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あの人が今、どう考えているのか?知る方法。

これは、恋愛に関する事ではないので、悪しからず。 仕事(特に、営業)で、お客様が、 『今、何を考えているのか?どう思ったか?』 などの心境を知りたくなることが多々あると思う。 その心境がわかると、その後の流れを自分が優位になるように進めて行くことができるからだ。 でも、他人の心境は、知りようがない。 「今、何を考えていますか?どう思いましたか?」と、直接聞ければ苦労はしないけれど、お客様が開いてだったりすると、直接聞けるわけがない。 でも、相手が 『今、何を考えているのか?どう思ったか?』 を知る方法は、簡単だ。 相手の 『しぐさ、目線』 を自分に当て嵌めてみればいい。 決して、相手が発した、言葉に惑わされてはいけない。 ちょっと調べたりすればヒットする 心理学 にも同様なことが書いてあるけれど、僕には、それらをいちいち覚えることが億劫でならない。と言うか面倒くさい。 しかし、相手の 『しぐさ、目線』 をマネするだけで、簡単に知ることができる。 例えば、有名な心理学で 『目線が左上は記憶、右上は想像』 があるけれど、自分も同様に目線を左上、右上にしてみると、心理学の通り、左上に目線を上げれば、自然と過去を思い出そうとするし、右上に目線を上げれば、何か想像してしまう。 その行動を心理学としてまとめたことは、本当に凄いことだと思う。 しかし、膨大な心理学を覚えることは、簡単ではない。 でも、心理学としてたの成り立つのも、多くの人が同感・納得するからだと思う。 なら、自分も心境を知りたい人の 『しぐさ、目線』 をマネすれば、同じ心境になり、相手が 『今、何を考えているのか?』 簡単に知ることができる。 ただし、絶対に相手が発した、言葉に惑わされてはいけない。 どうしても、自分に対して、好意的な言葉を発した場合には、相手の 『しぐさ、目線』 のチエックを忘れ、自分にとって、都合の良い解釈をしがちになってしまう。 誰でも、自分が可愛いから、都合よく解釈したいのはしょうがない。 でも、それが仕事(営業)なら、邪魔な存在でしかない。 自分の印象など、どうでもいい。成績を残すことに専念するのが営業だ。 だからこそ、相手の発した言葉ではなく、 『しぐさ、目線』 から、 『今、何を考えているのか?どう思ったか?』 を知

お客様に、ウソをつかせるな。

お客様は、面識がない営業マンに対して、 ウソ をつきやすい。 でも、決して、 『騙そう』 と、考えての ウソ ではない。 まだ、信用されていない(信頼関係が築けていない)ことに気付かず(お客様の気持ちを考えず)に、踏み込み過ぎた、営業マンへの、 『警戒』 や 『不快感』 の証だ。 法人営業の場合には、まだまだ挽回できる余地は残されているかもしれない。 しかし、個人客への営業の場合には、 『お客様にウソをつかせるのは、決定的なダメージ』 になってしまう。 僕は、法人営業より、個人客を対象にした、営業経験が長かったので、より痛感している。 特に、アプローチ後、早い段階での ウソ は致命的だ。 一番いい例が、来店したお客様への対応だ。 営業経験が浅いと 『会社から求められている名簿の取得』 に、囚われてしまう。 名簿の取得を強制(無言のプレッシャー)している会社(上司)も問題だけれど。 営業の本来の目標は、 『販売』 であり、 『名簿の取得』 ではない。 しかし、 『名簿の取得』 ができなければ、その後の営業活動ができず、お客様からのアプローチがなければ、挽回のしようがない『待ちの営業』しか、できずに弱い営業となってしまうことも事実で、会社(上司)が、 『名簿の取得』 を求めるのも、当たり前のことである。 しかし、自分に当てはめて考えて欲しい。 ウソの名前や住所など連絡先を教えた相手に、この前は「間違えました。こっちが正しい(本当)です。」と、言えるだろうか? 僕には、できない。僕なら、気まずくて避けてしまう。 恐らく、殆どの人は、同じ考えだと思う。 もし、 『名簿を取得』 しなければいけないのであれば、接客(会話)の段階で、アプローチをかけ、どこまで信用されているか確認をし、大丈夫と判断してから、名簿に記載をして貰うことが重要になってくる。 「しつこい、営業はしませんから」 は、営業マンの合言葉だと、誰もが知っている。 そんな、古びた合言葉は、誰も信用するはずがない。 信用されているかどうかの確認は、簡単にわかるはず。 もし、その判断に迷ってしまうなら、会話(接客)の段階で 『名前・住所・連絡先』 を聞き、(「私は、〇〇です。お客様の苗字は?」など)、どこまで心を開いたかを確認すればいいだけ。 会話(接客)

上手なサボり方。

僕は、基本的に仕事をサボることを悪いと思っていないし、実際、ちょくちょくサボっている。 ここでのサボりは、あくまでも、自分だけの休憩や気分転換であって、欠勤や遅刻、早退とは、ちょっと違う。 ただ、サボり方にも、良し悪しがある。 僕が思う、良いサボり方は、仕事から、一時的に開放されながらも、今後の仕事、もしくは、自分の成長に繋がるようなサボりなら、大歓迎だ。 しかし、仕事から逃げるだけのサボり方は、悪いサボり方だと思う。 もちろん、全てを良いサボり方をしなさいと言う訳ではない。 今の仕事から逃げることも、時には大事になってくる。 ただし、6対4位で、良いサボり方をした方が良いんじゃないかと思う。 決して、僕のサボりを肯定するためではない。つもり。 具体的に、上手なサボり方だと思うことは、 流行りのお店(商品)、話題のお店(商品)、人気のあるお店(商品) に行ってみる(触れてみる)ことだ。 業種は、同業に限らず、何でもよい。 喫茶店なら、なぜ人が集まるのか?雰囲気作りは?接客は?など、 また本屋で立ち読みするにしても、今話題の本はどんな本?ベストセラーは?各賞を受賞した本は?など、 ちょっと疑問に思うだけで、得るものは沢山ある。 そこで得たものが、全て仕事に役立つ訳でも自分を成長させる訳でもない。 しかし、 誰でも疑問に思えば、勝手(自分なり)に、答えを想像する はず。 その勝手な(自分なりの)答えを考えることが、自分を成長に導いてくれる。 勝手な(自分なりの)答えを考えることが癖になり、仕事や人生にもプラスになる考えが自然と浮かんでくる。 後は、それを 実践するか、しないか。 だけだ。 最初は、臆病になってしまうかもしれない。でも、本当にバカな人はいない。 自分が良いと思ったことは、実践してみるに限る。 例え、 失敗が重なっても関係ない。 10失敗しても、1成功すればいいだけ、だから。 積極的に攻めての失敗は、恐れる必要はない。 同じ、サボりでも、得ることは案外多い。 同様に、失敗が続いたりで、仕事が嫌になり、気分転換としてのサボりも上手なサボり方の一つだ。 流れが悪い時は、誰にでもある。 実際、今日の僕は、ついてなかった。道は、間違えるし、お客様への商品も間違えて渡してしまった。

人の振り見て、我が振り決める。

『人の振り見て、我が振りなおせ』 は、子供たちも知っている、有名なことわざだが、僕は、人の欠点を利用して、自分だけ良ければと考えているよう(あくまでも僕の主観です。)で、印象が悪いので、あえて反対にした 『人の振り見て、我が振り決める』 の方が好きだ。 どちらも、周りの人を良く見て、自分の行動を決めていくことに変わりはない。が、僕は前者の 『人の振り見て、我が振りなおせ』 は 『上から下』『前から後ろ』 を見ている気がする。 見ている方向がマイナス方向なら、自然と自分が進んでいく道もマイナスに向かって行ってしまう。 しかし、後者の 『人の振り見て、我が振り決める』 は 『下から上』『後ろら前』 を見ながら、一歩ずつ確実に前進している印象を持つ。 ただ、僕が言いたいのは、昔ながらの職人のように、何も教えてもらわずに、先輩、上司の仕事っぷりを見て、仕事を覚えることではない。 本当に仕事ができる人の動きを見ていると、無駄な動きが極力ない。 仕事は、全て順調に行くわけではない。 必ず、トラブルや思わぬ横槍など、仕事を妨げることが発生する。 それでも、仕事ができる人は、そういったトラブルさえも想定内として、回避、対応のための準備や時間的な余裕を持っている。 他にも、並行した複数の仕事をこなす、順番や方法など、参考になることが多い。 そんな周りにいる仕事のできる人の行動を真似しない手はない。 同じような行動をしていると、次第に考え方もわかってくるようになる。 「何で、今こんなことをしているの?」から、「こんなことを考えているから、今これをしているのか。」と、なってくる。 考え方までわかってくると、今まで憧れだった存在から、お互いにとって、良いライバルまで成長しているはず。 僕も、 『人の振り見て、我が振り決める』 を実践している。 僕にとって、今の仕事は、数カ月だけれど、十何年続けている先輩の行動をしっかりと真似、十何年の経験を僕のものに(欲張りだけど、1年以内には)しようと思っている。 『夢は大きく』

理想が高すぎるのは、やめよう。

僕の周りに、理想や夢が、やたらと大きい人がいる。 理想が高いのは、いいことだけれど、高すぎると、理想に囚われてしまい、逃げ出せなくなってしまう。 同じように、夢が大きいのは、悪いことではないけれど、大きすぎると、自分を見失ってしまう。 自分の身の丈( 器 )に、あった理想や夢にしないといけない。 (120%くらいが、調度いいかも) まだ、夢は大きすぎても、その過程、過程の段階をしっかりと抑え、すぐにでもできる小さな夢から、徐々に自分をレベルアップさせ、叶えていける夢の最終が、本来の大きすぎる夢であるならば、問題ないと思う。 しかし、だだ漠然とした、大きすぎる夢では、実現のしようがないし、自分でも、叶えたくても叶える手段がわからずに、 『やりたくてもできない。』『どうしていのか、わからない。』 まま、葛藤し、自分自身、 『本当に夢なのか?』『どこに向かえばいいの?』 と、迷い、そこで、 『今、やるべきこと、明日やるべきこと、一年後にやるべきこと』 と、段階を踏まえないと、自分を見失ってしまう。 でも、理想が高すぎるのは、良いことがない。 一見、 『理想が高い』 ことは、目標を定め、そこに真っ直ぐに向かっているように見える。 しかし、人生(仕事)の道のりは、真っ直ぐではない。 自分が、真っ直ぐ進んでいても、道が曲がっていれば、どんどん、道から外れて行ってしまう。 理想が高い人は、自分の実力を信じているから、何の疑いもなく、真っ直ぐに進んでしまう。でも、道は曲がっている。そのことに、気付かずない。 僕は、理想が高過ぎる方だと思う。 だから、今の状況になってしまったのかもしれない。 家族の幸せを一番といいながら、自分の理想が高すぎたせいで、結果、家族に迷惑や苦労をかけてしまっている。 本来の 『理想』 を知らなかった。 今の僕は 『理想』 を今の自分に必ずできる 『最善策』 だと考えている。 『夢』 は、将来のためのステップアップの過程。 『理想』 は、今できる最良の結果。 と、考え、 『理想』 と 『夢』 を交互に繰り返し、今まで最良の結果だった理想を当たり前にできるようになり、さらなる大きな夢に向かっていく。 理想は、変化することなく、一番上の存在だと思っていたけれど、それは違う。 夢と同様に、自分の身の

休日の過ごし方。

人それぞれ、休日の過ごし方はあると思う。 僕の休日は、大体、家族と一緒に過ごすことの方が多い。 僕は、極力、仕事を家庭に持ち込まない。と言うより、持ち込んでいる時間がない。 子供たちと遊んだり、勉強を教えたり、してる内に、気付くと夜になっていることが、殆どだ。 たまには、自分一人の時間が欲しいと思う時もあるけれど、実際、有休などで、平日に一人でいると、何をしていいか解らず、部屋を片付けたりなど、結局、自分の趣味に費やす時間を見失ってしまう。 これはこれで、不満があるわけでも、ストレスが溜まるわけでも(むしろ、ストレス解消になっている)ないので、自分なりには、良い休日の過ごし方だと感じている。 本当は、ブログで、 『自己啓発』 と、謳っているなら、自分磨きのセミナーや交流、勉強をすることで、もっと的確なアドバイスや助言ができるのかもしれないが、このブログは、自由気ままに僕の思ったこと、体験したことから、少しでも、仕事が楽しくなって貰いえればと良いと思い、あくまでも僕の主観的な意見のみ、書いている。 性格上、自分が体験していないことを自分が体験したことのように語ることは、好きじゃないし、する気がない。 時々、偏った話にもなるかもしれないが、それでも僕は、それが切っ掛けで仕事が楽しくなると信じ、伝えたいと思っている。 本題から、少しずれてしまったが、僕は、休日(帰社したら)には、仕事を忘れるに限る。そして、自分が楽しめることをするべきだと思う。 それは、決して、仕事に対して、消極的なわけではない。 人は、集中力に限界がある。 一日で、本当に集中できるのは、2時間くらいしかないし、それを5日も続けたら、クタクタで、その後は惰性で何とか誤魔化しているしかない。 上手く、誤魔化すのもテクニックかも知れない。 しかし、そんな小手先で自分を誤魔化すより、素直に疲れを認め、しっかりと休憩をとる方が合理的だと思う。 自分は、 『24時間、365日、仕事のことだけを考えている。』 なんて、エゴでしかないし、僕には、よっぽど仕事のできない(自分では、仕事ができると思っている、残念な)人としか思えない。 こんなブログをしていると、僕は、仕事一辺倒な人と思うかもしれないが、僕は 『僕の人生を楽しみたい。』 その一環に仕事があるだけだ

怒られ続けると、どうなる?

僕の同僚の中に、毎日毎日、怒られている人がいる。 「本当によく、怒られるなぁ」と、ある意味、感心してしまう。 なぜ、彼は、毎日怒られ、それを直すことができないんだろうか。 以前、 怒られたくない! でも、触れたように、仕事が全て、後手後手になってしまっている。 どうしたら、怒られないかを考えた末、指示されるのを待つだけになってしまったり、やりかけの仕事を投げ出してでも、上司の指示に従い、結果、投げ出した仕事の件で、又、怒られる悪循環に陥ってしまう。 人には、 想像したことを実現する力 を持っている。 そんな 力 が、 『怒られたくない』 と思いが強くなりすぎて、逆に、 『怒られる状況』 を生み出してしまっている。 (怒られている姿を想像してしまっている。) なら、その悪循環を断ち切るには、どうしたらいいのだろうか? 僕なら、開き直る。失敗や不手際で怒られるのは、しょうがない。 それは、それ。次は、次。その失敗や不手際を超える成果を残せばいいだけだと、僕は考えている。 ただ、僕は、人よりもメンタルが強い方だから、できることかもしれない。 しかし、メンタルが強くないと、怒られ続けることで、臆病になってしまい、全てが悪い方に考えてしまい、そこからプラス思考に変えることは困難になってしまう。 本当は、上司が、さじ加減で、『怒る』『褒める』を使って、部下を巧みに扱うべきだと思うけれど、それは他力本願でしかないし、僕の同僚もそうだが、上司が怒りやすい人材であったり、性根が合わないのかもしれない。 そこで、諦めたら(逃げ出したら)、一生、諦める(逃げる)しか、なくなってしまう。 自分の道は、自分でつくるべきだ。 では、どうすれば、その悪循環から、脱出できるのだろうか? 僕は、まず 『褒めらる』 ことを目標とするべきだと思う。 『怒られる』 のが、怖いと思う人は、 『褒められる』 ことを好む傾向にあると思う。 上司を研究し、 『何をしたら、喜ぶのか』 を考え、上司好みの部下を演じるしかない。 すぐに 『怒る』 上司は、案外単純で、自分が気に入れば喜ぶ。 最初はこそ、上司にもこれまでの状況(怒り続けた)もあり、素直に誉めたりしないと思う。 しかし、上司の気に入る状況が続けば、自然と 『褒める』 環境ができてくる。