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ずるい上司にこそ、報告は重要。

新入社員の多くが、会社では『報・連・相』が重要と教えられる。
ほとんどの人が聞いたことがある言葉だと思う。

なぜ、必要なのか?

仕事で報告は、ごく当たり前のこと。仕事の経過や過程、現状を報告することは、組織として責任の所在を明確にでき、上司は部下から受けた報告をもとに今後の判断をしていく。

連絡ももちろん重要。例えば、体調が悪く休む場合など、連絡がなければ、同僚に心配をかけてしまう。主に上司部下関係なく行われるのが連絡になる。

自分で解決できることばかりではないからこそ、相談ももちろん重要。

その中で、報告が下手な人が非常に多い。
例えば、上司が忙しそうで報告を後回しにしてしまう。や、自分の判断で大丈夫と思い報告しない。などなど。

部下から報告をしやすい環境を作れない上司にも大きな問題があるが、そこは勇気を持って周りの状況を最低限の配慮をした上で強引に報告をするべきだと思う。

そこで、上司に気を使っても全く意味がない。時には、「忙しいから後に。」など、逆に怒られたりする場合もあるし、話を聞いてくれない場合もあると思う。しかし、そこでアクションを起こすことが重要で、アクションを起こした所から、責任は上司に移る。
人のせいにする訳ではないが、責任の所在は明確にしておかないと取り返しがつかなくなる場合もある。個人の場合、数万円などの損失も企業となれば一つの判断ミスが数千万、数億となる場合もある。
そんな責任を取れる個人はそうそういない。
だからこそ、報告が重要になってくる。

「上司に責任を押し付けろ。」という訳ではないが、重要な理由はそこにある。

たまに、ずるい上司が「部下のミスは部下。自分のミスも部下。」という上司もいるし、自分の都合でしか話を聞かない上司もいる。しかし、そこで諦めずに報告は徹底しよう。ずるい上司なら尚更、上司に責任を押し付けてしまえ。
上司が聞く聞かない別にして、アクションをおこそう。

こんな話をすると、悪い報告ばかりに思われがちだが、結果を残した場合も同様だ。比較的良い報告はしやすいから問題は無いと思うが。

僕も報告だけはこまめに行うようにしている。責任は取りたくないから。


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