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掃除は、仕事に入りますか?

今日、ふと掃除は仕事に入るのだろうか?と、疑問に思い、考えてみたら、案外難しく、結局、僕が出した答えは、 「その時、次第。」 と、曖昧な答えしか見つからなかった。 僕なり考え方として、仕事、本来の利益を生み出すかどうか?で、考えると掃除は直接、利益を上げるのではなく、補助的な存在であり、仕事ではなく、作業の一部でしかないと思う。 (掃除が本来の仕事という、職種は別として) 店舗営業をしている業種で考えて見ても、 『 掃除がされているから、物が売れる訳ではなく、店内や商品が、汚れていても売れる。しかし、店内、商品がキレイであれば、もっと売れるかもしれない。』 店舗ではなく、事務所内であれば、掃除されている社内であれば、 『気持ち良く仕事ができ、仕事の効率が良くなるかもしれない。』 と、考えると間接的ではあるけれど、利益に結びついてくるから、仕事の一部になるはずだと思う。 掃除は、 『仕事』 と 『作業』 の両方に位置する、特別な存在だと思う。 なぜ、そんな疑問が思い浮かんだのかというと、同僚の仕事姿を見た時だ。 『ある同僚は、掃除が丁寧でとても綺麗にするけれど、時間を掛け過ぎるし、また、ある同僚は、やる気がなくダラダラ、急な仕事を見つけ、掃除を途中で投げ出してしまった。』 僕は、掃除は丁寧にするべきだと思うけれど、本来の仕事ではないから、時間を掛け過ぎるべきではないと思う。 しかし、周りが掃除をしている時に逃げるように、仕事を無理矢理に見つけるのも、どうかと思う。 前者は、 『掃除は仕事』 。後者は、『 掃除は仕事じゃない』 。と、考えているんじゃないかと思ったからだ。 果たして、どちらが正しいんだろう? 結局、僕の答えは、 『仕事であり、仕事じゃない。から、その時、次第』 の曖昧な答えになってしまった。 掃除は、曖昧な答えだから、曖昧な対応が求められる、難しい存在だ。 みんななら、どう考え、どんな答えを出すんだろう。 僕の中では、曖昧なままで少し、気持ちが悪い。 誰か、納得できる答えを教えて欲しい。 でも、掃除をする時間は、間接的にではあれ、利益を左右するものであるから、給与には、反映されるべきだと思う。 と、言うことは、僕の答えは 『仕事』 に入るのかな。

朝からピンチ!

今日は、朝からピンチで、始まった。 アラームが鳴らず、妻から、 「起きなくて、大丈夫?」 の、声で目が覚めた。 寝坊だ。いつもより、30分以上遅く、目が覚めた。 しかし、こんな時は、いつもより案外上手くいく。 いつもは、ダラダラして、中々目が覚めず、ボーッとしている時間があるけど、今日は全くなし。 妻の声を聴いた瞬間から、全開で目が覚め、意識もハッキリしていた。 何だかんだで、いつもと、ほぼ同じ時間に家をでることができた。 僕の場合、こんな日は、決まって順調に行くことが多い。 朝から、集中力が高まっているからかもしれないが、いつもより、感が冴え、普段見逃すようなことまで、見つけることができる。 今日の僕は、正しくそうだった。 朝の 『あの一瞬』 以外は、全てが順調に進んだ。 『ピンチの後は、チャンスあり。』 は、やっぱり本当だ。 本当に、今日はいい日だった。(台風を除けば) こんなことなら、毎日、寝坊すれば良いのかもしれないけれど、あの 『ヤバい』 という、緊張感は、そう簡単に真似できない。 それが、できれば毎日が順調なのに・・・。

イメージトレーニングは、どんな仕事でも必要。

僕は、子供達に、 「人には、みんな超能力があるんだ。」 と、よく話をしていた。 もちろん、スプーンやフォークを曲げるとかではない。 「自分が想像できることは、必ずできる。なんでも、 『できない。』 じゃなく、 『できる』 と思いなさい。」と。 そして、子供達への宿題として 「毎日、明日の楽しみ、したいこと。」 を考えてから寝るよう、約束をしていた。 寝る前に、話を聞いてから「おやすみ」が、日課だった。 明日をワクワクして、迎えて欲しいと考えたからだ。 小さかった頃は、通じていたが、最近は、どうだろう。超能力なんてと、馬鹿にされるかもしれない。 でも、今でも、僕は、そう信じている。 人には、予知能力があると。 仕事でも、同様だ。自分が描く、『 将来』『ポジション』『仕事のあり方』 など、想像できないことは、実現しない。 しかい、想像できることは、必ず実現できると信じている。 もちろん、 『タイムマシーン』 や 『どこでもドア』 など、想像できても、中々、実現できないこともある。 想像を実現するためには 、どれだけ 『リアル』 に想像できるかだ。 『タイムマシーン』 や 『どこでもドア』 を使用している自分をリアルに想像できるだろうか。 アニメの中のタイムマシーンやどこでもドアを使用しているだけじゃないだろうか。 そこには、あったらいいな。できたらいいな。程度にしか思っていないからだと思う。 仕事で、イメージトレーニングする時は、 できるだけリアル に行う必要がある。 例えば、明日の折衝が上手くいったらいいな。だけでは、どうなるかはわからない。 しかし、イメージの中で、相手を想像し、実際の会話の流れも想像していく。 結果、 成功に終わるイメージ をリアルに想像できたなら、きっと 成功に終わる はずだ。 できれば、途中で相手の機嫌を損ねた。準備すべきものが足りなかった。など、単に上手くいくだけではなく、実際に起こり得るトラブルも含め、よりリアルに想像するべきだ。 そうすることで、トラブルを未然に防ぐことや迅速な対応ができるようになり、イメージ通りに進む可能性が高くなる。 僕は、 何事も経験ほど重要 なことはないと思っている。 その経験をイメージトレーニングすることで、一度に数倍積むことができ、人より

仕事が合わない。

自分が、本当にやりたかった仕事に就き、実際の仕事内容も充実して、全てが納得、満足している人は、極僅かじゃないだろうか。 みんな、それぞれ、給与・待遇・仕事内容・人間関係などの悩みが必ずあり、それでも仕事を続けていると思う。 もちろん、僕にも悩みはある。今現在の給与も、以前の仕事をしていた時の3分の1位で、家族にも申し訳ないと、日々感じている。 しかし、僕の場合、色々な事情があり、今の仕事を投げ出すわけにはいかない。 以前、僕の友人がプロのスポーツ選手になったことがある。 その友人は、同じスポーツをしている僕たちとは、次元が違い(別格)で、プロへ転向する話を聞いた時、僕を含め、周りのみんなも納得したほどだった。 友人もその競技が本当に好きだった。 しかし、友人がプロに転向してから、1・2年したころ、友人が悩み始めた。 最初は、趣味の延長でお金を稼ぐこともでき、天職と感じていたはずが、次第にプロのスポーツ選手として、スポンサーから、結果を求められるプレッシャーが原因だった。 元々、自由気ままな友人にとって、自分が乗り気になれない大会にでること自体、楽しいことではなかった。 しかし、多額のスポンサー料を貰うからには、スポンサーの期待や意向に沿わなければいけない。 好きだったはずのスポーツが、嫌いになってしまった。 どうしても、その二つの狭間で悩み続け、結果、僕の友人は、プロを捨てた。 僕は、彼らしいと思った。そして、以前の自由きままな友人に戻り、ホッとした。 本当は、彼を叱咤激励して、プロの道を極めるように後押しするべきだったのかもしれない。 しかし、僕は、友人と一緒に遊びで、そのスポーツをしに行った時、 「愚痴おやじは、いいよな。楽しそうで。趣味のままの方がよかった。」 と、ふと口にした。 20年以上たった今でも、忘れられない言葉だ。 だからこそ、友人には、得意なスポーツを心底、楽しんで欲しいと思ったし、一緒に楽しみたいと思った。 そんなことがあり、僕は、友人の決断に納得した。 今でも、友人は、そのスポーツを楽しんでいる。最近は年齢が年齢なのであれだが、ちょっと前までは、友人を知らない人もレベルの違いを感じたはずだ。 楽しみながら、自由にプレイする友人は、プロの肩書がなくても、輝き、人の目をひいた。

努力は、過去形。そして、第三者が使う誉め言葉。

僕は、 『努力』 は、現在進行形ではなく、過去形だと考えている。 そして、自分への評価ではなく、他人からの評価だと思う。 『努力しているのに』 と、自分自身で感じるときは、心が負けそうになっている時だ。 そんな時は、まだまだ道は長い。先が見えなく、このまま頑張っていいのかわからなくなり、迷っている証だ。 一度、立ち止まって、自分が歩んできた道、スタート・ゴール。そして、自分の現在の位置を確認しよう。 スタートからゴールへ向かう道は、最短距離でなくて構わない。険しく、辛い最短距離でも、なだらか遠回りの道でもゴールへ辿り着くことに変わりはない。 そして、現在の自分の位置を確認しよう。自分の位置を知らなければ、迷って当然だ。 そのまま進んでも、遭難してしまう。 山で遭難した時も仕事も同様だ。 迷った時には、立ち止まり、無駄に体力を使わず、冷静な判断が求められる。 だからこそ、 『努力しているのに』 と感じたら、一度立ち止まり、自分が歩んできた道、スタート・ゴール。そして、自分の現在の位置を確認することが大事だと思う。 だからこそ、 『努力』 が頭を過る時は、まだ道半ばだ。 道半ばでは、 『努力』 ではない。 『努力中』 だ。 『努力中』 を 『努力』 とは言わない。 ゴールしてこそ、 『努力』 したと言える。 ゴールにできなければ、 『無駄な努力』 になってしまう。 実際には、ゴールできなくても、その経験が知識になり、次に進む道への糧になる。 僕は、 『無駄な努力』 は、無いと考えている。 そして、ゴールに辿り着いた人は、ゴールした喜びや達成感で、自分が 『努力』 したとは、感じない。 例え、険しく、長い道だっとしても、 「夢中で取組み、気付いたら、ゴールしていた。」 と、思うはず。 自分自身で 『努力』 した結果が、ゴールに辿り着いたとは、思わないと思う。 しかし、第三者は、ゴールした人への 『賞賛』 や 『羨望』 として、 『努力』 という言葉を使う。 時々、 「努力はしているのに」 など、マイナス的な言葉もあるが、それでも、決して、その人を馬鹿にしては、使わない。 その人のことを認め、 『応援』 している時に出てくる言葉だ。 だから、僕は、道半ばでも 『努力』 という言葉を使ってもいいのは、第三者だ

先が見えなくなったら。

昨日のストレスについての、僕なりの思いを書いて、僕がどん底から、立ち上がった切っ掛けをどうしても伝えたくなった。 僕は、プライベートと仕事(特にプライベート)で、自分自身を見失い、自暴自棄に陥った時がある。 以前、不幸関連(仏事)の仕事をしていた時がある。 その時はまだ若く、お客様から、知識の少なさや見た目(若かったので)から、信用されにくく、営業の仕事が上手くいってなかった。 営業は、結果が全てなので、結果がでない営業マンに居場所はない。 かろうじて首になりはしなかったが、上司や先輩のプレッシャーは半端なかった。 そんな時に親友を立て続けに亡くし(交通事故・突然死)僕が人の死を商売にしているから、親友が死んでしまったのではないかと考えるようになり、沈んでいってしまった。 そんな自暴自棄に陥り、何事も暗く考える僕に愛想をつかし、当時、付き合っていた彼女とも距離が開いて行ってしまった。 真剣に僕のことを考え、そばに寄り添ってくれる彼女に甘えて、愚痴ばかり言ってしまった。 聞く耳も持たずに、どこにも出かける気もなく、愛想をつかすのは当たり前だと思う。 とにかく、暗くなり過ぎた。が、当時の僕にわかることもなく、 「全てが奪われてしまった」 と思い、 「僕はこの世にいるだけで、周りを不幸にする。なら、一人で誰にも関わりたくない。」 と、考えるようになってしまった。 幼少期の家庭環境も恵まれず、実の親ですら信用できなくなった時期もあり、余計にそう考えてしまったのかも知れない。 今となっては、笑い話だが、当時は真剣にそう考えた。 暗い話は、ここまでにして、そこから僕が立ち直った切っ掛けは、大したことではない。 そんな自暴自棄だから、当然、寝ることもできなくなっていた。 「寝よう。寝なきゃだめだ。」 と、思えば思うほど、眠れない。 部屋の電気を点けたり、消したりを繰り返していた。 電気を消した暗い部屋で、さっきまで点いていた電気の残像が見えた。 普段は何も感じないことかも知れないけれど、僕には、 『希望の光』 に見えた。 自分でも何とかしなきゃと考えていたのかもしれないが、 『たとえ、今は真っ暗でも、進めば明かりが待っている』 と、思い、ここで立ち止まるんではなく、前に進もうと思えた。 こんな、どうでもいい切っ掛けが

ストレスをプラスにする。

今の社会で、ストレスを抱えていない人は、ほとんど、いないと思う。 ストレスが溜まると、イライラしたり、精神的に落ち込んだり、決していいものではない。 しかし、ほぼ全ての人が抱えているストレスだからこそ、うまく付き合うべきじゃないかと思う。 ストレスが全くないのは、本当にいいことだろうか? たぶん違うと思う。 例えば、お腹が空いた時に、好きなものを好きなだけ食べれば満足はするし、空腹を我慢するストレスから、解放されるだろう。 しかし、そんな生活を送ってしまうと、過度に太ってしまい、今度は自由に動けなかったり、体系が気になってくる。それもストレスになってしまう。 どうせ、なくなることのないストレスなら、上手に付き合い、心身に影響をきたさないようにして行くのがいいと思う。 『ディズニーランドで待ち時間が長く、ストレスが溜まってくる。』 『しかし、楽しみにしていたアトラクションで気分がスッキリする。』 『結果、「長い時間、待った甲斐があった。」になり、ストレスを感じた分だけ、楽しさが倍増した。』 こんな風に、 『今のストレスは、未来の楽しみや喜びになる。』 と、考える癖をつけるようにしたら、ストレスと上手く付き合うきっかけになるはず。 自身の過去の実体験から、 『我慢』→『成功・喜び』 を思い出すと、もっとリアルに未来が見えてきて、ストレスもプラスに転換してくる。 仕事でのストレスも同じように、 『今』 だけを見てしまうと、辛く、苦しいストレスになってしまうけど、将来、未来を見通せば、ストレスも軽減されてくる。 もちろん、こんな楽観的なストレスだけであれば、みんな苦労はしないと思うけど、僕は将来、未来を見る癖をつけて欲しいと思っている。 ストレスをプラスに考える癖が身についていると、ほんのわずかな希望だったとしても、探し出すことができ、そこから、希望を大きく出来る。 希望が大きくなってくると、ストレスが必ず小さくなるはず。 ただ、深刻なストレスが溜まり、わずかな希望すら見えなくなってしまう時もある。 本やネットで、ストレス発散方法も調べる気すら起きず、どうしようもなくなってしまう。 周りが「一人で抱えるな。」など、温かい声をかけてくれても、耳に入らない。 そんな時は、ストレスから、逃げてしまおう。 自分よ