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時間を追う人、時間に追われる人。

仕事、プライベートを問わず『時間に追われる』のではく『時間を追う』癖をつけよう。

ただ、『時間を追う』という言葉を耳にする機会は中々ない。

なぜだろう?

単純に、『時間に追われる』は、やるべきことに対して、時間(期日)が迫り、焦ったりすることだと思う。
それなら、『時間を追う』は、時間(期日)に対して、やるべきことを終え、余裕ができることだと思う。

そう考えると、『時間に追われる』より『時間を追う』ほうが絶対にいいに決まっている。
焦って仕事をしても、終わらせることが中心になってしまい、見直すことや時間内でできる必要最低限の準備で終わってしまい、ミスや悪い結果が待っている。仮に上手くいったにしても、そのプレッシャーなどで疲れてしまい、純粋に良かったと思えずに「やっと、終わった(解放された)」の気持ちが強く、すぐ次の仕事に取り掛からずに一休みいれたくなってしまう。

しかし、余裕を持って仕事ができると、見直したり、他に準備しておいた方が良いものがないか探すこともできる。
結果、成功にも近づくし、充実感を得ることで、次へ次へ、仕事を追いかけて行ける。

仕事を追いかけて行ければ、更に時間的余裕を持って、仕事ができ、自分にとって、良い環境で仕事をすることができる。

なぜ、『時間を追う』ことが、できず『時間に追われて』しまうのか?
違いは何だろう。

『スケジュール管理』『いつ・どのタイミングでどの仕事をするべきか』の判断を間違えてしまってるなど、考えられることは多々ある。
それを克服するには、経験や知識など、様々な要素が必要とされる。

しかし、もっと根本的なことを変えるだけで、簡単に『時間を追う』ことができる。

それは、『自分を信じ、自分ならできる(簡単だと)思うことだ。』

自分を信じることで、不安が和らぎ、自信を持った仕事ができる。
自分ならできる(簡単だ)と思うことで、成功すれば自信につながるし、例え、失敗に終わっても、『いい経験をした次は大丈夫』と思うことができる。

結果、前を向いて仕事と正面から向き合うことで、ミスや不安を心配する無駄な時間が減り、効率よく、仕事ができてくる。
それが『時間を追う』ことだと思う。

どうしても、不安があると、それを解消(安心)することに囚われてしまう。
(誰でも、切れそうな吊り橋を渡る時には、躊躇してしまう。)
しかし、不安要素がなければ、躊躇することはない。その分、時間的ロスが少なくなる。

『失敗は成功のもと』というように、失敗を恐れてはいけない。
失敗しなければ覚えらないことも多々ある。
『失敗をすることで、成長できた。』と喜び、自分の可能性を信じよう。
(ただし、同じ失敗を繰り返すの只の馬鹿)

僕の得意な精神論で、技術的要素がないけれど。


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