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僕がやっている簡単な自己啓発 Part 22【人に教える】

僕の日課の一つとして、『子供と一緒に勉強する』時間を作るようにしている。 主に宿題をちゃんとするように見ているだけだけど、わからない所があれば、教えるようにしている。 まだ、小学生なので、答えを教えるのは簡単だけれど、子供がちゃんと理解(納得)するように教えることは、中々難しいと思いながら、日々過ごしている。 つくづく学校の先生は凄いと思う。 子供に答えだけを教えることと、 『なぜ』 その答えになるのかを教えることは違うし、 『なぜ』 を解決しないと、同じ問題でも、間違いを繰り返したりしてしまうと思っている。 決して、自分の子供に優秀になって、将来、「いい学校へ」や「いい会社へ」と期待している訳ではなく、どんな学校や会社へ、入ったとしても応用を利かせ、理解できるようになって欲しいからだ。 だから、算数の公式にしても、図に書き、子供が理解しやすく、納得できるよう、自分なりに考えながら、子供との時間を共有できるようにしている。 仕事でも同様に、どんどん周りの同僚や人に自分の持っている知識や経験を伝えるようにしている。 いざ、自分の知識、経験を人に伝えてみると、これが案外難しい。 自分本位で話をすれば、単なる自慢話として、受け取られ、興味を持って貰えないし、浅い経験や受け売りでは、相手の疑問を解決できずに 『なぜ』 を残したままになってしまい、同じ質問や失敗を繰り返すだけになってしまう。 人に教えるということは、非常に難しいことだ。 教える相手より、数倍の知識がないと、本当の意味で、理解、納得してもらうことはできないからだ。 だからこそ、僕は、どんどん人に教えるようにしている。 (教えるとなると、偉そうな気もするけれど) そうすることで、自然に自分の勉強になってくる。 相手の疑問が解決できなければ、僕の知識不足だし、相手が納得できなければ、僕の説明下手や交渉力の未熟さだったりする。 また、自慢話にならないよう、相手に興味を持って貰えるように話を考えることで、コミュニケーション能力が鍛えられると思う。 答えを教えずに、答えに導くように教えることは、とても難しいけれど、自分も成長できる絶好のチャンスだと思っている。 しかし、最近の小学生に教えるのは、こちらの予習が必要なほどになってきている。 僕は今、算数から、

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 21【子供から学ぶ】

昨日今日と、休日だったので、子供と自転車の練習をした。 最初は、怖がってペダルに足をかけることすら、できなかったけれど、だんだん恐怖心が薄れて、好奇心と楽しさが勝ってくると、一気に乗れるよう(本当は、自転車に乗れる一歩手前)に迄なった。 親バカじゃないけれど、子供の成長スピードには、目を見張るものがあると、つくづく実感した。 しかし、子供だけではなく、大人も一緒だと思う。 どうしても、新しいことを始めようと思ったら、興味や関心があっても、恐怖心が勝り、チャレンジすることに躊躇いがちになってしまう。 でも、その恐怖心に打ち勝つことで、新しい世界が待っている。 恐怖心に打ち勝つには、難しいことは、何もない。 怖いと思いながらもチャレンジしてみるだけだ。 最初は、誰でも怖い。しかし、チャレンジしてみると、案外、見せかけだけの恐怖でしかないことが多い。 知らないことだから、怖いと思っていただけで、知ってみると、決して怖いことではないことに気付くことができるからだ。 子供は 『知りたい』 興味と好奇心が強く、簡単に恐怖心に打ち勝つことができるけれど、大人になってしまうと、 『知りたい』 興味と好奇心が薄れ、今の現状の知識、経験で満足してしまいがちだ。 知らない世界を切り開くより、知っている世界(現状)で、満足してしまう。 でも、僕はそれは勿体ないと思う。 大人も、子供と同様に 『知りたい』 興味と好奇心を持っている。 今の現状に満足していたとしても、新しい世界を知ることで、今まで以上の充実感を味わえると信じて、どんどんチャレンジしていこう。 時には、チャレンジして、後悔することもあるかも知れない。 でも、一度 『知った世界』 が、満足できなくても、『知らない世界』への、恐怖心は克服できているはずだから。 だから、僕は、これからもどんどん新しいことにチャレンジしていきたい。

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 20【なんでも、自分のせいにする】

僕は、なんでも、 『自分のせい』 だと考えるようにしている。 しかし、決してマイナス思考でもないし、自己否定してるわけではない。 次の手段を考えるためだ。 く、するつもりではなく、 失敗や間違いを 『他人のせい』 に、したのでは、そこから何も生まれず、よりよい改善策を取ることができない。 せいぜい、「今度は、もっと信頼できる人に頼もう。」や他人が変わるのを待つくらいだ。 それでは、同じ失敗や間違いを繰り返してしまう可能性が拭えない。 しかし、 『自分のせい』 と考え、同じ失敗や間違いを犯さない方法を考え、自分の行動を変えることで、防ぐことができるはずだ。 例えば、歩いてる最中に鳥のフンが頭に落ちてきた。 これを鳥のせいだけにしたのでは、いつ同じことが起きてもおかしくはない。 しかし、事前に鳥が多そうなところでは、傘をさしたり、帽子を被ったりすることで、頭にフンがつくことはない。 いつものように例えは変だけれど、これと同じように、仕事でも考えるようにしている。 負けず嫌いな僕の性格だから、落ち込むことなく、むしろ、やる気がでてくるのかもしれない。 ただ、僕も強い人間ではないので、時には『ご褒美』も欲しくなる。 そんな時には、成功したり、成果が上がった時も 『自分のせい』 にするようにしている。 これは、妄想の範囲で、口や行動には出さないけれど、僕も絡んだ(ほんの僅かでも)ことで同僚や会社が成果をあげた時も、 『僕のせい』 だと、思っている。(あくまでも思うだけ) そうすることで、実際は、殆ど何もしていないのに、何だか自分に自信がついてくる。 僕は、単純な性格だから、自信がつけばつくほど、やる気が出て、もっともっと、頑張りたくなってしまう。 だから僕は、失敗や間違いであっても、成功や成果をあげたことも、全て 『自分のせい』 にしている。

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 19【情報を集める】

僕は、さまざまな情報を、いつでも欲している。 そうすると、どんどん情報が集まってくる。 普段の何気ない会話からだったり、テレビや新聞、もちろんネットからも情報を得ることができる。 ただ、情報を集めようと思って会話をしたり、テレビ、ネットを見ているわけではない。 いろいろなことを 『ただ、知りたい』 と思っているだけだ。 僕は、基本的に変に勘ぐったり、情報を聞き出すための誘導するような会話をしたりはしない。取引先との会話の中でも、「最近の景気は?」「大変なことは?」など、直接、聞きたいことを聞くようにしている。 僕は、比較的会話に敏感に反応するので、変に誘導するような会話をする人と話をしていると、嫌悪感を抱きやすい。 他の人も同じだと考えているから、僕は人と会話をする時には、勘ぐったり、誘導するような会話はしない。 案外、直接聞いた方が素直に教えてくれることが多いと思う。 もちろん、素直に本音を教えてくれる人。天邪鬼な人。裏をかき会話をする人など、様々な性格の人がいる。 どんな内容でも、そこは素直に受け入れよう。 初対面では本音を隠されたとしても、素直に受け入れ、相手が自分との会話を楽しんでくれるようになれば、自然に本音を教えてくれるようになるまで待とう。 自分が勘ぐったりしている間は、相手も壁を作り、本音を言ってくれるはずがない。 社内でも社外でも、もちろんプライベートでも信頼関係の構築も一緒で、まずは自分が相手を信頼しなくては、相手は信頼してくれない。 信頼関係を構築できなければ、本音を教えてくれることは絶対にない。 だから僕は、最初に信頼されていなく、本音ではなく、ウソだったとしても気にせず、自分だけはウソをつかないように気を付けている。本音で話をしていると、必ず本音で話をしてくれる。 僕のネットやテレビでの情報収集は、基本的に興味のある一つのことから、どんどん膨らませていくことが多い。 何も目的なく、「面白いことがないかな。」と探す時もあるけれど、余程ヒマな時くらいだ。 僕は、目的や興味がないと、その時だけ頭に入った気がするだけで、結果的にすぐに忘れてしまうからだ。 身につかない知識も、余裕として必要だったり、そこから興味が湧いてくることもあるけれど、僕は、余裕がある時は、出

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 18【どんどん譲る】

僕は、人に譲る(優先)ことが多い。自分のことや意思、気持ちは後回しにしている。 ただし、周囲に調子よく合わせているのではない。 僕が、 『絶対に譲れない』 と考えていることを守るためにそうしている。 何でもかんでも、自分の思い通りになることは、まずありえない。 普段、意識しないうちに 「譲って、譲られて」 を繰り返しているはず。 しかし、バランスが自分寄りになってしまうと、 『自分勝手』 や 『自己主張が強い』 と言われ、他人寄りになると、 『優柔不断』 や 『自己主張がない 』と言われてしまう。 このバランスの取り方に長けている人は、立ち回りが上手なんだと思う。 ただ、僕の場合、そんなバランスを考えるのが面倒なので、極力、譲るようにしている。 ”10”あったとしたら、そのうち”9”は、譲る。 しかし、 『絶対に譲れない』 ”1”は、絶対に譲らない。 自分なりの一線を引いておくことが大事だと思っている。 一線を引き、普段から何気ない会話の中でも匂わせておく。 例えば、「ラーメンの魚介系の出汁は嫌い。」(僕は、本当に苦手)など。 そうすると、上司にラーメンを誘われて(誘った上司が魚介系の出汁好き)も、イヤイヤ合わせることなく、自分の好みでラーメンを選択することが出来る。 例えとしては、上手くないけれど、自分で選択権を持つことができる。 自分が選択権を握ることは重要な事だと思う。 ラーメンは、別としても、それが自分が譲れないことであれば、尚更だ。 ”10”あるうち、”9”譲ることで、絶対に譲りたくない”1”を容易く得ることができる。 それは、普段から、譲ってくれる人に、この場面は、絶対に譲れないと主張されると、案外、簡単に人は譲ってくれる。 自分だけが優先されると、何か不安や負い目が生じて、それを「解消したいと」どこかで感じているからだと思う。 営業職だった時代、お客様に引き渡す商品の品質に僕は、こだわっていた。 それは、品質に満足してくれたお客様からは、必ず紹介があり、営業の成績に大きく貢献してくれるからだ。 ただし、職人が作り上げる一点物の商品なので、天気や納期などによって、品質にバラつきがでてくることが多い。 だから、僕は普段から、納期に余裕を持つようにしていた。 納期をエサに

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 17【頑張らない】

僕は、全力で仕事をしないようにしている。決して、頑張らない。 その理由は、余力を残すとか、カッコイイことではなく、ただ単に疲れてしまうからだ。 最近は年齢もあってか、疲れやすい。だから、仕事に於いても、ほどほどに手を抜き、省エネで仕事をするようにしている。 若かった頃は、仕事も遊びも全力でやっても疲れることはなかったけれど、今はそんなに体力がない。 しかし、年齢と経験を重ねたことで、要領がよくなり、若かった頃には全力でやっていたことを今は、適当に手を抜いてもできる(本当に?)ようになった。 そして、頑張らないことで、周りを見る余裕もできてくる。 どうしても、全力で頑張ると、周りが見えなくなってしまう。集中しているから、当たり前のことだと思う。 以前の僕は、何でも 『自分がやる』 という、思いが強すぎた。決して、それは悪いことではなく、そんな経験があったからこそ、今があるのかも知れない。 しかし、何度もこのブログで僕が述べているように、 『仕事は一人ではできない。』 周りと共存し、協力してこそ、本当にいい仕事ができる。 そのためには、周りの状況をしっかりと見極める必要がある。余裕がなくては、周りの状況を見ることができない。 周りの状況をしっかりと見るためにも、頑張ってはいけない。余裕がなくなってしまうからだ。 周りをよく見るために必要なのは精神的な余裕だけではない。体力的な余裕もなければいけない。 疲れきっていては、疲れを癒すことが最優先になり、周りを見ている場合ではなくなってしまう。 どうしても、仕事に意欲的な人は、頑張りすぎてしまう傾向にある。 僕もそうだった。 でも、それでは上手くいかない。 頑張っている人は、頑張っていない人(普通に仕事をしているだけでも)を見下したり、非難してしまいがちだ。 そうすると、社内の雰囲気も悪くなり、同僚の協力も得られず、自分で何もかもしなくてはいけなくなり、ますます頑張る。もっと、雰囲気が悪くなってしまう。 悪循環に陥ってしまう。本人は、ただ単に仕事を頑張っているだけなのに。 余裕がなくなると、 『人の粗』 らしか見えなくなってしまうけれど、余裕ができると、他人の本心や長所が見えてくる。 他人の本心や長所がわかれば、共存する最適な道も見

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 16【横取りする】

僕は、いつも仕事を横取りするようにしている。 しかし、手柄を横取りするわけではないし、仕事を独り占めしようとしているわけでもない。 人それぞれ得手不得手があることは、何度も伝えて来たけれど、もちろん、僕も得手不得手がある。 自分が成長するための一番の近道は、自分の得意分野を伸ばすことだと思う。 自分の得意分野を伸ばし、社内でその仕事のエキスパートになることで、同僚からも頼られ、その期待に応えようと、更に成長して行くことができる。 すると、更に同僚に頼られると。相乗効果でどんどん成長していく。 だからこそ、僕は、自分の得意な分野の仕事は積極的に横取りしていく。 その際に、「得意だから、任せてよ。」などと、軽く言葉を添えながら。 ただし、決して「やってあげている。」などと思わないように気を付けている。 思いは伝わるから気を付けないといけない。 さらに、成長するためにも、苦手な分野を克服していく。 得意な分野で同僚から頼られるようになってきたら、苦手な分野も克服していく必要がある。 苦手な分野の克服は、得意な分野を伸ばすよりも、根気が必要になってくる。 だから、同僚から仕事を横取りし、経験をより多く積むことが重要だと思う。 そんな時にも、「苦手だから(覚えたいから)、僕にやらせて。」などと声をかけ、あえて 同僚にアドバイスも受けながら 実践していく。 そうすることで、 同僚の教えたい欲求を刺激し、満たすことで、人間関係も構築 しながら自分の苦手分野を克服して行くことが出来るはず。 同僚からのアドバイスや手を借りながら克復することが重要なので、決して、一人で頑張らないように心掛けるようにしている。 多少の上から目線は気にせず、素直にアドバイスや手を借りていこう。 ただ、仕事を横取りしたのでは、ただの出しゃばりになってしまうけれど、教えたい欲求を刺激し、満たすことで円満な人間関係の構築にも繋がって行くはず。 仕事の横取りの仕方次第で、自分を成長させ、円満な人間関係も構築できるので、僕は、積極的に仕事を横取りしている。

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 15【言い訳しない】

僕は、極力 『言い訳をしないように』『人のせいにしないように』 と、心がけている。 もちろん、聞かれたら言い訳もするし、人のせいにすることもあるけれど、自分からは、決してしない。 偉そうに聞こえるかもしれないけれど、そんな大層な事ではなく、言い訳や人のせいにする発言をしても、時間の無駄でしかないと思っているからだ。 それに、周りにもいい印象を与えることは決してない。 わざわざ、無駄に時間を使い、さらに自分の印象を下げるなんて、バカらしい。 だから、僕は、 『言い訳もしないし、人のせいにもしない』 。 自分から口に出せば言い訳だが、聞かれて答えると理由になる。 例えば、遅刻をしたら、素直に「遅れて、すみません。今後、気を付けます。」それで、充分。 「なぜ?」と、聞かれて始めて「渋滞が。」など、理由(言い訳ではなく)を述べる。 ミスなどを繰り返さないためにも、原因(理由)を知ることは必要だし、会社として、当たり前のことだと思う。 しかし、聞いてもいないのに、言い訳を始めると、「そんなに自分を正当化したいのか?」と、勘ぐってしまう。 もちろん、本当に自分に非がなく、やむを得ない場合もある。それでも、 先ず最初にするべきことは、謝罪 であり、言い訳ではない。 非がなくても、言い訳から入ると「本当に?」と、相手に悪い印象しか与えない。 人のせいにするのも同様。 自分に非がなくても、「〇〇が・・・」など、最初に口に出せば、大抵の人は、「そんなことは聞いてない」と、心の中で思うはず。 その○○さんが、周囲に好印象の人であれば、自分が悪者扱いされるのは、火を見るよりも明らかだ。 それよりも、自分の非を認め(非がなくても)、素直に謝罪するべきだ。 もし、本当に誰かのミスに巻き込まれたにしても、素直に謝罪することで、 味方を増やすチャンス になるかもしれない。 (庇い過ぎたりと、恩着せがましい態度では、裏目に出るので注意。純粋に。) 僕も先日、TELの伝言ミスで間違えてしまったことがあった。 その際も、「◯◯がそう言ったのに・・・。」などと人のせいにせず、「ちょっと急いでいたから、早とちりしてしまった。」と。 お陰で、これまでよりも一歩、信頼関係が深まったような気がする。 どちらにせよ、無駄に時間を使って、自分の印象を悪く

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 14【イライラする】

僕も、仕事中だけに問わず、イライラすることが多々ある。 しかし、イライラしても何もプラスにならず、むしろマイナスになることがほとんどだ。 冷静な時には、そのことが解っているのに、どうしてイライラしてしまうのだろう。 僕の場合は、第三者の言動にイライラすることもあるけれど、「道路が渋滞中で遅れそう。」「早く終わる予定だったのに、邪魔が入った。」「簡単だと思い込んでいたことが、実は難しく、思った以上に時間がかかってしまった。」など、予定通りに進まない時、ついイライラしがちになってしまう。 自分でイライラする傾向がわかっているので、なるべく余裕を持つように心がけているが、中々上手くいかない。 どうしても性格的に、予定を詰め込みがちになってしまい、結果的に予定通りに進まず、イライラしてしまう。 性格的にイライラを抑えることは、難しいのかもしれない。 それならば、イライラしても、すぐに解消してしまえばいいだけだと思う。 僕のイライラ解消法は、何も考えない(頭を使わない)ことだ。 例えば、パソコンの打ち込み(入力作業のみ)や掃除など、何も考えずにできる作業に切り替えるようにしている。 少し、頭を休めるだけで、イライラが解消し、普段の自分に戻ることができる。 もちろん、自分の気ままで、作業をコロコロ変えることができない場合もでてくる。 そんな時でも、空を見上げたり、天井を眺めたりなど、上を向きながら、何も考えない時間をコマ目にとるとスッキリすることが多い。 (一度に長時間見ていると、少し変な人に思われてしまうけれど、1秒ずつでも、何度繰り返す内に、段々イライラが薄れてきて、スッキリしてくる。) 僕の場合、対人関係でイライラした時も同様に、考えることを一度、やめてしまう。 「イライラした勢いで話を続けても、何もならない。」と頭ではわかっている。しかし、感情は急に湧いてきてしまう。 「イライラしないようにしよう。」など、考えても、僕の場合には、無駄な努力だ。 結局、考えることを続けていると、イライラの原因に舞い戻ってしまう。 かと言って、急に上を見上げることも不自然で、できない場合、僕は、ひたすら自分の手を見たり、相手の服やネクタイなどの模様を眺めたりしている。 その姿を見て、相手がイライラしようが、一先ず置いておく。

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 13【人を信用しない】

ちょっと、タイトルが極端になってしまったけれど、僕は 必要以上に人を信用しない ようにしている。 必要以上 が、キーポイントになるけれど、決して悪い意味ではない。 「同じ職場の同僚なんだから、信頼関係がなければ・・・。」や「人を騙すより、騙されるほうが・・・。」など、綺麗ごとを並べるのは簡単だけれど、なんだかんだ言っても、自分は自分だし、他人は他人だ。 同僚や上司に確認したはずなのに、ミスや問題が発生すれば、責任は自分にのしかかってくる。 同僚や上司を信用していればしているほど、その信用を裏切られた事実に愚痴や文句も言いたくなってくる。 そして、今まで築き上げた信頼関係も簡単に壊れてしまう。 僕も何度も、そんな出来事があった。他人を信用しなければ、裏切り行為に落胆することもない。 しかし、僕は 『他人は、裏切るものだから、信用するな。』 と言う、マイナス的な発想で 『人を信用しない』 だけではない。 人を信用できることは、素晴らしいことだと思う。しかし、信用からくる、甘えや依存が自己の成長を停滞させる要因になると思う。 上司や同僚を必要以上に信用すると、どうしても任せっきり(丸投げ)になってしまいがちだ。 しかし、信用できないと、全ての仕事を自分一人で抱え込まなくてはいけない。 僕が、いつも言っている、 仕事は一人ではできない と逆の行動となってしまう。 そうすると、どこまで信用し、どこから信用すべきではないのか曖昧になってしまい、感覚でなんとなくわかり、実践できる人は別にして、そうでなければ、よりギクシャクとした人間関係になり、仕事が円滑に進まなくなってしまう恐れが出てくる。 そこで、僕なりの基準として、 仕事を任せる時は、自分が責任を取れる範囲内かどうか。 信用するからには、口を出さずに全てを任せる。 自分が知らないことは、素直に聞き入れながらも、必ず後から確認し、真意を知る。 この3つのことを念頭に置いて、信用するラインを常に上げ下げしている。 1.仕事を任せる時は、自分が責任を取れる範囲内かどうか。 自分が信用し、仕事を任せたからには、ミスや問題が発生しても、自分の責任として受け入れる覚悟(ちょっと、大げさだけど)をする。 ただし、 『選んだ自分が悪かった』 など、他人のせいにしない。

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 12【味方を増やす】

僕は、同僚を自分の味方にするにはがどうしたら、良いのかと、常に考え、行動するようにしている。 何度も繰り返すけれど、仕事は一人では、何もできない。 多くの人の力を借りてこそ、成果がでる仕事ができると思っている。 それなら、自分に好意的に協力してくれる同僚を増やすのが手っ取り早い。もちろん、部署など関係なくに。 同僚を味方につけるための僕なりの方法は、自分が同僚の味方になることだ。 それには、同僚を好きになるしかない。 誰も嫌いな人に協力したいとは、思わないはずだから。 ただ、甘やかし過ぎたり、「何でも言うことを聞く」訳ではない。 それでは、ただの都合の良い人に終わてしまう。 『時は優しく、時には厳しく』 と飴とムチを使い分けるに限る。 人は、ただ甘やかしてくれる人より、時には厳しい意見を言ってくれる人を信頼しやすい。 僕の経験上、7対3~8対2位の割合で優しさを多めにすると、良好な人間関係が築きやすいと思う。 そして、厳しい意見の際にも、自分の気分や機嫌ではなく、フォローと相手を思う気持ちを忘れなければ、人間関係が悪化することはないはず。 その中で、自分、そして同僚の得手不得手を見極め、役割分担が自然とできるようになれば、立派なチームだし、信頼関係が築ける。 その時には、お互いに味方となっているはず。 相手に合わせることも重要だが、合わせすぎないように気を付ける。 時には、本意としない愚痴に巻き込まれたりすることもあるけれど、そこは上手く合わせなければいけないと思う。 愚痴に便乗して、自分も悪口を言ったら、知らないうちに敵を作ってしまう場合もあるし、否定しても、気持ちをわかってくれないと逆恨みされたりしてしまう。 そんな時、僕は相手に合わせながら頷き、相槌をしながら「大変だね」などと、 本人の気持ちを思いやる ようにしている。 暫く話を聞くと、気分もスッキリしてくるはず。そんなタイミングで、相手が興味のある話題にすり替えてしまえば、僕といた時間を有意義だったと思ってくれるはず。 こんな感じで、僕は、少しづつ味方を増やし、一人ではできなかったことにチームとしてチャレンジし、今まで以上の成果を残せるよう仕事している。 今の職場では、まだこれと言って大き

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 11【いつも『なぜ』と疑問に思う】

昨日のブログで、何度も同じミスを繰り返す、僕の同僚の件に触れたけれど、今日、その本人と話をした。 少し説教っぽくなってしまったけれど、大半は質問を繰り返した。 本人が何を考えているのか知りたかったのが、今回、僕が話をしようと思った切っ掛けだったから。 『なぜ』 商品を間違えたのか? ちゃんと確認しなかった 『なぜ』 ちゃんと確認しなかったのか? これで良いと思い込んだ。 『なぜ』 良いと思ったのか? こんな感じの質問攻めだ。少々、性格の悪さが出てしまったかもしれない。 しかし、今回、僕がわかったことは、彼の 『プライドの高さ(見栄っ張り)』 と 『責任感のなさ』 が、同じミスを繰り返す要因だと感じた。 仕事に対しての意欲も感じられなかったけれど、興味云々は、まだ先の話で、先ずは 『プライドの高さ(見栄っ張り)』 と 『責任感のなさ』 を改善することが最優先であることを告げた。 特に、 『プライドの高さ(見栄っ張り)』 は、素直に人の話を受け入れない可能性が高いので、これからは、彼のプライドを崩すことから始めないといけない。 早速、今日から、彼のプライドを少しづつ崩し始めた。 急にプライドをズタズタに崩されるのは、悪影響を及ぼしてしまうかもしれないので、少しずつ、少しずつ慎重に傷付け過ぎないようにしていかないといけないので、僕にとっても少々、プレッシャーだ。 僕の 『同僚改善計画』 は、まだスタートしたばかりだから、他人を変えることができる良い事例となるようにやっていきたいと思う。 僕が彼にした、質問攻めは、僕の 『同僚改善計画』 を進めて行くためであり、彼のためを思ってしたことでは無いけれど、彼が 『なぜ』 と疑問に思うことで、今まで気付かなかったこと、浅い知識だったことから、一つ深く知ることができることに気付いてくれたら、嬉しい。 子供が 『なぜ』 を繰り返し使うのは、『もっともっと、いろんなことを知りたい』という欲求からだと思うけれど、大人も同様だ。 ただ、大人には、プライドや見栄など、邪魔をする存在が大きい。 「こんなことも分からないのか」と、思われたくない。 僕は、バカじゃない などの小さなプライドや見栄だ。 僕は、バカと思われても気にしないし

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 10【知識を得る】

今日から、今の仕事に必要な資格を取得するため、講習を受けている。 講習を受けてみて感じたことは、これまでに経験で得た知識と講習で学んだ知識には、若干の違いがあることだ。 僕なりの解釈としては、 講習=基本 経験=応用 の違いだと思う。 但し、経験者から得た知識の場合、その人の主観や癖が、どうしても入ってしまう。 それが、未経験の場合は尚更だ。 上司や先輩の知識や行動は応用されている場合が多い。 決して、間違いではないけれど、応用を利かすのは、あくまでも基本となるベースがあってこそだ。 まだ、基本が身についていない場合には、経験者の知識を真似しながらも、 『なぜ』 かと、自分に問いかけたり、関連の本などから基本や真意を知る必要がある。 今日の講習は、そんな意味でも基本を知ることができた、有意義な時間だったと思う。 基本を学び、そこから自分の色に染めていってこそ、自分の中に染み込み、表面上の浅い知識から、深い知識になっていく。 浅い知識は、他人に簡単にバレ、見透かされてしまうけれど、自分の中に染み込んだ知識は、他人から欲されると思う。 僕は、まだまだ、上司や先輩のマネをしながら、自分の中に知識と経験として取り入れなければいけないことが多いけれど、ただマネするだけではなく、その真意と基本を知り、自分の色に変え、自分に染み込むよう奮闘している毎日だ。 基本を知ることで見えてくる物が多々ある。 僕なりの自己啓発で、とにかく上司や先輩のマネをすることを進めているけれど、講習や研修、セミナーに参加したり、書籍などから、基本を知る機会をつくることも大事だと思う。 (但し胡散臭いもの多々あるので注意も必要。) そうすることで、上司や先輩の真意が見えてくる。 講習を受けた、僕なりの感想です。

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 9【身だしなみ】

僕は、人は見た目で、人を判断すると思っている。 だからこそ、僕は身だしなみには気を使っている。 身だしなみといっても、コーディネートされた服を着て・・・などではなく、本当に最低限のことだ。 例えば、寝ぐせや、ひげの剃りの濃し、歯に食べかすが・・・などが無いよう、昔からの癖で、朝の出社前には、シャワーを浴び、全身を洗っている。 僕は、歯磨きもシャワーを浴びながらしている。 遅刻をしそうになって、朝ご飯を抜くことがあっても、シャワーは必ず浴びてから出社する。 決して、朝にシャワーを浴びることを進めている訳ではない。ただ、面倒くさがりの僕にとって、一度に朝の準備ができるシャワーが欠かせないだけだ。 そして、爪も伸びたら早めに切ったりと、とにかく外見には、不快感やだらしなさを他人に与えないよう、気を使っている。 服装や靴も、ヨレヨレな服や汚れた靴は、綺麗にしてから着るようにしているし、全体のバランスを考え、ベルトやネクタイ・靴を選ぶようにしている。 僕のコーディネートの基準は、『ごちゃごちゃしない。シンプルに。』だ。 営業で、お客様宅に訪問していた時は、前回の訪問時とネクタイなど、かぶっていないかも考えていた。 (今は、お客様宅に訪問する機会がないので、大部楽になった。) たったこれだけのことでも、人に好印象を与えることができる。 高価なブランドの服を揃える必要もない。 身だしなみは第一印象だけじゃない。 第一印象が『良いか悪いか』で、スタート時の位置が変わってくる。 第一印象が良ければ、周りより一歩も二歩も前からスタートできるし、第一印象が悪ければ、周りより、後ろからのスタートになる。 だから、第一印象は非常に大事だし、より気を使うことは当たり前だと思う。 ただし、即決できる商品の場合は、それでいいかもしれないが、高価な商品で契約までに多くの商談があったり、社内、定期的に訪問するなど、実際には、 常に身だしなみに気を配る必用があると思っている。 特に、第一印象が良ければ良いほど、「最初だけ」や「本当はだらしない人なんだ」など、ちょっと気を抜くと落ちるのが早い。 さらに、他人は無責任に勝手に印象を上書きしていく。どんどん上のレベルを求め、現状維持では、満足してくれない。 完璧であれば

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 8【下を向いて、仕事をしない】

僕は、書き物などを除き、必要以上に下を向いて仕事をしないようにしている。 立っている時や歩いている時も、前を向き、下を向かないようにしている。 それは、「下を向いていると下向きに、前を向いていると前向きになる。」などの迷信めいたものではなく、第三者に与える印象のためだ。 人に与える印象は大事だと思う。 同じ話をしても、印象が悪い人と良い人では、第三者に与える影響が全然違ってくる。 下を常に向いている人は、第三者へネガティブな印象をどうしても与えてしまい、同じ職場内でも「もっと仕事を・・・」など、マイナス評価されがちになってしまう。 けれど、反対に前を向いている人は、第三者へポジティブな印象を与え、「あの人はしっかりしている」など、プラス評価が先行されやすい。 これを悪用しているのが詐欺などで、そういう人に限って、第三者に与える最初の印象が、「堂々としていて、しっかりと前を向き、自信に満ちている。」など、好印象を確実に与える。 悪いことをする為に「下を向くな。」ではなく、それだけ人は、印象に影響されやすい。 第三者の印象が良くなり、好意的に接する機会が増えると、自然と自分の気持ちもプラス思考に変化もするし、自信を持って仕事に取り組むことができるようになってくる。 「下を向かずに、前を向く。」たったこれだけでも、第三者を巻き込み、楽しく仕事ができるようになってくる。 だからこそ、僕は、常に前を向いて仕事をし、前を向いて歩いている。 ※歌にもあるように、「前を向くより、上を向いたら、もっと良いのでは?」と思うけれど、僕が上を向いて仕事をしている人を見かけたとしたら、「何か別のことを考えている?」と思ってしまうので、上を向いて仕事をすることは、お勧めしない。

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 7【プライベートを充実させる】

プライベートが充実している人ほど、楽しんで仕事をしていると思う。 趣味などで、仕事上の悪いストレスを解消したりして、上手くストレスと付き合うことができているのかもしれない。 仕事とプライベートの両立は、難しいことではなく、 両立することが本来の姿 だと思う。 仕事だけでもダメだし、プライベートだけでも、もちろんダメ 仕事しか楽しみがない人は、伸びしろがないし、プライベートしか楽しみがない人は、更なるプライベートの充実はない。 これは、あくまでも僕の考え方でしかないけれど、そんなに間違ってないと思っている。 プライベートで行ったところ、出会った人、得た情報など、思わぬ形で仕事にもプラスになるし、仕事が充実し、収入が増えてこそ、趣味に必要な物なども購入することができ、更にプライベートが充実してくる。 ともに、欠かせない存在だからこそ、両立しなくてはいけない。 「仕事が充実しているから、プライベートはどうでもいい。」「プライベートが充実しているから、仕事はどうでもいい。」などは、小さな世界で、満足しているふりをしているだけでしかない。 僕も、家族と遊び、楽しくなるからこそ、「今度はどこに行こうか?」「今度は、どんな美味しい物を食べようか?」など、欲がでてきて、その欲があるからこそ、仕事をもっと頑張ろうと思うことができる。 ただ、「プライベートを充実しろ」と急に言われても、どうしていいのか、分からない人もいるかもしれないけれど、それは、難しく考えすぎなだけだと思う。 『恋人がいる』『友達と遊ぶ』『趣味がある』だけが、プライベートを充実させる訳ではない。 一日一度でも、『笑う』機会があれば充分。 例え、「ネットで面白い記事を見つけて笑った。」や、「テレビで笑った。」だけでも、充実したプライベートだと思う。(できれば心から笑うことができれば) 本当に心から笑うことができれば、その楽しみを誰かと共感したいと思うし、共感することで、どんどんプライベートが充実していくはず。 ただ、ネットでの誹謗中傷など、誰かを陥れることなどは、本人が楽しく笑っていると思っていても、周りから見れば、その人の本当の笑顔ではなく、いびつな笑顔は、プライベートの充実に結びつかないと思う。 仕事中もプライベートでも、一日一回は、心底笑い、寝る前に「今日

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 6【面倒なことこそ、積極的に】

誰でも面倒なことは、避けたりしがちなるけれど、僕は 『面倒なこと』 にこそ、宝が眠っていると思っているので、積極的に行うようにしている。 宝が眠っている 『面倒なこと』 を積極的に行うことで 人の本音が見える アイディアが浮かぶ と、大きく二つのメリットがある。 面倒なことこそ、本音が出る 意識しないうちに、どうしても面倒なことを遠ざけ、楽なことをしたいと思うのは、誰でも同じだと思う。 しかし、誰でも避けたくなる 『面倒なこと』 を自ら進んで行うと、周囲の人や同僚の本音が見えてきやすい。 「なんで自分が」などの愚痴や「〇〇がやればいいのに」などの悪口を言う人。 「○○が、苦手なんだ」と、素直に告白する人など、 『面倒なこと』 をしている時には、その人の短所が出やすいと思う。 そんな 『面倒なこと』 を僕が行うと、同情なのか、気遣ってなのかは判らないけれど、色々な話が聞ける機会が多くなってくることが多い。 また、その後に手を貸してくれるようになる人や、一切、任せっきりになり、全く 『面倒なこと』 から離れる人など、本当は隠し通したい本音が見え隠れしてくる。 僕は、それを見ながら、その人、その人に合わせた接し方をしながら、僕の協力者になるように仕向けている。 (現在は、10の内、9は自分で、1は力を借りる配分でしている) 最初は、本当に力を借りたい時にだけ、力を借りているけれど、徐々に、力を借りる必要がない時も力を借りていき、僕に力を貸すのが当たり前のように導いている最中だ。 でも、その際も面倒のことは、僕が引き受けるようにしている。 同僚にとっては、 『面倒なこと』 を引受ける便利な存在かも知れないけれど、僕は、同僚の本音がわかり、どう接することで気分よく僕に力を貸してくれるのかを知ることができ、どんどん僕に力を貸してくれる方法も知ることができる。 それも、好意的にだ。 面倒はアイディアの宝庫 昔から、 『面倒なこと』 から様々なアイディアが生まれ、様々な物や仕組みが生まれてきている。 ただ、僕のアイディアは、そんな大それたものではなく、これまで当たり前だったことにも改善策が眠っているということだ。 僕も 『面倒なこと』 を積極的に行うけれど、 『面倒だ』

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 5【頭と気持ちを整理整頓】

僕は、整理整頓を常に意識するようにしている。 それは身の回りや机だけではなく、頭(意識)や気持ちも整理整頓している。 僕の考える整理整頓は、 常に出し入れが容易にできる 他人も出し入れ可能 の、この2点。 身の回りや机の整理整頓は、そのままで 必要な時、すぐに取り出せることができるか。どうか。 自分で取り出せない時、簡単な指示で、他人が取り出すことができるか。どうか。 これが基準だ。 別に『資料がキレイに並んでいる。』とかではなくても、いいと思っている。 すぐに取り出しができる。 もしくは、 他人が簡単に探すことができれば良いだけ だ。 (非公開すべきことは、本当に他人が閲覧不可か。) 仕事は、自分一人だけでするものではないので、同僚などの力を借りることが多々あるし、多々あるべきだと思う。 そんな時に、自分しか知らない(秘密事項は別として)では、仕事にならない。 時々、勘違いして、『だから自分が必要なんだ』と、優越感に浸る人もいるけれど、それは大きな間違いだ。 本当に優秀な人は、優秀な人に囲まれる環境を作り出すことができる人だと思う。(人材育成も含めて) だからこそ、誰でも容易に取り出せることが重要だと思っている。 身の回りや机の整理整頓は、難しいことじゃない。 僕は、優先順位(よく使用するもの、めったに使用しないものなど)を決め、分野ごとに分別している。 それだけでも、欲しい物を確実に素早く取り出すことができる。 そして、頭(意識)や気持ちの整理整頓の場合は 必要な時、すぐに その知識 を取り出せることができるか。どうか。 状況に合わせ、 意識を変化 させる このことを意識している。 自分の知識を正確に取り出すのに、全て暗記をする必要はない。学校のテストではないのだから。仕事で必要なのは、 『正確に、素早く』 であり、 『資料を見ては、いけない』 と言うことはない。 だから、僕は、先ずキーワードとその保管先(机の上など)を覚えるようにしている。 それだけなら、難しくないし、先ほどの身の回りや机の整理整頓ができていれば、簡単に頭の中のキーワードと実際の保管先をリンクすることができる。 そのうえ、知識の場合、取り出すことが多くなるほど、勝手に頭の中に情報が蓄

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 4【仕事を楽しむ】

仕事を楽しむことが、一番簡単な自己啓発だと思う。 しかし、今、どれくらいの人が楽しんで仕事をしているのだろうか? Q.仕事は楽しいですか はい 51.8 いいえ 48.2% 引用  マイナビ ニュース 2016年8月の調査結果なので、少し古いかもしれないが、経済状況もそれほど大きく変わっていないので、現在もほぼ同じだと思われる。 大体、半数の人が、楽しみながら仕事をし、半数の人が仕事に楽しさを見つけられずにいることになる。 半分半分とは、上手く 調査結果がでたと思うけれど、約半数の人が仕事に楽しさを見つけられずにいるのは、勿体ないと思う。 仕事をしなくても生活が成り立つような、一部の人を除いて、生活して(生きて)いくためには、仕事が必要不可欠だ。 そして、殆どの人が、一日の大半を仕事に費やしている。そんな多くの時間が拘束される仕事を楽しむことで、毎日、多くの時間を楽しんで生活できることになる。 仕事を苦痛と感じるならば、毎日が苦痛に捉われてしまい、苦痛だけの生活になってしまう。 どうせ、やらなければならない仕事なら、楽しんだほうがいいに決まっている。 どうすれば、仕事を楽しむことができるのか? 僕は、仕事を楽しむために 自分から挨拶する。 「ありがとう」を口癖にする。 悪口は、言わない。 毎日、自分を褒める 毎日、成長したと実感する。 この5つを毎日の目標としている。 自分から挨拶する。 挨拶は、コミュニケーションの基本だ。相手からの挨拶を待つのではなく、自分から、積極的に挨拶するようにしている。 それは、立場など関係なくしている。僕が以前、部下を持っている時にも、自分から挨拶するようにしていた。 「ありがとう」を口癖にする。 以前、 「すみません。」が、口癖になってない? でも触れたが、「すみません」を口癖にしてしまっては、どんどんモチベーションが下がってしまう。しかし、「ありがとう」を口癖にすることで、周囲の雰囲気も明るくなってくる。 雰囲気が明るくなることで、人間関係に悩まされることも少なくなってくる。 悪口は、言わない。 どんな人でも、欠点はあると思う。しかし、陰で他人の悪口を言ってもしょうがないし、いずれ本人の耳にも入るだろう。それでは

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 3【中身の濃い仕事で、経験値稼ぎ】

仕事で、 『経験』 ほど、重要なことは、ないと思う。 どんな仕事に於いても。 例えば、九九を覚えたての時は、1×1、1×2・・・と、順を追わないと、答えがでなくても、日頃、九九を使用し計算を数多くこなす( 経験 )ことで、自然と答えがでてきたり、人前に立つことが多い仕事も、最初は、緊張して話ができなかったとしても、 『経験』 を積み重ねることで、過度な緊張などせずに、堂々とスピーチすることができるようになってくる。 『経験』 は、仕事(プライベートであっても)に於いて、自分を成長させる重要な要素の一つだ。 しかし、同じ時期に入社し、同じ研修を受けたにしても、成長のスピードは、人それぞれ違ってくる。 その違いは、何だろうか? 僕は、一つ一つの 『経験』 の吸収の違いが原因だと思っている。 向き、不向きも多少は関係するかもしれない。しかし、それ以上に仕事一つ一つに対して、 『興味』『理由(意味)』『想像(想定)』 を意識するだけで、同じ経験であっても、 『中身の濃い仕事』 となり、吸収できる経験値は、大きく変わってくる。 僕が考える 『中身の濃い仕事』 とは、流れ作業で何も考えずに行う仕事ではなく、『興味』『理由(意味)』『想像(想定)』を意識し、同じ状況・同じ仕事であっても『理由(意味)』『想像(想定)』をしながらする仕事だと思う。 『中身の濃い仕事』 をするためには、『興味』『理由(意味)』『想像(想定)』を意識しながら仕事をするべきだと思っているけれど、そのためには、最初の切っ掛けとなる 『興味』 を持つことが重要になってくる。 『興味』がなければ、自分を成長させることは、絶対にできない。 自分自身を成長させるためには、 『興味』 が絶対に欠かせない。 他にあげた 『理由(意味)』『想像(想定)』 ができるのも 『興味』 があるからこそで、 『興味』 がなければ上部だけの 『理由(意味)』『想像(想定)』 であって(テスト用?)、その経験を生かそうと意識しなければでてこない経験値でしかない。 本当の経験値とは、意識せずに自然と行動できるようになることだと思う。 僕は、そのために、先ずは同僚(先輩)や上司に 『興味』 を持つことから、始めている。 どんな人か? 性格は? 得意なことは? 苦手なこと