僕は、家庭(子育て)において、これまで 『ご褒美』 には、反対だった。 かと言って、躾を厳しくし 『罰を与える』 ことも反対だ。 『ご褒美』 目当てに頑張ったり、 『罰』 が怖くて、頑張ったりなどではなく、自発的に自分が良いと思ったことを頑張って欲しいと思っていたからだ。 しかし、ひょんなことから 『ご褒美』 は、必要だと気付いた。 切っ掛けは、学校の先生からのアドバイスだ。 『ご褒美』 があるだけで、子供の頑張り方が全然違う。素直に話は聞くし(今までは、テレビやゲームをしながらの空返事)、積極的になった気もする。 最初は、「現金だな」とも、思ったりした。けれど、自ら頑張る子供の姿を見ていると、 『ご褒美』 も決して悪いもんじゃないと思った。 それもそうだ。子供にとって、学校や勉強を頑張る先に何があるかわからない。 (もう少し大きくなって、将来の目標ができれば別かも知れないけれど、まだ、そこまで大きくない。) 行き先のわからない道のりを頑張って進めるはずがない。 進むべき、道を見つけた子供たちは、自分達の足で、目標に向かって進んでいる。 なんで、今まで気付かなかったのだろう。 自分も、 『ご褒美目当て』 に仕事を頑張っているのに。 子供には、 『ご褒美なし.』 なしは、酷過ぎたかも知れない。 人それぞれ、 『ご褒美』 は、違うかもしれない。 それは、 『給与』 であったり、 『モノ』 かも知れない。それよりも 『言葉』 かも知れない。 以前、 『承認欲求は、誰もが持っている本能。』 でも書いたように、誰しも、他人から、 『認めて欲しい』 と思っている。 その、 『承認欲求』 を満たす、アイテムの一つが 『ご褒美』 なんだと思う。 『給与』 も 『モノ』 も、自分の行動(仕事)を認めてもらった 『ご褒美』 だ。 そして、 『言葉』 は、もっとも 『承認欲求』 を満たす 『ご褒美』 だと思う。 僕も実際、今の職場で、同僚に 『感謝の言葉』 を今までよりも、多く発するようにしたら、これまで仕事に積極的では、無かった同僚も、積極的に仕事をするようになってきた。 上司から 『怒られる恐怖』 で、真面目に仕事をしても、恐怖心が先立ち、ミスをしない 『保守的な仕事』 しかできない。 しかし、 『ご褒美』 を...
僕の日課の一つとして、『子供と一緒に勉強する』時間を作るようにしている。 主に宿題をちゃんとするように見ているだけだけど、わからない所があれば、教えるようにしている。 まだ、小学生なので、答えを教えるのは簡単だけれど、子供がちゃんと理解(納得)するように教えることは、中々難しいと思いながら、日々過ごしている。 つくづく学校の先生は凄いと思う。 子供に答えだけを教えることと、 『なぜ』 その答えになるのかを教えることは違うし、 『なぜ』 を解決しないと、同じ問題でも、間違いを繰り返したりしてしまうと思っている。 決して、自分の子供に優秀になって、将来、「いい学校へ」や「いい会社へ」と期待している訳ではなく、どんな学校や会社へ、入ったとしても応用を利かせ、理解できるようになって欲しいからだ。 だから、算数の公式にしても、図に書き、子供が理解しやすく、納得できるよう、自分なりに考えながら、子供との時間を共有できるようにしている。 仕事でも同様に、どんどん周りの同僚や人に自分の持っている知識や経験を伝えるようにしている。 いざ、自分の知識、経験を人に伝えてみると、これが案外難しい。 自分本位で話をすれば、単なる自慢話として、受け取られ、興味を持って貰えないし、浅い経験や受け売りでは、相手の疑問を解決できずに 『なぜ』 を残したままになってしまい、同じ質問や失敗を繰り返すだけになってしまう。 人に教えるということは、非常に難しいことだ。 教える相手より、数倍の知識がないと、本当の意味で、理解、納得してもらうことはできないからだ。 だからこそ、僕は、どんどん人に教えるようにしている。 (教えるとなると、偉そうな気もするけれど) そうすることで、自然に自分の勉強になってくる。 相手の疑問が解決できなければ、僕の知識不足だし、相手が納得できなければ、僕の説明下手や交渉力の未熟さだったりする。 また、自慢話にならないよう、相手に興味を持って貰えるように話を考えることで、コミュニケーション能力が鍛えられると思う。 答えを教えずに、答えに導くように教えることは、とても難しいけれど、自分も成長できる絶好のチャンスだと思っている。 しかし、最近の小学生に教えるのは、こちらの予習が必要なほどになってきている。 僕は今、算数から、...