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身だしなみに気を使って、損はない。

身だしなみは社会人として、立派なエチケットだと思う。

僕も最低限の身だしなみは気にしている。中でも、一番気を遣うのが靴だ。
個人的に靴が好きなこともあり、尚更だが、いつでもキレイに手の行き届いた靴を履くと心がいい気持ちになる。
僕の場合、新しい靴よりも、靴墨をキチンと塗った靴の方が好きだ。新品のやたらピカピカしているよりも落ち着きのある光沢に見えるからだ。

もちろん、他にもベルトやネクタイにも気を遣う。

何も高級な物や新しい物ではなくていいと思う。
ただ、『身だしなみを気にする』この気持ちを持っているだけでも、第三者に好印象を与えるんだと思う。

時々、決められたレールを走るのは嫌だから、自分の好きなようにしたいという人もいるが似合っていればいいと思う。ただ、そういう人に限って、テレビなどにでてくる誰かの真似だったりして、似合ってない人が多い。ヒドイ人は汚れていたり、しわくちゃな服を着て仕事をしている。(家じゃないんだから。)
本当に好きな服を着ている人は、身だしなみは必ず気にしているはず。

人により、好きな小物は違うと思う。自分が好きな小物には、ついつい目が行ってしまう。その時に、汚れていたり、ボロボロだったりすると、ガッカリしてしまうだろう。

多くの人に触れ合う仕事では、多くの人の好みはわかりかねてしまう。趣味が合う人とだけ出会い、仕事が成り立つのであれば別だが、中々そうはいかない。

だから、最低限の身だしなみは気にするべきだと思う。
その方が、より多くの人に好印象を持ってもらえる。好印象を持ってもらうことは仕事をする上で、重要なポイントの一つでもある。

僕の場合、しっかりと磨かれた靴を履いている人を見ると、新しいや高級などは別にして、靴に気が利くなら、この人は気が利く人だろうと思い込んでしまう。
逆に、汚れたままの靴だったりすると、気が利かない(気づかない)人なんだろうと想像してしまう。

多くの人も特に自分が好きな小物を粗末にしている人を見ると、本来のその人を知る前に勝手に悪い印象を持ってしまうだろう。

スタートが悪ければ、取り戻すのは容易ではない。(テクニックとして、悪い印象から好印象を与えることでギャップの大きさで本来以上の印象を与えることもなくはないが、身だしなみは別だと思う。)
なら、スタートはいい方が良いに決まっている。

朝、出かける前に靴を磨こう。(数分もかからない。)ベルトと靴の色を合わせよう。シャツとネクタイの色柄はあっているか。など、ほんの少しだけ気持ちに余裕を持つだけでできることばかりだ。

身だしなみに気を使って、損はないはず。

仕事仲間のボロボロの靴を見て、ふと身だしなみは大事だなぁと思った今日1日だった。


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