さの一つに 謙虚 さが、挙げられるが、 『相手を思いやる謙虚』 と、 『自己満足の遠慮』 は違う。 遠慮ばかりしていると、本当の自分を見失ってしまう。 遠慮もほどほどにしないと。

人とAIの違いは何だろう?

人とAIの違いは何だろう? 将来、人の仕事をAIが奪ってしまう、というニュースを時々見かけるけど、本当にそうなるのだろうか。 僕は、コンピューターには詳しくないし、古い人間なので対面で気持ちが通じることに喜びを感じている。 もし、ロボットなどのAIが劇的に進歩した所で、投資する価値があるのか疑問に感じてします。 例えば、過去の事例など、膨大な量の記憶の中から、適切な結果を導き出す様な仕事は人よりも遥かに優れた結果を出し、その仕事はAIにかわってしまうとは思う。 しかし、人が優れているところは多々ある。例えばウソもその一つではないだろうか。 ウソには、良いウソ、悪いウソがある。例えば、何でもウソのない正直な意見だけでは、ギクシャクした関係しか作れない。相手のことを想いやりつくウソも結構ある。 そのさじ加減は、その人の個性として、その人を彩っている。 もし、AIにも個性があり、相手を想う気持ちを持つことができると、本当に仕事が奪われてしまうかもしれない。 コンピューターの基本は、YESかNOの繰り返しだと考えている僕にとって、曖昧な答えが必要とされることもある人間社会にどこまで対応できるか、想像がつかない。 僕程度でも疑問に感じるということは、すでに織り込みながら開発を進めているのだろうけど、同じ人に対応する場合にも、相手の機嫌や体調など、曖昧さの答えは無限にある。 もし、そこまでも解決する時代にも興味はある。ぜひ、実際に見てみたい。 僕が生きている間に、そんな時代がきても悪くない。もう少し、仕事はしたいので(生活できない)、僕が現役の間は、仕事を奪うのはやめて欲しい

無駄遣いは、悪いこと?

無駄遣いは決して、良いものではないと思う。 特にここ最近は、 『安く』 ・ 『長く』 使えるものが持て囃せれている。悪いことではないけれど、景気の低迷に繋がっているんじゃないかと思う。 バブル時代、日本の経済が急成長していた時、 使い捨ての商品 が多数あった。 バブル時代を懐かしんでいるわけではないが、多少の無駄遣いは必要なんじゃないだろうか。 物が売れれば、生産・販売に繋がっていく。しかし、物の寿命が延び、買い替えのサイクルが伸びているため、生産・販売が縮小している。 今、物の使い捨てが少なくなり、人材が使い捨てされているんじゃないかと思う。 派遣や契約社員という名目で、必要な時のみ利用され、必要性がなくなれば、すぐにバイバイされてしまう。 企業にとって本来、 宝 だったはずの人材が消耗品になり、利益のみが 宝 (重要)になってきている。 もちろん、物と一緒で消耗品は安いく便利に使えるに限る。経営者だけが大きな収入を得、社員の収入が下がるのもしょうがない。 こんな時代だからこそ、自分の存在意義を示さなければいけない。 同じ消耗品でもティッシュやボールペンのように、すぐに買い替えの効くものではなく、社用車やOA機器のように買い替えの際に少しは、検討される位にはなりたい。 現在、消耗品の僕も使い捨てされる立場だけど、ノート位にはなって、何度も読み返される存在になりたい。 最近は、データでの管理が主流で、ノート自体を見る機会が少なくなったけど・・・

壁を超える。

今日は、陸上の桐生選手が10秒台の 壁 を破り、日本人初の9秒台をだした。 高校生から9秒台を目前にしながら、4年もの月日をかけ達成した本当に凄い記録だ。 9秒台を目前にしながら、中々壁を乗り越えることができずに走り続けた4年間は普通の人では想像を絶する努力や葛藤があったと思う。 周りの人の応援や期待も 『パワーの源にもなれば、プレッシャーにもなり』 僕なら逃げ出していただろう。 しかし、桐生選手は自分を信じ、走り続けた結果が、本日の素晴らしい記録に結びついたのだと思う。 仕事をする上でも、 『壁』 は、多く、様々な困難や試練として、僕たちの目の前に立ちふさがる。 よく「神様は乗り越えられない壁(試練)は与えない」などと、言われるが、そんなことは無い。突然、目の前に大きな壁が立ちふさがることもある。とても乗り越えなられない時もある。 そんな時は、いったん立ち止まり目の前の壁だけではなく、周りを良く見渡して欲しい。 目の前に壁があると、その壁が大きかろうが小さかろうが 壁しか見えなくなってしまう 。 少し後ろに下がってみるのもいい。 大きいと思っていただけで、案外小さな壁だった時もある。 また、周りを見渡したら、目の前の大きな壁は乗り越えることができなくても、その足場と成り得る 小さな壁 であったり、 はしご や 回り道 があったりする。 目の前の壁は乗り越えるだけが全てではない。 壁の横をすり抜けることもできるし、大きいだけで薄い壁だったら、正面から当たって壁を壊すこともできる。 どうしても、壁にぶち当たると周りが見えなくなりがちだが、そんな時ほど冷静になり、客観的にその壁をよく見てみよう。 案外、大したことがないことも多々あるはず。 しかし、例えが悪いが、刑務所の壁のように乗り越えられない、壁もある。 そんな時は素直に逃げるか、刑期が終えたら壁の外にでれるように、時に身を任せるのも必要な時もあるしか知れない。 焦って、無駄に努力をするより、いざと言う時の為の充電期間にするのも一つだと思う。 僕も只今、充電期間中です。 (結構前から、100%にはなっていますが)

最悪な日。

今日は、朝から大きな失敗をしてしまった。 自分の不注意が原因だけど、 「他の誰がやっても同じ結果になるはず。」 と、思っている自分がいる。 注意を怠らなければ良かっただけなのに、どうしても、自分を擁護してしまう。 幸い、すぐに 報告 をしたおかげで、その後の支障は最小限に抑えられたとは思うが。 こんな日は1日ついてない。 物を触れば倒したりなど、小さな失敗も繰り返してしまった。 こうなれば、もう開き直るしかない。 何をやってもダメなら、何もしない。 今日は、早く家に帰って、ビールを飲んですぐに寝てしまおう。 ちょっと早いけど、「おやすみなさい。」

確認のバランス。

仕事で大事なことに 『確認』 もある。 確認を怠るとミスにつながりやすい。思い込みで仕事をしてしまうと、そうなりやすい。 自意識が高い人に多く見受けられる。 また、過剰な確認も問題があると思う。いちいち何度も確認をしないと不安でしょうがなかったり、自分で決断することを怖がって確認がやたらと多くなる。こちらは自信がない人に多い。 僕も適度な確認はどの程度か何とも言えないけれど、多過ぎず、少な過ぎずにできる人が仕事ができる人と言われていると思う。 同じ仕事をしていても、社歴や立場によって、自分で判断しなければいけない場面が違ってくるので臨機応変に対応していくしかないが、自分で責任を追える範囲であると判断し、確認を省いて仕事を行ったとしても、 事後の報告 がしっかりとできれば大きなミスにつながることは無いと思う。 事後であろうと 報告 をしなければいけないと頭に入っている時点で責任を負う覚悟ができており、覚悟を持って仕事をしているとミスが少ない。 いつもと同じ仕事と思い込み 「うっかり確認しなかった」 や 「何度も同じことを確認している」 を直していけば 自分の仕事に自信がついてくる んじゃないだろうか。 僕もこんな偉そうなことを書いているけど、まだまだ未熟だし、文章も下手なので誰かおかしな文章や間違いがあったら教えて欲しい。「いいよ」「悪いよ」の確認が取れれば、良かったらさらに良く、悪ければ直すことができるので安心できるかな。 お願いします。

ずるい上司にこそ、報告は重要。

新入社員の多くが、会社では 『報・連・相』 が重要と教えられる。 ほとんどの人が聞いたことがある言葉だと思う。 なぜ、必要なのか? 仕事で 報告 は、ごく当たり前のこと。仕事の経過や過程、現状を報告することは、組織として責任の所在を明確にでき、上司は部下から受けた報告をもとに今後の判断をしていく。 連絡 ももちろん重要。例えば、体調が悪く休む場合など、連絡がなければ、同僚に心配をかけてしまう。主に上司部下関係なく行われるのが連絡になる。 自分で解決できることばかりではないからこそ、 相談 ももちろん重要。 その中で、報告が下手な人が非常に多い。 例えば、上司が忙しそうで報告を後回しにしてしまう。や、自分の判断で大丈夫と思い報告しない。などなど。 部下から報告をしやすい環境を作れない上司にも大きな問題があるが、そこは勇気を持って周りの状況を最低限の配慮をした上で強引に報告をするべきだと思う。 そこで、上司に気を使っても全く意味がない。時には、 「忙しいから後に。」 など、逆に怒られたりする場合もあるし、話を聞いてくれない場合もあると思う。しかし、そこでアクションを起こすことが重要で、アクションを起こした所から、責任は上司に移る。 人のせいにする訳ではないが、責任の所在は明確にしておかないと取り返しがつかなくなる場合もある。個人の場合、数万円などの損失も企業となれば一つの判断ミスが数千万、数億となる場合もある。 そんな責任を取れる個人はそうそういない。 だからこそ、 報告が重要 になってくる。 「上司に責任を押し付けろ。」 という訳ではないが、重要な理由はそこにある。 たまに、ずるい上司が 「部下のミスは部下。自分のミスも部下。」 という上司もいるし、自分の都合でしか話を聞かない上司もいる。しかし、そこで諦めずに報告は徹底しよう。ずるい上司なら尚更、上司に責任を押し付けてしまえ。 上司が聞く聞かない別にして、アクションをおこそう。 こんな話をすると、悪い報告ばかりに思われがちだが、結果を残した場合も同様だ。比較的良い報告はしやすいから問題は無いと思うが。 僕も報告だけはこまめに行うようにしている。責任は取りたくないから。

出世とは。

仕事をしていると、やたらと出世したい気持ちで仕事をしている人がいる。 大抵、本人は仕事が周りの人より、自分が長けていると思っている。 しかし、実際はどうだろう? 僕が見てきた人の中で、仕事ができると思っている人ほど、たいしたことは無い。 何故だろう。 経験から、自分自身の判断でしかないからだと思う。自分の価値観で仕事の優越を決め、自分の価値観でのみ仕事ができるできないの判断でしか、ないからじゃないだろうか。 所謂、自己満足だけだ。 でも、サラリーマンである以上、出世をして、給与も今以上に臨むことは決して悪いことではなく、むしろ全てのサラリーマンに臨んで欲しいと思っている。 出世を諦めたサラリーマンほど、仕事をダラダラして、帰社時間が今か今かと待ち望んでいるだけの無駄な時間を過ごしている。 (極端な意見だとは思うが、そんなに間違っていないと思う。) しかし、多くのサラリーマンは出世から縁遠いのも事実だ。 出世するには、2つの道がある。一つは、上司に媚びを打ってでも気に入られること。そして、もう一つは、下から押し上げて貰うこと。ただし、周りや下から持ち上げてもらうには、それ相応の行動を行わないと無理だと思う。それは、周りや下の人は出世を決める権限がないからだ。周りや下の人に認められ、上司からも認められることは人一倍の努力では足りない。 しかし、周りや下の人から押し上げられ出世をした人は強い。上司からだけ認められた人とは雲泥の差がある。 それは、覚悟あるから。 「慕われた人を守ろう。」「力になろう。」 と。 媚びを売る人は覚悟がない。自分だけが良い思いをすればいいのと思っている人間に覚悟できるはずはない。 この違いは誰の目から見ても明らかにわかる。 出世に近道はない。周りを気遣い、時には叱り、会社、部署全体の底上げを図り、現在の位置よりも上に上げることを考えながら行動して行くしかない。 時には上司の身内だけで上に立つ人も現れ、そこにやきもちや僻みを入れずにやるしかない。 それができれば、気づいた時には、それなりのポジションにいるはず。 僕も現在は上しかいない最下層のサラリーマンだ。 年齢も考えるといつまでも、このままで良いとは思っていない。ただ、今が楽なポジションでもあり、その内何とかなるかなと思いながら日々

本当の男女平等って何だろう?

本当の男女平等って何だろう? 僕個人の考えで、反対意見も多々あるとは思うが、今の日本や欧米の男女平等は無理があるんじゃないかと思う。 もちろん、女性が社会進出することや女性だから【お茶くみ、掃除が仕事】というのは、疑問符がつくが、【何でも同じじゃなければいけない。】ということも疑問符がつく。 女性は、女性ならではの目線や気配りがあり、男性は男性ならではの目線や気配りがある。 それは、仕事であっても、家庭であっても同じことだと思う。 男であることも女であることも個性の一つに過ぎないんじゃないかと思う。ただ、一部に過度に反応する人がいるおかげで、 『女性だから雑用をすればいい。』 や、逆に 『女性だから出世しない。』 など馬鹿げた論争をしている。 その内 『男女平等』 の言葉さえ、 「男が先に来ているから、女性軽視だ。」 などのくだらない議論まで始まりかねない。 みんなが、一人歩きを始めた 『男女平等』 に縛られ、疲れ果てて、ギクシャクしている。 どう頑張っても、男性であること、女性であることは変わらない。そこから、目を逸らさずにお互いに認め合い、得手不得手をカバーし合える関係になれば良いだけだと思う。 現在の男女平等は男性・女性から目を逸らし、人として、大きな括りで見なければいけないと強制しており、僕は、そこに無理があると思う。 だって、男と女は絶対的に違いがあるから。 (絶対的な違いとして、子供を産むことができる・できない。など) ※子供を産む産まないの選択は別として 先ずは、男性と女性の違い、得手不得手を認め、男だけでも女だけでも人類が成り立たないことを認め、尊重し合い 『男女平等』 の言葉が、いい意味で無くなった時こそ、本当の男女平等何じゃじゃいかなと思う。 僕も家庭では、仕事に行く前の通り道だからゴミ捨てはするし、掃除は得意なので任されている。特に僕が煎れるお茶は絶品らしく、褒められるのが嬉しくて、お茶とコーヒーを煎れるのだけは譲る気はない。

眞子さま、ご婚約。

今日は休みの中、微笑ましいニュースがありました。 眞子さまのご婚約です。 結婚をするということは、「好きだ、惚れた」だけでなく、覚悟も必要とする。まして、皇室の方ととなると、並大抵の覚悟ではないはず。 まだまだ若い二人がその覚悟をし、乗り越えて行く道を選んだことに尊敬します。 若さをパワーとして、日本のみんなが羨ましいと思う夫婦になって欲しいと願います。 僕も家族がいますが、本当に山あり谷ありです。 時々、一人が良かったと思う時もありますが、それ以上に良かったと思う時の方が多い。 一人で乗り越えられない壁も二人、三人なら乗り越えていける。 家族を養う責任も心地が良く、妻や子供たちに 「ありがとう」 と、言いたくなる。 中々、日々の生活の中で言いづらい言葉だけど、今日の眞子さまのご婚約のニュースを見て、今日は家族に日々の感謝伝えようと思った。 「本当に、ありがとう。これからもよろしく。」

「夢」や「目標」を持とう。

仕事に対して、 『夢』 や 『目標』 を持って仕事を行っている人は、 『夢』 や 『目標』 を持っていない人より、動き方が全然違うと思う。 もちろん、プライベートなことでも良いと思う。 『夢』 や 『目標』 を持っているということは、ゴールが見えていることと同じで、いつゴールするかわからずに闇雲に走っても疲れるだけだけど、ゴールが見えていれば疲れも半減するし、迷わずに突き進むことができる。 大きな夢や目標だけでなく、今日1日、今月、今年と細分化していけば、辿り着くまで遠すぎて諦めてしまうこともなく、徐々にレベルアップしながら、確実に大きな夢や目標に向かって進んでいける。 ただし、ゴールが見えていても、今の自分の位置をしっかりと把握しておかないと道を間違えたりしたことに気付かずに闇雲に突き進んで、後で戻らなければ行けなくなってしまう。 時々、自分を第三者の目で見て、今現在どの位置にいるのか主観的ではなく客観的に判断できるようになると仕事も楽しくなり、やりがいも生まれてくるんじゃないだろうか。 山登りをイメージするとわかりやすいと思う。初心者が上級者向けの山に登ることは無謀なことだし、自分の位置を正確に知っておかないと遭難してしまう。 どうせやらなきゃいけない仕事なら、イヤイヤやるより、楽しんでやれた方が良いに決まっている。 楽しんでお金が貰えたら、これほどいいことは無い。 楽しんで仕事をしている人は、大なり小なり 『夢』 や 『目標』 を持っているはず。 僕の今一番小さな夢は、 「早く、ビールが飲みたい。」 必ず叶えるぞ。

怒られたくない!

怒られるのが好きという方は、よほど変わった人じゃない限りいないだろう。 僕も怒られるのは好きじゃない。 ただ、怒られたくないが強くなりすぎると仕事の仕方が変わってくる。 ミスを恐れて、得意なことや無難なことばかりを優先してしまい、本来、優先的にしなければいけない重要な仕事を後回しにしてしまい、結局最後に怒られてしまう。 怒られるのを恐れるばかりに、更に怒られてしまう悪循環に陥ってします。 もちろん、新しいことや複雑な仕事にチャレンジする余裕はないので成長もできない。 そこに気付くことができない上司にも問題があるが、子供が親を選べない(子供は親を選んで産まれてくるとの話もあるが)よいうに、普通の会社員は上司を選ぶことができない。 上司を変えようと思ったら、並大抵のことじゃない。後は、逃げ出す(会社を辞める)だけしか残っていないんだろうか。 僕は、そんなことは無いと思う。 怒られるのを恐れなければいいだけ。怒られるのはしょうがない。自分のミスを認め、怒られたことに感謝しよう。 怒られることを恐れている人の口癖は 『すみません。』 が、非常に多い。 その口癖をやめ、 『ありがとうございます。』 に変えていこう。 怒るのが好きな人は、 『すみません。』 の言葉で、更にエンジンが掛かってしまうけど、 『ありがとうございます。』 などの言葉には非常に弱いはず。 感謝されると大体「分かったなら良いよ。」となるはず。 何事も小さな一歩から進んでいくように、言葉一つで仕事に対する気の持ちようが変わってくるはず。 もし、あなたに心当たりがあるなら、ぜひ試してみてください。 偉そうにすみません。