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食事のマナーも仕事に役立つ。

食事のマナーは、直接ではなくても、仕事に大きく関わってくると思っている。

食事のマナーは、決して難しいものではない。
食事をともにする相手に不快な思いをさせず、ともに美味しく食事ができるだけでいい。

本当は、箸の使い方や器の持ち方、食事のスピードなども気を使って損はないけれど、最低限、ともにする相手に不快な思いをさせないことが重要だと思っている。

しかし、人それぞれの感性があり、相手が不快に思うポイントは、違ってくる。
普段と同じように食事をしても、好ましく思ってくれる人もいれば、不快に思う人もいるので、ややこしいけれど、誰にも不快な思いをさせない食事の仕方は、そんなに難しくない。

食事を作ってくれた人に感謝し、美味しく食事をするだけだ。

僕は、動物と人との大きな違いの一つに、『食事』が、あると思っている。
人が食べるのは、生きるためなことは動物と同じかもしれない。
しかし、『食事』であって、『エサ』ではない。
その違いは、美味しく『食事』ができるかどうかと、食事を作ってくれた人への『感謝』の気持ちを持てるか、だと思う。

もちろん、動物も美味しい物や食べやすい物の違いは、わかり美味しい物がと不味い物が並んでいれば、美味しい物を選択するだろう。
でも、それに拘ることはない。

しかし、人は、一度美味しい物を食べると、その後も同じもの、もしくはそれ以上の『食事』を求めてしまう。
その『欲求』が、仕事のモチベーションにもつながってくる。
今以上の収入を得、今まで月に一度だった『豪華な食事』も、週に一度、毎日と、これまで『豪華な食事』だったものを当たり前の『食事』にしたいと思うはず。

『食事』の喜びは、人としての楽しみの一つだと、思っている。

そして、食事のマナーとして、重要なのが『食事』を作ってくれた人への『感謝』の気持ちが『ある』『ない』かだと思う。

有名なお店に行き、美味しい食事をすると、そのお料理を作った調理人が、どんな人なのか、その調理人が作った他の食事も食べてみたいと思い、『感謝』もすることだと思う。

しかし、もっと大事なことは、家族(親や妻など)が作った『食事』に対しての『感謝』の気持ちだと思っている。

普段、当たり前に食べる食事だからこそ、もっと『感謝』すべきだと思う。
家族が作った『食事』には、味以上に『愛』がある。
それは、昨日の残りだとしても同じだ。
『感謝』の気持ちがなければ、手を抜いたと思うかもしれない。
でも、それは違う。
ちょっとした、味付けのアレンジや昨日とは違う、一品が添えられたりなど、一手間加えてくれているはず。
もし、全くそんなことが、ないというなら、それは自業自得だ。
これまで、『食事』を作ってくれた家族への『感謝』がなかったか、表現が下手だったかだ。
『感謝』の気持ちが伝わらず、『食事』から『エサ』になってしまったのかもしれない。

でも、勘違いしないで欲しい。
『感謝』の気持ちは、お世辞とは、違う。
美味しい物を『味しい』と、不味い時には、『不味い(直接、不味いは、これまで築いた関係にもよるけれど)』と伝えることと、料理を作っている時間の相手の思いを汲み取ることだと思う。

本当は、忙しく料理を作っている場合ではない時も、自分の思い(状況)を犠牲にしているかもしれないし、朝、本当はもっと眠っていたい時にも早起きして、作っているかもしれない。

そんな思いを汲み取ることができれば、自然と『感謝』の気持ちは芽生えるはず。

その『感謝』の気持ちが伝われば、お互いに美味しい食事ができる。

僕は、『感謝』の気持ちは、そばにいる人、全てに伝わると思う。

仕事で、同僚や取引先の相手にも伝わる。
本当の意味(感謝の気持ちを忘れない)で、美味しく食事をともにすることができる相手には、興味も湧き、また、ともにしたいと思うはず。

普段、何気ない『食事』でも、ともにした相手には、案外、大きな印象(影響)を与えることができる。

だからこそ、僕は、食事のマナーにこだわっているし、子供たちにも、うるさく言っている。

僕は、料理が全くできないから、人以上に、そう考えるかもしれないけれど。


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