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厳しい上司と優しい上司。

僕が部下を持っていた時、どちらか(間違いなく)というと厳しい上司だった。 今振り返ってみて、少し厳しすぎたかなと思う時もあるけれど、間違ってはいなかったと思う。 自分の部下に、 『仕事を楽しんで欲しい。』『成長して欲しい。』 と、本当に考え、とった行動だ。 ただ、今の人たちを見ていると、厳しい上司よりも、優しい上司の方が、成長しやすいのかなと思う時も、多々ある。 最近の 『怒らずに諭す』 教育方針も関係していると思うけれど、あまり怒られた経験が少ないのか、上司に怒られたときの対応を見ていると、 『悔しい』 や 『見返す』 よりも、臆病になってしまう傾向が強い。 それでは、厳しくしてもしょうがない。 『いいなりになる社員』 を作ることができても、本当の意味での 『仕事ができる社員』 に育てることはできない。 もちろん、全てに優しい上司は、存在しない。 それは、 『仕事は、そんなに甘い物ではないからだ。』 今の時代、会社を維持することすら、容易なことではない。まして、会社を成長させるには、並大抵のことではない。 慣れや油断などから、すぐに、足元をすくわれてしまう。 そうならないためにも、厳しい一面が出るのは、しょうがない。 ただ、僕は、会社の一番の財産は 『人』 だと、思っている。 これは、ブログ用の自分を良い人に見せようとしている訳ではなく、純粋にそう思う。 誰も、一人で生きてはいけない。これまでも多くの人と関わってきたはずだ。 人(社員)を大事にし、人(社員)から、好かれる会社になれば、その波及効果は、大きな力になる。 人(社員)から、嫌われる会社は、悪い意味での波及効果が大きくなり、将来性が見えてこなくなってしまう場合もあると思う。 だからこそ、上司は、 部下が成長する道筋を作らなければいけない。 そのためにも、時代や人材に合わせた部下への対応を考えて行かなければならない時代だと思う。 ただ、僕がこれまで出会った中で、自分勝手に怒る理不尽な上司は、問題外として、厳しい上司が根本的な優しさを持ち、優しい(外面がいい)と思っていた上司の方が、裏の顔を持ち合わせ、部下よりも、自分のことばかり、考えている上司が多かったと思う。 これは、僕の持論だけど、 『厳しい上司は、自分にも厳しい』 し、 『優しい上司は、

食事のマナーも仕事に役立つ。

食事のマナーは、直接ではなくても、仕事に大きく関わってくると思っている。 食事のマナーは、決して難しいものではない。 食事をともにする相手に不快な思いをさせず、 ともに美味しく食事 ができるだけでいい。 本当は、箸の使い方や器の持ち方、食事のスピードなども気を使って損はないけれど、最低限、ともにする相手に不快な思いをさせないことが重要だと思っている。 しかし、人それぞれの感性があり、相手が不快に思うポイントは、違ってくる。 普段と同じように食事をしても、好ましく思ってくれる人もいれば、不快に思う人もいるので、ややこしいけれど、誰にも不快な思いをさせない食事の仕方は、そんなに難しくない。 食事を作ってくれた人に感謝し、美味しく食事をするだけだ。 僕は、動物と人との大きな違いの一つに、 『食事』 が、あると思っている。 人が食べるのは、生きるためなことは動物と同じかもしれない。 しかし、 『食事』 であって、 『エサ』 ではない。 その違いは、美味しく 『食事』 ができるかどうかと、食事を作ってくれた人への 『感謝』 の気持ちを持てるか、だと思う。 もちろん、動物も美味しい物や食べやすい物の違いは、わかり美味しい物がと不味い物が並んでいれば、美味しい物を選択するだろう。 でも、それに拘ることはない。 しかし、人は、一度美味しい物を食べると、その後も同じもの、もしくはそれ以上の 『食事』 を求めてしまう。 その 『欲求』 が、仕事のモチベーションにもつながってくる。 今以上の収入を得、今まで月に一度だった 『豪華な食事』 も、週に一度、毎日と、これまで 『豪華な食事』 だったものを当たり前の 『食事』 にしたいと思うはず。 『食事』 の喜びは、人としての楽しみの一つだと、思っている。 そして、食事のマナーとして、重要なのが 『食事』 を作ってくれた人への『感謝』の気持ちが 『ある』 か 『ない』 かだと思う。 有名なお店に行き、美味しい食事をすると、そのお料理を作った調理人が、どんな人なのか、その調理人が作った他の食事も食べてみたいと思い、 『感謝』 もすることだと思う。 しかし、もっと大事なことは、家族(親や妻など)が作った 『食事』に対しての『感謝』 の気持ちだと思っている。 普段、当たり前に食べる食

毎日、昨日の自分より、成長しよう。

日々、勉強することが大事だし、僕も毎日、何かを吸収し、自分のものにしようとしている。 但し、社会人の勉強は、子供たちのように漢字を練習したり、計算したりではない。 話題作りのために、テレビやネットを流し見するのも勉強の一貫だと思うし、話題や人気のお店に行って見るのも勉強だと思っている。 勉強を難しく考える必要はない。 もちろん、業務に関わることを調べ、自分の知識にすることは、何より優先したい勉強だ。 子供も大人も、日々、勉強し、昨日よりも一歩でも、前進しなくては、いけないのかもしれない。 生まれたての赤ちゃんも、勉強を意識していなくても、日々、何かを覚え、成長している。 ただ、学生までの勉強と、社会人になってからの勉強で大きく違うことは、 『吸収だけではいけない。』 ということだ。 学生までの勉強は、ひたすら 『吸収』 することが重要になってくる。 いつの日か、 『吸収』 した知識を使う機会を待ち、エネルギーを溜めている状態だと思う。 しかし、社会人となれば、勉強で得た知識を 『吸収』 するだけでは、いけない。 むしろ、 『吸収』 した、エネルギー(知識)を放出しなければいけない。 『吸収』 だけでは、何の役にも立たない。その知識を利用するからこそ、自分に付加価値がついてくる。 付加価値がない人は、周りから見て、どうしても物足りなく感じてしまう。 付加価値が、人としての魅力を自分に飾り付けていってくれるはずだ。 そのためにも、これまで溜めたエネルギーだけだは、すぐに使い切ってしまう。 日々、勉強し、エネルギーを随時、補給しながら進んでいくしかない。 そう考えると、 『毎日、何かを勉強しなくてはいけない。』 ということは、非常に困難なことに思ってしまうけれど、そんなに大変なことではない。 むしろ、簡単なことだ。 昨日まで知らなかったことを覚えるだけでいい。 難しいと思うと難しいことになってしまうけれど、簡単だと思えば、簡単にできてくる。 例えば、明日の天気を知ることも勉強の一環にもなるし、知識にもなる。 又、コミュニケーションを取る簡単な知識の一つであり、明日の天気を知ることでコミュニケーションを円滑に進める重要な手段にもなる。 (毎日、天気予報だけ見て、自分が成長したと思うのもあれだけど。)

週の初めは、元気よく。

多くの人は、月曜日が今週の仕事の初日になると思う。僕も同様に、今日が今週の始まりだ。 殆どの人が、自分のプライベート(人生)をより、充実させるために仕事をしていると思う。 休日に趣味などで、クタクタになるまで過ごしている人も多いことだと思う。 プライベートが充実していることは本当に良いことで、僕も憧れるし、僕も今以上にプライベートを充実させたいと思っている。 (こんなブログをしているが、僕は、仕事人間ではない。プライベート重視だ。) プライベートが充実した方が、仕事にも 『やる気』 が出るし、結果的に仕事も充実してくる。 仕事オンリーで、プライベートを犠牲にしている人で、本当に仕事ができる人は、見たことがない。中途半端にできる人は、多々いたけれど。 しかし、僕は、休日の翌日こそ、大事にしている。 休日に疲れ果ててしまうのは、しょうがない。でも、それを職場に引きずってはいけない。 多少、無理をして(空元気)でも、普段以上に元気を出すべきだ。 遊び疲れで、ボーっとするのは、問題外だ。 他人から見て、休日明けに元気が良い姿を見ると、 「この人は、仕事もプライベートも充実しているな。いいリフレッシュしたんだな。」 と、思うけれど、遊び疲れてボーっとした姿を見ると、 「プライベートを大事にするのもいいけれど。いつまでも、子供じゃないんだから。」 と、思ってしまう。 休日は、仕事をしている人、誰にでも与えられてる権利だし、人様々の過ごし方があり、それは自由だ。 ただ、僕は、休日明けに元気な姿を見せている同僚のプライベートや趣味は、気になり、どんな休日を過ごしているか聞きたくなってしまう(僕も、マネしたい)けれど、遊び疲れた姿の同僚のプライベートや趣味は、興味が湧かない。 たぶん、僕だけじゃなく、多くの人は同じ意見を持ってくれると思う。 周り(同僚)の印象は大事にしないといけない。周り(同僚)の印象次第で、自分が優位に仕事を進めることができるか?どうかが、掛かってくる。 仕事をしているからこその休日だから、休日明けには、疲れていても意識して、元気をだそう。 遊び疲れを次の日まで残すのは、本当の意味でプライベートが充実している訳ではない。 例え、疲れていても、気分がスッキリとリフレッシュでき、疲れを引きずらないことこそ、本

心が折れそうときには、どうする。

僕は、心が折れそうになることが多々ある。 本当に些細なことや、失敗が続いたりした場合、どうしても心が折れそうになってしまう。 というより、折れている。 このブログで仕事が、メンタル次第(気の持ちよう)で、変わることを散々伝えている僕の方が、本当は、誰よりもメンタルが弱いのかもしれない。 僕は、幼少期の環境からか、 『自分が認められない』 ことや 『必用とされていない』 ことに強く反発してしまう傾向がある。 自分の短所であり、治さなければいけないと何度も強く思っている。 しかし、長年付き合ってきた、この性格は、そう簡単に変えれるもではない。 手強い相手だ。 仕事上、何とか理性で抑えることができたにしても、プライベートに悪影響を及ぼし、家族に迷惑(八つ当たり)を掛けたこともある。 そんな僕を受け止めてくれる家族(特に妻)には、感謝しかない。 いつか、必ず恩返しをしなくてはと、本気で考えている。 (必ず、 有言実行 する。) そんな僕だから、心が折れそうなときは、本当に多々ある。 そんな、心が折れそうなとき、僕は抵抗はしないようにしている。 自分がダメな人間だと、しみじみと思うこともある。 なるべく頑張らずに、素直に折れる。頑張ってもしょうがない。 そこで、頑張りすぎると、心が折れたときの衝撃がより強くなってしまう。 傷は、浅い方が治りやすいと思う。 だから、簡単に心が折れたほうが、立ち直りやすいと思っている。 昔、友人に「無理せず、適当に頑張りな。」と、声を掛けたことがあった。 後日、友人から、感謝された。 僕には、その時の友人の心境は気にせず、発した言葉だったけど、その時の友人は、僕に言えない悩みがあり、自分を追い込んでいたみたいだ。 僕の適当な言葉が、友人の肩の力を抜くことに役立ったみたいだ。 心は、そんなに強くない。 心が折れそうなときに頑張っても、深いキズが残るだけ。 柳のように、風に任せて折れないように受け流すか、深く折れる前に、キズが浅く済む段階で早く折れてしまうのが必要だ。 骨折と同様(僕は、医者じゃないので噂程度だけど。)に、折れた心は強くなるし、キレイに折れれば、治りも早い。 どんどん心を折って、どんどん心を強くしよう。

仕事ができる人のマネをする。

手っ取り早く、仕事ができる人になりたければ、自分の周囲にいる、仕事ができる人のマネをとことんするに限る。 自分で、今後の行動を考える必要はなく、とても簡単なことだ。 できれば、服装や趣味まで、マネしてしまおう。 自分らしくは、同じ立場に立てた時、初めて考えることにして、取り敢えず、全てをマネすることに費やす。それが一番大事になってくる。 仕事ができる人は、無駄が非常に少ない。 『残業が人より多い。』『休日を返上して仕事をしている。』 など、周りより多くの時間を費やし、仕事をしている、 『仕事ができる人』 は、 『本当に仕事ができる人』 ではない。 自分は、仕事ができると思い込んでいる自意識過剰な少し、残念な人だ。 『本当の仕事ができる人』 は、プライベートが充実している。交友関係や話題、リフレッシュなど、プライベートが充実してこそ、仕事が楽しめる。 楽しんでする仕事には、成果が必ずついてくる。 そんな、無駄なく仕事をしている人のマネをしない手はない。 先を読んで行動( 仕事が早い?遅い? を参考に)し、事前の準備(知識も含め)を怠らない。 だからこそ、突然のトラブルが発生しても、そのトラブルさえも折り込み済みで、容易に対応できる。 そして、言動も同様に、自分のペースに持っていくための言葉遣い、行動を取っているはず。 言葉尻、会話のタイミング、その際の頷くタイミングなど、相手の気分を害せず、尚且つ、自分に引き込むテクニックが必ずあるはず。 服装や身だしなみも同様だ。 周囲に不快感を与えず、好印象を与えることが 『仕事ができる人』 になる為には、必要不可欠だ。 マネして、損することはない。 もし、完璧にマネ(コピー)できれば、同じ成果を残し、同じ立場に立つことは、誰が考えても、頷くはず。だって、同一人物(コピー)なんだから。 仕事ができる人のマネをするうちに、その人の思考までも、わかってくるはず。 最初は、意味もわからずにマネをしていた言動が、 『なぜ、そのタイミングで、その言動を行ったのか』 理由に納得できるようになってくる。 その言動の意味がわかってくれば、マネする事を意識しなくても、自然と 『仕事ができる人』 と、同様の言動が取れるようになっているはず。 しかし、誰もが、個性があって、そこまで完

仕事の人間関係に『好きか?嫌いか?』は、邪魔なだけ。

僕は、仕事での人間関係に 『好きか?嫌いか?』の選択肢 は設けていない。 仕事で関わる人は、全て『好き』がベースとなっている。 その訳は、あくまでも仕事を通しての人間関係であり、プライベートをともにすることは、滅多にないし、 『好き』 をベースにすることで、相手に興味がわき、相手のことを 『もっと知りたい。』 と、欲求が自然に湧いてくるからだ。 『もっと知りたい。』 と、思えば、 『今、何を考えているんだろう?』『本当は、何を求めているんだろう?』 と、自然と考えているはず。 気付くと、良好な人間関係が築けている。 人は誰でも、自分に好意を抱いている人を邪険にしたりすることはない。 ただし、踏み込み過ぎは、逆効果になってしまう。相手と自分の距離感を確かめることが重要になってくるけれど、決して、難しいことではない。少しづつ踏み込み、どこまでが許容範囲か確認しながら、踏み込めば良いだけ。相手が拒否するような時は、それ以上踏み込んではいけない。それだけだ。 そして、昨日 『シンプル イズ ベスト』の発想が重要だ。 の続きになるけれど、人間関係を考える時の選択肢から 『好きか?嫌いか?』 が無くなり、より、シンプルに考えることができる。 物事は、複雑に考えるより、シンプルに考えた方が絶対に良い。 特に、人間関係においては尚更だ。 相手が何を考え、何を求めているのかなど、考えながら良好な人間関係を築こうと思えば、気疲れしかしないけれど、 『好き』 をベースにすれば、自然と相手のことを知りたくなるから、そんなことを考えようと思う前に、考えているはず。 その後は、『自分にとって、メリットがある?ない?』でも、『出世する?しない?』など、何でもいい。 選択肢から 『好きか?嫌いか?』 を外し 『好き』 をベースにするだけで、余計な選択肢を殆ど排除することができる。 だから、仕事の人間関係に 『好きか?嫌いか?』 は、邪魔なだけ。 そして、 『好き』 になるのコツは、所詮、仕事の間だけだし、相手を 『好き』 になるのも仕事の一部だと思うこと。 それから、相手の悪い所を見つけたら、良い所をその倍以上探すこと。どんな人でも、良い所は必ずあるはず。(ゴミを拾っていたなど、小さなことから) 相手の良い所を探す癖をつければ、自然