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社内のいじめに悩んでもしょうがない。

大人も子供も、いじめの問題がよく取りざたされるが、僕は、『いじめは必ずあるものだ』と、認めることから始めないと、いけないと思う。

特に、小中学校や高校のいじめ問題は、そう思う。
学校として、どうしても立場上なのか、『うちの学校では、いじめはない』が前提だから、小さないじめの火種を見落としてしまう。
最初は、些細なことから、次第にエスカレートしていってしまう。
結果、大きな問題になって、初めていじめの有無を確認する。これでは、後手後手だ。

僕は、人は、3人集めれば、必ず1対2になり、深刻度合いは別にして、いじめは発生していると考えている。
だからこそ、いじめは必ずあるものだと考え、注視すれば、まだ小さな火種に気付くことができるはず。しかし、いじめは、ないと思えば、注視しているようでも、火種が大きく(もう火種ではない)ならないと気付くことができない。

僕は、学校の先生から、「うちの学校は、いじめはあります。しかし、大きくなる前に対応するよう努めています。」など、認める発言がでる学校を信用したいと思う。

しかし、大人のいじめ(会社内)は、上司が解決してはくれない。
自分で解決していくしかない。
大人のいじめは、主に『仕事の対応力(能力)の差』が、原因だと思う。
プライベートを共にする機会が少ないので、好き嫌いや合う合わないでのいじめは、あるにしても、くだらなくて、気にするだけで損をしてしまう。
気にせず、仕事で成果をだしていけば、いじめがあったにしても、自分にとって、いじめられているとは感じないはず。
むしろ、『なんかくだらないことをしているな』程度で流せるはず。

しかし、仕事の対応力(能力)の差が原因の場合、対応が難しくなってくる。
相手が、『自分の方が仕事ができる』と思えば、『馬鹿にしたり』『貶したり』し、『自分が劣っていると』と思えば、『妬み』『僻み』が生まれてくる。
深刻なのは、そこから生まれるいじめは、無理難題を押し付けられたり、足を引っ張ったりと、仕事に影響してくる。

大抵、いじめられる人が損をするようになってしまう。
僕には、正しい解決策は見いだせないが、性格的な問題もあるけれど、僕は直接、「くだらない」と、言ってしまう。
相手が、年上だろうが、立場が上だろうが、複数だろうが、関係なく。
大体は、その時点で主導権が僕に移り、こちらが優位に進めることができる。

しかし、中々、口に出せない性格の人こそ、深刻な問題になってしまうと思う。
僕は、耐えるしかないと思う。それ以外は、逃げるしか残っていないけど、一度、逃げてしまうと、次の職場にいっても、同じような状況になり、また逃げなくてはいけなくなってしまう。
ただ、耐えるのは本人にとって、精神的にも肉体的にもつらい。

僕は、愚痴を言うに限ると思う。誰にでも、例え、ネットにでもいいから。
親友に、愚痴を言いすぎると離れて行ってしまうことも考えられるけど、その程度で離れていくのは親友ではない。
いつでも、100%味方でいてくれる、そんな友人を作るべきだと思う。
さいわい、僕にはそんな友人がいる。いつでも100%僕の味方でいてくれる。
だからこそ、僕は自分の行動に自信を持って進めることができてきたのかもしれない。

例え、親友がいなくても、家族は味方になってくれるはず。
恥ずかしがらずに、心から信頼する人に愚痴るべきだ。

もちろん、愚痴だけではなく、いいことがあれば、その友達や家族に感謝を言葉で表すことができれば、愚痴もちゃんと聞いてくれるはずだから。

ちゃんとした、解決策ではないけれど、いじめには一人で立ち向かおうと思わずに、誰かの手を借りた方がいいと、僕は考えている。

ほんのわずかな心の安らぎかも知れないが、大事な心の安らぎになるはず。
そのためにも、自分がいじめられているなんて、恥ずかしいかもしれないけれど、そこは恥ずかしがらずに認め、誰かに伝える勇気を持つべきだ。

僕も、学生時代にいじめ(無視)られていたらしい。(実は、僕は無視されていることに気付かなかった)
しかし、それ以上に充実した友人がいたからこそ(友人との遊びに夢中で気付かなかった)今があるんだと思う。
一人で解決できないことは沢山ある。そんな時には、恥ずかしがらずに人の手を借りよう。


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