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同じ失敗は、何度まで?

僕は、同じ失敗を繰り返すのは 『やる気がない』 だけだと、思っている。 一度、二度は、経験として、どんどん失敗するべきだと考えているけれど、三度以上、同じ失敗を繰り返すのは、正直 『やる気がない』 と思う。 唯一、当てはまらないとすれば、職人やスポーツ選手のような、技術を有する仕事や、技術面だと思う。 僕は、職人の世界に身を置いたことがないから、詳しくはないけれど、スポーツでパスミスなどを失敗と捉えると、一度、二度のミスを経て、全てミスなく、パスできるなら、世界でトップを取っているはずだ。 極端な話は、別にして、なぜ、失敗したのか、同じことを繰り返さないためにも、 なぜ、失敗をしたのか? 自分に足りなかったのは、何なのか? 何をしなくては、ならないのか? 何を学ばなければ、いけないのか? を考えなければ、いけない。でないと必ず同じ失敗を繰り返す。 失敗した過程には、様々なシチュエーションがあり、今回の失敗は、今までと状況が違ったと思う時があるかも知れない。 しかし、 『全てのシチュエーションを経験しなければ、失敗を繰り替えすかもしれない。』 と、いうことは、間違いだ。 人には、想像する力がある。 『こういう場合はどうする?』 など、一度の失敗に対しても、様々な状況を想像し、状況が変化したとしても、失敗を繰り返さないよう改善策を考えることはできる。 でも、同じ失敗を繰り返す人は、 『誰かが、その前に教えてくれれば』 や 『あの時、あんなことが起きなければ』 など、自己弁護のための想像しかしない。 自分は悪くない と、思いたいから。 それでは、たかが知れている。 僕は、失敗した時、最初は 『いい経験をした。二度と繰り返さないようにしよう。』 と、心に誓い、二度目には、 『同じ失敗を繰り返すのは馬鹿だ。馬鹿には、なりたくない。そのためには、どうする?』 と、自問自答する。 おかげで、失敗を あまり 、繰り返さずに今までやってこれた。 自己弁護し、自分の失敗を周りや状況のせいにしてしまうのは、簡単だし、自分の プライド も保てる。 しかし、それは、一時の自己満足でしかない。 そんな、小さな プライド は、捨てるに限る。 それよりも、今の自分より、少しでも(一歩でも)、上を目指す気持ちこそが、

苦しい時こそ、笑顔を大切に。

僕にとって、 『笑うこと』 は、自分を前向きにしてくれる魔法の薬だ。 どんな、嫌なことや苦しいことがあっても、 『笑顔』 を作ることができれば、まだまだ、自分には 『笑顔』 を余裕がある。 もっと、嫌なことが続いても、苦しくても、まだまだ耐え、乗り切ることができると思えるからだ。 僕は、幸いにも 『笑顔』 を作れなくなるほど、嫌なことが待ち受けていたり、苦しい経験をしたことがないだけかもしれないけれど。 しかし、こんな僕でも、 『一日一回でも笑えたから、今日は幸せだった。』 と、自分に言い聞かせる日々を過ごしたこともある。 無理矢理、笑えるようにしていた。鏡では見てないけれど、ギクシャクした笑顔だったかもしれない。 でも、無理矢理でも笑える何かを探し、笑うことを続けることで、物事を前向きにとらえることができるようになってくる。 そんな時に、 『本当に不幸のどん底で、先が全く見えない暗闇なら、笑えるはずがない。』『僕なら、大丈夫。』 と、自分に言い聞かせる。 なぜなら、目の前には、 『希望の光』 が、見えてくるはず。 前向きに考え始めた時に、無理矢理でもプラス思考に持っていくことで、一気に流れを変えてしまうことができる。 僕は、嫌なことや苦しい時、 『笑顔(笑うこと)』 で、乗り越えてくることができた。 実際、 『笑顔(笑うこと)』 には、目に見えない力があると思う。 どんな時でも、 『笑顔(笑うこと)』 が、自分に良い流れを引き寄せてくれるはずだ。 これは、僕みたいな楽観的な人だけではなく、みんなが持っている、不思議な力だと思う。 『笑うこと』 は、素晴らしいことだ。 どんな、嫌なことや苦しみからも、脱出する道を照らしてくれる。 最初は、作り笑いでも、その内、心から笑うことができるはず。 心から笑えることができたら、幸せだし、進む道も、必ず明るいはずだ。 だから、僕は今日も笑っている。

自分の器を大きくする。

よく、人を評価する際、 『あの人は器が大きい・小さい』 など、器に例えられる場合がある。 人としての器は、小さいより、大きい方が良いに決まっている。 どうしたら、器を大きくできるんだろう。 器の大きい人と言われて、想像することは、 何でも受け入れてくれる。 認めてくれる。 細かいことを気にしない。 などが、思いつく。 それなら、どうすれば自分の器を大きくすることができるだろうか。 僕の場合は、人の器とは、 『成長する、お茶碗(器)』 と、考えている。 日々、お茶碗を使用し、 『食べる量(経験)』 に変化がなければ、大きくもならず、小さくもならない。 『食べる量(経験)』 が多くなると、自然に、こぼれ落ちないよう 『お茶碗(器)』 も成長していく。 そんな魔法のお茶碗だ。 もちろん、 『食べる量(経験)』 が減ると、 『お茶碗(器)』 も、徐々に小さくなってしまう。 なぜ、こんな子供だましの例えをするのかと言うと、 『今の自分に満足しない』 貪欲さが、人の器を大きくしていくと思っているからだ。 決して、他人より、 『上や優位に立ちたい』 など、今の自分を量るのに、他人を利用するのではなく、 『今日の自分より、明日の自分』 と、自分自信を評価基準として、成長していく必要がある。 そして、自分を成長させていく、一番の方法は、 『経験だ。』 これに、勝るものはない。 しかし、誰にも、平等に時間は流れていて、人の倍の経験を積みたいと思ったら、人の倍の時間を必要とする。 ならば、経験する中身を濃い物にしていくしかない。 (スライムだけの経験ではなく、より強い敵から、経験値を得る。) 中身の濃い経験にするには、 『人の話(経験)』 をよく聞くこと。 『人の話(経験)』 を自分の経験とするこもできるし、近道を教えてくれることもある。 また、流れを読むことも必要だ。 川の下流から、上流に泳ぐには、相当の体力が必要だが、上流から下流へは、比較的泳ぎやすい。 ただし、全体を把握していなければ、泳いだ先に、大きな滝があるかも知れないし、近くに船があるかも知れない。 流れを読むには、先ずは細かいことなど、気にせずに、周りを見渡す。 その中で、気になる

仕事とうつ病。

正直、僕は、仕事のストレスからくる、うつ病などを発症してしまう人とは、正反対に位置していると思う。 しかし、今の日本の社会で、ストレスからくる、うつ病などの精神障害は深刻になっている。 僕は専門家じゃないし、ネットで特に検索したわけではないので、あくまでも僕の主観だが、以前より、遺伝的に精神障害が発症しやすい人の割合は、多くなっていないと思う。 ストレスなどの外的要因によって、後天的に発症している割合が多くなっているんだと思う。 それは、なぜだろう? 昔は、体力重視の仕事が多く、ストレスがたまりづらかった。 人間関係が希薄になった。 核家族化が進んで、ストレス耐性が弱くなった。 など、様々な要因があると思う。 うつ病などの精神障害は、一度、発症すると、中々、本人だけで克服することは困難になってくる。 支えてくれる人が必要になり、支えられる側、支える側、両者ともに、負担がかかってくる。 僕は、医者ではないので、発症した人に、どう克服するかなど、伝えることはできない。 でも、これ以上、進行すると精神障害の可能性が発症するかもしれない、予備軍の人であれば、僕の持論も参考にして欲しい。 僕は、基本的に一人で何もできない人だ。 仕事も多くの人の力を借りるし、家庭でも、一人では、料理すらできない。 野生の動物であれば、淘汰されているだろう。 しかし、僕は生きているし、仕事もしている。 それは、 『自分一人で生きている訳でも、何でもできる訳ではない。』 と、認めて、僕の人生に多くの人を巻き込んでいるからだ。 僕なりの観察では、ストレス耐性が弱い人は、 『何でも自分がやらなきゃ』や『自分が正しいのに、なんで?』 など、 『自分が』 という思いが強い。 先ずは、そこから脱出し、 『自分が』から『誰が』 に変えていくべきだと思う。 決して、他人に全てを任せるのではなく、やれることはやる。しかし、時間的、得手不得手など、他人に任せた方が良いと判断した場合は、他人に任せる。 その際に、重要なのは、何でも任せてしまっては、 『周りから反感をかってしまう。』『何もできなくなってしまう。』『周りがストレスから、疲れてしまう。』 など、弊害もでてくる。 だか

仕事で正義感は、大事?

ある程度の正義感は、仕事でも大事になってくるとは思うけれど、強すぎると仕事にならない。 僕の経験では、商品の粗利を知ってしまうと、営業マンは、営業の仕事として、役に立たなくなってしまう。 それは、 『お客様に損をさせているんじゃないか?』 と考え始めたり、 『自分の都合で、価格(値引き)を変えてしまったり』 と、会社としては、扱いづらい営業マンになってしまう。 お客様にとっては、ありがたい存在かも知れないけれど、会社にとっては、決してありがたい存在ではない。 会社は、あくまでも利益を追求する組織だ。ボランティアではない。 『安く買って、高く売る。』 が、商売の鉄則だ。 そこに、感情が、入る余地はない。 例え、粗利が高い商品であっても、需要と供給のバランスがあり、その中で価格設定されている。 もちろん、時代の流れを読めずに、これまで、粗利が高く取れていた商品をいつまでも同じ粗利設定で販売していては、競合他社に負けてしまうことも考えられる。 しかし、その一線を決めるのは会社組織であって、個人ではない。 正義感が強いばかりに、自分の世界だけに縛られて、勝手な行動は、会社組織の根底を揺るがしてしまう。 粗利で言えば、粗利を高めるためには、『高く売る』『安く仕入れる』『無駄な経費を削減する』など、業種によっては、まだまだ方法は沢山ある。 だが、正義感の強い人は、自分の中だけで基準を決めてしまい、結果的に一部だけしか見ておらず、全体を見ることができていないことが多い。 何も、会社の指示通りに全てを行う、 『社畜』 になれと言っている訳ではない。 中途半端な正義感は、良くないと思っているだけだ。 会社全体、取引先企業、お客様と全体を知り、その上で、会社にとってのメリットをアピールする必要がある。 正義感が強い人は、そこの配慮が足りない。 お客様のために、 『商品を安くしたい。』 『会社からは、これ以上の値引きは許可されない。』 『取引先企業を叩いて安く仕入れる。』 『結果、会社から値引きの許可がおりた。』 『お客様に安く提供できた』 上の例だと、上手く、いったように見えるけれど、『取引先企業』をないがしろにしてしまっている。 その結果、『取引できなくなり、お客様がその商品をリピートや故障修理したくてもできず

みんなは、自意識過剰な人に対して、どう対応している?

職場に、自意識過剰な人は、必ずいるはず。 そんな時、みんなは、どういう対応をしている? 僕は、どんな仕事でも、人並み以上の仕事をすることは、決して難しいことではないと思っている。 人並み以上が、どのラインなのかにもよるとは思うけど、僕より、その仕事がを数年程度長く経験している程度ならば、数カ月もあれば追いつける自信がある。 但し、その職種の平均をやや超える程度であればだが。プロ中のプロ。エキスパートと呼ばれる人には、一生かけても、追いつけないと思う。 僕だけではなく、平均程度であれば、ちょっと頑張れば、誰でもできると思う。 『必ず、できる』 と、思う力と、 『必ず、やってやる』 と、決意があれば、誰でもできる。 平均程度とは、そんなもんだと思う。 平均を超える為には、更なる 『努力とアイデア、そして、今の自分に満足することのない欲求』 が、必要だと思う。 しかし、最近はプライドだけ、やたら高く、中身が追いつてこない人が非常に多く、相手になる程の人はいない。 ちょっと、自分が負けたと思えば、勝つための努力では無く、相手の足を引っ張ることや、邪魔、罠に嵌めてしまうことばかり考える。 そんな、くだらない人に負ける訳がない。 僕は、 『自意識過剰な人』 は、この平均程度をわずかに超える程度の人が、非常に多い。 もちろん、僕も、その中に入っている。 なぜ、自意識過剰になってしまうのか?僕なりの解釈では、たいした努力をしなかったのにも拘らず、『 たまたま』 人より、上手にできてしまったことが原因じゃないかと思う。 過剰に自分の評価を自分だけで、勝手に高めてしまう(自惚れる)。 それが、自意識過剰な人になってしまう要因だと思う。 だから、自意識過剰な人は、 『自分より上を見ずに、自分より下を見る。』 自分が、周囲の人より上に立っていることのみが重要で、自分が人より、下になる場面は避けるし、目を伏せてしまう。 『井の中の蛙・・・』 が、正しく自意識過剰な人だ。 それならば、そんな 『自意識過剰な人』 と上手く付き合うために、僕は 『力で押さえつける。』 もしくは、 『話半分、ほとんど無視』 の、どちらかの対応をしている。 前

希望の党のニュースを見ての疑問。

ニュースを見ていて、『希望の党』の小池都知事の責任が・・・。 選挙での結果に批判がでるのは、ごく当たり前だと思う。 政治の話は、なるべく避けるようにしているし、小池都知事のファンでもアンチでもない。 しかし、最近の『希望の党』のニュースを見ていると、利用するだけ利用して、自分に成果が現れなかったことを小池都知事に責任転嫁して、自分に責任がないことのアピールや 『他人のふんどし』 を奪うことだけ考えているように思える。 政治の世界の上下関係、実力は、よくわからないけれど、そんなことばかりしているから、政治への関心が高まるはずがない。 選挙に負けたなら、何が自分に足りなかったのか?を考えるべきだし、政策もしっかりとポリシー持って貫いて欲しい。 選挙に勝つためだけの政策に、みんなが気付いているから、政治への関心がないことに。 仕事でも同じだと思う。 何でも(特に失敗を)、人のせいにする人に碌な人はいない。 なぜ、失敗したのかを 『自分に非がある』 ことを前提に考えないと、何も変わらない。 人のせいにすれば、簡単だし、自分のプライドも保てる。 しかし、必ず同じ失敗を繰り返す。 (他人を変えることが容易にできる力がある人は別かも知れないが) 僕は、言葉は悪いけれど、同じ失敗を繰り返すのは、 『馬鹿』 だと思う。 誰でも、失敗は必ずする。一度、二度繰り返すのは、経験の一部としてするべきだと思う。 しかし、何度も繰り返してはいけない。 そのためには、なぜ、失敗したのか 『自分に非がある』 ことを前提で今後のことを考えなければいけない。 例え、99%相手に非があったとしても、1%の 『自分の非』 を認め、改善しなくては、同じ失敗を繰り返す。 今の政治の世界も同様。 自分に魅力がないから、負けたことを認めないと、まぐれで次の選挙に勝ったにしても、その次はない。 時代の流れに乗ることは、悪いことではなく、むしろ良いことだとは思う。 しかし、その流れを 『利用してやろう』 と、思っていること自体が自惚れだと思う。 時代の流れは、簡単に利用できるほど、優しくはない。 時代の流れを見極め、ただ流されるのではなく、流れに逆らわず、でも、自分の力で泳げる人に政治を任せたいと思う。 時代の流れに乗らず、灯台のように、真直ぐ