スキップしてメイン コンテンツに移動

忘年会も仕事の一部。

忘年会シーズンが近づいてきた。仕事として、お酒を飲む機会を楽しみにしている人、苦痛としている人など、人それぞれ、だと思う。

僕は、間違いなく前者だ。同僚と飲むことも楽しみだが、それよりも、お酒を飲むことが楽しみだ。
でも、アル中ではない。一人で、しんみりとした、お酒は、僕には飲めない。
晩酌も妻や子供たちがいるからこそ、楽しく、お酒を飲むことができる。

僕は、基本的に楽しいお酒が好きだ。

しかし、気の置ける友人との飲み会なら楽しみだけれど、会社で、仕方なく参加する飲み会は、嫌いと言う人も多い。
嫌いな人は、就業時間を過ぎてまで、上司や同僚に、『気を使いたくない』と、言うのが本音だと思う。

でも、僕には、その機会を上手く使わないのは、勿体ないと思う。
世間がよく言う、『お酒が入って、その人の本音や素顔を見ることができる。』からでは、ない。
もちろん、会社のお金で、タダ酒が飲めるからでもない。

本音や素顔を見れるに、かなり近いけれど、その人の限界を知ることができるからだ。

僕のキャラ的に通用するのかも知れない(僕が通用すると思っているだけかも)が、お酒に酔ったふりをして、その人の普段見ることができない、深い所を探っていく。
そうすると、どこまで入り込んでいいのか、ダメなのか、その人の限界が見えてくる。

深入りしすぎると、それを嫌うのは、当たり前で、誰でも他人が入り込むことを拒む限界がある。

その限界ぎりぎりまで、入り込むことによって、これまで以上の関係が築くことができる。

人は、心の開く位置を『この人はそこまで、この人にはここまで』と、その人によって、境界線を引いている。
しかし、お酒の力を借りたにしても、今まで引かれていた境界線を越え、更に近づくことで、今まで以上に心を開いてくれる。
一度、入り込むと、その後の普段の仕事でも、今までより、一歩も二歩も親密な人間関係になり、円満に仕事を進めることができる。

だからこそ、僕は、こんな機会を得る、忘年会シーズンは、楽しみでしょうがない。

もちろん、やり方を間違えると、ニュースにもなった、相撲界のように、険悪になってしまう。
僕は、今回の相撲界の問題となった場にいないので、詳細はわからないが、相手(今回は、日馬富士)の限界を探る行為に、相手に対する尊敬がなかったんじゃないかと思う。

いつでも、相手を尊敬する気持ちを忘れてはいけない。それは、目上、目下など関係ない。
お酒に酔っていたなどの言い訳は、もってのほかだ。

そして、僕が限界を探る際に、気を付けているのは、『必ず、笑いながら探っていく』ことだ。
真剣な顔では、絶対にしない。
あくまでも、お酒で楽しくなって、言い過ぎてるを演じている。
そうすると、相手の表情で、許容範囲(笑顔でいてくれる範囲)か、入り込み過ぎた(笑顔が消えた)かが、すぐにわかる。
それと、入り込み過ぎた際に「ついつい、飲み過ぎた。ゴメン」と、言い訳もつきやすく、後を引きづらいからだ。

こうして、僕は、会社の飲み会を上手く利用している。

会社の飲み会を嫌っている人は、チャンスを逃していると思う。
会社の飲み会は、あくまでも仕事であり、その機会を上手に利用することで、『今後の仕事の進め方や出世にも、大きくプラスにすることができる。』後払いの給与だと思う。

ただし、お酒に飲まれてしまうのは、バカでしかない。それは、プライベートで、気の置ける友人と楽しむことで、仕事として、飲むお酒ではない。

会社の飲み会が嫌いと言う人も、狭い世界にしか身を置くことができない、小さな人間だと思う。
嫌なことにも、向き合うから、さらに広い世界と向き合うことができると、僕は思っている。

僕は、来週から始まる、忘年会シーズンが、楽しみでしょうがない。


コメント

このブログの人気の投稿

怒られ続けると、どうなる?

僕の同僚の中に、毎日毎日、怒られている人がいる。 「本当によく、怒られるなぁ」と、ある意味、感心してしまう。 なぜ、彼は、毎日怒られ、それを直すことができないんだろうか。 以前、 怒られたくない! でも、触れたように、仕事が全て、後手後手になってしまっている。 どうしたら、怒られないかを考えた末、指示されるのを待つだけになってしまったり、やりかけの仕事を投げ出してでも、上司の指示に従い、結果、投げ出した仕事の件で、又、怒られる悪循環に陥ってしまう。 人には、 想像したことを実現する力 を持っている。 そんな 力 が、 『怒られたくない』 と思いが強くなりすぎて、逆に、 『怒られる状況』 を生み出してしまっている。 (怒られている姿を想像してしまっている。) なら、その悪循環を断ち切るには、どうしたらいいのだろうか? 僕なら、開き直る。失敗や不手際で怒られるのは、しょうがない。 それは、それ。次は、次。その失敗や不手際を超える成果を残せばいいだけだと、僕は考えている。 ただ、僕は、人よりもメンタルが強い方だから、できることかもしれない。 しかし、メンタルが強くないと、怒られ続けることで、臆病になってしまい、全てが悪い方に考えてしまい、そこからプラス思考に変えることは困難になってしまう。 本当は、上司が、さじ加減で、『怒る』『褒める』を使って、部下を巧みに扱うべきだと思うけれど、それは他力本願でしかないし、僕の同僚もそうだが、上司が怒りやすい人材であったり、性根が合わないのかもしれない。 そこで、諦めたら(逃げ出したら)、一生、諦める(逃げる)しか、なくなってしまう。 自分の道は、自分でつくるべきだ。 では、どうすれば、その悪循環から、脱出できるのだろうか? 僕は、まず 『褒めらる』 ことを目標とするべきだと思う。 『怒られる』 のが、怖いと思う人は、 『褒められる』 ことを好む傾向にあると思う。 上司を研究し、 『何をしたら、喜ぶのか』 を考え、上司好みの部下を演じるしかない。 すぐに 『怒る』 上司は、案外単純で、自分が気に入れば喜ぶ。 最初はこそ、上司にもこれまでの状況(怒り続けた)もあり、素直に誉めたりしないと思う。 しかし、上司の気に入る状況が続けば、自然と 『褒める』 環境ができてくる。...

障害者は、本当に不幸?

昨日から、空いた時間に24時間テレビを見ながら、思った。 障害者は、本当に不幸?なのかと。 周りを見渡しても、あんなにイキイキした人を見かけることが少なく(特に大人)、人生を充分楽しんでいるんじゃないかと。 もちろん、人には見せない裏側で、それこそ人一倍の苦労を重ねているからこそのイキイキした顔なんだろうと思うけど。 鏡を見るの怖くなった。 世界には背が高い人・低い人、太っている人・痩せている人、いつも笑っている人・怒っている人等々、様々な個性が溢れているように障害も個性の一つじゃないのかと。 『健常者』『障害者』の言葉ではなく、その人の個性として認め合い、得手・不得手をお互いに補える、そんな世の中になったとしたら、もっとイキイキした顔が周りに溢れるんじゃいかなぁ。 そんな世の中も見てみたい。 ※ただ、自分が同じ立場に立った時、同じ努力と笑顔ができる自信はない。一瞬、羨ましいと思った自分が恥ずかしいし、情けない。

自分の器を大きくする。

よく、人を評価する際、 『あの人は器が大きい・小さい』 など、器に例えられる場合がある。 人としての器は、小さいより、大きい方が良いに決まっている。 どうしたら、器を大きくできるんだろう。 器の大きい人と言われて、想像することは、 何でも受け入れてくれる。 認めてくれる。 細かいことを気にしない。 などが、思いつく。 それなら、どうすれば自分の器を大きくすることができるだろうか。 僕の場合は、人の器とは、 『成長する、お茶碗(器)』 と、考えている。 日々、お茶碗を使用し、 『食べる量(経験)』 に変化がなければ、大きくもならず、小さくもならない。 『食べる量(経験)』 が多くなると、自然に、こぼれ落ちないよう 『お茶碗(器)』 も成長していく。 そんな魔法のお茶碗だ。 もちろん、 『食べる量(経験)』 が減ると、 『お茶碗(器)』 も、徐々に小さくなってしまう。 なぜ、こんな子供だましの例えをするのかと言うと、 『今の自分に満足しない』 貪欲さが、人の器を大きくしていくと思っているからだ。 決して、他人より、 『上や優位に立ちたい』 など、今の自分を量るのに、他人を利用するのではなく、 『今日の自分より、明日の自分』 と、自分自信を評価基準として、成長していく必要がある。 そして、自分を成長させていく、一番の方法は、 『経験だ。』 これに、勝るものはない。 しかし、誰にも、平等に時間は流れていて、人の倍の経験を積みたいと思ったら、人の倍の時間を必要とする。 ならば、経験する中身を濃い物にしていくしかない。 (スライムだけの経験ではなく、より強い敵から、経験値を得る。) 中身の濃い経験にするには、 『人の話(経験)』 をよく聞くこと。 『人の話(経験)』 を自分の経験とするこもできるし、近道を教えてくれることもある。 また、流れを読むことも必要だ。 川の下流から、上流に泳ぐには、相当の体力が必要だが、上流から下流へは、比較的泳ぎやすい。 ただし、全体を把握していなければ、泳いだ先に、大きな滝があるかも知れないし、近くに船があるかも知れない。 流れを読むには、先ずは細かいことなど、気にせずに、周りを見渡す。 その中で、気になる...