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人の振り見て、我が振り決める。

『人の振り見て、我が振りなおせ』 は、子供たちも知っている、有名なことわざだが、僕は、人の欠点を利用して、自分だけ良ければと考えているよう(あくまでも僕の主観です。)で、印象が悪いので、あえて反対にした 『人の振り見て、我が振り決める』 の方が好きだ。 どちらも、周りの人を良く見て、自分の行動を決めていくことに変わりはない。が、僕は前者の 『人の振り見て、我が振りなおせ』 は 『上から下』『前から後ろ』 を見ている気がする。 見ている方向がマイナス方向なら、自然と自分が進んでいく道もマイナスに向かって行ってしまう。 しかし、後者の 『人の振り見て、我が振り決める』 は 『下から上』『後ろら前』 を見ながら、一歩ずつ確実に前進している印象を持つ。 ただ、僕が言いたいのは、昔ながらの職人のように、何も教えてもらわずに、先輩、上司の仕事っぷりを見て、仕事を覚えることではない。 本当に仕事ができる人の動きを見ていると、無駄な動きが極力ない。 仕事は、全て順調に行くわけではない。 必ず、トラブルや思わぬ横槍など、仕事を妨げることが発生する。 それでも、仕事ができる人は、そういったトラブルさえも想定内として、回避、対応のための準備や時間的な余裕を持っている。 他にも、並行した複数の仕事をこなす、順番や方法など、参考になることが多い。 そんな周りにいる仕事のできる人の行動を真似しない手はない。 同じような行動をしていると、次第に考え方もわかってくるようになる。 「何で、今こんなことをしているの?」から、「こんなことを考えているから、今これをしているのか。」と、なってくる。 考え方までわかってくると、今まで憧れだった存在から、お互いにとって、良いライバルまで成長しているはず。 僕も、 『人の振り見て、我が振り決める』 を実践している。 僕にとって、今の仕事は、数カ月だけれど、十何年続けている先輩の行動をしっかりと真似、十何年の経験を僕のものに(欲張りだけど、1年以内には)しようと思っている。 『夢は大きく』

休日の過ごし方。

人それぞれ、休日の過ごし方はあると思う。 僕の休日は、大体、家族と一緒に過ごすことの方が多い。 僕は、極力、仕事を家庭に持ち込まない。と言うより、持ち込んでいる時間がない。 子供たちと遊んだり、勉強を教えたり、してる内に、気付くと夜になっていることが、殆どだ。 たまには、自分一人の時間が欲しいと思う時もあるけれど、実際、有休などで、平日に一人でいると、何をしていいか解らず、部屋を片付けたりなど、結局、自分の趣味に費やす時間を見失ってしまう。 これはこれで、不満があるわけでも、ストレスが溜まるわけでも(むしろ、ストレス解消になっている)ないので、自分なりには、良い休日の過ごし方だと感じている。 本当は、ブログで、 『自己啓発』 と、謳っているなら、自分磨きのセミナーや交流、勉強をすることで、もっと的確なアドバイスや助言ができるのかもしれないが、このブログは、自由気ままに僕の思ったこと、体験したことから、少しでも、仕事が楽しくなって貰いえればと良いと思い、あくまでも僕の主観的な意見のみ、書いている。 性格上、自分が体験していないことを自分が体験したことのように語ることは、好きじゃないし、する気がない。 時々、偏った話にもなるかもしれないが、それでも僕は、それが切っ掛けで仕事が楽しくなると信じ、伝えたいと思っている。 本題から、少しずれてしまったが、僕は、休日(帰社したら)には、仕事を忘れるに限る。そして、自分が楽しめることをするべきだと思う。 それは、決して、仕事に対して、消極的なわけではない。 人は、集中力に限界がある。 一日で、本当に集中できるのは、2時間くらいしかないし、それを5日も続けたら、クタクタで、その後は惰性で何とか誤魔化しているしかない。 上手く、誤魔化すのもテクニックかも知れない。 しかし、そんな小手先で自分を誤魔化すより、素直に疲れを認め、しっかりと休憩をとる方が合理的だと思う。 自分は、 『24時間、365日、仕事のことだけを考えている。』 なんて、エゴでしかないし、僕には、よっぽど仕事のできない(自分では、仕事ができると思っている、残念な)人としか思えない。 こんなブログをしていると、僕は、仕事一辺倒な人と思うかもしれないが、僕は 『僕の人生を楽しみたい。』 その一環に仕事があるだけだ

忘年会も仕事の一部。

忘年会シーズンが近づいてきた。仕事として、お酒を飲む機会を楽しみにしている人、苦痛としている人など、人それぞれ、だと思う。 僕は、間違いなく前者だ。同僚と飲むことも楽しみだが、それよりも、お酒を飲むことが楽しみだ。 でも、アル中ではない。一人で、しんみりとした、お酒は、僕には飲めない。 晩酌も妻や子供たちがいるからこそ、楽しく、お酒を飲むことができる。 僕は、基本的に楽しいお酒が好きだ。 しかし、気の置ける友人との飲み会なら楽しみだけれど、会社で、仕方なく参加する飲み会は、嫌いと言う人も多い。 嫌いな人は、就業時間を過ぎてまで、上司や同僚に、 『気を使いたくない』 と、言うのが本音だと思う。 でも、僕には、その機会を上手く使わないのは、勿体ないと思う。 世間がよく言う、 『お酒が入って、その人の本音や素顔を見ることができる。』 からでは、ない。 もちろん、会社のお金で、タダ酒が飲めるからでもない。 本音や素顔を見れるに、かなり近いけれど、その人の限界を知ることができるからだ。 僕のキャラ的に通用するのかも知れない(僕が通用すると思っているだけかも)が、お酒に酔ったふりをして、その人の普段見ることができない、深い所を探っていく。 そうすると、どこまで入り込んでいいのか、ダメなのか、その人の限界が見えてくる。 深入りしすぎると、それを嫌うのは、当たり前で、誰でも他人が入り込むことを拒む限界がある。 その限界ぎりぎりまで、入り込むことによって、これまで以上の関係が築くことができる。 人は、心の開く位置を 『この人はそこまで、この人にはここまで』 と、その人によって、境界線を引いている。 しかし、お酒の力を借りたにしても、今まで引かれていた境界線を越え、更に近づくことで、今まで以上に心を開いてくれる。 一度、入り込むと、その後の普段の仕事でも、今までより、一歩も二歩も親密な人間関係になり、円満に仕事を進めることができる。 だからこそ、僕は、こんな機会を得る、忘年会シーズンは、楽しみでしょうがない。 もちろん、やり方を間違えると、ニュースにもなった、相撲界のように、険悪になってしまう。 僕は、今回の相撲界の問題となった場にいないので、詳細はわからないが、相手(今回は、日馬富士)の限界を探る行為に、相手に対する尊

今の自分の位置を知るには。

自分の位置を把握しながら、仕事をしている人は、どれくらいいるのだろう。 位置と言っても、「上から何番目だ。」「下から何番目だ。」の、位置ではなく、以前のブログ『 「夢」や「目標」を持とう。 』で、書いたように、 『夢や目標 (通過点、もしくはゴール) 』 までの道のりを歩んでいる、自分自身の現在地だ。 自分の位置を知らなければ、ゴールだけ見えていても、現在地がわからなければ、今、歩んでいる道が遠回りだったり、行き止まりだったりするのに気付くことができない。 実際は、遠回りでも、『この道は、 近道なはず だ。』と、思ってしまう。 大体の人は、自分に厳しいようで、甘いから、ついつい、自分に都合よく、考えてしまう。 だからこそ、自分の位置を知ることは、とっても重要だ。 しかし、ゴールは、同じでも、歩む道は、人それぞれ違う。周りの誰かと比べたり、参考にしても自分の位置を正確に知ることはできない。 それなら、どうすれば良いのか。 それは、自分が歩んできた道を振り返るしかない。 何度も、何度も振り返り、確認するだけだ。そな際、極力、自分が歩んだ来た道ではなく、他人が歩いていると想像した上で、客観的(他人にアドバイスをするようなイメージだと、やりやすいかも)に。 どうしても、厳しくしていると思っていても、自分には、甘くなってしまいがちだが、他人にアドバイス(なるべく上から目線)するようにすると、自然と厳しくなってくる。 だからこそ、ゴールまでの道のりで、今の自分が充分に満たしている所、足りないところ、間違えている所が、正確に見えてくる。 そうすることで、自分の正確な位置を把握することができる。 自分の正確な位置がわかれば、これから、どの道をどう進めばいいのかわかってくる。 これで、ゴールまで、最短距離で進むことができるはず。 コツは、どれだけ客観的に自分を見ることができるかだ。 その為にも、上から目線で自分を見るくらいが調度いい。

周りを上手く使うには。

『周りを上手く使う』 と、聞くと計算高く、嫌な奴の印象があるけれど、僕はよく周りを使っている。(実際には、助けてもらっている。) どうしたら、好意的に手伝って貰うことができるだろう。 僕が実践しているのは、先ず 『周りの手伝いを惜しまない』 ことだ。 そして、見返りを求めない。 決して、「あの時、手伝ったから、これをして。」なども言わない。 周りの手伝いをすることで、自分一人で行っている時には気付かなかった、要領やコツ、全体的な流れが見えてくる。 自分が劣っている、勝っているなど、関係なく、違いを見ることで、思いがけないアイディアが生まれたり、自分の不得意だった所を改善できたりする。 『周りの手伝いをした見返り』 として、 『自分が成長』 することができる。 悪いことではない。 そして、手伝った際、もし自分が勝っていると思った点では、惜しみなくコツや流れを伝えよう。 決して、説教や教えてる立場では無く、「この方が楽じゃない。」「こっちの方が早く出来るよ。」のように。 そうしている内に、自分と仕事をするのは楽しいし、捗る、成果が出ると思って貰えたらこっちのものだ。 自分が助けを欲しいと思っている時に、近寄ってきて、手伝ってくれるはず。 もう一つ、僕が行っているのは、 『極力、譲る』 ことだ。 自分を犠牲にしても、基本的には、助け(手伝い)を求めている人には、手を差し伸べる。 『10あれば、9譲る。』 しかし、自分が譲れない 『1』 は、絶対に譲らない。 そうすることで、周りの人たちは、僕が、 『何に、こだわっている』 のか、理解してくれる。 自分を知って貰うことで、僕が譲れない場面に直面した際、助けを求めているのを知ると、応援してくれる。そして、手を貸してくれる。 僕は、こうして 周りの人達を上手く使っている。 でも、そのための労力は、使っているつもりだ。 『10の内、9は周りのために使っている。』 しかし、そのおかげで、 本当に手を貸して欲しい時や、譲れない場面で、周りの協力で乗り切る ことができてきた。 これからも、同様だと思う。 だから、僕は、周りを使うのが上手いと自負している。 ぜひ、参考にして欲しい。

時間を追う人、時間に追われる人。

仕事、プライベートを問わず 『時間に追われる』 のではく 『時間を追う』 癖をつけよう。 ただ、 『時間を追う』 という言葉を耳にする機会は中々ない。 なぜだろう? 単純に、 『時間に追われる』 は、やるべきことに対して、時間(期日)が迫り、焦ったりすることだと思う。 それなら、 『時間を追う』 は、時間(期日)に対して、やるべきことを終え、余裕ができることだと思う。 そう考えると、 『時間に追われる』 より 『時間を追う』 ほうが絶対にいいに決まっている。 焦って仕事をしても、終わらせることが中心になってしまい、見直すことや時間内でできる必要最低限の準備で終わってしまい、ミスや悪い結果が待っている。仮に上手くいったにしても、そのプレッシャーなどで疲れてしまい、純粋に良かったと思えずに「やっと、終わった(解放された)」の気持ちが強く、すぐ次の仕事に取り掛からずに一休みいれたくなってしまう。 しかし、余裕を持って仕事ができると、見直したり、他に準備しておいた方が良いものがないか探すこともできる。 結果、成功にも近づくし、充実感を得ることで、次へ次へ、仕事を追いかけて行ける。 仕事を追いかけて行ければ、更に時間的余裕を持って、仕事ができ、自分にとって、良い環境で仕事をすることができる。 なぜ、 『時間を追う』 ことが、できず 『時間に追われて』 しまうのか? 違いは何だろう。 『スケジュール管理』 や 『いつ・どのタイミングでどの仕事をするべきか』 の判断を間違えてしまってるなど、考えられることは多々ある。 それを克服するには、経験や知識など、様々な要素が必要とされる。 しかし、もっと根本的なことを変えるだけで、簡単に 『時間を追う』 ことができる。 それは、 『自分を信じ、自分ならできる(簡単だと)思うことだ。』 自分を信じることで、不安が和らぎ、自信を持った仕事ができる。 自分ならできる(簡単だ)と思うことで、成功すれば自信につながるし、例え、失敗に終わっても、 『いい経験をした次は大丈夫』 と思うことができる。 結果、前を向いて仕事と正面から向き合うことで、ミスや不安を心配する無駄な時間が減り、効率よく、仕事ができてくる。 それが 『時間を追う』 ことだと思う。 どうしても、不安があると、それを

『面倒くさい』は、仕事にプラス。

仕事(だけではなく、生活全て)をしていると、面倒くさいと思うことが、誰でも、頻繁にある。 僕は、誰よりも 『面倒くさがり』 だと思っている。 『面倒くさい』 と、思うことは、これからに繋がるチャンスの言葉だ。 これまで、多くの人が面倒くさいと思い、それを解消するために、様々なアイディアや商品が生まれてきている。 面倒くさいと思わずに、ただ黙々と仕事をしていると、これまで以上にも以下にもならない。(多少は、慣れて効率が良くなることがあったとしても) しかし、面倒くさいと日々、感じ、 『何とか』 しようと思うことで、改善策やアイディアが生まれ、今までより、効率よく仕事ができたり、正確にできるようにる。 『面倒くさい』 は、人が進化するための合言葉だ。 ただし、気を付けて欲しいのは、 『一つ先の面倒くさい』 が、様々なアイディアを出してくれるということを。 例えば、ゴミを捨てるのが面倒。 だから、捨てずに、そこに置いておこう。 ではなく、捨てに行くのが面倒だから、ゴミ箱を近くに置いておこう。 のように、 『目の前の面倒くさいで終わらせ、諦めてしまう』 のではなく、その一つ先を想像し、考えることで解決策が生まれてくる。 ゴミをそこに置いたのでは、溜まる一方だし、片付けるのが 面倒 だ。 しかし、ゴミ箱に入っていれば、片付けは、簡単にできる。 目の前の 『面倒くさい』 だけでは、何もアイディアが生まれもしないし、解決策も生まれてくるはずなんてない。 一つ先を想像し、考えるだけで、全然違う。 みんなも、どんどん面倒くさがりになろう。

決断(判断)は、できる限り早く。

仕事をしていると、決断と言うと大げさだが、要所要所で、自分で決断(判断?)しなければいけない時がでてくる。 その際、迷ってはいけない。素早く決断するべきだ。 何も、会社や上司に確認せずに 「答えを出せ!」 ではない。 過度な値引き交渉など、自分本位で決断をして、会社や上司に怒られる(損害を与える)場合もある。 僕が言う 『決断』 は、自分で決めることができないなら、 『まず、上司に報告、相談する』 という 『決断』 を素早く行うべきだということだ。 お客様からの問いに、 『自分の勉強不足や経験不足で、即答できない時も同様』 だ。 わからないことは、何秒、何時間かけてもわからない。そこで、何時間も考える (考えてるふり) のは、 『自分が何も知らないと思われたくない。そんな、小さなプライドを守るためだけ』 でしかない。 仕事にプライドを持つことは大事だし、自分の仕事にプライドを持っている人は、 『仕事ができる人』 と、周りから思われているはず。 しかし、 自分の体裁や見栄を守るためのプライドは、必要ない。むしろ、邪魔。 決断(判断)が、遅い人は、そんな小さなプライドに囚われてしまっている。 僕は、決断(判断)するまでに、10秒も掛けるのは、時間の掛け過ぎだと思うし、実際、瞬時に、決断(判断)している。 僕の行動が正しいとは思わないけれど、間違っているとも思っていない。 「難しい、決断(判断)をしろ!」 という訳ではない。 自分で、回答できる。・・・yes・no noなら、どうする。・・・自分で調べる・先輩に聞く・上司に相談する など、小さな決断(判断)を繰り返していくだけでいい。 自分で、何でもできると思わず、 『できない』『わからない』『答えを出せない』ことが、仕事では必ずある ことを認め、どうどうと対応するべきだと思う。 知ったかぶりで、曖昧な答えをするより、「わかりません。調べてみます(確認します)」の返答をした方が、誰からも信頼される。(「全てがわからない」や「何度聞いてもわかりません。」は、問題外。話にならず) 時間は、待ってくれない。決断(判断)は、素早く行う。を、心がけよう。 決して、 『適当にしろ』 ではない。 小さなプライドを捨て、大きなプライドを持とう。

お客様の断り文句を潰していく。

多くの人には、物欲があり、興味があるもの全てを欲しい(手に入れたい)と考えている。 物欲(欲求)は、本能からくるものだから、普段は、何とか理性で抑えていても、ちょっとした切っ掛けで、理性を簡単に跳ねのけ、『どうしても、欲しい。』『今すぐに、手に入れたい。』と、物欲に負けてしまい、ついつい購入してしまう。 その切っ掛けを作ることのが、営業の仕事だ。 だからこそ、断り文句を潰していくのも、営業手法の一つで、僕が得意とする営業手法だ。 お客様の本音は、『欲しい』であり、『高い』『まだ早い』などの断り文句を潰して(解決)欲しいと、思っている。 それなら、その期待に応えて行けば、自然と購入してくれる。(お客様から、「ぜひ譲ってください。」と、言われることもあるはず。) 『値段が高い』 や 『いらない』 と、言われても、諦めたり、くじけたりする必要はない。 例えば、「もし、この商品が無料でもいりませんか?」「気に入ってくれているなら、差し上げますよ」など、揺さぶりを掛けながら、本音を聞きだしていく。 大抵、「もし無料なら。使ってみようかな。」など、好意的な反応を示してくれるはず。 そこで、すぐに売りに走るのではなく、昨日のブログ 購買意欲をくすぐるには。 のように、お客様にとって、 『その商品やサービスのある生活を想像させ、どんどん膨らませていく。』 購買意欲が湧いてくると、 さっきまでは『高い』や『いらない』 だった、 反応が『欲しいけど、〇〇円位なら、良かったんだけど。』や『同じようなものを持っているから』 など、営業マンにとって、壁が低くなり、販売するまで、一歩も二歩も前進していく。 他の断り文句であっても、商品やサービスの特徴や利点、欠点などをしっかりと認識していれば、切り崩す方法は、見つかるはず。 僕が、断り文句を潰していく営業手法を好んだのは、お客様との距離感が、一つの断り文句を潰すたびに、縮まり、契約時には、もう何年も前から知っている間柄のような、人間関係が築くことができ、それは後々の紹介営業にもつながっていく。 紹介営業ほど、楽な営業はない。 どうしても、営業の仕事には、ノルマがあり、そのノルマの呪縛に囚われてしまう営業マンが多いけど、一つ一つの契約を大事にし、紹介営業をプラスすることができれば、ノルマも自分の

購買意欲をくすぐるには。

営業の仕事で、お客様の購買意欲をくすぐり、高めることは重要になってくる。 そして、それは簡単に誰でもできることだ。 商品やサービスを体験・体感したり、触れさせる。そして、その 商品、サービスがある生活を想像させるだけでいい。 ただし、高額な商品やサービスには特に、営業マンとお客様の境界にある壁が高く、警戒心や抵抗感、遠慮などの阻むものがあり、容易に体験や触れさせることが難しい場合があったり、それとは正反対の全く購入する意識がないのに、体験や触ろうとするお客様(所謂、冷やかし)も多かったりする。 自分とお客様との間にある壁は、焦らず徐々に、低くしていく必要(取り除く必要はない)がある。 壁がある時に、無理強いすると、壁はさらに高くなり、警戒心だけが強くなってしまっては、どうしようもなくなってしまう。 扱っている商品にもよるだろうけど、僕は、お客様との間にある壁を低くするために、よく、その 商品につながるだろうキーワードを含んだ話や質問 をすることが多い。 『世間話で心を開く』など、的外れな教えられ方をする場合もあるけれど、それは間違いだ。 誰が、見ず知らずの他人と世間話をしたいのだろうか。 新規開拓であれば、最初に挨拶、商品の概要程度を説明し、最初の一つ、二つは、あえて商品に関する質問をしてみる。(最初から、遠回しだと逆に警戒心を高めてしまう。) そして、その質問ででた、お客様の反応や答えから、キーワードを含んだ、話や質問を盛り上げていく。 例えば、『水』を販売しようと思ったら、 〇〇「〇〇の〇〇です。水のご紹介にきました。」 〇〇「△△さんは、普段、お水を購入されていますか?それとも、水道水をご利用されていますか。」 △△「家は、水道水です。」 〇〇「そうですよね。蛇口をひねれば、飲める水がでてくるのに、わざわざ購入する必要はないですよね。」 △△「だから、必要ありません。」 〇〇「そうですね。ところで、△△さんは、ご飯とパンでは、どちらを多く、食べられますか?」 △△「パンです。」 〇〇「その際に、コーヒーか何か、お飲みになりますか?」・・・・ こんな流れで進めながら、最初は、単語、単語で会話が切られても、次第に会話になってくる。そして、お客様から、質問や相談がでてくるようになったら、こっちのものだ。