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お彼岸だから、先祖に感謝。

今日は、秋分の日。秋分の日を中心に秋のお彼岸が1週間あります。 お彼岸にお墓参りに行ければいいのですが、中々行くことができないのが現状です。 まだ若かったころは、自分一人で生まれてきて、一人で何でもやってきたし、これからも一人でやっていくと勘違いしていた時期もありましたが、家族を持ち、年齢を重ねるとご先祖様に感謝する気持ちも生まれてきました。 昔はやった歌ではないけれど、お墓でご先祖様が待っているわけではなく、もう会うこともできないけれど、お墓参りをすると、今までの汚れたり、荒んだ気持ちが洗われたような気がして、すがすがしくなるのは、僕だけじゃないと思う。 今年もお墓参りはお盆に行ったきりで、このお彼岸中も行けそうにはないです。 気持ちの洗濯は、来年のお盆まで持ち越しそうです。 いつから、ご先祖様に感謝しようと思うようになったのかは定かじゃないが、管理職になりたての頃は違ったはず。自分の言うことを聞いていれば何とか成果を残せるようにできるという、自負が強く、それこそ、今の自分があるのは、一人で切り開いてきたと勘違いしていた。しかし、部下に実際は助けられ、一人でできないことも、何人か集まることでできるようになり、更に多くの人の力を借りることで、これまでにない成果が残せると気付いたころから、周りで支えてくれる人たちやご先祖様に感謝するようになったかもしれない。 僕は、年齢を重ね、酸いも甘いも知ることで、 ご先祖様に感謝する気持ち を持つことができた。もっと早く、気付いていれば、今とは、別の生活をしていたかもしれない。 もっと早く気づけば「本当は今頃・・・」などと、考えても、過去に戻ることはできない。 僕が気付くには、この時間が必要だった。でも、気付くことができたことに感謝しよう。 これも、ご先祖様がいてくれたからこそ。 今日は、心の中のお墓に、心の中でお線香とお花をあげよう。

承認欲求は、誰もが持っている本能。

僕は、 承認欲求 が人より、強いのかもしれない。 これまで、僕には部下がいて、色々と相談されたり、支持をしたりしてきた。しかし、全く縁もゆかりもない今の職場で新入社員として仕事をしていると、これまでの 話す立場 から、 聞く立場 へと変化し、そのストレスからなのか(本人は自覚していないが!?)、急にこのブログを始めることを思いついた。 もちろん、そればかりではなく、『もっとこうしたらいいのに』や『不器用に生きているなぁ』など、今の職場での同僚に感じ、少しでも仕事を楽しんで欲しいという思いもある。(大体がその日に起きたことを発信している。) ただ、 承認欲求 は強弱はともかく、みんなが持っている本能的なことだと思う。 (ネットで詳しく調べながらではないので自己解釈だが) 『他人に認めて欲しい』 は、ごく当たり前で、赤ちゃんが何か上手くできた時、親に 『褒めて欲しい』 とおねだりするのも同じだし、SNSも誰かに認めて欲しいからこそだと思う。 承認欲求は悪いことではない。仕事で上手くいったら上司や同僚に褒めて欲しいし、見返り(給与)も欲しい。だからこそ、頑張れるんじゃないだろうか。 ただし、強すぎれば自己中心的になってしまうだろうし、弱いと人と一線を置いた冷めた人(他人に興味がない)になってしまう。 ほどほどがいいんだろうけど、ほどほどはどのラインなのだろうか。僕には、わからない。 ただ一つ、僕が思うのは周りを気遣うことができれば、周りも自分を気遣ってくれるはずだと。決して、周りと同調しろということではない。自己アピールも必要だけれど、周囲に目を配り、適切なタイミングで自己アピールし、自己アピールした分だけ、周りの人にも気を配る。 そんな感じでいいんじゃないかなと思う。 自分を認めて欲しいのは、周りにいる多くの人も同じだということを忘れなければ。 僕はこれからもブログを続けていきたいと思う。その中で、同意してくれる人がいたら嬉しい。 (やっぱり、みんなに認めて欲しいという願望は捨てられない。)

電話応対の心構え。

電話応対で、基本的な話し方や礼儀作法は別として、電話を コソコソと掛ける人 を時々見かけるが、僕は凄く気になってしまう。 特に営業経験が多かった僕にとって、会社内の電話よりも直接、携帯にお客様から電話が掛かってくることが多かった。 周りの営業マンも同様だが、電話が掛かってくると陰に隠れて話を進めている人を見かけると本当に仕事の電話なのかと疑問に思ってしまう。 プライベートな電話であれば、周りに気を使い話をしているのだろうと思うが、時々、目の前に現れ、電話の内容について相談されたりする。 今の職場でも見かけるが、なぜかコードレスの電話に持ち替え、奥の方へ消えて行ってしまう。 仮に、お客様が怒っているなど、 他人に聞かれたくない と思いで陰に隠れてしまうなら、何となく気持ちもわかるが、これがそうとも限らない。 恐らく、 話し方 や 礼儀作法 を気にしたり、「もし クレーム だったら」など余計なことを考えているんだと思う。 どちらにせよ、僕は堂々と周りに人がいようが気にせずに電話すべきだと思う。 その方が、もし話し方に失礼や礼儀作法としておかしなところがあった際に、周りにいる同僚に指摘してもらえるからだ。 他人に 話を聞かれるのが嫌 なのもわかるが、敢えて他人に話(話し方)を聞いてもらい、自分に間違いなどあった場合に指摘してもらえる環境で電話をした方が絶対に良い。 そうすると、早い段階で成長(大げさだが)していける。 自分だけでは、客観的になりづらく、間違いなどに気付きにくい。 恥ずかしいや他人に指摘されるのが嫌などのプライドはいらない。 嫌な思いはするかもしれないが、指摘されたら、すぐに改善することで、 恥ずかしい・嫌な思いは一瞬 でしかないのだから。 お客様からのクレームも同じ。他人に弱い所を見せたくない気持ちもわかるが、職場なら周りにいる同僚は仲間なのだから、応援してくれるはず。例え、応援してくれなくても、話を何となく聞いているだけで内容を理解してくれ、 自分一人で対応できなくなった場合にすぐにバトンタッチ (一からの詳細な説明を省き、簡潔に内容を伝えることができる。)できるから。 どちらにせよ、仕事の電話であれば、堂々と応対すべきだと思う。 僕は、電話での話を周りに聞かれても、何とも思わない。が、このブ

身だしなみに気を使って、損はない。

身だしなみは社会人として、立派なエチケットだと思う。 僕も最低限の身だしなみは気にしている。中でも、一番気を遣うのが靴だ。 個人的に靴が好きなこともあり、尚更だが、いつでもキレイに手の行き届いた靴を履くと心がいい気持ちになる。 僕の場合、新しい靴よりも、靴墨をキチンと塗った靴の方が好きだ。新品のやたらピカピカしているよりも落ち着きのある光沢に見えるからだ。 もちろん、他にもベルトやネクタイにも気を遣う。 何も高級な物や新しい物ではなくていいと思う。 ただ、 『身だしなみを気にする』 この気持ちを持っているだけでも、第三者に好印象を与えるんだと思う。 時々、決められたレールを走るのは嫌だから、自分の好きなようにしたいという人もいるが似合っていればいいと思う。ただ、そういう人に限って、テレビなどにでてくる誰かの真似だったりして、似合ってない人が多い。ヒドイ人は汚れていたり、しわくちゃな服を着て仕事をしている。(家じゃないんだから。) 本当に好きな服を着ている人は、身だしなみは必ず気にしているはず。 人により、好きな小物は違うと思う。自分が好きな小物には、ついつい目が行ってしまう。その時に、汚れていたり、ボロボロだったりすると、ガッカリしてしまうだろう。 多くの人に触れ合う 仕事では、多くの人の好みはわかりかねてしまう。趣味が合う人とだけ出会い、仕事が成り立つのであれば別だが、中々そうはいかない。 だから、最低限の身だしなみは気にするべきだと思う。 その方が、より多くの人に好印象を持ってもらえる。好印象を持ってもらうことは仕事をする上で、重要なポイントの一つでもある。 僕の場合、しっかりと磨かれた靴を履いている人を見ると、新しいや高級などは別にして、靴に気が利くなら、この人は気が利く人だろうと思い込んでしまう。 逆に、汚れたままの靴だったりすると、気が利かない(気づかない)人なんだろうと想像してしまう。 多くの人も特に自分が好きな小物を粗末にしている人を見ると、本来のその人を知る前に勝手に悪い印象を持ってしまうだろう。 スタートが悪ければ、取り戻すのは容易ではない。(テクニックとして、悪い印象から好印象を与えることでギャップの大きさで本来以上の印象を与えることもなくはないが、身だしなみは別だと思う。) なら、 スタ

お客様は神様?

お客様は神様と言われる方もいるが、僕はそうは思わない。 なぜなら、買う権利もあれば、売る権利もあるからだ。 少し、極端な意見なので反発もあるだろう。 もちろん、お客様を見下したり、馬鹿にしている訳ではない。 お客という立場を利用 するズルい人がいるからだ。 僕も、基本的には、お客様の意見を尊重するし、多少の無理難題も気にすることなく引き受ける。ただし、無理難題の度が過ぎたり、無理難題を当たり前のように注文を付けてくる客は、お客様ではないと思っている。 会社からのクレームは気にせず、取引をやめてもらっても良い。そんな客は、会社に大きな利益をもたらすことはないはずだから。 同じ無理難題でも、会社に利益をもたらしてくれるお客様は、譲歩もしてくれる。かたや、「無理難題が通らなければ、取引はしない。」など、上から目線の客は、後々、クレームやらいちゃもんやら、大きな損害にもなり得る。 賢い人や会社は、飴とムチを使い分けるけど、ムチしか使わない会社や人は、今の立場に勘違いしているだけの人でしかない。 そんな人や会社と長い付き合いができるわけがない。 だからこそ、お客様は神様ではないと思う。立場は違えど、同等の位置に立っている。下請けも同じ。大企業も下請けがなければ維持できないはず。ただ、親会社の言う通りすべての条件を飲むのではなく、こちらからも条件の提示をしていこう。 もちろん、条件を出す限りは、請け負う仕事を相手の想像以上の結果で示す。これができれば、立ち位置は下請け、親会社問わず、同じ位置で仕事ができるはず。 世の中には、無理難題を飲むしかない企業もあることはわかっているが、そこから脱出する道を探し、利益を確保しなければ、企業としての本来の存在価値が失われてしまうと思う。 僕は、お客様は神様ではないけれど、やっぱり、お客様は大事にすべきだと思い、尊重し行動するようにしている。

あなたのプライドは、どこにある?

高い、低いは別にして、プライドがない人はいないだろう。 ただし、仕事でのプライドとなると勘違いしている人が多い。周りより、仕事ができると思われたい。自分は周りとは違う。などなど。 本来、持つべきプライドを持たずに余計なプライドだけ、やたらと高い人を多く見かける。特に、中途半端に仕事をこなす人に多い。 僕は、仕事中は、なるべくプライドを持たないようにしている。プライドが邪魔をして、成長する切っ掛けを見失ってしまうからだ。 わからないことは、社歴が長かろうが短かろうが関係ない。ましてや、年齢の上下も関係なく、詳しい人に聞く方が早い。 今の時代は、ネットで簡単に調べることもできるが、ネット上には様々な情報が入り乱れている。 ネット上で、本当に知りたい情報を探し出すには、そのことについて、ある程度、下調べをし、更に追及していかないと正確に理解できない。急ぎすぎると、あたかも正確の用に見える、偽りの情報をつかみかねない。 プライドが高すぎると、周りに 『知らないと思われたくない』 そんなくだらない理由で中途半端な知識を得て、自己満足してしまう。そこに第三者がいないから、間違いに気づくのに遅れてしまう。 自分の本来の目的(家族を守る・出世したいetc)を達成するためのプライドではなく、目先のプライドに捉われてしまっている。 僕は、そんなくだらないプライドはいらないと思う。目的を達成するためなら、他人に馬鹿にされようが関係ない。マイペースで進んでいく。 仕事にプライドを持つ事は、決して悪くないが、高すぎるプライドは邪魔になるだけ。 プライドを持つなら、最低限でありながら、周りに何を言われても、決して折れないプライドにしよう。 周りから、僕のプライドは高いと言われる。でも、仕事に対してのプライドは決して高くない。(と、思う。)

「話し上手は、聞き上手。」は、本当だ。

これもよく言われます。 実際に、「はい。」「え~。」「そうですか。」などの相手を肯定する言葉をタイミングよく話すだけで会話が成り立つことがある。 ただ、ある程度のテクニックはいるので、練習が必要になると思う。 通り一辺倒の「はい。」だけでは、話相手は、本当にちゃんと聞いているのか疑問に感じて、不満・不安にさせる場合もある。 同じ肯定文でも真剣な話には、「はい。」くだけた話には「え~。」自慢話には「そうですか。」など、話の内容にあわせて、変化していかなければならない。 もちろん、うなずくなど、ある程度のアクションも必要だ。(オーバーアクションはなしで。) これだけでも、相手は気持ちよく話ができ、好印象を与えることができる。 更に、話相手が話した言葉をただ、オウム返しのように繰り返すと、より、好印象を与えることもできる。 自分に好印象を持ってもらったてから、初めて、こちらの本題を切り出す。 自分の要件を 『急がば回れ』 で、相手に好印象を与え、聞き入れやすい状況を作り出してから話し出すと、よりよい状況から話を初めることができるので、交渉しやすい。 ただし、相手の話に興味がないとタイミング、適した返答、アクションができないので、相手に興味を持たないといけない。 交渉は相手に心を開かせないと失敗する。相手の心を開くには、まず、自分が相手に心を開かないといけない。 例え、嫌いな相手でも自分が有利になるように話を進めるには、相手に興味を持つことが大事。 自分が心を開くと、実は 『食わず嫌い』 でいい人な時もあるかも知れない。やっぱり、嫌いであっても、相手の考え方がわかれば、弱点を探ることができるかも知れない。 まずは、話相手に興味を持とう。 僕も、「はい。」を多発している。が、こちらの心は開いているのに、一方通行のまま、相手の心を開けずにいる。相手の心のドアにカギがかかったまま、ビクともしない。 只今、心のドアを開けてくれる鍵屋さんを探している最中だ。