スキップしてメイン コンテンツに移動

僕がやっている簡単な自己啓発 Part 18【どんどん譲る】

僕は、人に譲る(優先)ことが多い。自分のことや意思、気持ちは後回しにしている。
ただし、周囲に調子よく合わせているのではない。
僕が、『絶対に譲れない』と考えていることを守るためにそうしている。

何でもかんでも、自分の思い通りになることは、まずありえない。
普段、意識しないうちに「譲って、譲られて」を繰り返しているはず。
しかし、バランスが自分寄りになってしまうと、『自分勝手』『自己主張が強い』と言われ、他人寄りになると、『優柔不断』『自己主張がない』と言われてしまう。
このバランスの取り方に長けている人は、立ち回りが上手なんだと思う。

ただ、僕の場合、そんなバランスを考えるのが面倒なので、極力、譲るようにしている。
”10”あったとしたら、そのうち”9”は、譲る。
しかし、『絶対に譲れない』”1”は、絶対に譲らない。

自分なりの一線を引いておくことが大事だと思っている。

一線を引き、普段から何気ない会話の中でも匂わせておく。
例えば、「ラーメンの魚介系の出汁は嫌い。」(僕は、本当に苦手)など。
そうすると、上司にラーメンを誘われて(誘った上司が魚介系の出汁好き)も、イヤイヤ合わせることなく、自分の好みでラーメンを選択することが出来る。
例えとしては、上手くないけれど、自分で選択権を持つことができる。

自分が選択権を握ることは重要な事だと思う。
ラーメンは、別としても、それが自分が譲れないことであれば、尚更だ。

”10”あるうち、”9”譲ることで、絶対に譲りたくない”1”を容易く得ることができる。
それは、普段から、譲ってくれる人に、この場面は、絶対に譲れないと主張されると、案外、簡単に人は譲ってくれる。
自分だけが優先されると、何か不安や負い目が生じて、それを「解消したいと」どこかで感じているからだと思う。

営業職だった時代、お客様に引き渡す商品の品質に僕は、こだわっていた。
それは、品質に満足してくれたお客様からは、必ず紹介があり、営業の成績に大きく貢献してくれるからだ。

ただし、職人が作り上げる一点物の商品なので、天気や納期などによって、品質にバラつきがでてくることが多い。
だから、僕は普段から、納期に余裕を持つようにしていた。
納期をエサに仕事を取る営業マンもいたが、僕は、気にせず、その営業マンの商品を優先したり、天気による予定の変更も許容していた。
しかし、、品質を落としたり、妥協した仕事をすることだけは、絶対に譲らなかった。

それは、結果的にその商品を購入したお客様をガッカリさせるだけではなく、紹介へつながるはずだった、新たなお客様を失ってしまうからだ。

そんなこんなで、営業の仕事で、結果を残すことができた。

だから僕は、絶対に譲れない一線を守るために、普段は、どんどん譲るようにしている。


コメント

このブログの人気の投稿

怒られ続けると、どうなる?

僕の同僚の中に、毎日毎日、怒られている人がいる。 「本当によく、怒られるなぁ」と、ある意味、感心してしまう。 なぜ、彼は、毎日怒られ、それを直すことができないんだろうか。 以前、 怒られたくない! でも、触れたように、仕事が全て、後手後手になってしまっている。 どうしたら、怒られないかを考えた末、指示されるのを待つだけになってしまったり、やりかけの仕事を投げ出してでも、上司の指示に従い、結果、投げ出した仕事の件で、又、怒られる悪循環に陥ってしまう。 人には、 想像したことを実現する力 を持っている。 そんな 力 が、 『怒られたくない』 と思いが強くなりすぎて、逆に、 『怒られる状況』 を生み出してしまっている。 (怒られている姿を想像してしまっている。) なら、その悪循環を断ち切るには、どうしたらいいのだろうか? 僕なら、開き直る。失敗や不手際で怒られるのは、しょうがない。 それは、それ。次は、次。その失敗や不手際を超える成果を残せばいいだけだと、僕は考えている。 ただ、僕は、人よりもメンタルが強い方だから、できることかもしれない。 しかし、メンタルが強くないと、怒られ続けることで、臆病になってしまい、全てが悪い方に考えてしまい、そこからプラス思考に変えることは困難になってしまう。 本当は、上司が、さじ加減で、『怒る』『褒める』を使って、部下を巧みに扱うべきだと思うけれど、それは他力本願でしかないし、僕の同僚もそうだが、上司が怒りやすい人材であったり、性根が合わないのかもしれない。 そこで、諦めたら(逃げ出したら)、一生、諦める(逃げる)しか、なくなってしまう。 自分の道は、自分でつくるべきだ。 では、どうすれば、その悪循環から、脱出できるのだろうか? 僕は、まず 『褒めらる』 ことを目標とするべきだと思う。 『怒られる』 のが、怖いと思う人は、 『褒められる』 ことを好む傾向にあると思う。 上司を研究し、 『何をしたら、喜ぶのか』 を考え、上司好みの部下を演じるしかない。 すぐに 『怒る』 上司は、案外単純で、自分が気に入れば喜ぶ。 最初はこそ、上司にもこれまでの状況(怒り続けた)もあり、素直に誉めたりしないと思う。 しかし、上司の気に入る状況が続けば、自然と 『褒める』 環境ができてくる。...

障害者は、本当に不幸?

昨日から、空いた時間に24時間テレビを見ながら、思った。 障害者は、本当に不幸?なのかと。 周りを見渡しても、あんなにイキイキした人を見かけることが少なく(特に大人)、人生を充分楽しんでいるんじゃないかと。 もちろん、人には見せない裏側で、それこそ人一倍の苦労を重ねているからこそのイキイキした顔なんだろうと思うけど。 鏡を見るの怖くなった。 世界には背が高い人・低い人、太っている人・痩せている人、いつも笑っている人・怒っている人等々、様々な個性が溢れているように障害も個性の一つじゃないのかと。 『健常者』『障害者』の言葉ではなく、その人の個性として認め合い、得手・不得手をお互いに補える、そんな世の中になったとしたら、もっとイキイキした顔が周りに溢れるんじゃいかなぁ。 そんな世の中も見てみたい。 ※ただ、自分が同じ立場に立った時、同じ努力と笑顔ができる自信はない。一瞬、羨ましいと思った自分が恥ずかしいし、情けない。

自分の器を大きくする。

よく、人を評価する際、 『あの人は器が大きい・小さい』 など、器に例えられる場合がある。 人としての器は、小さいより、大きい方が良いに決まっている。 どうしたら、器を大きくできるんだろう。 器の大きい人と言われて、想像することは、 何でも受け入れてくれる。 認めてくれる。 細かいことを気にしない。 などが、思いつく。 それなら、どうすれば自分の器を大きくすることができるだろうか。 僕の場合は、人の器とは、 『成長する、お茶碗(器)』 と、考えている。 日々、お茶碗を使用し、 『食べる量(経験)』 に変化がなければ、大きくもならず、小さくもならない。 『食べる量(経験)』 が多くなると、自然に、こぼれ落ちないよう 『お茶碗(器)』 も成長していく。 そんな魔法のお茶碗だ。 もちろん、 『食べる量(経験)』 が減ると、 『お茶碗(器)』 も、徐々に小さくなってしまう。 なぜ、こんな子供だましの例えをするのかと言うと、 『今の自分に満足しない』 貪欲さが、人の器を大きくしていくと思っているからだ。 決して、他人より、 『上や優位に立ちたい』 など、今の自分を量るのに、他人を利用するのではなく、 『今日の自分より、明日の自分』 と、自分自信を評価基準として、成長していく必要がある。 そして、自分を成長させていく、一番の方法は、 『経験だ。』 これに、勝るものはない。 しかし、誰にも、平等に時間は流れていて、人の倍の経験を積みたいと思ったら、人の倍の時間を必要とする。 ならば、経験する中身を濃い物にしていくしかない。 (スライムだけの経験ではなく、より強い敵から、経験値を得る。) 中身の濃い経験にするには、 『人の話(経験)』 をよく聞くこと。 『人の話(経験)』 を自分の経験とするこもできるし、近道を教えてくれることもある。 また、流れを読むことも必要だ。 川の下流から、上流に泳ぐには、相当の体力が必要だが、上流から下流へは、比較的泳ぎやすい。 ただし、全体を把握していなければ、泳いだ先に、大きな滝があるかも知れないし、近くに船があるかも知れない。 流れを読むには、先ずは細かいことなど、気にせずに、周りを見渡す。 その中で、気になる...