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仕事とうつ病。

正直、僕は、仕事のストレスからくる、うつ病などを発症してしまう人とは、正反対に位置していると思う。

しかし、今の日本の社会で、ストレスからくる、うつ病などの精神障害は深刻になっている。

僕は専門家じゃないし、ネットで特に検索したわけではないので、あくまでも僕の主観だが、以前より、遺伝的に精神障害が発症しやすい人の割合は、多くなっていないと思う。

ストレスなどの外的要因によって、後天的に発症している割合が多くなっているんだと思う。

それは、なぜだろう?


  • 昔は、体力重視の仕事が多く、ストレスがたまりづらかった。
  • 人間関係が希薄になった。
  • 核家族化が進んで、ストレス耐性が弱くなった。
など、様々な要因があると思う。

うつ病などの精神障害は、一度、発症すると、中々、本人だけで克服することは困難になってくる。

支えてくれる人が必要になり、支えられる側、支える側、両者ともに、負担がかかってくる。

僕は、医者ではないので、発症した人に、どう克服するかなど、伝えることはできない。

でも、これ以上、進行すると精神障害の可能性が発症するかもしれない、予備軍の人であれば、僕の持論も参考にして欲しい。

僕は、基本的に一人で何もできない人だ。
仕事も多くの人の力を借りるし、家庭でも、一人では、料理すらできない。
野生の動物であれば、淘汰されているだろう。

しかし、僕は生きているし、仕事もしている。

それは、『自分一人で生きている訳でも、何でもできる訳ではない。』と、認めて、僕の人生に多くの人を巻き込んでいるからだ。

僕なりの観察では、ストレス耐性が弱い人は、『何でも自分がやらなきゃ』や『自分が正しいのに、なんで?』など、『自分が』という思いが強い。

先ずは、そこから脱出し、『自分が』から『誰が』に変えていくべきだと思う。

決して、他人に全てを任せるのではなく、やれることはやる。しかし、時間的、得手不得手など、他人に任せた方が良いと判断した場合は、他人に任せる。

その際に、重要なのは、何でも任せてしまっては、『周りから反感をかってしまう。』『何もできなくなってしまう。』『周りがストレスから、疲れてしまう。』など、弊害もでてくる。

だからこそ、バランスが重要になってくる。

そのためには、自分が得意としていることを積極的に行い、その面で頼られる存在になることだ。

頼られる存在になることで、自分も自信がつき、その仕事をこなす際、どんなに忙しくても、『やりがいや責任』が生まれてくる。
他人に押し付けられた『やりがいや責任』と違い、自ら生まれた『やりがいや責任』は、背中を押してくれる存在であり、気持ちの良いストレスだ。

そうすると、大体の人は、『恩を感じ、恩を返したくなる。』
その時に、『維持や見栄を張らずに、素直に甘える。』

『持ちつ、持たれつの関係』を作り、どんどん、周りを巻き込んでいく。

それが、僕なりの秘訣だ。
以前書いた責任が重くて、つらい。ストレスをプラスにする。の発想になってくるはず。

そうすることで、ストレスやプレッシャー、責任が楽しくなり、精神的に強くなってくるはず。


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