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あったらいいな 『ペットレンタル』

ペットレンタルの響きだけだと、「生き物の貸し借り・・・」と、印象が悪いと思うけれど、僕の考える『ペットレンタル』とは、高齢者を対象にしたサービスだ。

高齢者(特に一人暮らし)の方が寂しさを癒すために、ペットを飼うことがよくあるけれど、ペットを飼うことを躊躇している人も案外、多いんじゃないかと思う。

「毎日、散歩ができるかな?」などの世話に関する不安と『どちらの命が長いのか?』という深刻な悩みから、本当はペットを飼いたいけれど、諦めているじゃないかな。

生死が関わる悩みの場合、本心を隠し、「散歩が・・・」「エサ代が・・・」と、他の言い訳を探し、家族や自分に言い聞かせて、諦めてしまっている。
本当は、ペットを飼いたい本心に逆らって。

だからこそ、核家族化が進み、高齢者の単身世帯が増えた今、『ペットレンタル』があってもいいんじゃないかなと思う。
月単位や年単位ではなく、飼い主が先に亡くなったとしても、ペットが迷うことななく、受け入れ先が決まっている『ペットレンタル』だ。

こんなサービスがあれば、これまで生死の問題から、ペットを飼うことを諦めていた高齢者の方も安心してペットを飼うことができるようになり、寂しさを癒したり、散歩などで体を動かし健康的になったりするかもしれない。
また、生き物を飼うことから、新たな生きがいも生まれるかもしれない。

僕は、こんなサービスがあったらいいなと、本気で思っている。


しかし、大きな問題もあって、恐らく収支は合わず、会社組織としては難しいだろうということだ。

そこで、訪問介護などを経営している企業のオプションサービスとしてなら、可能性があるかも知れないと考えている。
オプションであれば、本来の訪問に合わせ、ペットの様子を見たり、散歩に付き合ったりなど、経費よりも、利益や信頼、評判を向上させる方法があると思う。

常に、ペットに接することで、万が一の時も、ペットが戸惑わずにすむし。

もし、その企業が老人ホームも経営しているなら、併設して高齢になったペットの老犬ホームも経営することで、万が一の際にも、ペットの受け入れ先に迷うことがない。
(本当は幼稚園や保育園などに併設し、子供達に生死の大切さを教えることができたらなと思うけど・・・)

僕が、老人ホームや訪問介護の会社を経営していたら、本気で導入するにあたっての収支を計算し、最善策を真剣に考えるかもしれない。
しかし、僕にはそんな器量がない。


ペットのには、人を癒してくれる大きなパワーがあると思う。

もし、訪問介護や老人ホームを経営している人が、このブログを見て、賛同してサービスの一環として、取り入れてくれたら嬉しいな。


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